2013/09/22 - 2013/09/22
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ドクターキムルさん
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横浜市栄区小菅ヶ谷3に鎮座する春日神社は、古くは本郷6村の総鎮守であったと伝えられ、天児屋根命(あめのこやねのみこと)他3柱を奉祭し、末社には神明(桂・公田)、八幡(鍛冶ヶ谷)、白山(上郷)、稲荷(中野)の本郷各村の村社がある。
「新編相模風土記稿」によれば、永禄8年(1565年)に、小田原北条氏の公田の地頭職であった宇部左京亮(うべさきょうのすけ)の子息、宇部松菊丸が再建したとあり、社伝でもそう伝えている。しかし、はるかに古い平安時代に山内首藤(やまのうちすどう)氏が創建したものとみなされている。
この春日神社の例大祭が9月22日に行われるので出かけてみた。小菅ヶ谷の町内では子供たちも祭りの法被(はっぴ)姿で、町を揚げての祭り当日であり、夕方には町内の秋祭りの行事も予定されている。宮の下三叉路の上手には神輿が見える。この神輿は重さが1.2tもあるという。担ぎ手には女性も混ざっているが、着ている法被はばらばらである。氏子よりは他所から来ている担ぎ手の方が多いくらいだ。1tを越える重さの神輿であるから、渡御のスピードはゆっくりとしたもので、頻繁に歩みを止めて担ぎ手が交替する。たまたま、神輿の担ぎ棒に代表が乗って〆を行っていた。神輿渡御は10時に始まったという。ポスターには11:00〜とあったが、これは社殿で行われる例大祭の開始時間であった。
神社社殿前ではテントが張られ、氏子たちが集まっており、高覧では神楽のお囃子も行われている。ご婦人たちも多くいる。春日神社は権現造であるが、本殿は彫刻が施されており、権現造の本殿に相当する覆殿の中にある。2年前に氏子総代の方から写真集のコピーを頂いたことがある。ぜひ、本殿を見たいものだと社殿前のテントで受付をしている氏子にいうと上(社殿)で聞いててみくださいというので靴を脱いで昇殿した。すると権禰宜が例大祭の始まりを伝え、禰宜が平安時代に創建されたこの春日神社の由緒を述べ、例大祭の祭礼が始まった。私も拝殿入口あたりの末席に控えた。その後に神楽が奉納された。右手に扇子、左手に鈴を持ってお神楽が始まった。さらに、扇子を榊に換えて参拝者をお祓いする。実は禰宜は女性であり、春日大社ならば巫女が舞う鈴舞に近いか起源を同じくするものであろう。神楽の舞が終わると参拝者全員が玉串を奉納して例大祭は滞りなく終わり、引き続いて直会(なおらい)に移る。恥かしながら、私も玉串を奉納したが、直会はさすがに遠慮した。
玉串を奉納した本殿前までは入れるがそこから奥は神域であり立ち入れないという。また、蕾付きの牡丹の飾り瓦は江戸時代に牡丹などの(彫刻などに)デザインが流行ったので屋根にも上がっているのではないかということだ。聖徳太子縁の神社という訳ではないようだ。
(表紙写真は春日神社の例大祭で神輿を担ぐ人たち)
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「春日神社例大祭」のポスター。
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「秋祭り」のポスター。
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宮の下三叉路の上手に見える神輿。
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神輿の担ぎ棒に代表が乗っている。
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神輿の担ぎ棒に代表が乗って〆を行なう。
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〆が終わる。
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神輿を担ぐ準備。
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神輿を担ぐ。
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神輿の屋根には鳳凰と「春日神社」の名札。
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神輿が進む。
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神輿渡御。
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神輿渡御。
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春日神社境内脇の町民館で料理の準備。
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春日神社境内参道。
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春日神社境内の手水舎。新しくなった。
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春日神社境内中段の石碑にも注連縄が。
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春日神社拝殿前のテント。
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春日神社拝殿高覧での神楽のお囃子。
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春日神社拝殿と横のテント。
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春日神社拝殿。
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春日神社拝殿下の鳥居。
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春日神社入口石段上の幟。
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春日神社入口石段下の参道脇には屋台のお店が6軒。
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青空にたなびく幟。
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春日神社入口参道脇の屋台の店。
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春日神社入口参道脇の屋台の店。
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宮の下三叉路から春日神社前に戻ってくる神輿。
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