2013/04/28 - 2013/05/02
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■GW九州一周車旅 島原半島
≪4日目≫
・道の駅不知火/熊本県宇城市不知火町
・みすみフラワーアイランド/熊本県宇城市三角町
・藍のあまくさ村/熊本県上天草市大矢野町
・鬼池港〜口之津港フェリー/天草市五和町
・原城跡/長崎県南島原市南有馬町
・土石流被災家屋保存公園/長崎県南島原市深江町
・旧大野木場小学校被災校舎/長崎県南島原市深江町
・島原武家屋敷跡/長崎県島原市
・島原城/長崎県島原市
・国見神代小路/長崎県雲仙市国見町
・諫早湾干拓堤防道路/長崎県諫早市〜雲仙市
・大村湾パーキングエリア/長崎県東彼杵郡東彼杵町
・西鉄久留米駅前ホテル泊
≪5日目≫へつづく・・
▼原城跡 島原の乱
長崎県南島原市南有馬町にあった平城。島原半島の南部に位置し、1496年(明応5)、日野江城の支城として有馬貴純(たかずみ)によって築かれました。
城は本丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成され、有明海に張り出した丘陵にあり三方が海に面する天然の要害でした。
有馬氏が日向国延岡城に転封後、1616年(元和2)に松倉重政が入部しますが、島原城を築き居城としたため、一国一城令により原城は廃されました。
1637年(寛永14)、廃城となっていた原城に、島原藩の圧政に蜂起したキリシタン農民三万数千人が籠城。
4ヵ月にわたり幕府の大軍に抗戦するという、未曾有の一揆が勃発しました。島原の乱です。
乱の鎮圧後、幕府は原城跡に残存する石塁などの破却を行っていますが、発掘調査では鉛の弾丸やクルスのほか、多数の人骨も出土しています。
1938年(昭和13)に城跡は国の史跡に指定されました。
▼土石流被災家屋保存公園
この公園は、平成4年8月8日〜14日の土石流により被災した家屋を保存展示してあります。
大型テント内に3棟、屋外に8棟の合計11棟の家屋を見ることができます
土石流のすさまじさと火山砂防・治山事業など防災事業の重要性を学ぶことができます。
▼旧大野木場小学校被災校舎
平成3年の雲仙普賢岳の大火砕流によって全焼した小学校を、保存して公開しています。変形したパイプや窓枠が、自然災害のすさまじさを物語っています。
普賢岳は長崎県島原半島にある火山で雲仙火山群およびその中央部を占める雲仙岳の主峰です。
標高1359m。1990年(平成2)からの噴火活動により東方約700mにできた溶岩ドームは標高1488mに達し、1996年に「平成新山」と命名されました。
▼島原城
島原城は元和4年(1618年)から松倉豊後守重政が、当時森岳と呼ばれた高地を城のかたちに切とって石垣を積み、堀を掘って7年の歳月を費やして築いたものであります。
総塗りごめ、白亜五層天守閣を中核として大小50の櫓を要所に配し、これを囲む矢挟間塀の長さは総延長2233メートルという規模の大きさで安土桃山時代の築城様式をとりいれた壮麗なものでありました。
以来約250年間4氏18代の居城として歴史上からも数々の歴史を生んできました。
しかし、明治維新により廃城が決定、明治7年解体され、以来90年、天守閣無き城跡だけがその面影をとどめました。
昭和35年に「西の櫓」を復元、次いで昭和39年「天守閣」、48年「巽の櫓」、55年「丑寅の櫓」などが矢挟間・鉄砲狭間を備えた長塀とともに復元されました。
【手記】
島原半島は過去に何度も訪れている地です。でも訪れるたびに新しい出会いや発見があります。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
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▼古野憩いの広場/南島原市国道251号沿い
GW九州一周車旅4日目「島原半島」旅日記です。
島原半島はもう何度目の訪問になるでしょうね。 -
▼古野憩いの広場
遠くにあの島原の乱で有名な原城跡が見えます。 -
▼原城跡 島原の乱
原城は長崎県南島原市南有馬町にあった平城です。
ここは再・再・再・再・再訪^^;くらいかな。 -
▼原城跡 島原の乱
島原半島の南部に位置し、1496年(明応5)、日野江城の支城として有馬貴純(たかずみ)によって築かれました。
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▼原城跡 島原の乱
城は本丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成され、有明海に張り出した丘陵にあり三方が海に面する天然の要害でした。
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▼原城跡 島原の乱
有馬氏が日向国延岡城に転封後、1616年(元和2)に松倉重政が入部しますが、島原城を築き居城としたため、一国一城令により原城は廃されました。
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▼原城跡 島原の乱
1637年(寛永14)、廃城となっていた原城に、島原藩の圧政に蜂起したキリシタン農民三万数千人が籠城。
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▼原城跡 島原の乱
4ヵ月にわたり幕府の大軍に抗戦するという、未曾有の一揆が勃発しました。島原の乱です。
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▼原城跡 天草四郎像
乱の鎮圧後、幕府は原城跡に残存する石塁などの破却を行っていますが、発掘調査では鉛の弾丸やクルスのほか、多数の人骨も出土しています。
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▼原城跡 天草四郎の墓碑
1938年(昭和13)に城跡は国の史跡に指定されました。 -
▼原城跡 島原の乱
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▼原城跡 ホネカミ地蔵
本丸下の慰霊碑です。 -
▼普賢岳が見えてきた
普賢岳は長崎県島原半島にある火山で雲仙火山群およびその中央部を占める雲仙岳の主峰です。
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▼道の駅 みずなし本陣/南島原市深江町
外国の方が団体で来られています。 -
▼道の駅 みずなし本陣
みずなし本陣ふかえは、雲仙普賢岳噴火による土石流災害の爪跡を保存した、土石流被災家屋保存公園に隣接した道の駅です。 -
▼道の駅 みずなし本陣
お食事処やおみやげ物屋さんの他に、観光案内所もあります。 -
▼土石流被災家屋保存公園
この公園は、平成4年8月8日〜14日の土石流により被災した家屋を保存展示してあります。 -
▼土石流被災家屋保存公園
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▼土石流被災家屋保存公園
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▼土石流被災家屋保存公園
大型テント内に3棟、屋外に8棟の合計11棟の家屋を見ることができます -
▼土石流被災家屋保存公園
土石流のすさまじさと火山砂防・治山事業など防災事業の重要性を学ぶことができます。
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▼土石流被災家屋保存公園
3棟が屋内展示場に格納 -
▼土石流被災家屋保存公園
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▼土石流被災家屋保存公園より普賢岳
1990年(平成2)からの噴火活動により東方約700mにできた溶岩ドームは標高1488mに達し、1996年に「平成新山」と命名されました。 -
▼大野木場砂防みらい館/南島原市深江町
ところかわって・・。大野木場砂防みらい館へやってきました。
ここももう4、5度目になります。 -
▼大野木場砂防みらい館
溶岩ドーム監視、工事従事者の避難場所など、砂防工事の安全確保を目的に建設された施設です。 -
▼大野木場砂防みらい館
噴火災害の恐ろしさや砂防工事を行う意義などについて学ぶことが出来ます。
施設内には、普賢岳噴火災害時の写真なども展示されております。 -
▼大野木場砂防みらい館
窓の外に見えるのは「埋蔵文化財・噴火災害資料館」です。 -
▼大野木場砂防みらい館
世界初の無人化施工技術のミュージアムでもあります。 -
▼大野木場砂防みらい館
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▼大野木場砂防みらい館
野外展望コーナーからは、平成新山を間近に見ることが出来ます。 -
▼大野木場砂防みらい館
・深江埋蔵文化財 噴火災害資料館
考古資料の展示が行われています。前回入館したのでパスします。 -
▼旧大野木場小学校被災校舎
平成3年の雲仙普賢岳の大火砕流によって全焼した小学校を、保存して公開しています。 -
▼旧大野木場小学校被災校舎
早いもので初訪から16年の歳月が過ぎました。
当時の状況は、道路・田畑・家屋なにもかも全部が火砕流に飲み込まれておりました。
それはそれは悲惨な光景でした。 -
▼旧大野木場小学校被災校舎
★これは16年前(1997年3月)に撮った写真です。 -
▼旧大野木場小学校被災校舎
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▼旧大野木場小学校被災校舎
変形したパイプや窓枠が、自然災害のすさまじさを物語っています。 -
▼旧大野木場小学校被災校舎
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▼旧大野木場小学校被災校舎
白い色の藤の花が校庭の金網ネットへ絡んでいる。 -
▼島原城/長崎県島原市
お久しぶりです。
島原城は元和4年(1618年)から松倉豊後守重政が、当時森岳と呼ばれた高地を城のかたちに切とって石垣を積み、堀を掘って7年の歳月を費やして築いたものであります。 -
▼島原城
総塗りごめ、白亜五層天守閣を中核として大小50の櫓を要所に配し、これを囲む矢挟間塀の長さは総延長2233メートルという規模の大きさで安土桃山時代の築城様式をとりいれた壮麗なものでありました。
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▼島原城
以来約250年間4氏18代の居城として歴史上からも数々の歴史を生んできました。
しかし、明治維新により廃城が決定、明治7年解体され、以来90年、天守閣無き城跡だけがその面影をとどめました。
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▼島原城 西の櫓
昭和35年に「西の櫓」を復元、次いで昭和39年「天守閣」、48年「巽の櫓」、55年「丑寅の櫓」などが矢挟間・鉄砲狭間を備えた長塀とともに復元されました。 -
▼島原城 石の水道管
西の櫓の前に円柱形の石をくり貫いた「石の水道管」が置いてあります。 -
▼島原城
おーっ!四郎‘お姉さん’だ。 -
▼島原城
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▼島原城
くまモン -
▼島原城
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▼島原城
青い空に白い天守閣がよく映える安土・桃山様式の壮麗な面影を残す島原城 -
▼島原城
石垣に囲まれた公園内の道を文化会館の方へ歩いていきます。 -
▼島原城
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イチオシ
▼島原城
次の旅日記は「島原武家屋敷・国見神代小路・諫早堤防道路」です。
それでは、また〜。 THE END.
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