2008/04/27 - 2008/04/27
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SUR SHANGHAIさん
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毎年のように春訪れる東北地方。
その中でも、陸中海岸国立公園の観光の拠点となっている宮古市は必ず訪れる場所。
それなのに、これまで宮古市の観光の目玉になっている浄土ヶ浜の旅行記はアップしていなかったなあと気づいたSUR SHANGHAI。( ̄m ̄*)
2011年に発生した東日本大震災前の浄土ヶ浜周辺の記録を残しておこうと思います。
●注: 陸中海岸国立公園は、2013年5月24日に、三陸復興国立公園と名称を変えています。
詳しくは、下記のウィキペディアのページで見てみるといいと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%99%B8%E5%BE%A9%E8%88%88%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%85%AC%E5%9C%92
表紙の画像は、浄土ヶ浜に白く連なる岩と、サッパ船で行ってみた青の洞窟。
昔は、この穴は青森県の八戸(はちのへ)に通じていると言う伝説があって、八戸穴(はちのへ・あな)と呼ばれていたそうです。
●注: サッパ船と言うのは小型の漁船のこと。最近では浄土ヶ浜だけでなく、三陸海岸のあちこちで観光用にも使われています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
宮古市街地の桜の開花は例年4月下旬頃と言うことで、この2008年に訪れた4月26日、27日にはこの通りちょうど満開。
ちょっとした市内の公園も、明るい春の空を背に、こんなに華やかな装いだった。 -
イチオシ
宮古駅前から出ている、岩手県北バスの浄土ヶ浜行き路線バスに乗って行ってみたSUR SHANGHAI。
下記は、この旅行記を書いている2013年6月下旬現在有効な、宮古駅前から浄土ヶ浜経由で宮古病院へ向かう路線の時刻表。
http://www.iwate-kenpokubus.co.jp/uploads/byouin.pdf
●注: 浄土ヶ浜周辺で一番有名なこの白い岩が並んでいる様子が見られるのは奥浄土ヶ浜と呼ばれる場所。
ここへは上記のバスで直接行けますが、4月〜10月は一般の車は乗り入れ不可になっています。
一般の車は、ビジターセンターが出来た第一駐車場か浄土ヶ浜パークホテルのある第二駐車場に停めて、上記のバスに乗り換えるか遊歩道を徒歩で行くことになります。
第三駐車場は、東日本大震災後には仮設住宅地になって、2013年の5月初めも駐車場としての使用は出来ない状態。
SUR SHANGHAIは、まず奥浄土ヶ浜のバス停で降りて周りを歩いてみました。
便数は、この2008年もそうだったんですが、上記の2013年の時刻表を見ても決して多くは無いのでご注意を。
上記のバス以外、2013年4月12日に更新された宮古駅前⇔浄土ヶ浜の電気バスや、浄土ヶ浜園内循環バスの時刻表は下記の通り。
こちらも併せて利用してみては?
http://www.iwate-kenpokubus.co.jp/archives/2624/ -
浄土ヶ浜周辺で、一番有名なこの白い岩が並ぶ風景が見られるのは奥浄土ヶ浜。
その名の由来は、天保年間(1681年〜1684年)に曹洞宗の宮古山常安寺7世の霊鏡竜湖という和尚さんが「さながら浄土の如し。」と感嘆したことに始まるのだそう。
その白い岩の正体は、約5200万年前に形成されたと言う火山岩の流紋岩。
浄土ヶ浜レストハウス近くの崖からだと眺めがよさそうと思って上って行ったんですが、あとでいつも宮古周辺の案内をしてくれるAさんが言うには、「あそごはたぢいりきんすだがや。たでふだはながったのが?」
訳文:「あそこは立ち入り禁止なんだよ。立て札は無かったのか?」
え? 立て札? 見なかったけど…。
それに、ほかにも上っている人がいたし…。(;´・ω・)
とにかく、上ってはいけない場所だったとのこと。
2013年に行ってみた時には、バッチリ立ち入り禁止の札が出ていました。 -
この時は、立ち入り禁止とは知らずに上って行った崖の上。
眺めはよかったんですけどね、上記のAさんの話を聞いたあとでは、ちょっと苦い思い出になってしまった…。(;^ω^)
話は変わって、浄土ヶ浜のこれらの白く連なる岩には名前がついていたりします。
事前に宮古駅前などの観光インフォで資料をもらってから行くといいですよ。
海に突き出したこの白い岩の連なりの名が田代崎半島だなんて知らなかった。
ちなみに、画像奥方向の、松の木がたくさん生えた一際大きな岩は浄土ヶ島と言うんだそう。
2011年の東日本大震災の大津波は、その岩も乗り越えたようで、震災後に訪れた時には部分的に枯れた松の木も見られました。 -
崖の上から見下ろした浄土ヶ浜。
浄土ヶ浜巡りの遊覧船は、この画像だと右手からやって来て、これらの白い岩の裏側(画像左手)を通って行きます。
右手に見えている白い浜辺があるあたりが、『日本の海水浴場百選』選定の浄土ヶ浜海水浴場。
ちょうど外海からの波が岩で遮られた入り江のようになっていて、波が静かな大沼・小沼と呼ばれる浅瀬になっています。
その浜辺も、東日本大震災の津波のあとは瓦礫が山積していたそうですが、ボランティアの人たちもまじえた支援で、2013年にはすっかりきれいになっていましたよ。
なぜ、こんなにきれいな浄土ヶ浜の景色が見下ろせる崖の上が立ち入り禁止になっているのかと言うと…、 -
…この崖の上には、転落防止用の柵が無いから。
ざらざらと砂で滑るこの足元の下は、切り立った崖。
この時、「わ! ここ危ないなぁ。」と思ったんですが、この時には立ち入り禁止だとは知らず。
よかった〜、落ちなくて。ふぅε-(´ωノ|┬
危うく、浄土ヶ浜の白い岩を血で染めるところでした。
(;^ω^)
ちょっとこの風景を説明すると、画像の一番奥に見えている細長い陸地は、宮古湾向こうの重茂半島(おもえ・はんとう)。
その北端の閉伊崎(へいざき)も見えています。
その岬には無人の灯台もあるんだそう。
いつか行ってみたい! -
浄土ヶ浜の白い奇岩の一つ。
え〜と、この岩は、観光インフォの資料によると、鷹岩になるのかな。
手前の、静かな水を湛えたあたりは、浄土ヶ浜海水浴場の一部の小沼と呼ばれる部分。
澄んだ水の色がきれい!
このあたりは浅いプール風になっていて、夏には家族連れで賑わうようです。 -
崖から下りて来る途中の斜面から見下ろした、浄土ヶ浜海水浴場の大沼・小沼と呼ばれる波の静かなあたり。
4月下旬はまだまだ水は冷たいので、泳ぐ人の姿は無し。
それぞれにピクニックシートを敷いて休んだり、浜辺を散策したり。 -
浄土ヶ浜海水浴場で気をつけたいのは、浜辺が砂ではなく、小石を敷き詰めたようになっていること。
角は丸くなってますが、ゴツゴツとした感触はお尻には優しくはありません。
シートは厚いものを持って行くといいですよ。
近くには、浄土ヶ浜レストハウスがあって、着替え、シャワー、トイレ、ロッカーのほか、食事やお土産探しもOK。
このレストハウスも、東日本大震災の津波では大きく破損しましたが、2013年にはすっかり新しくなっていました。
表の壁に、津波到達線が描かれているので、建物を見上げてみるといいですよ。その高さに驚くと思います。
ついでに言うと、この浄土ヶ浜海水浴場のそばにはかつての津波の記念碑があります。
東日本大震災後も残っていますよ。
津波教訓も書いてある碑文を読んでみては? -
浄土ヶ浜海水浴場にある、小石を敷き詰めたような浜辺。
この方向には、宮古湾向こうにある重茂半島(おもえ・はんとう)の月山(がっさん)や、御台場展望台(おだいば・てんぼうだい)がある岩の崖が見えてこれまた風流。
一休みしているのは、漁業に従事している土地の女性たち。
春の磯辺の海藻取りに来たのかな。
今日は春の薄曇。
暑くもなく寒くもなく、気持ちいい日ですね。(*^。^*) -
イチオシ
奥浄土ヶ浜からは、浄土ヶ浜マリンハウスがある中の浜への遊歩道を海岸線沿いにテクテク。
ここで見えているのは、磯辺での海藻取りをしている地元の漁業関連の女性たち。
春だから、マツモが取れるのかな。
マツモは、海苔状に成型乾燥させてあぶった物が、海産物を扱うお土産屋さんや魚菜市場で売られています。
味噌汁など汁物に入れると、チャキチャキした歯応えと磯の香りが楽しめるんですよ〜。(^◇^)お試しあれ。
浄土ヶ浜の遊歩道は海沿いのほか、ちょっとした林の中を歩くコースもあれこれ。
初めて来た人は、海沿いコースを選ぶんでしょうが、事前に浄土ヶ浜周辺の遊歩道地図+徒歩での所要時間を記した地図資料をもらっておけば、持ち時間に合わせてコースの増減も可能。
遊歩道は、水産科学館やあちこちの展望台にも通じているほか、途中で浄土ヶ浜パークホテルに寄って、半露天風呂になった海水風呂を楽しむのもよし。
●注: 浄土ヶ浜パークホテルの立ち寄り湯については、営業時間・定休日を前もって調べて行くのがお勧めです。
●注: 海岸線沿いの遊歩道は、東日本大震災の津波で破壊された箇所があり、2013年5月上旬には復旧+新遊歩道の設置で工事が進められていました。復旧程度については、観光インフォなどで確認して行くといいと思います。 -
浄土ヶ浜の中の浜には浄土ヶ浜マリンハウスがあって、モーターボートやスワンボート、青の洞窟へのサッパ船の乗り場はここ。
遊覧船乗り場とは違うので要注意。
遊覧船乗り場は、中の浜からだと歩行者用トンネルを抜けたところの小石浜にあります。歩いて2,3分程度。
この画像のマリンハウスも、東日本大震災の津波で跡形も無く破壊されたようですが、2013年には既に新しい建物で営業が始まっていました。
ボート類を出しているほか、建物内部には食堂+お土産屋さんもあり。
ウミネコ用のエビセンも売ってますよ。 -
浄土ヶ浜マリンハウス前の看板を見ていたら、≪サッパ船で青の洞窟遊覧≫というのがあった。
あれ? こういうのがあるんだ。浄土ヶ浜の青の洞窟って初めて聞いた。
詳細を見てみると、定員2名(乗員を入れると3名)のサッパ船の青の洞窟遊覧が一人1500円。所要時間は20分。
この日はすぐに乗れると聞いたので、さっそくお願いしてみました。
●注: サッパ船と言うのは、小型の漁船のこと。
●注: 東日本大震災後、青の洞窟遊覧は既に復活しているので行ってみるといいですよ。
ただし、上記の青の洞窟遊覧の内容詳細は、2008年4月下旬現在のものです。
次の浄土ヶ浜マリンハウスのサイトで最新情報をお確かめください。
サッパ船遊覧のコースも、地図や画像付きで載っています。
http://j-marine.com/content/view/36/60/ -
浄土ヶ浜マリンハウス前のボート乗り場。
上の方でも言いましたが、ここは遊覧船乗り場とは違うのでご用心。
向こうに見える、松の緑を乗せた白い岩は、浄土ヶ浜の奇岩の一つで、子安地蔵と呼ばれているあたり。
東日本大震災の津波はその岩をも越えてこのボート乗り場にも押し寄せ、マリンハウスや周辺施設がが大きく破損したほか、これらのボートもすぐ後の山の斜面に押上げられたりしたそうです。
2013年には復旧していたので、気候・天候、波の状態がよければ、サッパ船で青の洞窟遊覧をしてみるといいと思います。
この画像だと、モーターボートのすぐ後ろに写っているのが、青の洞窟遊覧に使われるサッパ船。
サッパ船と一口に言っても大小あるようなんですが、これは公園などの手漕ぎボートと同じ程度の大きさでした。 -
浄土ヶ浜マリンハウス前のボート乗り場。
SUR SHANGHAI一人が乗るサッパ船の準備に3人がかりで対応してくれたスタッフの皆さん。
ボートに立っているおじさん(失礼!)が、船頭さん。
恐縮でございます。<(_ _)> -
浄土ヶ浜マリンハウス前のボート乗り場。
スワンボートが浮いている水の色が透き通った緑色できれい。
透明度もあるし。
海の水って言うより、湖の水のよう。 -
青の洞窟遊覧のサッパ船に乗り込んで腰掛けると、急に海面が目の高さと同じになった。
浄土ヶ浜の磯辺で海藻取りに励む土地の女性たちの背中や、浄土ヶ浜の白く連なる岩を見ながらの出発。 -
浄土ヶ浜の青の洞窟は、サッパ船が出る中の浜と遊覧船が出る小石浜の間にある御台場展望台の崖下にあります。
でも、そこだけに行く訳ではなく、まずは浄土ヶ浜の白い岩が並ぶあたりへもサッパ船を進めて行きました。
あ、これはいい! (^◇^)
浜辺からだけ見るのとはまた違った白い岩の並ぶ景観が楽しめましたよ。
気候・天候、それに波の状態がよければ、青の洞窟遊覧サッパ船はお勧め! -
青の洞窟へ行く前に、浄土ヶ浜の白い岩にも寄って進むサッパ船。
これは剣の山と呼ばれる部分の岩。
遊覧船と同じようにエサがもらえるかも、と思って付いて来るウミネコがいましたよ。
中の浜を出て来る前に、浄土ヶ浜マリンハウスでエビセンを買ってくればよかったな…。 -
浄土ヶ浜の白く連なる岩。その中の子安地蔵と呼ばれる場所には、古びて傾いた鳥居があった。
船頭のおじさんに教えられて崖の上の方を見上げると、小さなお社も。
この画像にも写っています。
昔はここまでサッパ船でお参りにやって来ていた女性もいたのだそう。
子安地蔵って、安産守護のお地蔵さんよね。
こんな斜面を上ったら、却ってお腹に悪いんじゃないの?
それとも、なかなか子が授からない女性が懐妊祈願に来ていたんだろうか。
浄土ヶ浜の白く連なる岩には、このほかにも賽の河原とか血の池と呼ばれる場所もあって、宗教との繋がりも感じられました。
ちなみに、血の池と呼ばれる磯辺には夏の終わりに赤い藻が繁殖することからそう名付けられたのだそう。 -
浄土ヶ浜の白い岩の連なりを間近で見た後、いよいよ青の洞窟へ。
上の方で言ったように、浄土ヶ浜の青の洞窟は、サッパ船が出る中の浜と遊覧船が出る小石浜の間にある御台場展望台のこんな崖下にあります。
徒歩で行くのは不可能。
それに、波が荒れている日にはサッパ船は出せないようですよ。
下記の浄土ヶ浜マリンハウスのサイトでその日その日の状況を確かめてみましょう。
http://www.j-marine.com/
う〜ん、青の洞窟って世界中あちこちにあるけど、実際中に入る青の洞窟はこれが初めてじゃないかな。
南イタリアに行った時には、カプリ島かポンペイかの選択に迫られてポンペイを取ったし、マルタでは波と風が強くてボートが出なかったし。(~_~;) -
浄土ヶ浜の青の洞窟内部。
波に削られて内部は丸みを帯びた洞窟になっているのかと思ったら、ゴツゴツした岩天井。
奥行きは20mほど。波の具合では、一番奥から潮が吹き上がることもあるんだそう。
この日、浄土ヶ浜のあとで、いつも宮古周辺について教えてくれるAさんに「サッパ船で青の洞窟に行って来たよ〜。(^◇^)あんな所があったんだね。」と報告すると、
「あれはなぁ、むがすはあおもりのはつのへまでつながってるずぅでんせづがあって、はつのへあなってよばってだったんだぁが。あおのどうくづっていうなまえにかえで、ふねぇだすようになったのは、ついこねぇだのごどだ。」
訳文:「あれはな、昔は青森の八戸(はちのへ)まで繋がっていると言う伝説があって、八戸穴って呼んでいたんだぞ。青の洞窟っていう名前に変えて、舟を出すようになったのはついこの間のことだ。」
へえ〜、そうだったんだ。
じゃ、青の洞窟っていう名前は観光用なのね。 -
イチオシ
浄土ヶ浜の青の洞窟内部。
元々は八戸穴という名だったこの洞窟を、青の洞窟と呼ぶようになったのは、洞窟内部のこの水の色から来ているんだそう。
薄曇になったこの日は緑色も帯びた青でしたが、天候や光の差し込み具合では、もっと透き通った青になる日もあるそうです。 -
青の洞窟遊覧を終えて戻って来た浄土ヶ浜マリンハウス前。
ここには、「エサをくれないかなぁ。」と待っているウミネコたちが。
結構近くまで寄ってきます。
マリンハウスではエビセンを売っているので餌付けができますが、鋭い嘴にはご用心。
手にお菓子を持っていると、エサかと思って急降下してきたり。
小さなお子さん連れの方は特にご注意を。 -
イチオシ
浄土ヶ浜マリンハウス前のウミネコ。
エサをくれニャ〜、くれニャ〜!!とねだっています。
もう少し可愛げのあるねだり方ならいいんだけど、その赤いアイラインの顔と尖った嘴が怖くて、脅迫されているような気持ち…。
( ̄m ̄*)
カモメとウミネコの違いは、次のサイトで見てみるといいですよ。
カモメ類の基本種3
http://bird-muromi.sakura.ne.jp/shikibetu/s01/s01_03.html -
浄土ヶ浜の第一駐車場(2013年には浄土ヶ浜ビジターセンターができていたあたり)から見下ろした小石浜と、浄土が島巡りに出て行く遊覧船。
下の遊歩道まで結構キツイ階段があったこの辺りも東日本大震災の津波ではこのあたりも被災しましたが、2013年4月下旬には復旧工事と同時に新しく緩やかな斜面のスロープが完成間近の様相でした。
2013年の夏までには出来上がっているのでは? -
浄土ヶ浜第一駐車場そばの浄土ヶ浜ターミナルビルそばに出ていた宮古港海戦の説明看板。
これはあまり知られていない日本の内戦じゃないかと思いますが、戊辰戦争末期に宮古港で起こった海戦で、その中には新撰組の土方歳三が乗った軍艦≪回天≫も登場します。
1869年の宮古港でのこの戦いでは、30分の激闘の末に旧幕府軍は完敗。
その二ヵ月後には戊辰戦争も終結しています。
宮古港海戦の詳しい経緯は次のウィキペディアのページで見てみるといいですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%8F%A4%E6%B9%BE%E6%B5%B7%E6%88%A6 -
浄土ヶ浜第一駐車場から、浄土ヶ浜パークホテルや岩手県立水産科学館近くの第二駐車場方向へ坂道を上って行くと、桜の名所になっている標高86mの臼木山(うすぎやま)あり。ゆっくり歩いて20分位。
無料で小道を辿りながら、自然観察が出来たり、宮古湾の一部を見下ろすことが出来たり。
2008年4月末には宮古市街地の桜はもう満開だったのに、海風が当たる臼木山ではポツポツと咲き始めたばかり。
それでも柔らかい緑が萌え出た小道をそぞろ歩く、年代の異なる地元カップルに出会えました。(*^。^*) -
浄土ヶ浜パークホテルや岩手県立水産科学館近くの臼木山(うすぎやま)で見かけた野花。
タンポポは珍しくもなんともない花だけど、まん丸の花が木漏れ日を浴びて金色に成った姿は愛らしい。(〃▽〃)ポッ
右下の画像の花はカタクリよね。
この日の臼木山を桜の代わりに彩ってました。
左下の画像の花の名は、SUR SHANGHAIには分からず。(・・?
植物の名は詳しくないのでお許しを。<(_ _)> -
臼木山に行ったついでに、と言っては何ですが、岩手県立水産科学館へも行ってみたSUR SHANGHAI。
この時(2008年4月下旬)には収集資料展と言うのをやっていて、チケットは300円。
新しい建物で、展示内容も思っていたより豊富。
夢入り缶という、タイムカプセル缶詰などを作る体験工房もあり。
浄土ヶ浜周辺に来て、お時間があれば寄ってみては?
ただし、この時には食堂やカフェ、お土産屋さんはありませんでした。
岩手県立水産科学館最新情報は、次のサイトでどうぞ。
http://uolog.npo-iwate.jp/uoriyas/ -
この時(2008年4月下旬)に岩手県立水産科学館で見られた展示のほんの一部。
そうそう、左上の画像は、岩手県の魚の南部サケのモザイク。科学館外壁に出ていたと思います。
ちなみに、宮古市の魚、木、花、鳥は、サケ。アカマツ、ハマギク、ウミネコなんだそう。
市内のマンホールの蓋には、ハマギクやサケの絵柄があるのを見かけますよ。
あれ? アカマツやウミネコの絵柄の蓋ってあったかな? (・・?
右上の画像の樽状のものは、魚を入れて水分や油分を搾り出す圧搾機。
左下の画像のスカート状のものは、ゴモ(標準和名はスガモ)と呼ばれる海藻で作ったゴモ前掛け。下に着た衣服や膝を保護するために腰に巻いて使用したそうです。
右下の画像の靴は、チエプケリ。 アイヌの言葉で、チ=我ら、エプ=食うもの、ケリ=靴の意味で、なんとサケの皮で作ったものなんだそう。
珍しいものが見られたと思います。 -
この時(2008年4月下旬)に岩手県立水産科学館で見られた展示の一つ。
ん? 何だろう? (・・?
これは、戦時中に作られていた防衛食器。
防衛食とは戦時中の非常食。
防衛食器とは、その非常食を保存する缶詰カンの代用品で磁器製。
九州の波佐見町や佐賀県塩田町で焼かれていたそうです。
この中に肉などを入れ、蓋と容器の間にゴムなどのパッキンを挟んで密封したあとで加熱。その後冷却すると内部が真空になって長期保存ができたのだそう。
使用時には、蓋の中央部分のへこみを突いてあけていたのだとか。
これは岩手県の水産業とは直接関連の無い展示品のようでしたが、戦時中の記録に出て来る防衛食について学べたのは収穫だったと思います。 -
岩手県立水産科学館を出たあとは、浄土ヶ浜の第一駐車場から下り坂になった車道をテクテクと、宮古漁港のある鍬ヶ崎(くわがさき)地区へ。
この画像は、鍬ヶ崎地区と浄土ヶ浜の中間にある日立浜(ひたちはま)の岸壁。
上段の画像奥に見えているのが鍬ヶ崎地区と魚市場のあたり。
背後の丘の中腹にある、オレンジ色の□で囲んだ建物は宮古測候所。
2011年に発生した東日本大震災の津波では、この地区一帯も大きな被害を受けたんですが、2008年の春の日差しの中では平和な景色。
一人の猟師さんが、魚網の浮き(?)にこびりついたフジツボを落とす作業を黙々としていました。 -
鍬ヶ崎(くわがさき)地区と浄土ヶ浜の中間にある日立浜(ひたちはま)の岸壁。
漁を終え、手入れが済んだ魚網や浮きが干されてあった。
漁業の町のオブジェだね。 (*^。^*) -
鍬ヶ崎(くわがさき)地区と浄土ヶ浜の中間にある日立浜(ひたちはま)の岸壁。
魚網の浮きの中には、まだ手入れがされずに表面がフジツボだらけのまま転がっている物も。
もらって帰って、天井から吊るしたらいい感じになるんだろうけど、日に晒されて腐り始めたフジツボが放つ臭いが凄い!
写真だけにしておきました。(;^ω^) -
鍬ヶ崎(くわがさき)地区と浄土ヶ浜の中間にある日立浜(ひたちはま)の岸壁。
海産物の加工工場もある車道脇に木造漁船の小さな造船所があった。
修理の必要な船を引き上げたり、出来上がった船を進水させるための短いレールがあったっけ。
ちょっとゴミゴミした雰囲気が、却ってフォトジェニック。
このあたりも東日本大震災の津波では流されてしまったのよね。
またここには以前のように造船所が戻ってくるだろうか。 -
イチオシ
鍬ヶ崎(くわがさき)地区と浄土ヶ浜の中間にある日立浜(ひたちはま)の岸壁。
獲ってきたシュウリ貝(ムール貝)の表面に付着している海藻などをこそげ落としている漁師さんが二人。
手前の籠に入っているのは、もう表面がきれいにされたシュウリ貝。
獲りたて、新鮮!
SUR SHANGHAIが近づいて行くと、
「お? なにがのしゅざいだべが?(お? 何かの取材だろうか?)」の声が。
「いえいえ、単なる旅行者です〜。(;^ω^) お写真、いいですか〜。」
「べづにかまわねぇよ。(別にいいよ。)」
ちょっと無愛想なのは、猟師さん気質なのかも?(*^。^*)
で、パチリと撮ったのがこの写真。 -
鍬ヶ崎(くわがさき)地区と浄土ヶ浜の中間にある日立浜(ひたちはま)の岸壁。
もうすっかり古びて使われなくなったらしいサッパ船も置いてある片隅。
手前に置いてあるのは、何を獲る網だろう? -
鍬ヶ崎(くわがさき)地区にあった、宮古漁港の古い方の宮古魚市場岸壁。
漁船が何隻も繋がれていた。
≪あった≫と書いたのは、このあと2011年に発生した東日本大震災の津波で既に古くなった魚市場の建物が大きく破壊され、その後一部を残して撤去されたから。
この宮古漁港付近では震災で大きく地盤が沈下したため、2013年春にはここに映っている岸壁の嵩上げ工事が進行中でした。
幸い、宮古漁港にはもう一つ新しい宮古市魚市場も隣接していて、そちらは津波の被害が少なかったらしく、2013年春には稼動していました。 -
上掲の画像と同じく、鍬ヶ崎(くわがさき)地区にあった古い方の宮古魚市場岸壁。
これは、魚を入れて運ぶための箱、よね。
盛大に積み重ねられている様子がオブジェ的。 -
最後に、宮古のラーメンのご紹介。
宮古ラーメンに共通しているのは、煮干などの海産物だしのあっさりと色の薄いクリアなスープ。
濃厚系スープがお好きな方には、ちょっと物足りないかも?
でも、検索で場所を調べて、宮古に来た時には一度はお試しを。(*^。^*)
どれも600円程度、ちょっとお高い磯ラーメンでも千円しない位のお値段です。
上段は、お店によって磯ラーメンとか浜ラーメンとかの名前がある、海藻やエビなどの海産物を乗せたラーメン。
SUR SHANGHAIはこれが好きなんです。(〃▽〃)ポッ
具は、お店によっても変わるし、季節も関係あるのかも?
左は、宮古市魚菜市場内の食堂のもの。(だったと思うんですが、確信無し…。)
右は、宮古市街地の末広町にある富士乃屋さんのもの。
中段は、宮古ラーメンの代表格になっている、≪たらふく≫と言うお店の中華そば。ここは中華そば一本槍のお店。
丼のふちギリギリにまで入っている、平打ち麺に特色あり。
下段は、宮古ラーメンの流れを汲むワンタンメン。
ワンタンの中身はほとんどないんですが、そのフワトロの食感がおいしいので許せてしまいます。
左は、JR宮古駅や三陸鉄道宮古駅から徒歩2,3分と近い≪はなふく≫さんのもの。●注: このあとで名前が変わり、2013年には≪福≫という名になっているそうです。
右は、≪たらふく≫さん近くの≪あんばいや≫さんのもの。
ほかにもまだまだ宮古ラーメンを出すお店があるのかも?
あっさりスープが好きな方は、ほかにも探してみるといいですよ。
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