2013/05/17 - 2013/05/18
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たびたびさん
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鹿児島は明治維新を実現し、山口とともに近代日本をリードした県。そのため、鹿児島市内には、いろんな史跡があるのですが、これまでは、指宿や霧島など郊外の観光が中心で、市内はざっくりとしか回っていませんでした。いまさらという気もしないではなかったのですが、今回は改めて丁寧に回ってみることにしました。
さて、二日もあれば十分と思っていたのですが、一日目前半は天文館周辺の散策から城山に登ってバスで異人館へ。そこから、祇園の洲公園・多賀山公園を歩いてから天文館に戻って昼飯まで。
以降もやっぱり何かとあるもので。相変わらず、押せ押せの旅となりました。
ちなみに、鹿児島市内で一番好きな場所は南洲公園。これは今回の旅では行けませんでしたが、この評価は今回の旅でも変わりませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
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鹿児島空港に到着。リムジンバスで、市内、天文館に向かいます。
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鹿児島市の中心天文館に到着。天文館の名前は、第25代薩摩藩主、島津重豪が天体観測の研究施設として、明時館、別名「天文館」を建設したことに由来します。しかし、今のように賑やかな町としての発展は、大正時代後期から昭和初期に、路面電車が開通したのが契機。
しかし、いずれにしても、鹿児島に来たなら、飯を食うにもなにをするにも、この天文館を外すことはできません。
ただ、夜遅くの到着だったので、天文館の商店街は閑散としています。 -
では、予定通り、のり一へ。ここは、鹿児島市内でもかなり上位の人気ラーメン店だそうでして。。 -
注文すると、お茶に漬物が出てきて、なんか丁寧ですね。
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イチオシ
さらに待つことしばしで、出てきたラーメン。これは透明なスープがとてもきれいですねえ。お味も見た目通りで、あっさりしていて、これはおいしい。確かに、いっぱいやった後にこれで締めたら最高でしょう。
これで、今日は、もうホテルで寝るだけです。 -
翌朝は、ホテルの近辺を歩くところから。今日は晴れるようで、貴重な一日です。
鹿児島カテドラル ザビエル記念聖堂は、ザビエル公園の向かい。通常の教会でもあるほか、日本にキリストを初めてもたらしたザビエル渡来の記念碑としての役割もあって、見上げるような高い十字架の塔が目を引きます。 -
で、こちらが本家のザビエル公園。ここは、ザビエル来航400年を記念して造られたものです。公園内には、このザビエル来鹿記念碑のほかに、ザビエルが彼の日本での布教に協力したヤジロウ、鹿児島のベルナルドの銅像もあります。
ザビエルが初めて日本にやってきたのはこの鹿児島。ただ、薩摩半島の坊津に上陸したのは1549年ですが、その後、仏僧との対立を避ける意味もあって平戸に去ったのはその翌年のことのようです。 -
少し歩くと東郷重位拝領屋敷跡。
東郷示現流の祖と言われる東郷重位は、京都で修業し、示現流を薩摩に伝えました。島津家第18代家久の面前で披露した剣法は人々を驚かせ、家久は、東郷重位を薩摩の剣法の指南役とし、1000石を与えました。なお、示現流は、一の太刀を疑わず、初太刀から勝負の全てを掛けて斬りつける剣法です。
資料館もあるのですが、こんな朝早くではまだ開いていませんよね。 -
黒田清輝誕生地碑は、東郷重位拝領屋敷跡から電車通りに出て、天文館に向かって少し歩いたところ。
まずは、桜島をスケッチする黒田清輝のブロンズ像がありまして、 -
これが誕生地碑。
黒田清輝は、18歳の時に政治家になる決心をし、法律を学ぶためフランスに留学しますが、本場の洋画に触れるやラファエル・コランのもとで洋画を学んで帰国。
「読書」「舞妓」「湖畔」「智・感・情」など、印象派の影響を受けた作品が代表作。明治画壇をリードした、日本近代洋画の巨匠だと思います。鹿児島は、文化面でもしっかり人材を輩出しています。 -
近くにあったパン工房かんもぉーれは、朝七時から。店内には、喫茶スペースがあるので、朝飯に利用する人も多いようです。なので、パンの種類も、朝食にぴったりの感じ。ここで買って、食べながら街歩きをしましたが、私のニーズにぴったりのお店でした。
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天文館商店街に戻ってきました。ところどころに、こうしたブロンズ像がありまして、日本の近代化に向かって教育に熱心だった鹿児島を紹介しています。
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で、こちらが天文館跡の記念碑。あまり目立たないので、気が付いていない人も多いかも。天文館は、島津家第25代藩主重豪が、天文観測や研究のため、1779年に建てた明時館の別名。藩内の暦はすべてこの明時館から配布され、薩摩暦とか鹿児島暦といわれたようです。
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アーケードの中に、小さな神社。
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その傍らにあるのが伊勢殿屋敷跡の碑。碑には「いせどんのやしゅあと」と、わざわざ振り仮名が振られています。敷地面積は約3,500坪。一所持ち格の伊勢は、参勤交代での「諸侯妻子の在府制」の建言により、幕府との関係を安定化させた功績が認められ、城下の中心地に屋敷が与えられたといいます。
しかし、屋敷は、明治に入り呉服商で財を成した人物に払い下げられ、一帯は、繁華街として発展することとなりました。 -
少し文化ゾーンに近づいて、俊寛の碑。
僧俊寛は、後白河法皇の側近。藤原成親らの平氏打倒の計画、鹿ヶ谷の陰謀に加わりますが、これが発覚。鬼界島(現・硫黄島)に流されました。僧俊寛の碑は、僧俊寛が鬼界島に流される際に船出したという場所に建てらてました。なお、俊寛はそのまま島で亡くなっています。 -
さらに歩くと小松帯刀像。鹿児島市中央公会堂の隣りの、鹿児島県文化センターの敷地内にあって、もうここは、文化ゾーンです。小松帯刀は通称は尚五郎。寛容で雄弁、明快な人柄で人望が厚く、27歳の若さで薩摩藩の家老になりました。将来を期待されていたのですが、維新後に34歳で病死。
像は、15代将軍慶喜が、二条城に諸大名を集めて大政奉還を行った際、薩摩藩の城代家老であった小松帯刀が他藩にさきがけて記帳した時の様子をイメージして造られたものだそうです。 -
遠くに西郷隆盛の銅像。ちょうど向かい合っている位置関係です。
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今度は、照国神社に向かいます。
探勝園跡は、照国神社の隣り。探勝園は島津家第25代藩主重豪が造ったものですが、かつて鶴丸城の二の丸庭園であった場所。ここで、島津斉彬が本丸と電信の実験を行ったとされ、その電信使用の地の碑があります。また、奥の方に入ると、島津斉彬・久光・忠義の銅像、三公像もあります。 -
照国神社の鳥居。斉彬を祀っていて、この大きさが遺徳の高さを物語ります。
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鳥居前には桜島爆発記念碑。爆発記念碑は、大正3年の大爆発を記念するもので、この爆発によって桜島は現在のように陸地とつながります。碑文には、この時の逃げ遅れた人々の慌てて避難する惨状などが記されており、犠牲者数は62名に達したということです。
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照国神社の境内に入って行きます。背後には城山。これからここに登るのですが、どこが登り口だったかなあ。
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近くまで来たら思い出せると思ったのですが、なかなか思い出せない。
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こっちだったかな。三公像の方にやって来ました。
ところで、島津三公とは、島津斉彬、島津久光、島津忠義の像。 -
イチオシ
島津斉彬は、薩摩藩の第11代藩主。幕末にあって、薩摩藩の富国強兵を推し進め、西郷隆盛らの人材も育てた人物。50歳で急逝します。
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イチオシ
斉彬の遺言により、異母弟久光の長男・忠義が後継となり、久光とともに、維新への道を切り開いていくこととなります。
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ここらでやっと、照国神社から城山への登り口を思い出しました。城山に向かって、照国神社の左手脇からでした。そうそう。この道です。
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幼稚園の子供でも登れるという石段の道なんですが、
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やっぱりそれなりにしんどい道です。
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まっすぐに、城山観光ホテルに向かって登るのですが、さて、ここまで来たら、実質到着です。シティビューもまだ走っていないし、早い時間に登るなら、こうやって自分の足で登るしかありません。
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展望所へやってきました。
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あれれ、朝の早い時間は逆光で桜島がよく見えませんね。
と思ったら、昨夜から桜島は噴火が激しくなって、これは火山灰が原因でかすんでいるようです。どうりでなんかおかしいと思いました。 -
では、ここから西郷洞窟に向かいます。
これは途中の石仏十三体。 -
説明によれば、昭和3年、弘法大師の徳を慕い、四国八十八か所になぞらえて、大師の像88体が造られました。その88体のうち城山に安置された13体が、この石仏だそうです。
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西郷洞窟に到着して、まず目に入るのが西南戦争始末記三十六景展示場。
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記念撮影用という西郷隆盛の巨大な像が建っていて、その脇の洞窟を入って行きます。
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洞窟には、入口に再び西郷隆盛の像。
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その奥に、西南戦争の激戦の場面とか、西郷隆盛の最期の場面とか、それぞれ絵で解説しています。
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洞窟の薄暗い中だし、戦いのすさまじさが伝わってきますね〜
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さて、こちらが西郷洞窟。ここは、城山に籠った西郷隆盛が最期を迎えるまでの5日間を過ごしたとされる場所です。囲いがあって、二つの浅い洞窟があって、その右側の洞窟が西郷隆盛のいた洞窟のようです。
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そして、官軍の総攻撃で最期を迎えるのですが、別府晋介に「晋どん、もうこの辺でよか」と、介錯させて自害した終焉の地はここから坂を下って少し降りた場所になります。
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おはんらにやった命。西郷隆盛らしい、大きな慈愛に満ちた言葉です。こんな言葉を掛けられたら、掛けられた方にしても西郷と命を共にするしかないと思ったに違いありません。
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鶴丸城の方まで下りてきたら、空が黒くなってきました。これはまた桜島が噴火したようです。黒い灰がみるみる空を覆って行きます。
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そのまま、黎明館の敷地にある天璋院篤姫像へ。ここは、鶴丸城跡でもあります。篤姫は、徳川幕府13代将軍・徳川家定の正室となるのですが、元々は、今和泉島津家の当主・島津忠剛の長女。輿入れのため、従兄である薩摩藩主・島津斉彬の養女となり、この鶴丸城では2ヶ月間暮らしていたといわれます。なお、斉彬は公武合体の考えの持ち主であり、討幕へ傾くのは久光の時代になってから。この転換は、篤姫にとっては全く予想外の出来事だったかも。これによって、日本の大改革は決定的となったのですが、篤姫が道具となってしまった面があるのも否めないでしょう。
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そして、パラパラと。雨のような音とともに、灰が降ってきます。
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傘を差している人もいて、これは雨と同じ。その上、口をハンカチで押さえている人もいて、まったくやっかいな灰です。
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さて、向かいの石垣は、私学校跡。子弟教育の場であったのですが、「おはんら何たることをしでかしたか」。政府の火薬庫を襲撃し、西南戦争に向かって暴発してしまいます。
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イチオシ
本来の私学校は、下野した西郷隆盛が設立した、陸軍士官養成のための「幼年学校」「銃隊学校」「砲隊学校」の三校のこと。
ただ、ここには、私学校跡の石垣には西南戦争で銃撃を受けた弾の跡がたくさん残っていて、生々しい。西南戦争の傷跡がまざまざと感じられる場所だと思います。 -
ここからバスで、少し郊外の異人館の方へ。
旧鹿児島紡績所技師館は、単に「異人館」と呼ばれます。仙巌園のそば。29代島津家当主島津忠義が日本で最初の洋式紡績所を設立したときに招いた英国人技師たちの宿舎です。薩摩藩は、薩英戦争で敗れ、西欧の技術と工業化を学ぶ必要があることを痛感するのですが、この施設も、そうした思いの結晶。英国に派遣したのでした19人の留学生の働きで、機械の買い付け、技師7人の招聘に成功したものです。 -
イチオシ
規模は、さほど大きくはないのですが、保存状態も良くて、サンルームとかもしっかりある。日本の初期西洋建築物を楽しめます。入場料は200円。建物は、中に入ると、外観よりずっと広くて、快適な暮らしぶりが想像できました。
ところで、桜島の灰があんまりすごかったんで、親切な受付の人にマスクをいただきました。ありがとうございました。 -
こちらが、コンビニの脇にある鹿児島紡績所の碑。紡績所は、1867年の創業です。島津斉彬の遺志をうけつぎ、島津忠義が建てました。動力用として蒸気機関も据えられていたようで、近代日本につながる画期的なものです。
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イチオシ
ここから楽しみにしていたB級グルメの「ぢゃんぼ餅 平田屋」へ。海沿いに歩いて15分くらいです。ただ、ぢゃんぼ餅は平田屋だけかと思っていたら、歩いている途中には何軒もぢゃんぼ餅の看板を掲げたお店がありました。すごいですね。
じゃんぼ餅は、大きな皿いっぱいにお餅が盛られて豪快。大きな分類としては、みたらしだんごのような感じですが、本物のお餅の焼きの香ばしさと甘辛いたれが特徴。たぶん、地元の醤油が甘いので、この優しい甘辛さになるのかなあと思います。 -
平田屋は、座敷に上がっていただきましたが、待っている間に正面に広がる桜島を背景にした海を眺めたり、気が付くと、ここはとても気持ちの良い場所なんですね。
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お餅を食べて、落ち着いたところで、海沿いの道をさらに先に進みます。
見えてきたのは祗園之洲公園。ここは、 -
島津家第27代藩主斉興から次の藩主斉彬にかけて砲台を築かれた場所の一つ。砲台は、生麦事件がきっかけとなって起きた薩英戦争で使用されます。
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この祗園之洲砲台では、特に激しい戦いが行われ、イギリスのアームストロング砲によって、大半が破壊されました。英国側も旗艦ユーリアラス号の艦長をはじめ死傷者63名を出しましたが、城下の町の損害は甚大で、薩摩藩は近代化の必要を痛感することになります。
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そして、これが「旧薩藩砲台跡の碑」です。
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祇園之洲公園の一角に建つのが西南の役官軍戦没者慰霊之塔。
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塔の説明によれば、西南戦争では、官軍6840余人、薩摩軍6400余人、両軍合わせて13240余名が犠牲になっています。
そして、この鹿児島では、官軍将兵1270余人が犠牲となり、この祇園之洲に葬られました。慰霊塔は、西南戦争100年を記念して建てられたものです。 -
こちらは、岩永三五郎之像。
岩永三五郎は肥後の出身ですが、石橋の設計に優れていた名工。薩摩藩から是非にと依頼され、鹿児島市内の街中を流れる甲突川に川の護岸工事と併せて、甲突川五石橋を架けました。甲突川五石橋は、玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋。新上橋と武之橋は流失しますが、玉江橋、西田橋、高麗橋の3橋が祇園の洲公園から続きの石橋記念公園に移設保存されています。 -
祇園の洲公園から、東郷平八郎の像のある多賀山公園へ登って行くのですが、途中に田の浦窯。こんなところに窯があるんですね。これは寄ってみないといけないでしょう。
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島津家御用窯「堅野系」の流れをくんだ伝統の窯ということなのですが、店内に入るといわゆる「白薩摩」だけでなく、「黒薩摩」の作品も多くあって、ちょっと違和感を持ちました。違和感を持つことはないと言われてしまいましたが、白薩摩の人気が衰えていることの証かもしれません。
なお、若い夫婦がやっているようでしたが、実質的には稼働していないのではという地元の方の話もあって、やや気がかり。最近、同じ御用窯である仙巌園の磯お庭焼きも閉じたようです。後継者の問題も大きいようで、薩摩焼の伝統の窯が途絶えるのはさみしいことです。 -
さて、改めて多賀山公園へ。ここに、目当ての東郷平八郎の銅像があるんです。この細い石段を登った先です。
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これが東郷平八郎銅像。
東郷平八郎は、日露戦争の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を撃破した連合艦隊の司令長官。日本の軍事史に偉大な足跡を残したのですが、結局は、その後の無謀な太平洋戦争につながる流れを作ってしまったと言えなくもない。何事にも陰陽両方の面があるのは仕方がありません。 -
イチオシ
ところで、銅像は等身大というのですが、背中を丸めながらも腹を突きだすという、ちょっとおじいさんのかっこう。
威厳はあるのですが、正直ここまでやるかなあというような、かなりリアルな銅像だと思いました。 -
これは、東郷平八郎の銅像辺りから眺めた桜島。南洲公園と同じで、桜島が正面に見える景色が印象的です。
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多賀山公園の一角には東福寺城跡というのもありました。
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南北朝の動乱期、それまで北朝側の島津氏の居城は出水にあったのですが、南朝側に立つ矢上氏の東福寺城を落としたことで、薩摩国、大隅国への足掛かりを得たという重要な意味を持つ城だそうです。
以後、鶴丸城に移るまで、後詰めの城としても含め、島津氏の拠点となっています。 -
多賀山公園を降りて、再び、祇園の洲公園へ。こちらは、かなり海岸端に近い辺り。「我は海の子」の歌碑があるようです。
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碑には、作詞者の紹介があり、作詞者は、宮原晃一郎。明治15年に、鹿児島市加治屋町で薩摩藩士の子として生まれ、10才の時、父の転勤で北海道に移住したが、幼い日の故郷の海の天保山をしのんで作詩したと説明しています。
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そして、傍らにあるのがザビエル上陸記念碑。
フランシスコ・ザビエルが日本にやってきたのは1549年。ザビエル上陸記念碑は、祇園の洲公園の海側。鹿児島の稲荷川河口に上陸したことを記念するものです。 -
ちなみに、ザビエルは東アジアへの伝道をめざしてリスボンを出航、インド、マラッカを経由して日本にやってくるのですが、マラッカで一行に加わったのが鹿児島出身のパウロ・ヤジロー。彼の先導もあり、鹿児島では島津貴久の歓迎を受け、布教の許可も得ています。ただし、仏教徒との軋轢もあって、10ヶ月ほどで肥前の平戸へ移りました。
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ここまで、だいぶ歩いてきたのですが、流れなのでそのまま、これは桜島フェリー埠頭。
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フェリーは頻繁に出ていて、24時間動いています。観光だけではなく、基本は生活のための幹線になっているようです。
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とうとうドルフィンポートまでやってきました。
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ドルフィンポートは、鹿児島港から桜島を望む複合商業施設。
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特産品の直売店や飲食店をが中心です。
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建物は総木造2階建。
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気楽に回遊できる雰囲気があるし、
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正面の池では、水浴びをしている子供がいましたが、これなら家族連れには人気のはずです。
ということで、さすがに、ここからはシティビュー。天文館に帰ります。 -
天文館に到着。
鹿児島の黒豚とんかつなら丸一が一番のお気に入りだったのですが、泊まったホテルの方に黒福多を紹介されたので、今回はこっちにしてみました。 -
イチオシ
柔らかいお肉ですよと言われた通り、ジューシーで柔らかな豚でした。お店のこじんまりした雰囲気もとても感じがいいのですが、一方で、トンカツならガツンとした味を求めたいという人も多いはず。それにはちょっと方向性が違うかもしれません。
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黒福多から、天文館通りをむじゃきに向かいます。
その途中の蜂楽饅頭。蜂楽饅頭は、福岡でも熊本でもあるのですが、鹿児島にもあったんですね。ちなみに、蜂楽饅頭は、いわゆる今川焼のこと。黒餡と白餡があって、自然のままのようなイメージ。何か安心感がありますし、冷めてもおいしいので、ちょっと買いだめしたくなるような饅頭です。 -
さて、食後は、この天文館むじゃきでしょう。
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イチオシ
かき氷の「しろくま」があまりにも有名です。学生時代に食べて、食べきれるか心配になるような桁外れの大きさに驚いた記憶があります。
しかし、今はベビーサイズというのがあって、これなら大丈夫。食後のいっぱいでもちょうどいい大きさです。持ってきてくれる店員さんが、上から見ると白熊に見えるようになってますと丁寧に説明してくれました。
以上、一日目の前半終了です。
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この旅行記へのコメント (4)
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- しにあの旅人さん 2018/08/19 06:44:09
- はじめまして
- 今年5月に鹿児島県に行きましたが、ホテルは4泊天文館近くでしたが、県内神社巡りに明け暮れて鹿児島市内は完全にパスでした。旅行記を拝見して、もう1泊増やしても市内を回ればよかったと思いました。写真がいっぱいで楽しみました。
- たびたびさん からの返信 2018/08/20 13:33:13
- RE: はじめまして
- コメントありがとうございます。
私も改めて旅行記を読みなおしてみましたが、いろいろ歩き回った思い出がまた蘇ってきました。鹿児島は「せごどん」で盛り上がっているでしょうか。今度はおはら祭りでも見に行きたいなあと思っています。
たびたび
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- たらよろさん 2013/06/22 18:28:13
- 美味しいもの三昧
- こんにちは、たびたび様。
鹿児島のおいしいものいっぱいの旅行記を指を咥えて羨ましく見せていただいてました。
最初のラーメンから始まって、しろくままで!!
本当に美味しそう。
ぢゃんぼ餅 平田屋のみたらしのようなお餅はあまりの大きさに衝撃を受けました。
すごいインパクトですね!
そして、何と言っても鹿児島黒豚!
これは絶対外せない一品。
豚肉大好き♪
とんかつ大好き♪
な私は今すぐ食べに飛んで行きたいわ〜(笑)
たらよろ
- たびたびさん からの返信 2013/06/26 09:40:13
- RE: 美味しいもの三昧
- これは大御所様からのメッセージですね。ありがとうございます。
たらよろさんのグルメ情報は、私もよく参考にさせていただいております。
ただ、オークラのフレンチトーストは、期待ほどではなかったような。二個は食べなくてもいいでしょうし、フルーツと合わせた、もう一つのタイプがあるのもうなづけます。まあ、当然好みはあると思いますが。。
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