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高城神社(たかぎじんじゃ、埼玉県熊谷市宮町)は平安時代延喜5年(905)約1070年前、宮中において延喜式、式内社に指定された、大変古い神社です。<br /><br /><br />2022年9月20日追記<br /><br />当該神社のホームページには下記の如く紹介されています。<br /><br />『 由緒<br /><br />創建は奈良時代以前と伝えられており、「延喜式神名帳」に「大里郡一座高城神社」と記載されていることからもそのことがうかがわれる。<br /><br />転生18年(1590)豊臣秀吉による小田原の北条征伐において、忍城(現・行田市)が攻められた際、高木神社も災禍に遭い社殿を焼失した。その後の寛文11年(1671)に再建されるのだが、それは忍城主であった阿部豊後守忠秋が「高木神社は式内社」であることから社殿再興を図ったことがきっかけであった。この時に再建された本殿と拝殿は、今も当時の面影をそのままに残されている。(なお本殿・拝殿・手水舎以外の建物は昭和20年8月14日の熊谷大空襲によって焼失)』

武蔵熊谷 奈良時代以前に創建と伝えられる古社で秀吉の北条氏征伐時に戦禍受けるも徳川時代に老中忍城主阿部忠秋により再興された『高城神社』散歩

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2013/06/10 - 2013/06/10

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滝山氏照

滝山氏照さん

高城神社(たかぎじんじゃ、埼玉県熊谷市宮町)は平安時代延喜5年(905)約1070年前、宮中において延喜式、式内社に指定された、大変古い神社です。


2022年9月20日追記

当該神社のホームページには下記の如く紹介されています。

『 由緒

創建は奈良時代以前と伝えられており、「延喜式神名帳」に「大里郡一座高城神社」と記載されていることからもそのことがうかがわれる。

転生18年(1590)豊臣秀吉による小田原の北条征伐において、忍城(現・行田市)が攻められた際、高木神社も災禍に遭い社殿を焼失した。その後の寛文11年(1671)に再建されるのだが、それは忍城主であった阿部豊後守忠秋が「高木神社は式内社」であることから社殿再興を図ったことがきっかけであった。この時に再建された本殿と拝殿は、今も当時の面影をそのままに残されている。(なお本殿・拝殿・手水舎以外の建物は昭和20年8月14日の熊谷大空襲によって焼失)』

交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 高城神社・第一鳥居<br /><br />国道17号線に面した所に第一鳥居があり、そこから長い参道が続きます。辺りは市役所があり、市街の中心部に位置する神社です。<br /><br />

    高城神社・第一鳥居

    国道17号線に面した所に第一鳥居があり、そこから長い参道が続きます。辺りは市役所があり、市街の中心部に位置する神社です。

  • 高城神社・鳥居<br /><br />熊谷市役所と東西に並行する通りの西側に神社の第三鳥居が在ります。

    高城神社・鳥居

    熊谷市役所と東西に並行する通りの西側に神社の第三鳥居が在ります。

  • 高城神社・石標

    高城神社・石標

  • 高城神社略記・説明板

    高城神社略記・説明板

  • 高城神社・拝殿<br /><br />参道を進むと拝殿が控えています。御祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)となっています。

    イチオシ

    高城神社・拝殿

    参道を進むと拝殿が控えています。御祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)となっています。

  • 拝殿・扁額<br /><br />扁額には「高城神社」が掲載されています。

    拝殿・扁額

    扁額には「高城神社」が掲載されています。

  • けやきの大樹<br /><br />境内の中央部には神木であるけやきの大樹がそびえており、大樹の真ん中には大きな空洞が見られます。樹齢は600年以上といわれています。

    けやきの大樹

    境内の中央部には神木であるけやきの大樹がそびえており、大樹の真ん中には大きな空洞が見られます。樹齢は600年以上といわれています。

  • 常夜灯<br /><br />高さが275Cmの青銅製の燈籠で天保12年(1842)に建てられています

    イチオシ

    常夜灯

    高さが275Cmの青銅製の燈籠で天保12年(1842)に建てられています

  • 常夜灯・説明板

    常夜灯・説明板

  • 高城神社内「天神社」<br /><br />新生児のお食い初めの時に歯ぐきに当てると丈夫な歯が生えるといわれる赤石が敷き詰められている少名彦名大神(すくなひこなのおおがみ)を祀っています。<br /><br />

    高城神社内「天神社」

    新生児のお食い初めの時に歯ぐきに当てると丈夫な歯が生えるといわれる赤石が敷き詰められている少名彦名大神(すくなひこなのおおがみ)を祀っています。

  • 天神社・説明板

    天神社・説明板

  • 高城神社内・熊野神社<br /><br />明治年間にこの辺りに出没していた猛熊が住民を脅かしており、熊谷直実の父親直貞(なおさだ、1126~1142)がその猛熊を退治して熊野権現堂を築いたと伝えられています。

    高城神社内・熊野神社

    明治年間にこの辺りに出没していた猛熊が住民を脅かしており、熊谷直実の父親直貞(なおさだ、1126~1142)がその猛熊を退治して熊野権現堂を築いたと伝えられています。

  • 熊野神社・由緒<br /><br />『 熊野神社の由緒<br /><br />永治年間、この付近一帯に猛熊が往来し庶民の生活を脅かし悩ました、熊谷次郎直実の父貞この猛熊を退治して、熊野権現堂(現在箱田に熊野堂の石碑あり)を築いたと伝えられる。<br /><br />明治維新の後、熊野神社と称し、その後祭神伊邪那岐命を祭り、明治40年1月14日に当高城神社は境内地に遷し祭られた。また同年4月20日に熊野神社地62坪(熊野堂敷地)を高城神社に譲与された。<br /><br />この熊野神社(熊野権現)と千形神社(血形神社)そして円照寺の関係は深く、直貞によって築かれ、熊谷の地名を産んだとも伝えられる。』

    熊野神社・由緒

    『 熊野神社の由緒

    永治年間、この付近一帯に猛熊が往来し庶民の生活を脅かし悩ました、熊谷次郎直実の父貞この猛熊を退治して、熊野権現堂(現在箱田に熊野堂の石碑あり)を築いたと伝えられる。

    明治維新の後、熊野神社と称し、その後祭神伊邪那岐命を祭り、明治40年1月14日に当高城神社は境内地に遷し祭られた。また同年4月20日に熊野神社地62坪(熊野堂敷地)を高城神社に譲与された。

    この熊野神社(熊野権現)と千形神社(血形神社)そして円照寺の関係は深く、直貞によって築かれ、熊谷の地名を産んだとも伝えられる。』

  • 高城神社・境内<br /><br />樹齢800年ともいわれる巨大な欅(けやき)が見事です。

    高城神社・境内

    樹齢800年ともいわれる巨大な欅(けやき)が見事です。

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