2013/05/14 - 2013/05/14
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興福寺の国宝特別公開を拝観した後、猿沢の池のほとりを南下して「ならまち」へ入ります。
目指すは元興寺・極楽坊。
古くは、ならまち一帯が元興寺の寺域であった場所です。
養老二年(718)に蘇我氏の氏寺である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都にともなってこの地へ移されました。
法興寺は本元興寺に名を変えて飛鳥の地にも残り、今は飛鳥寺になっています。
飛鳥寺が移されたことは続日本紀にも記載があり、これが元興寺の始まりとされています。
今でこそ、ならまちの一角にあるひっそりとしたお寺となった元興寺ですが
南都七大寺の1つとして、興福寺を凌ぎ、東大寺に次ぐ奈良で2番めの大きさの寺域と伽藍を持ったお寺でした。
蘇我氏との関わりが深かったために、復興は置き去りになってしまったお寺でもあります。
現在、奈良において「元興寺」を名乗る場所は2つあります。
この極楽坊がある元興寺は「真言律宗・元興寺」。
もう一つは、お堂や塔の跡(遺構)のある「華厳宗・元興寺」となっています。
収蔵庫内にて「春季企画展 元興寺創建」が開かれていました。
2013年 4/27~6/2
ちなみに、「ならまち」というのがこのあたりの総称、通称です。
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興福寺から五十二段の石段を南下してきますと、こちらにでます。
興福寺 寺・神社・教会
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拝観受付をしたら本堂へ。
この東門から入ります。
東門は東大寺西南院の門を、応永十八年(1411)に移築したものです。東大寺 寺・神社・教会
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極楽、極楽(。-人-。)
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本堂。
極楽堂(または曼荼羅堂)と呼ばれます。
もしくは僧房と合わせて極楽坊とも。
建物は東室南階僧房の3つの棟を大改築した鎌倉時代の建造です。
禅室とは違い、引違格子戸の形式で扉が造られており、欄干は葺寄菱(ふきよせひし)格子戸で壁のない造りとなっています。
外観は寛元二年(1244)のものですが、内部の造りなどは奈良時代の僧房のものが残ります。
本尊には曼荼羅の中に描かれる阿弥陀如来様。 -
元興寺での国宝となるのは本堂である極楽堂、裏手に繋がる禅室・そして収蔵庫に安置される五重塔の小塔です。
左奥が宝物館(収蔵庫)。
平安時代の中期頃から元興寺は衰退し始めます。
当時は浄土教が広まり、その中心は極楽坊へと移りました。
極楽坊には奈良時代に智光という僧が浄土曼荼羅(智光曼荼羅)を安置します。
極楽坊で営まれた念仏講は鎌倉時代に一勢を極め、極楽坊は庶民の信仰の中心の場となっていくのです。元興寺 寺・神社・教会
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収蔵庫。
見えているのは第一収蔵庫(宝物殿)で、奥側に第二収蔵庫となります。
こちらに五重小塔が置かれています。
小塔は小塔院に安置されていたものですが、今はこちらで保管されます。 -
パンフより。
収蔵庫に安置される五重小塔です。
奈良時代に作成されたもので、高さ5.5m。
建造物として国宝に指定されています。
天平時代からのものですが、小塔院の室内にて保管されてきたものなので痛みが少なく今日に至っています。 -
手前にあるのは、講堂跡の礎石です。
この礎石は、境内西側にあたる中新屋町で平成10年に発掘されたものをこちらの境内へ移動したものです。 -
手前が仏足石。
奥は浮図田(ふとでん)となりますが、多くの石塔や石仏が並びます。
左奥の建物は小子坊。 -
奥まで行きますと、撮影ポイントって立て札があります(笑)
そこで振り返ると、元興寺ならではの風景です(^^)元興寺 寺・神社・教会
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左側が禅室、奥が極楽堂の屋根です。
いわゆる行基葺き、百済時代に伝わった手法の瓦なので百済葺きとも呼ばれます。
瓦は渡来人の技術によって日本で始めて焼かれたものになります。
1300年、現役の瓦もいます。
瓦は創建当初の飛鳥寺で使われたものをこちらへ移していますが、軒先にあたる飾り瓦は奈良時代のものとされます。
飛鳥寺時代の軒先瓦は元興寺境内では出土していなく、軒先瓦の意匠は次の時代へと意匠変更されていると言われます。
左側、禅室の手前側は本瓦葺きです。
この方法はフラットなつながりになり、行基葺きは載せて行く形式なので段差があります。 -
仁王様ですな(;`ー´)
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禅室。
現在の元興寺の禅室は創建当時の僧房の一部とされます。
当初は東室南階大房(ひがしむろ なんかいたいぼう)と呼ばれ、12の房が東西に並んでいたそうです。
こちらの南側の窓(連子窓)は採光のため大きいものですが、下の写真の北側のマドは小さく造られていて、寒風対策とされています。元興寺 寺・神社・教会
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禅室、北西側(石舞台)から。
2年ほど前、禅室は調査が行われて屋根裏などが公開されていました。
釘などは一切使われていない建築で、瓦の下は土で覆われています。
建築資材は使い回しされています。
飛鳥寺時代(創建当初)の材木も、現在も生きて使われています。
元興寺の拝観の後は小塔院へ向かいます。 -
とりあえずお昼時ですので、元興寺の近くのこちらのお店に入りました。
元興寺からは南に行って路地を左に曲がったところです。
洋食「春」。
https://plus.google.com/104593482218860177771/about?gl=jp&hl=ja
すぐ隣がカナカナ。元興寺 寺・神社・教会
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外観、店内ともに和の造りです。
ですけど洋食(人´∀`)
一番人気の「大和牛&ヤマトポーク」を使った大きなハンバーグです。 -
それではお腹もポンポンになったので、続きます。
奈良町資料館。
http://naramachi.co.jp/
この付近の民俗資料等を展示しています。
この日は「物語る刺繍展2013」が中で開かれていて、ご本人もおられました。
特に中宮寺の菩薩半跏像を刺繍したものが凄かったヽ(´Д`ヽ) -
西側。
奈良資料館には「旧元興寺本堂跡」とあります。
本堂、いわゆる金堂の場所がこちらになります。元興寺 寺・神社・教会
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そして庚申堂へ。
身代わり猿(くくり猿)がたくさんぶらさがります。
軒先には庚申さん、青面金剛、吉祥天女と墨書した赤い提灯が提げられています。
屋根の上には三猿がいますよと。庚申堂 名所・史跡
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そして小塔院へ。
隆盛期には、この南方向に南大門がありました。
そして南大門を入ると中門となりますが、左手にこの小塔院、右に東塔院があったと言います。
小塔院は藤原仲麻呂の乱による戦没者の冥福を祈るため、称徳天皇によって造られました。
南都のお寺に置かれていた、約百万塔の小塔を安置するために造営されたものです。東大寺 寺・神社・教会
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小塔院は宝徳三年(1451)の土一揆が起きた時の大火によって伽藍の殆どを消失しました。
今は江戸時代に建てられた、虚空蔵堂(仮堂)が残るのみです。 -
今は元興寺・極楽坊の収蔵庫に保管されている、五重塔の小塔はこの地にあったものです。
こちらの仮堂の本尊は虚空蔵菩薩坐像です。元興寺 寺・神社・教会
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こちらは虚空蔵堂の右手前、写真の右奥からの道が入り口からの道です。
今は塀の向こう側に家などがたってしまっていますが、ここにお堂があってその中に五重塔小塔は置かれていたそうです。
そしてこの場所で木を切ったりしていたおっちゃんと話し込み、そのまま五重塔跡地へ連れて行ってもらいました。
この場所は意外と人が来るそうで、お堂の奥には山形の人からもらったというさくらんぼが一杯なっていました。
私も食べさせてもらったり。 -
極楽坊・元興寺のパンフにある伽藍配置図です。
赤い色の東室南階大房が今の極楽坊の場所となります。
そして中門左手が小塔院(西小塔院)。
これから向かう塔跡は中門からに右に位置する東塔院となります。
これを見ると元興寺極楽坊方面から小塔院、もしくは塔跡に抜ける道は中門と講堂をつないでいた回廊だったものの名残なのがわかります。元興寺 寺・神社・教会
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連れてきてもらって、こちらが塔跡。
「華厳宗・元興寺」です。 -
説明書き。
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こちらを入りますと元興寺の塔跡、金堂・講堂・五重塔のあった場所となります。
本尊は薬師如来立像で、平安期のものです。
榧の木の一木造りで高さは168cm。
また、鎌倉時代作の十一面観音立像や土壇から出土した物は共に奈良国立博物館に寄託しています。 -
五重塔塔跡。
調査のために一度、発掘されたそうです。 -
基壇。
この場所に、興福寺の五重塔とほぼ同じ大きさの五重塔が建っていました。
高さは約75m。
発掘調査でわかったそうですが、下の土も何層も踏み固められた基礎になっていたそうです。興福寺 寺・神社・教会
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安政年間まで1200年余りを生き延びた五重塔は、安政六年(1859)に起きた火災によって観音堂とともに焼失しました。
境内の本堂は昭和になって建てられましたが、塔は礎石のみ残る状態になっています。
こちらの礎石の中心部には出っ張りがわかると思いますが、木材側を削って位置を合わせて人力で柱を持ち上げていたようです。 -
啼燈籠(なきどうろう)。
奥がこちらの元興寺の本堂です。
この石の燈籠は正嘉元年(1257)の刻銘があるものです。
明治期には奈良帝室博物館(奈良国立博物館)が設立した時に博物館の庭へ展示されていました。
その後、昭和五年の本堂再建時にこの地へ戻されますが、昭和十九年の地震によって倒壊、砕かれてしまいます。
そのまま放置されていたのですが、平成22年に修復されました。 -
門に掲げられる「元興寺」の文字は弘法大師・空海の筆だそうです。
元興寺の極楽坊を除く小塔院や金堂などは土一揆によって焼失しました。
五重塔は奇跡的に残ったそうですが、このあたりから元興寺・極楽坊、小塔院、塔跡(東大塔院)は3院が別個のものになっていきます。元興寺 寺・神社・教会
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次に、北に向かって奈良町物語館へ。
この周辺が金堂跡となります。
ちなみに元興寺極楽坊から小塔院方面に来ると一旦、この前を通ると思います(笑)
私はグルリンパしています。元興寺 寺・神社・教会
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そしてこちらに金堂の礎石が残っています。
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覗きこむ。
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説明書き。
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トイレのある奥へ抜け、外にも大きな礎石がありますが実際には周りが削られているそうで本来はもっと大きいそうです。
ならまち一帯が伽藍跡となるので、今も地中にはこのような礎石が残っているそうです。
しかし中世以降の宅地化でほとんどは埋められたままになってしまっていて、調査するにも家を取り壊した時にしかできないそうです。ならまち 名所・史跡
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ということで、おっちゃんが説明しながら案内してくれたのでイメージ的にすごく良くわかる塔跡巡りになりました。
小塔院に行ったら、是非おっちゃんに話しかけて下さい。
何者かは最後まで聞けませんでしたけど、相当な御人です。
詳しく縁起などを説明してくれます。
そしてここでお別れ。
このお店は吉田蚊帳です。
ふきんを買ったぞ(・3・)
http://www.kcn.ne.jp/~yoshida/
元興寺も色々と謎と言い伝えがあるお寺です。
薬師寺は名を残したのに、元興寺はなぜ名前を変えなければいけなかったのか。
一説には中臣(藤原)鎌足に滅ぼされた蘇我氏の怨霊を封じ込める寺という話もあります。。
そして藤原氏の寺となる興福寺は、この元興寺を見下ろす場所を選んだという話さえも。
いや〜、今となっては夢の跡。
それでは次の場所、白毫寺へ向かいます。
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