2013/06/29 - 2013/06/29
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ドクターキムルさん
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山手本通沿いにあるカトリック山手教会の裏手、山手公園横の尾根にあるのがフェリス女学院大学山手キャンパスである。
フェリス女学院大学(Ferris University)のホームページ(http://www.ferris.ac.jp/)にある「沿革」には「1870(明治3年) メアリー・E・キダー、ヘボン施療所で授業開始。フェリス女学院の発祥。」とある。ヘボン施療所で、女子を対象に英語の授業を開始した。これが女子校として最も古い歴史を持つフェリス女学院の発祥とされる。大学の設置は昭和40年(1965年)である。昭和25年(1950年)からそれまでは短期大学であった。
明治に入り男女別学が原則となり、男女共学が認められたのは昭和22年(1947年)の教育基本法が制定されてからである。しかし、江戸時代の寺子屋でも女児も教育を受けていたし、米国では男女共学が一般的であった。
フェリス女学院の発祥に関わるヘボン施療所のことは明治学院大学ホームページ(http://www.meijigakuin.ac.jp/guide/history.html)にあるヘボン博士(James Curtis Hepburn,1815年〜1911年)の項に詳しく記載されている。
ヘボン施療所を利用する教育活動も文久3年(1863年)秋からヘボン夫人の尽力で本格化し、ヘボン塾の名が生まれた。この当時は、ヘボン塾での授業も男女共学であった。
アメリカ・オランダ改革教会(Dutch Reformed Church in America)宣教師キダー(Mary Eddy Kidder,1834年〜1910年)が明治3年(1870年)にヘボン塾に着任したが、明治5年(1872年)独自に女子教育を行うためにヘボン塾から独立した。後のフェリス・セミナリー(現フェリス女学院)へと発展する。
すなわち、ヘボン塾の男子部は後に明治学院となったのである。同じくヘボン塾に端を発するフェリス女学院と明治学院は兄妹校であるが、一方は明治3年(1870年)を初年とし、他方は文久3年(1863年)を初年としている。そして兄校は今年創立150周年を向かえ、妹校は創立143周年を迎えた。不思議なことに妹校には兄校の記載は一切見られない。ただ、掲げている「For Others」(フェリス女学院)と"Do for Others"(明治学院)という教育理念だけはヘボン博士の信念を引き継いで兄妹校に共通である。
(表紙写真はフェリス女学院大学山手キャンパス正門)
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