2013/04/29 - 2013/04/29
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たびたびさん
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昼飯も食べて、ここから半日はラストスパート。会津の北側に点在する松平家の墓所や寺院群、会津武家屋敷といった観光スポットも回ります。
このエリアは、会津市内の観光地としては、メジャーなほうではないはずなのですが、それでも何かと見所があって、道に迷ったりもしながら四苦八苦。
お陰で七日町通りの散策がほとんどできませんでしたが、それはそれ。次回の楽しみが残されたと理解しましょう。
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蕎麦を食べて、慶山焼へ。
会津の焼き物は、蒲生氏郷が城を築く際、近江から瓦職人を連れてきたのが始まりだそうです。ただ、会津慶山焼は、唐津系の流れだそうで、他とは少し違います。唐津焼は、粘土に砂地を含むのですが、それをそのまま焼いてしまうざらざらした表面が特徴。あまりそれは感じられませんでしたが、青やピンクの釉薬の変化が斬新で、新鮮なイメージ。数人の若い職人さんがいるようですが、これから注目度が高くなるような感じがしました。 -
先へ急いで天寧寺へ。
ここは、伊達政宗に敗れるまでは会津地方に大勢力を築いた名門蘆名氏の支援があった寺。会津の重臣たちの墓も多い寺です。 -
そして、ここには新撰組局長、近藤勇の墓と会津藩の罪を一身に負って切腹した萱野権兵衛の墓があって、これを訪ねます。
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まずは、近藤勇の墓。本道から結構な山の道を登っていきまして、熊でも出そうな感じです。
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しかし、墓の周囲はきれいに整備されて、会津では大事にされているのがうかがえました。
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ちなみに、近藤勇は甲州勝沼の戦いで敗れた後、敗勢を立て直すことができず、中仙道板橋宿近くの板橋刑場で斬首されています。土方歳三が遺髪などを持っていて、会津戦の折、ここに仮埋葬したのだそうです。
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萱野権兵衛は、家老として松平容保に仕えた側近。戊辰戦後、新政府は容保に罪を問おうとしたが、権兵衛は「主君には罪あらず。抗戦の罪は全て自分にあり」と述べ、一身に罪を負って自刃した人物。
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この一角に墓があるのですが、萱野家は、代々が権兵衛を名乗っているので、自分で探そうとしてもどれが自刃した権兵衛かわかりません。天寧寺の方に教えてもらってやっと探し当てました。
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こちらは息子の郡長正の墓。萱野家は断絶となるので、郡は、母方の姓になります。
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さらに進んで会津藩主 松平家墓所。
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会津若松の中心部からはずいぶん外れ。ここはもう東山温泉の近くです。
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ここから、足場の悪い石段をひたすら登っていきます。
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山の斜面いっぱいを使った墓所で、2代保科正経から9代松平容保までの墓がうっそうとした山の中に点在しています。
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そして、神式の墓で亀形石を台座とした碑石が前面にあるのですが、
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その碑石の大きさには
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まったく度肝を抜かれます。
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全体としてスケールが大きく広い墓所なので、
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イチオシ
ハイヒールとかはだめ。本格的な山登りの覚悟で行かないと泣くことになると思います。
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なお、初代の墓はありませんでしたが、初代の墓は猪苗代湖の方にあるようです。
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ここでそろそろUターン。帰りの時間も気になり始めました。
ただ、せっかくなのでネパール博物館へも立ち寄り。 -
大地主の豪邸を移築した会津料理の鶴井筒の中。
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受付を済ませて、屋根裏の方に上がると、そこにはネパール・チベットで集めたというコレクションの展示。
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歓喜仏という、ちょっとエッチな像もありますが、
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実は密教もこうした流れにあるとの話も聞いたことがあって、
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日本の文化とそうは離れていないのだと思います。
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さて、これまでこれなかった会津武家屋敷へ。
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ここは、会津藩家老西郷頼母の屋敷が移築されています。
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入ったすぐの場所から、
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この奥が西郷邸。
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イチオシ
表玄関を
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少し覗いて、
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ここから庭へ出て屋敷を回ります。
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38部屋ある家老屋敷は中庭を挟んでかなりの規模。
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23万石の家老の格式
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はこんなにすごかったんだと
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実感させられます。
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イチオシ
部屋は中庭に面した配置になっていて、明るい感じ。
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イチオシ
一方で、これが、戊辰戦争の籠城の足手まといとならないようにと、婦女子が自害した部屋。会津の悲劇を象徴する事件のひとつでしょう。
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部屋には、当時の生活を再現する蝋人形もあるし、
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こらは、精米所。
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水車の力で精米します。
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こちらは使用人が住んでいたエリア。
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これでやっと屋敷を一周しました。
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全体として、最後にあったお土産物屋さんも含めて、
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観光施設としての充実度が抜群。時間をかけて楽しめる施設のなっています。
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武家屋敷からは、自転車を返却する鶴が城まで急ぎます。
しかし、とおりかかった「お秀茶屋」。何か気になります。 -
お店に入ると、いきなり小上りの囲炉裏で名物の田楽を焼く姿。
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イチオシ
お客さんとの距離がとても近くて、これは面白いですね。
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イチオシ
いただいたのは、クルミ餅。クルミの粒の入った甘い砂糖汁を焼き餅に絡めていただきます。串が太くて食べやすいし、いいですねえ。
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味噌のお餅も追加でいただきましたが、味噌の方はやや普通。クルミ餅の方が印象に残りました。
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やっぱり、どこにどんないいものがあるかわからない。分かったつもりにならずに寄ってみることは必要です。そして、これは宗英寺。
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会津若松では、数少ない蘆名家ゆかりのお寺です。国重要文化財である蘆名盛氏の像を安置していて、入口には目立つ表示がありました。
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しかし、拝観を申し込もうとしても、誰も出てこない。留守のようで、これは諦めました。
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こちらは、天寧寺町土塁。
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蒲生氏郷が会津に入封し、若松城の改築に着手した際に造られたもの。若松城の外郭と内郭を分ける土塁の遺構は、市内でも三か所しかなく、「甲賀町口門跡」、「三の丸堀跡」とともに国の指定史跡となっています。
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街中周遊バスは、何度となく遭遇します。自分が観光コースから外れていないという安心にはなりますね。
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自転車を返す場所がなかなか分からず、近くをうろうろ。会津戊辰戦争終結の地は、宮泉酒蔵のそば。偶然に見つけました。
会津戊辰戦争の終結は、明治元年9月22日正午。錦旗を擁した西軍の軍監・中村半次郎等を迎え、会津降伏式が行われます。この時、甲賀町通りの路上には緋毛氈が敷かれ、会津藩士たちは、この緋毛氈を小さく切り刻んで持ち帰り、無念の思いを胸に秘めたといわれます。逆賊の汚名を着せられての敗戦であり、無念の思い「泣血氈(きゅうけつせん)の誓い」です。 -
こうなれば、宮泉酒造の蔵も見てみましょう。
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そしてなんと、ここの特徴は、単に建物を見せるだけではなく、実際に酒造りの行われている醸造行程が見学できること。見学コースに入るといきなり、洗米をしている場所。水をざあざあ掛けて、作業をしている人たちがいて、ちょっとびっくりしてしまいました。
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イチオシ
自転車の返却場所は天守閣の脇でした。このエリアは自転車の乗り入れは禁止なんですが、返却のためならいいようです。そんなこともあって、迷ってしまいましたが、危ないところでぎりぎり間に合いました。まあ、いつものパターンではあります。
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帰りの列車の時間を考えると少し余裕があります。
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イチオシ
ということで、北出丸から裏のほうにも回ってみました。こっちの方は、お堀が大きくて、また違った感じ。すっきりした景色ですね。お堀の鯉に餌をやっている家族連れがいましたが、それも楽しそうでした。ここの鯉はよく人になれています。
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少し足を延ばして、天文台跡。
会津藩の藩校は、日新館。戊辰戦争で焼失してしまい、この天文台跡が今に残る唯一の遺構です。鶴ヶ城からは、さほど遠くないのですが、遠回りするようにしか道がなくて、けっこう探すのに苦労しました。しかし、住宅地の中にある遺構の大きな姿は、どれほど役にたてられたのかは別にして、ちょっと江戸時代のものとは思えない異様で印象的な姿でした。 -
さすがにあせりながら、七日町通りまで帰ってきました。
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このとおりにも蔵が多いんですね。
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喜多方の通りより、実はこっちのほうが立派かも。これは、じっくり歩く価値のある通りだったようです。時間の配分が少し間違っていたようです。
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それでも、まずは、下調べしていた太郎焼総本舗へ。
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太郎焼って何のことかわからずに入りましたが、これはいわゆる今川焼のことですね。大内宿では、きんつばとも言っていましたが、いろんな呼び方があるようです。いただいたのは、小倉。注文すると、木の皿に入れて出されましたが、なんか風情を感じます。風情といえば、入った場所にガレのランプ。けっこう大きいランプで、これは高そうですけど。。
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二階にはミニカーの展示もあって、御主人の高尚な趣味がそこはかとなく窺われました。
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常光寺は、七日町通りを少し入ったところ。ここには、面白い逸話が残っています。
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宇治の茶問屋に伝右衛門と伝七という父子がいたのですが、ある日、伝七は行方不明となってしまいます。父は、伝七を探すため、旅立ちます。
と、ここ常光寺にたどりついて、お茶をごちそうになると我が家のものと同じお茶。そして、伝七を見つけ出すのです。建物などは新しくて、そう見応えはないのですが、ちょっと心が和む寺ではあります。 -
並びの長門屋は、くるみ柚餅子の「花雪」が気になって訪ねました。
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触ると薄い柚餅子なので、どうかなあと思ったのですが、クルミの粒は予想外に大きいし、ボリューム感のあるもっちり感もまずまず。名前もきれいだし、この味なら、ファンが多いのもうなずけました。なお、お店の中は奥があって、外見の印象よりずっと広いです。
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これは七日町駅。待合所なのですが、おしゃれですねえ。
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七日町通りに面した阿弥陀寺境内には斎藤一の墓所。
新選組三番隊長で、新選組でも一番の剣豪だったとされる人物。最近、NHKでも紹介されていましたが、そのお墓は、。戊辰戦争の激戦を生き抜き、その後、藤田五郎と改名。会津藩士の娘と結婚して、会津人としての後半生を送ることとなりました。近藤勇の墓はずっと郊外でしたが、会津のこんな街の真ん中で眠る最期もあるんですね。境内のしだれ桜も満開でした。 -
脇にあるのが御三階。鶴ヶ城の天守閣横に遺構がありましたが、建物はこちらに移築されています。外観上は三階ですが、内部が四層になっているという不思議な建物。鶴ヶ城天守閣近くに、御三階跡というのがありましたが、今は、七日町の阿弥陀寺に移築されていました。かつては、密議の場所として使われていたようですが、ひょろっとした高さには風雅な印象も持ちました。
さて、これで、三日間の旅はおしまい。郡山経由で東京に向かいます。
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