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羽黒山三山神社 ー 月山神社・出羽神社・湯殿山神社<br />三山が神仏習合だった時代、三山を斗薮する修行を「三関三渡」と言っていました。羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされ、それらのご加護とお導きに因り、現在・過去・未来の三関を乗り越え、湯殿山の大日如来(三関を超越した世界)の宝窟に安住し、即神成仏(生きたまま悟りを開く)の妙果を得るという。<br />月山、湯殿山は雪深い山頂や渓谷にあるため、参拝や祭祀が困難なため、羽黒山頂に三山の神々を合祀したということです。<br /><br />今回は日程の都合で、慌ただしく廻ったため、内部を見ることも出来ませんでした。次回はここの斎館に1泊して、随心院から歩いてお参りしたいと思っています。2月の雪下ろしも見たいのですが、足の弁はどうなのでしょう。

出羽三山奥参り

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2013/07/26 - 2013/07/27

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belledune

belleduneさん

羽黒山三山神社 ー 月山神社・出羽神社・湯殿山神社
三山が神仏習合だった時代、三山を斗薮する修行を「三関三渡」と言っていました。羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされ、それらのご加護とお導きに因り、現在・過去・未来の三関を乗り越え、湯殿山の大日如来(三関を超越した世界)の宝窟に安住し、即神成仏(生きたまま悟りを開く)の妙果を得るという。
月山、湯殿山は雪深い山頂や渓谷にあるため、参拝や祭祀が困難なため、羽黒山頂に三山の神々を合祀したということです。

今回は日程の都合で、慌ただしく廻ったため、内部を見ることも出来ませんでした。次回はここの斎館に1泊して、随心院から歩いてお参りしたいと思っています。2月の雪下ろしも見たいのですが、足の弁はどうなのでしょう。

旅行の満足度
4.0

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  • 駐車場から御本殿へと進みます。

    駐車場から御本殿へと進みます。

  • 御開山千四百年記念事業として、平成4年秋に竣工された天宥社 - 羽黒山五十世執行別当・天宥法印を祀っています。(法引とは、山伏や祈祷師の異称)<br />天宥法印は、羽黒山中興の祖と仰がれており、お山祭築の礎を築かれました。25歳で羽黒山別当に就かれ、上野寛永寺の天海僧正に師事し、宗政を匡しました。壇那場、霞場の布教制度を廃止し、山の改革を図ったり、参道に石燈を敷き、植林を推奨されました。また、田畑を興し、祓川の懸崖に滝を落とし、山内堂塔の造替、移築などを行いました。絵画、彫刻、造園にも非凡な才能を発揮したそうです。晩年は、伊豆の新島へ流され、在島7年の後、82歳で入寂されました。<br />『其の玉や 羽黒にかへす 法の月」芭蕉

    御開山千四百年記念事業として、平成4年秋に竣工された天宥社 - 羽黒山五十世執行別当・天宥法印を祀っています。(法引とは、山伏や祈祷師の異称)
    天宥法印は、羽黒山中興の祖と仰がれており、お山祭築の礎を築かれました。25歳で羽黒山別当に就かれ、上野寛永寺の天海僧正に師事し、宗政を匡しました。壇那場、霞場の布教制度を廃止し、山の改革を図ったり、参道に石燈を敷き、植林を推奨されました。また、田畑を興し、祓川の懸崖に滝を落とし、山内堂塔の造替、移築などを行いました。絵画、彫刻、造園にも非凡な才能を発揮したそうです。晩年は、伊豆の新島へ流され、在島7年の後、82歳で入寂されました。
    『其の玉や 羽黒にかへす 法の月」芭蕉

  • 末社<br />奥から、大雷末社、健角身神社、稲荷神社、大山祇神社、白山神社、思兼神社、八坂神社の末社があります。

    末社
    奥から、大雷末社、健角身神社、稲荷神社、大山祇神社、白山神社、思兼神社、八坂神社の末社があります。

  • 手水社で清めてから、三神合祭殿へ

    手水社で清めてから、三神合祭殿へ

  • 天気が変わり易い日が続いていて、ちょっと気になる空模様です。

    天気が変わり易い日が続いていて、ちょっと気になる空模様です。

  • 正保2年(1645)に創建された東照宮<br />現在の社殿は、当時の藩主酒井忠真が元禄3年(1690)に造営したものです。建物は、権現造り、銅板葺き、拝殿の外壁を朱色に塗り、木口を金色にする等格式高く仕上げています。現在は、出羽三山神社の摂社になっています。

    正保2年(1645)に創建された東照宮
    現在の社殿は、当時の藩主酒井忠真が元禄3年(1690)に造営したものです。建物は、権現造り、銅板葺き、拝殿の外壁を朱色に塗り、木口を金色にする等格式高く仕上げています。現在は、出羽三山神社の摂社になっています。

  • 羽黒山霊祭殿(旧仏立堂・地蔵堂)<br />出羽三山は往古より祖霊安鎮のお山とされて、深い信仰を集めていました。単層入母屋、千鳥破風五間社造りの本殿に次ぐ、荘厳な建物で、昭和58年に再建されました。外拝殿の天井には、畳21枚分の杉板に染筆した鎮魂絵「天女と神龍」が描かれており、天女に導かれた御霊が龍に守護されて昇天することを願う意味があるそうです。

    羽黒山霊祭殿(旧仏立堂・地蔵堂)
    出羽三山は往古より祖霊安鎮のお山とされて、深い信仰を集めていました。単層入母屋、千鳥破風五間社造りの本殿に次ぐ、荘厳な建物で、昭和58年に再建されました。外拝殿の天井には、畳21枚分の杉板に染筆した鎮魂絵「天女と神龍」が描かれており、天女に導かれた御霊が龍に守護されて昇天することを願う意味があるそうです。

  • 鐘楼堂は、切妻造りの萱葺きで、小さいながらも豪壮な建物となっています。最上家信の寄進で、元和4年再建されました。国宝五重塔に次ぐ古い建物です。<br />鐘は健治元年の銘があり、古鐘では、東大寺、金剛峰寺に次いで、古く、大きいものとなっています。<br />鐘の大きさは、総高九尺四寸二分(2,86m)、口径五尺五寸五分(1,68m)、唇の厚み七寸一分(22cm)、鐘身の高さ六尺七寸五分(2,05m)、笠形の高さ四寸四分(13cm)、龍頭の高さ二尺二寸三分(68cm)です。

    鐘楼堂は、切妻造りの萱葺きで、小さいながらも豪壮な建物となっています。最上家信の寄進で、元和4年再建されました。国宝五重塔に次ぐ古い建物です。
    鐘は健治元年の銘があり、古鐘では、東大寺、金剛峰寺に次いで、古く、大きいものとなっています。
    鐘の大きさは、総高九尺四寸二分(2,86m)、口径五尺五寸五分(1,68m)、唇の厚み七寸一分(22cm)、鐘身の高さ六尺七寸五分(2,05m)、笠形の高さ四寸四分(13cm)、龍頭の高さ二尺二寸三分(68cm)です。

  • 上帯の飛雲丈は、見事な手法で、当代の趣味を発揮しており、池の間は、雲中飛行の天人や池注蓮華を鋳現しているのは、ここ羽黒山だけで見ることが出来ます。<br />天人の図は、ここと、宇治鳳凰堂の藤原時代の鐘にだけ見ることができます。この鐘は、文永・弘安の蒙古襲来の際に、羽黒の龍神(九頭龍王)の働きに因って、的の全艦船を撃沈したことで、鎌倉幕府は、羽黒山の霊威を感じて、鎌倉から鐘大工を送り込み、羽黒で鐘を鋳造し、羽黒山に奉ったそうです。

    上帯の飛雲丈は、見事な手法で、当代の趣味を発揮しており、池の間は、雲中飛行の天人や池注蓮華を鋳現しているのは、ここ羽黒山だけで見ることが出来ます。
    天人の図は、ここと、宇治鳳凰堂の藤原時代の鐘にだけ見ることができます。この鐘は、文永・弘安の蒙古襲来の際に、羽黒の龍神(九頭龍王)の働きに因って、的の全艦船を撃沈したことで、鎌倉幕府は、羽黒山の霊威を感じて、鎌倉から鐘大工を送り込み、羽黒で鐘を鋳造し、羽黒山に奉ったそうです。

  • 参集殿 地上2階、地下1階で、総床面積2,179?。入母屋造り、銅板一文字段葺きとなっています。従来の直務所に参拝者の受け入れ施設、神職養成所、更に儀式殿も備えた立派な建物が昭和63年に竣工しました。

    参集殿 地上2階、地下1階で、総床面積2,179?。入母屋造り、銅板一文字段葺きとなっています。従来の直務所に参拝者の受け入れ施設、神職養成所、更に儀式殿も備えた立派な建物が昭和63年に竣工しました。

  • 玄関に魔除けの引き綱が掛けてあります。松例祭(冬の蜂)につつが虫(悪魔)を引張って、焼き捨てる神事に使ったもので、綱を掛けると悪魔が近寄らないと言われています。

    玄関に魔除けの引き綱が掛けてあります。松例祭(冬の蜂)につつが虫(悪魔)を引張って、焼き捨てる神事に使ったもので、綱を掛けると悪魔が近寄らないと言われています。

  • 参集殿の玄関

    参集殿の玄関

  • 三神合祭殿  社殿は羽黒派古修験道独特の建物。高さ28m、裄行24,2m、梁間17mで主に杉材を使用し、内部は朱塗り、屋根の厚さは、2,1mにも及ぶ萱葺きの豪壮な建物となっています。現在の合祭殿は、文政元年(1818)に完成したもので、動員された大工は35,138人、その他の職人が55,416人、人足37,644人で、建設費は5275両に達したと言われています。建設当時は、赤松脂塗でしたが、昭和45〜47年の開山1380年記念事業として、塗替修復工事が行われ、朱塗りの社殿となりました。

    三神合祭殿 社殿は羽黒派古修験道独特の建物。高さ28m、裄行24,2m、梁間17mで主に杉材を使用し、内部は朱塗り、屋根の厚さは、2,1mにも及ぶ萱葺きの豪壮な建物となっています。現在の合祭殿は、文政元年(1818)に完成したもので、動員された大工は35,138人、その他の職人が55,416人、人足37,644人で、建設費は5275両に達したと言われています。建設当時は、赤松脂塗でしたが、昭和45〜47年の開山1380年記念事業として、塗替修復工事が行われ、朱塗りの社殿となりました。

  • 三神合祭殿の前にある鏡池は、御本殿の御手洗池で、年間を通して水位が殆ど変化せず、神秘の御池として古くから信仰を集め、羽黒信仰の中心でした。古書に、「羽黒神社」と書いて、「いけのみたま」と読ませ、この池の神霊そのものと考えていました。古来より多くの人によって奉納された銅鏡が埋納されているので、鏡池と呼ばれています。

    三神合祭殿の前にある鏡池は、御本殿の御手洗池で、年間を通して水位が殆ど変化せず、神秘の御池として古くから信仰を集め、羽黒信仰の中心でした。古書に、「羽黒神社」と書いて、「いけのみたま」と読ませ、この池の神霊そのものと考えていました。古来より多くの人によって奉納された銅鏡が埋納されているので、鏡池と呼ばれています。

  • 三神合祭殿正面  三山の開祖・蜂子皇子は、苦行の末羽黒大神の御示現を拝し、山頂に羽黒山寂光寺を建立しました。明治の神仏分離後、大権現号を排して、出羽神社と称し、三箇所に神々を合祀しているので、建物を三神合祭殿と呼んでいます。

    三神合祭殿正面  三山の開祖・蜂子皇子は、苦行の末羽黒大神の御示現を拝し、山頂に羽黒山寂光寺を建立しました。明治の神仏分離後、大権現号を排して、出羽神社と称し、三箇所に神々を合祀しているので、建物を三神合祭殿と呼んでいます。

  • 三神合祭殿内部<br />一般の神社建築とは異なり、一棟の中に拝殿と御本殿とが造られていて、月山、羽黒山、湯殿山の三神が合祀されていることから、合祭殿造りと言われる独特の社殿です。内内陣は、御深秘殿と称し、古来17年毎に式年の造営が斎行されています。<br />また御本殿長押には、二十四孝の彫刻があり、三神合祭殿の題字は、副島種臣の書。

    三神合祭殿内部
    一般の神社建築とは異なり、一棟の中に拝殿と御本殿とが造られていて、月山、羽黒山、湯殿山の三神が合祀されていることから、合祭殿造りと言われる独特の社殿です。内内陣は、御深秘殿と称し、古来17年毎に式年の造営が斎行されています。
    また御本殿長押には、二十四孝の彫刻があり、三神合祭殿の題字は、副島種臣の書。

  • 奥右手の杉戸に鶴の絵が描かれています。

    奥右手の杉戸に鶴の絵が描かれています。

  • 内陣は、三戸前の扉に分かれ、正面中央に月読命、右に伊氏波神(稲蔵魂命)左に大山祇命、大己貴命、少彦名命を祀っています。<br />本社は、大同2年の建立以来、度々造り替えを行い、江戸時代では、4度行われました。慶長10年、最上義光の修造を始め、明和5年に再造、29年を経た寛政8年に炎上しました。文化2年に再建されましたが、同8年にまた炎上しました。東叡山では、再度の焼失に、文化10年荘厳院覚諄を別当に任じて、本社の再建に当たらせ、文政元年(1818)に完成しました。それが、現在の本社です。

    内陣は、三戸前の扉に分かれ、正面中央に月読命、右に伊氏波神(稲蔵魂命)左に大山祇命、大己貴命、少彦名命を祀っています。
    本社は、大同2年の建立以来、度々造り替えを行い、江戸時代では、4度行われました。慶長10年、最上義光の修造を始め、明和5年に再造、29年を経た寛政8年に炎上しました。文化2年に再建されましたが、同8年にまた炎上しました。東叡山では、再度の焼失に、文化10年荘厳院覚諄を別当に任じて、本社の再建に当たらせ、文政元年(1818)に完成しました。それが、現在の本社です。

  • 横に見える蜂子神社へ下りてみます。

    横に見える蜂子神社へ下りてみます。

  • 蜂子神社は、出羽三山神社の開祖・蜂子皇子をお祀りしています。<br />蜂子皇子は、第32代崇峻天皇の皇子で、推古元年(593)海路北上し、庄内由良港に上陸され、三本足の霊鳥(からす)の導くままに、羽黒山に登り、苦難苦行の末、羽黒大神を配された後、月山、湯殿山を開かれました。このおうじの修行が羽黒山修験道に発展し、現在の出羽三山の礎を築くことになりました。

    蜂子神社は、出羽三山神社の開祖・蜂子皇子をお祀りしています。
    蜂子皇子は、第32代崇峻天皇の皇子で、推古元年(593)海路北上し、庄内由良港に上陸され、三本足の霊鳥(からす)の導くままに、羽黒山に登り、苦難苦行の末、羽黒大神を配された後、月山、湯殿山を開かれました。このおうじの修行が羽黒山修験道に発展し、現在の出羽三山の礎を築くことになりました。

  • 厳島神社

    厳島神社

  • 羽黒山頂大鳥居

    羽黒山頂大鳥居

  • 羽黒山斎館へと続く参道

    羽黒山斎館へと続く参道

  • この辺りで、雷がゴロゴロ。暫くすると、雷雨となり、滝のような雨になりました。<br />本来は、随心門から歩いて、ここへ来て、ひと晩斎館へ泊まり、ゆっくりと歩いてみたかったです。雪が降る頃に来たいと思います。<br />

    この辺りで、雷がゴロゴロ。暫くすると、雷雨となり、滝のような雨になりました。
    本来は、随心門から歩いて、ここへ来て、ひと晩斎館へ泊まり、ゆっくりと歩いてみたかったです。雪が降る頃に来たいと思います。

  • バスで、月山へ向かう途中、庄内映画村オープンセットが見えました。88ヘクタールという、東京ドーム20個分もある敷地に、漁村、農村、宿場町、山間集落の撮影セットが建っているそうです。

    バスで、月山へ向かう途中、庄内映画村オープンセットが見えました。88ヘクタールという、東京ドーム20個分もある敷地に、漁村、農村、宿場町、山間集落の撮影セットが建っているそうです。

  • 五合目目までは霧が深くて、前が見えませんでしたが、中程を過ぎると段々見通しが効くようになってきました。

    五合目目までは霧が深くて、前が見えませんでしたが、中程を過ぎると段々見通しが効くようになってきました。

  • 月山八合目の駐車場からは、霧がかかっていて、眼下の景色が全く見えませんでした。

    月山八合目の駐車場からは、霧がかかっていて、眼下の景色が全く見えませんでした。

  • 月山弥蛇ヶ原の湿原は、標高1400m付近に拡がっています。高冷地のため、枯れ草が腐ることがなく、何万年という年月で積み重なってできた泥炭層の湿原には、6月から7月頃、一面のお花畑となります。この弥蛇ヶ原の中央に御田原神社があります。

    月山弥蛇ヶ原の湿原は、標高1400m付近に拡がっています。高冷地のため、枯れ草が腐ることがなく、何万年という年月で積み重なってできた泥炭層の湿原には、6月から7月頃、一面のお花畑となります。この弥蛇ヶ原の中央に御田原神社があります。

  • 月山八合目にある中之宮の御田原神社は、須佐之男命の妻である奇稲田姫神(クシイナダヒメノカミ)を祀っています。稲田の守護神として五穀豊穣、縁結びの神として信仰されています。

    月山八合目にある中之宮の御田原神社は、須佐之男命の妻である奇稲田姫神(クシイナダヒメノカミ)を祀っています。稲田の守護神として五穀豊穣、縁結びの神として信仰されています。

  • ここを歩いて行くと、月山神社本宮に行けます。<br />海抜1984m、世界でも珍しい半円形のアスピーデ型火山で、頂上の「おむろ」に月山神社があり、水を司る農業神として、また航海漁撈の神として,庶民の信仰を集めているそうです。

    ここを歩いて行くと、月山神社本宮に行けます。
    海抜1984m、世界でも珍しい半円形のアスピーデ型火山で、頂上の「おむろ」に月山神社があり、水を司る農業神として、また航海漁撈の神として,庶民の信仰を集めているそうです。

  • 湯殿山神社大鳥居は、平成5年10月に竣工しました。

    湯殿山神社大鳥居は、平成5年10月に竣工しました。

  • ここからは、撮影禁止なので、写真がありませんが、湯殿山神社本宮では、履物を脱いで、裸足になり、お祓いを受けてから、お詣りします。大山祇命、大已貴命(大国主神)、少彦名神の三神が鎮まります湯殿神社は、海抜1100mのところにあります。

    ここからは、撮影禁止なので、写真がありませんが、湯殿山神社本宮では、履物を脱いで、裸足になり、お祓いを受けてから、お詣りします。大山祇命、大已貴命(大国主神)、少彦名神の三神が鎮まります湯殿神社は、海抜1100mのところにあります。

  • 左手が湯殿山、眼下にさっき通った大鳥居が光って見えています。

    左手が湯殿山、眼下にさっき通った大鳥居が光って見えています。

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