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 お別れの刻は静かにやってくるのでした。世界一寒い町ヴェルホヤンスクの3日間が、とうとう、終わります。<br /><br /> ちょっと脱線させてください。実は2泊3日で帰れるからこそ、私はヴェルホヤンスクを旅先に選んだのでした。もちろん「帰れる」というのはヤクーツク起点での話ですけどね。(日本からだと、さらに3日くらいは最低でも必要になります。)<br /><br /> 覚えておいででしょうか。人の定住している土地で世界一寒いと言われる場所は、少なくとも2つくらいあるんだ、というようなことを、連載初期に書きました。それはいずれもこのサハ共和国内にあります。一つはもちろん、ここヴェルホヤンスク町。もう一つ、北半球の寒極とされているのは、オイミャコン村です。<br /><br /> 今さら身も蓋もないことを言いますが、現代の日本において、世界一寒い定住地としての知名度は、オイミャコンの方がヴェルホヤンスクよりも間違いなく上です。<br /><br /> おさらいしましょう。かつてヴェルホヤンスクでは、公式記録で-67.8℃という最低気温が観測されました。一方、オイミャコンで出た気温は、実はこっちは非公式記録だったのですが、-71.2 ℃!センセーショナルです。やっぱり60℃台と70℃台のインパクトの差は大きい。もう、生身の人間が存在できるのかどうか疑わしくさえ思えてきます。これではオイミャコンばかりが注目されてしまうのは仕方ありませんね。事実、この数年間だけでも、日本のいくつものテレビ局がオイミャコンへ取材クルーや芸能人を送りこみ、極限環境でのロケを敢行しているのです。ということは、もう何度も、公共の電波に乗せられて、日本全国へ、オイミャコンの映像は、届けられてきたってことです。もちろん日本語の放送で。もはや、オイミャコンはぶっちぎりの「寒極の花形」に祭り上げられています。<br /><br /> そんなオイミャコンに私も興味がなかったわけではありません。むしろすっごく行きたかった。でも、今回は断念するしかなかったのです。最大の障害は、オイミャコンの交通の便の悪さでした。というのもヤクーツクから陸路ではるばると、片道2日もかかるのです。往復すると最低でも5日くらいになります。しかも公共交通は通っていません。するとどんな旅になるでしょう。ヤクーツクから何日もずっと、専用車を借り上げ、ドライバーを雇い、それらサポート要員逹の宿泊や食事代金を負担し…いやーとてもとても、無理無理。当時まだ駆け出しのサラリーマンだった私の経済力と、持てる休暇の範囲内で、そんな大名旅行、どうやって実現できるでしょうか。

エクメネの最果てへ ―サハ共和国 冬の旅― (32)

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2009/01/12 - 2009/01/14

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

 お別れの刻は静かにやってくるのでした。世界一寒い町ヴェルホヤンスクの3日間が、とうとう、終わります。

 ちょっと脱線させてください。実は2泊3日で帰れるからこそ、私はヴェルホヤンスクを旅先に選んだのでした。もちろん「帰れる」というのはヤクーツク起点での話ですけどね。(日本からだと、さらに3日くらいは最低でも必要になります。)

 覚えておいででしょうか。人の定住している土地で世界一寒いと言われる場所は、少なくとも2つくらいあるんだ、というようなことを、連載初期に書きました。それはいずれもこのサハ共和国内にあります。一つはもちろん、ここヴェルホヤンスク町。もう一つ、北半球の寒極とされているのは、オイミャコン村です。

 今さら身も蓋もないことを言いますが、現代の日本において、世界一寒い定住地としての知名度は、オイミャコンの方がヴェルホヤンスクよりも間違いなく上です。

 おさらいしましょう。かつてヴェルホヤンスクでは、公式記録で-67.8℃という最低気温が観測されました。一方、オイミャコンで出た気温は、実はこっちは非公式記録だったのですが、-71.2 ℃!センセーショナルです。やっぱり60℃台と70℃台のインパクトの差は大きい。もう、生身の人間が存在できるのかどうか疑わしくさえ思えてきます。これではオイミャコンばかりが注目されてしまうのは仕方ありませんね。事実、この数年間だけでも、日本のいくつものテレビ局がオイミャコンへ取材クルーや芸能人を送りこみ、極限環境でのロケを敢行しているのです。ということは、もう何度も、公共の電波に乗せられて、日本全国へ、オイミャコンの映像は、届けられてきたってことです。もちろん日本語の放送で。もはや、オイミャコンはぶっちぎりの「寒極の花形」に祭り上げられています。

 そんなオイミャコンに私も興味がなかったわけではありません。むしろすっごく行きたかった。でも、今回は断念するしかなかったのです。最大の障害は、オイミャコンの交通の便の悪さでした。というのもヤクーツクから陸路ではるばると、片道2日もかかるのです。往復すると最低でも5日くらいになります。しかも公共交通は通っていません。するとどんな旅になるでしょう。ヤクーツクから何日もずっと、専用車を借り上げ、ドライバーを雇い、それらサポート要員逹の宿泊や食事代金を負担し…いやーとてもとても、無理無理。当時まだ駆け出しのサラリーマンだった私の経済力と、持てる休暇の範囲内で、そんな大名旅行、どうやって実現できるでしょうか。

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  •  でも、いろんな人を巻き込みまくり、力を借りまくっているうちに(※1)、どっちかというとマイナーな方の寒極、ヴェルホヤンスクには手が届いたのです。よくよく調べれば、この町は色々と条件に恵まれていました。<br /><br /> まず、近くのバタガイ集落まで、3日に1往復くらいは飛行機が飛んでいるのがありがたい。これだけタイトなスケジュールが可能になったのも、高速で移動できる飛行機のおかげです。それから、その飛行機が公共交通機関であるところがまたすばらしいのです。日本からヴェルホヤンスクの直前くらいまで、ずーっと、公共交通だけを乗り継いで来ることができるわけですから。これなら何日も専用車を借り上げるよりも、ずっと財布にやさしいですね(それでも、ヤクーツク - バタガイ間だけで往復5万円以上しましたけども)。<br /><br /> 長い脱線でしたが、要するに、ヴェルホヤンスク滞在を終えた私達は、昼14:50発の便に間に合うように、バタガイ空港を目指さねばならないのです。<br /><br /> バタガイ空港へ降り立ったのは2009年1月13日午前10:20。今日は1月15日ですから、およそ50時間強で引き返す計算です。この時、気づきました。決まった時間に発着する乗り物は、ずいぶんと精神面に大きな影響を与えるものだなと。<br /><br /> まず、その手の乗り物には、時刻表に合わせて行動しなければならないという強迫的な面があって、これは明らかなストレスとなります。しかし一方で、それに従うことにある種の幸福を覚えるのもまた事実なのです。ストレスを喜ぶなどと言うと、いかにも倒錯したマゾヒズムを告白するようで何だかドキドキしますが、ちょっと違っていて、その正体はおそらく、定期的に運行する乗り物の存在を意識するときに、世界とつながる接点や、社会の秩序と触れ合うよりどころを得る幸福感なのです。日本のように極めて交通の発達した社会にいると自覚しにくいのですが、私はもう、この心地よさに中毒的にハマっている気がします。だから、「日時を守ればバタガイから飛行機に乗れるようにこの世は造られていること」がうれしくてなりません。自分で書いてて思いますが、変態です。でもきっと、私だけじゃないと思うのです、こういう人は。<br /><br /> お世話になったホテル「寒極」で荷物をまとめていると、おととい、学校でオリンピック博物館を案内してくれたあのピョートル先生が私達を訪ねてみえました。別れ際にお土産を渡しに来てくださったのです。

     でも、いろんな人を巻き込みまくり、力を借りまくっているうちに(※1)、どっちかというとマイナーな方の寒極、ヴェルホヤンスクには手が届いたのです。よくよく調べれば、この町は色々と条件に恵まれていました。

     まず、近くのバタガイ集落まで、3日に1往復くらいは飛行機が飛んでいるのがありがたい。これだけタイトなスケジュールが可能になったのも、高速で移動できる飛行機のおかげです。それから、その飛行機が公共交通機関であるところがまたすばらしいのです。日本からヴェルホヤンスクの直前くらいまで、ずーっと、公共交通だけを乗り継いで来ることができるわけですから。これなら何日も専用車を借り上げるよりも、ずっと財布にやさしいですね(それでも、ヤクーツク - バタガイ間だけで往復5万円以上しましたけども)。

     長い脱線でしたが、要するに、ヴェルホヤンスク滞在を終えた私達は、昼14:50発の便に間に合うように、バタガイ空港を目指さねばならないのです。

     バタガイ空港へ降り立ったのは2009年1月13日午前10:20。今日は1月15日ですから、およそ50時間強で引き返す計算です。この時、気づきました。決まった時間に発着する乗り物は、ずいぶんと精神面に大きな影響を与えるものだなと。

     まず、その手の乗り物には、時刻表に合わせて行動しなければならないという強迫的な面があって、これは明らかなストレスとなります。しかし一方で、それに従うことにある種の幸福を覚えるのもまた事実なのです。ストレスを喜ぶなどと言うと、いかにも倒錯したマゾヒズムを告白するようで何だかドキドキしますが、ちょっと違っていて、その正体はおそらく、定期的に運行する乗り物の存在を意識するときに、世界とつながる接点や、社会の秩序と触れ合うよりどころを得る幸福感なのです。日本のように極めて交通の発達した社会にいると自覚しにくいのですが、私はもう、この心地よさに中毒的にハマっている気がします。だから、「日時を守ればバタガイから飛行機に乗れるようにこの世は造られていること」がうれしくてなりません。自分で書いてて思いますが、変態です。でもきっと、私だけじゃないと思うのです、こういう人は。

     お世話になったホテル「寒極」で荷物をまとめていると、おととい、学校でオリンピック博物館を案内してくれたあのピョートル先生が私達を訪ねてみえました。別れ際にお土産を渡しに来てくださったのです。

  •  いただいたものはまず、写真が2枚。博物館(以前の連載参照)での記念写真です。デジカメで撮った写真がわざわざきれいな専用紙に印刷してあります。確かにこの町の学校には、パソコン、インターネット回線、プロジェクター等の設備がひととおりあるのを目撃しましたし、皆、見事に習熟していましたから、これくらいの芸当は当たり前の範囲内(以前の連載参照)でしょう。<br /><br /> しかし、続いての品にはおったまげました。それは3冊の本(※2、※3、※4)でしたが、どこに驚いたかって、それは次の2点です。<br /><br />1. そのうち1冊はピョートル先生の自著であること。<br />2. 全ての本がバタガイの印刷所で出版されていること。<br /><br /> だいたい出版というものが、この最果ての地で成立していることが、私の想像をはるかに突き抜けていました。単に本を作るという生産行為だけでも十分に驚きに値しますが、ここで行われているのはそれどころの水準ではありません。製造ではなく創造なのです。コンテンツの提供者に始まり、本ができあがるまでに関わる行為の全てが、このヴェルホヤンスク地区内で完結しているのです。もしかすると、流通までもが地区内で完了しているかもしれません。<br /><br /> これはソ連の遺産なのでしょうか。つまり、どんな僻地にも、均質で平等なソ連人的生活を提供するという、壮大な理想を全国で実践した結果、この地にも印刷所が設置され、専門職を育み、出版文化が根付くに至ったのでしょうか。でも変ですね、ソ連という国家は、出版に係るコンテンツの自由に対しては神聖なる弾圧者でしたから、道具と職人は揃っていても、このようにオリジナリティーあふれる印刷物が、中央のコントロールによらないで純然にローカルな単位に生産される文化とは、全く相容れなかったはずなのです。<br /><br /> ハードは隅々に整備する一方、ソフトは厳しく制限する、こんな特殊すぎる社会が生み出したゆがみの昇華点の一つは、サミズダート(自主出版、あるいは地下出版)です。出版が自由でないからこそ、サミズダートを通じて逆に一般人は自ら表現者にもなりえたのです。これ、あながち無茶な説ではないと思いますよ。だって、今もらった本はサミズダートそのものですもの。「ソ連崩壊し、なおサミズダートを残す」―もしこれが一部なりとも真実を言い当てているならば、ソ連という国は何と遠まわしなネタを仕込んでくれたのでしょう。<br /><br />(つづく)

     いただいたものはまず、写真が2枚。博物館(以前の連載参照)での記念写真です。デジカメで撮った写真がわざわざきれいな専用紙に印刷してあります。確かにこの町の学校には、パソコン、インターネット回線、プロジェクター等の設備がひととおりあるのを目撃しましたし、皆、見事に習熟していましたから、これくらいの芸当は当たり前の範囲内(以前の連載参照)でしょう。

     しかし、続いての品にはおったまげました。それは3冊の本(※2、※3、※4)でしたが、どこに驚いたかって、それは次の2点です。

    1. そのうち1冊はピョートル先生の自著であること。
    2. 全ての本がバタガイの印刷所で出版されていること。

     だいたい出版というものが、この最果ての地で成立していることが、私の想像をはるかに突き抜けていました。単に本を作るという生産行為だけでも十分に驚きに値しますが、ここで行われているのはそれどころの水準ではありません。製造ではなく創造なのです。コンテンツの提供者に始まり、本ができあがるまでに関わる行為の全てが、このヴェルホヤンスク地区内で完結しているのです。もしかすると、流通までもが地区内で完了しているかもしれません。

     これはソ連の遺産なのでしょうか。つまり、どんな僻地にも、均質で平等なソ連人的生活を提供するという、壮大な理想を全国で実践した結果、この地にも印刷所が設置され、専門職を育み、出版文化が根付くに至ったのでしょうか。でも変ですね、ソ連という国家は、出版に係るコンテンツの自由に対しては神聖なる弾圧者でしたから、道具と職人は揃っていても、このようにオリジナリティーあふれる印刷物が、中央のコントロールによらないで純然にローカルな単位に生産される文化とは、全く相容れなかったはずなのです。

     ハードは隅々に整備する一方、ソフトは厳しく制限する、こんな特殊すぎる社会が生み出したゆがみの昇華点の一つは、サミズダート(自主出版、あるいは地下出版)です。出版が自由でないからこそ、サミズダートを通じて逆に一般人は自ら表現者にもなりえたのです。これ、あながち無茶な説ではないと思いますよ。だって、今もらった本はサミズダートそのものですもの。「ソ連崩壊し、なおサミズダートを残す」―もしこれが一部なりとも真実を言い当てているならば、ソ連という国は何と遠まわしなネタを仕込んでくれたのでしょう。

    (つづく)

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