2013/07/20 - 2013/07/20
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ドクターキムルさん
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横浜市神奈川区新町にある神奈川通東公園は神奈川宿歴史の道」の起点である。昭和40年(1965年)までは浄土真宗本願寺派(西本願寺)に属する命帰山長延寺が所在した跡地にあたる。
長延寺は、天正10年(1582年)玄栄法師を開山として都筑郡吉田村(現在の港北区新吉田町)に創建された。寛永元年(1624年)に火災に遭い堂宇・宝物を焼失した。寛永8年(1631年)に神奈川宿に再建された。以来330年余り、神奈川宿の江戸側入口にあった。神奈川宿は4kmにも及ぶ宿場町で、古くからの神奈川港があるのに江戸見附は造られず、土居が築かれただけのようだ。
開港当時、オランダ領事館に充てられた。当時を偲ぶ狂歌の一節に「沖に黒船歴史を変えて、オランダ領事は長延寺」とある。
しかし、昭和40年(1965年)の国道拡幅に伴う区画整理によって、長延寺は緑区三保町に移転し、跡地は公園となった。今は、「史跡 オランダ領事館跡」の石碑が残っている。
(表紙写真は神奈川通東公園に残る「史跡 オランダ領事館跡」の石碑)
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神奈川新町駅前の歩道にある青海波のタイル。
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神奈川新町駅前にある「神奈川宿歴史の道」看板。
「神奈川宿歴史の道
東海道五十三次の日本橋からかぞえて三番目の宿場が神奈川宿である。この地名が県名や区名の由来であり、またここが近代都市横浜の母体でもあった。上図は、江戸後期に幕府の道中奉行が作った「東海道分間延絵図」である。図中央に滝ノ橋、この橋の右側に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。右端は江戸からの入口で長延寺が描かれ、左寄りの街道が折り曲がったあたりが台町である。台町の崖下には神奈川湊が広がっている。
この神奈川が一躍有名になったのは安政元年(一八五四)の神奈川条約締結の舞台となってからである。その四年後に結ばれた日米修好通商条約では神奈川が開港場と決められた。開港当時、本覚寺がアメリカ領事館、長延寺がオランダ領事館になるなど、この図にみられる多くの寺が諸外国の領事館などに充てられた。
神奈川宿歴史の道はほぼこの図の範囲を対象に、東は神奈川通東公園から西は上台橋に至るおよそ四キロの道のりとなっている。」 -
神奈川通東公園入口にある神奈川宿歴史の道「土居(枡形)」と「長延寺跡(オランダ領事館跡)」。
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神奈川宿歴史の道「土居(枡形)」。
「土居(枡形)
江戸時代の宿場町の入口には、しばしば枡形がつくられた。本来、枡形は城郭の一の門と二の門の間の方形の地であるが、宿場町では街道の両側から土居を互い違いに突き出す場合もある。
神奈川宿の江戸方の入口に当たる長延寺前にも土居を互い違いに突き出した枡形があった。旧本陣の石井家に伝わる『神奈川宿入口土居絵図』には、街道両側に高さ二・五メートルほどの土居が築かれ、その上には七五センチメートルほどの竹矢来を設けている。」 -
神奈川宿歴史の道「長延寺跡(オランダ領事館跡)」。
「 「神奈川宿歴史の道」の起点である神奈川通東公園は、寛永八年(一六三一)から昭和四十年までの三三〇年余の間、浄土真宗長延寺が所在した場所である。長延寺は、開港当時、オランダ領事館に充てられた。当時を偲ぶ狂歌の一節に「沖に黒船歴史を変えて、オランダ領事は長延寺」とある。
昭和四十年の国道拡幅に伴う区画整理によって、長延寺は緑区に移転し、跡地は公園となった。今はわずかに旧オランダ領事館跡を示す石碑を残すのみである。」 -
神奈川通東公園。
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神奈川通東公園。
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神奈川通東公園。
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神奈川通東公園に残る「史跡 オランダ領事館跡」の石碑。
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神奈川通東公園に残る石碑。はめ込んだプレートが剥がれてしまっている。
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石碑には文字が彫られている。
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