2013/03/09 - 2013/03/18
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azianokazeさん
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昨日に続きポカラ近郊のハイキング 今日はマチャプチャレなどの山並みを間近に眺められるヒェンザ~ダンプス~フェディのコースです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2013年3月15日 ポカラ3日目 部屋の窓から夜明け直前の朝日に照らされたマチャプチャレ(6993m)がきれいに望めます。
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左手のピークがアンナプルナ?(7937m)ではないでしょうか。
今朝は、昨日よりも空気が澄んでいるようです。ダンプス方面のハイキングが楽しみです。 -
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朝日が昇ります。
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ホテルの部屋、ベッドの上から、これだけの山並みが見渡せるというのがポカラの魅力です。
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ホテルを7時ぐらいに出発 昨日と同じ英語ガイドとともにヒェンザに向かいます。
車の中からのマチャプチャレは、ポカラ市街からに比べ一段と大きく鮮やかです。
写真はヒェンザの登山口付近。 -
ヒェンザ 山側の眺め
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ヒェンザからのマチャプチャレ
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歩き始めます。上りですが、息がきれるような急坂ではありません。前を行くのはガイド氏。
このコースはフェディからダンプスへ上がり、ヒェンザまで歩くのが一般的なようですが、12年前の経験でも、フェディからダンプスは階段の急坂です。
ガイド氏はダンプスまで上がってしまえば、あとはヒェンザまで下りなので楽だ・・・との提案でしたが、ポカラの旅行会社の日本語を話す責任者が私を見て、「ヒェンザからなら70歳の老人でも上がれる、あなたにはそっちの方がいい」とのことで、私も同意。 -
フェワ湖に流れ込む川、セティ・ガンガキの流れ
フェディからダンプスへ上るコースのもうひとつの難点は、ダンプスに上がりきるまで展望が全くきかないことです。
ヒェンザからなら、こうした景色や山並みを眺めながら上ることもできます。 -
緩やかな坂道を15〜20分ほども上ると、木々の隙間から覗く形ですが右手に山並みも見えてきます。
もう少し歩けば展望が開けますので、木々の隙間から写真を撮る必要もなかったのですが・・・。 -
“ネパールのマッターホルン”に恥じない美しいマチャプチャレです。
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このあたりまで来ると視界が開け、山並みが大きく広がります。
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アンナプルナ・サウスも鮮やかです。
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出会った老人にタバコをあげたのですが、むせかえっていました。
「どこのタバコだ!」みたいなことを言っていましたが、ネパール産のタバコです。 -
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途中、小さなお店があって、そこでティータイム。
ガイド氏と彼女はお知り合いのようで、話し込んでいます。 -
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私はヒマなので、裏手から写真など撮ります。
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バナナの木の背景に雪を戴いたヒマラヤの山並みというのが、ネパールらしい絶景です。
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通りすがりの村人
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店の女性の息子(多分)
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娘(多分)
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ようやくウォーキング再開
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この道も一応車が通れます。ただし、四輪駆動のような車でないと難しいでしょう。
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アンナプルナ?(左ピーク、7525m)とアンナプルナ?(右ピーク、7937m)でしょうか? よくわかりません。
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ガイド氏おすすめの風景 山がもう少し鮮明に写ればよかったのですが。
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10時半頃でしょうか、次第に雲が多くなってきます。
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ダンプスの村に入ってきたようです。
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水供給関係の設備のようですが、日本の援助でつくられたとガイド氏は言っていました。
ほかにも、ソーラーパネルのようなものも。 -
旅行会社との契約なのか、ガイド氏の個人的知り合いなのかよく事情はわかりませんが、ダンプスの民家で昼食をとることになりました。
ただ、本当に民家なので、ガイド氏とおしゃべりしながら進める食事の準備はネパールペースです。
長椅子に転がってうとうとしながら待ちます。 -
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やっとできたランチ。写っているのがすべて。お店で食べる食事とは異なる完全なローカルスタイルです。
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食事後もガイド氏とのおしゃべりは続きます。
笑うでもなく、大声を出すでもなく、遠くを眺めるような感じで淡々と話す様子が印象的でした。
私はちょっと手持無沙汰。 -
ガイド氏は野菜を袋一杯に詰めてもらい、やっと出発。
なぜか、おばさんも一緒についてきます。
道はあぜ道ですらなく、段々畑の中を抜けていきます。 -
農作業をしているところに到着。
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おばさんの家族のようです。ここでおばさんと別れます。
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ネパールの国花、ラリグラス シャクナゲの一種です。
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ダンプスからフェディへの下り坂。階段状に整備はされていますが急坂で、視界もききません。
石段は、雲母のようなキラキラした石でした。 -
ゆっくり降りるつもりでしたが、結構なハイペースで下ってしまいました。
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帰途、ヒェンザ近くにあるチベット難民キャンプによってもらいました。
正確に言えば、キャンプの大きなチベット寺院です。
境内には観光客相手の土産物屋が並んでいます。
この一帯はタシパルケルという大きなチベット難民居留地になっています。 -
小さなマニ車の飾りなどがメイン商品です。
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寺院の門
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読経の最中だったのですが、ジャパニーズ・ブッディストだと言ったところ入っていいとのことで、中を拝見させていただきました。
中では三十人前後の僧侶が読経をしていました。
当然、撮影はしていません。 -
この一帯は50年ほどの歴史のある古いキャンプで、チベットを実際に脱出した人は相当の高齢になっているものと思われ、若い人は2世、3世でしょう。
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境内の様子
近年のチベット難民の状況については、以下のようになっています。
“現在チベットが直面している困難な状況のなか、年間数千人にものぼる人々が中国を逃れ、ネパールへと亡命してきます。彼らの目的は、チベット亡命政府のあるインドのダラムサラへ行くことです。ではなぜ、インドではなくネパールに逃れてくるのでしょうか?
それは、チベット、ネパール、インドの位置関係と、そこに横たわるヒマラヤ山脈に関係があります。 難民たちがチベットから直接インドへと逃れるルートは、標高が高く、またその道のりは厳しく、非常に越境が困難なのです。チベット→ネパールの越境ルートも困難ではありながら、チベット→インドのルートに比べると様々な面で無事に亡命できる確率が高いのです。このような事情により、多くのチベット難民は一度ネパールへと逃れ、そこでチベット亡命政府の難民認定を受け、ダラムサラへと向うのです。”【チベタン・チルドレン・プロジェクト】http://tcp-np.com/nepal/index.html -
“ヒマラヤを越えて逃れてくる難民の約半数は、子どもたちです。(2007年の亡命者2337人のうち18歳以下は44.8%。チベット亡命政府による。)
彼らの両親は、「わが子にだけは、チベット人としての教育と自由を。」との思いから、少なからぬ金額を越境業者に支払い、子ども達を送り出します。
途中、様々な危険が彼らを襲います。凍傷になり、手足の指を失う人、命を失う人もいます。越境を中国警察に見つかり、連れ戻され、思想教育の施設に送られ自由な行動を制限される人もいます。
それだけの危険を冒してもなお、年間数千人のチベット人が中国から逃れてくるのです。”【同上】 -
ただ、最近は当局の取り締まりも厳しくなって、チベット難民の流入は減っているようです。
しかし、一方で焼身自殺といった過激な行動も目立ってきています。
“ネパールの首都カトマンズで2月13日、チベット族の僧侶が中国政府のチベット政策に抗議して焼身自殺を図った。
AP通信などによると僧侶は病院に搬送されたが重体という。チベット亡命政府関係者によると、抗議の焼身自殺を試みたチベット族は2009年以降だけでも100人となり、うち83人が死亡している。”【2月13日 読売】 -
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このチベット寺院の印象で言えば、ネパール政府による制約と保護のもとで、仕事の機会も少なく、将来の展望もなく毎日をすごす・・・といった、アメリカインディアンの居留区にも似た閉塞感があるようにも思われました。
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見かけの穏やかさの背後にある閉塞感への不満が高まると、過激な行動にもつながるのかも。
明日はカトマンズに帰ります。
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