2013/06/01 - 2013/06/01
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ドクターキムルさん
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横浜市神奈川区神奈川本町にある慶運寺は浄土宗のお寺で吉祥山茅草院慶運寺という。芝増上寺第三世定蓮社音誉聖観(おんよ しょうかん)上人(文明11年(1479年)寂)が、新編武蔵風土記稿に因れば永享年間(1429年〜1441年)から文安年間(1444年〜1449年)にかけて創建したというが、聖観上人は、神奈川宿瀧村称明寺の運誉に従って剃髪し、文安4年(1447年)には摂津兵庫に西光寺を創建し、その後再び江戸に戻り橋場にある法源寺(現保元寺)二世となった後、慶運寺を創建したとされるから、文安末(1447年〜1449年)の創建であろう。
慶長4年(1599年)に徳川家康より寺領7石を拝領し、多くの末寺を擁する中本寺格の寺院であった。
幕末になると横浜が開港され、フランス領事館として供用された。
また、神奈川宿並木町(現浦島丘)にあった観福寺は慶応4年(1868年)の大火で焼失し、明治初年の廃仏毀釈によって廃寺となったが、明治6年(1873年)に慶運寺に併合された。それにより、本尊・浦島観世音菩薩が慶運寺に移され、浦島伝説を引き継いだため、慶運寺が「浦島寺」と呼ばれるようになった。現在も、浦島丘の他に浦島町、亀住町など浦島伝説に因む地名が残されている。最近になって、手水舎の手水口と手水鉢が亀のそれに新しくなっている。
幕末になると横浜が開港され、本堂が外国人宣教師の宿舎となった。
滝野川沿いの平地にあるお寺であるが、伽藍は木造である。
(表紙写真は慶運寺本堂)
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慶運寺門前。
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「慶運寺」には「うらしま寺」の振り仮名がある。
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神奈川宿歴史の道「慶運寺」。
「慶運寺
慶運寺は、室町時代に芝増上寺第三世定連社音誉聖観によって開かれた。京の連歌師谷宗牧は、『東国紀行』の天文十四年(一五四四)三月三日の条に「ほどまくかな川につきたり、此所へもこづくへ(小机)の城主へいひつけられ、旅宿慶運寺にかまえたり」と書いている。横浜開港当初はフランス領事館に使われた。
また、浦島寺とも呼ばれている。浦島太郎が竜宮城より持ち帰ったという観音像など浦島伝説にちなむ遺品が伝わっている。」 -
「龍宮傳來 浦島観世音 浦島寺」の旧浦島寺の寺号標石。
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枝垂れ桜。
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門石柱の「浄土宗 慶運寺」の表札。
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「南無阿弥陀佛」石塔。
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山法師。後ろは京浜急行の高架線路。
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手水舎。
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亀の手水口。
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亀の手水鉢。
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小賀玉乃木。
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「横浜市地域有形民族文化財 浦島太郎伝説関係資料」の説明看板。
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「犬猫供養塔」と「南無阿弥陀佛」石塔。
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兎の置物。
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犬たちの像。
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亀の置物。
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庫裡。
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寺務所。
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寺務所。
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石塔類。
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五輪塔。
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石塔。
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「南無阿弥陀佛」石塔。
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無縫塔。
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六地蔵。
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石仏。
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観音石像。
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「龍宮傳來 浦島観世音 浦島寺」の寺号標石。
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浦島観音堂。
明治7年(1874年)に建立されたが、関東大震災(大正12年(1923年)で倒壊し、昭和10年(1935年)に再建された。 -
「淳和天皇 勅願所 古跡」碑。
淳和天皇(じゅんなてんのう)の在位は弘仁14年(823年)〜天長10年(833年)である。 -
巳(へび)の鉢巻をしたお地蔵さま。
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黒松。
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立てかけられた鬼瓦。銅葺き屋根の前は瓦葺き屋根だったのだろう。
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黒鉄黐(くろがねもち)。
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慶運寺本堂。
諸堂は戦災で焼失し、現在の本堂は戦後に再建されたもの。 -
慶運寺本堂に掛かる「光照殿」の扁額。
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慶運寺本堂。
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慶運寺本堂裏の建物。
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慶運寺本堂裏の建物。
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慶運寺本堂横の墓地の墓石。「感謝」と彫られている。
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慶運寺本堂横の墓地の墓石。半球だ。
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