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 東海道五十三次の宿場町の神奈川宿の上方裏手には高島山公園がある。鉄道用地の埋め立てに尽力した横浜の実業家・高島嘉右衛門がこの丘から埋め立てを指揮し、後年はこの地に住んだ。そのため、埋立地は高島町、この丘は高島山と呼ばれるようになった。<br /> 現在の高島山公園には「望欣台」碑が建っており、そのすぐ西の住宅地には汎日本易学協会が建立した「高島先生顕彰碑」(昭和31年(1956年)銘)が建っているという。神奈川区のホームページ「埋立と高島嘉右衛門(かえもん)」(http://www.city.yokohama.lg.jp/kanagawa/kusei/profile/rekishi/takasima.html)にある『望欣台の碑』や『高島易断の碑』は間違いであろう。<br /> 文化3年(1806年)に完成したとされる「東海道分間延絵図」には一里塚の奥の高島山あたりかその西奥には小高い三角山が描かれており、飯綱社の社殿も見える。一方、権現山あたりは既に本覚寺よりも低くほぼ平らに描かれている。「東海道分間延絵図」を信用するなら神奈川湊の目印となる山は熊野権現が鎮座する権現山ではなく、飯綱社が鎮座するこの三角山ということになろうか?現在では飯綱社は大綱金毘羅神社として裾野に鎮座している。一方、安政5年(1858年)に広重が描いた「神奈川台石崎楼上十五景一望之図」には本覚寺よりも数段高い山として権現山が描かれている。こちらに従えば神奈川湊の目印となる山は権現山で良いだろう。<br />(表紙写真は高島山公園にある「望欣台」碑)

高島山公園(神奈川宿)

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2013/06/29 - 2013/06/29

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 東海道五十三次の宿場町の神奈川宿の上方裏手には高島山公園がある。鉄道用地の埋め立てに尽力した横浜の実業家・高島嘉右衛門がこの丘から埋め立てを指揮し、後年はこの地に住んだ。そのため、埋立地は高島町、この丘は高島山と呼ばれるようになった。
 現在の高島山公園には「望欣台」碑が建っており、そのすぐ西の住宅地には汎日本易学協会が建立した「高島先生顕彰碑」(昭和31年(1956年)銘)が建っているという。神奈川区のホームページ「埋立と高島嘉右衛門(かえもん)」(http://www.city.yokohama.lg.jp/kanagawa/kusei/profile/rekishi/takasima.html)にある『望欣台の碑』や『高島易断の碑』は間違いであろう。
 文化3年(1806年)に完成したとされる「東海道分間延絵図」には一里塚の奥の高島山あたりかその西奥には小高い三角山が描かれており、飯綱社の社殿も見える。一方、権現山あたりは既に本覚寺よりも低くほぼ平らに描かれている。「東海道分間延絵図」を信用するなら神奈川湊の目印となる山は熊野権現が鎮座する権現山ではなく、飯綱社が鎮座するこの三角山ということになろうか?現在では飯綱社は大綱金毘羅神社として裾野に鎮座している。一方、安政5年(1858年)に広重が描いた「神奈川台石崎楼上十五景一望之図」には本覚寺よりも数段高い山として権現山が描かれている。こちらに従えば神奈川湊の目印となる山は権現山で良いだろう。
(表紙写真は高島山公園にある「望欣台」碑)

  • 神奈川宿歴史の道「鉄道の開通と埋立」。<br /><br />「鉄道の開通と埋立<br /> 上図は、明治初年に当地付近から横浜駅西口・高島町方面を写した写真である。青木町から野毛浦まで弓なりに延びる埋立地が高島嘉右衛門が請負った鉄道用地である。湾の付け根をショートカットして、鉄道を通した様子がよくわかる。今は横浜一の繁華街である西口あたりは、当時は海の中であった。<br /> 今では、西口は勿論のこと、二一世紀に向けて開発が進む「みなとみらい二一地区」を一望でき、未来に向かって発展する横浜の街と港の眺望を楽しむことができる。」<br /><br />

    神奈川宿歴史の道「鉄道の開通と埋立」。

    「鉄道の開通と埋立
     上図は、明治初年に当地付近から横浜駅西口・高島町方面を写した写真である。青木町から野毛浦まで弓なりに延びる埋立地が高島嘉右衛門が請負った鉄道用地である。湾の付け根をショートカットして、鉄道を通した様子がよくわかる。今は横浜一の繁華街である西口あたりは、当時は海の中であった。
     今では、西口は勿論のこと、二一世紀に向けて開発が進む「みなとみらい二一地区」を一望でき、未来に向かって発展する横浜の街と港の眺望を楽しむことができる。」

  • 高島山公園。

    高島山公園。

  • 神奈川宿歴史の道「望欣台の碑と弁玉の歌碑」。<br /><br />「望欣台の碑と弁玉の歌碑<br /> この丘は、高島山と呼ばれている。高島嘉右衛門が別邸を営んだためにこう呼ばれるようになった。<br /> 鉄道用地埋立などの事業の後、嘉右衛門がこの丘に閑室を設け港内の繁栄と事業の功績を望み、欣然として心を慰したことから望欣台と名付けられた。<br /> 高島山公園には、明治一〇年に立てられた嘉右衛門を顕彰する「望欣台の碑」が今も残っている。<br /> また、「弁玉の歌碑」もある。三宝寺の住職であった大熊弁玉は長歌をよくし、横浜の幕末から明治初期の文明開化を歌に残している。」<br /><br />「望欣台の碑」は「望欣台」の碑の誤り。

    神奈川宿歴史の道「望欣台の碑と弁玉の歌碑」。

    「望欣台の碑と弁玉の歌碑
     この丘は、高島山と呼ばれている。高島嘉右衛門が別邸を営んだためにこう呼ばれるようになった。
     鉄道用地埋立などの事業の後、嘉右衛門がこの丘に閑室を設け港内の繁栄と事業の功績を望み、欣然として心を慰したことから望欣台と名付けられた。
     高島山公園には、明治一〇年に立てられた嘉右衛門を顕彰する「望欣台の碑」が今も残っている。
     また、「弁玉の歌碑」もある。三宝寺の住職であった大熊弁玉は長歌をよくし、横浜の幕末から明治初期の文明開化を歌に残している。」

    「望欣台の碑」は「望欣台」の碑の誤り。

  • 「高島山公園」の表札。

    「高島山公園」の表札。

  • 「横浜市地域史跡 望欣台の碑」プレート。<br />

    「横浜市地域史跡 望欣台の碑」プレート。

  • 「望欣台」碑。

    「望欣台」碑。

  • 高島山公園。

    高島山公園。

  • 高島山公園。

    高島山公園。

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