2013/01/15 - 2013/01/15
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ちびのぱぱさん
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どうやら諫早にも、眼鏡橋があるようです。
といったら、いかにも諫早市の方に失礼なのですが、長崎のそれと較べると、知名度が圧倒的に違うわけです。
しかし、おなじ眼鏡橋でも、おとなりの長崎市の眼鏡橋とは、だいぶ姿形が違います。
長崎がラウンドメガネとすれば、さしずめ諫早のものはウェリントンメガネ、だいぶオシャレな形の石橋の写真が、ガイドブックに載っています。
長崎のは、江戸時代の早い時期につくられましたが、諫早のものは江戸時代の後期になります。
はたして、両者はどのようなつながりがあるのか、無いのか……。
長崎で借りたニコニコレンタカーが、諫早の市街地に入りました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー Peach
-
「たぶん、このあたりのはずだけど……(汗)。」
「そういうのは、どこにもないよ。誰かに聞いた方がいいよ。」
うかつにも、ガイドブックはおろか、地図さえ持参していませんでした。
カーナビがあるからと、油断していたのです。
油断というのは、恐ろしいものです。
諫早市の眼鏡橋くらい、すぐに分かると思ったのですが……、
カーナビで検索をかけると、眼鏡橋カフェ、というのがかろうじて諫早市でヒットしたので、とりあえずそこに向かいました。
「目的地近くに来ました。ガイドを終了します。」
何の変哲もない住宅街で、とうとうカーナビにも見放されました。
あたりには、犬を散歩させる住人の姿さえ見えません。
ふと見ると、少し先のクリニックから人が出てきて、白い軽自動車に乗り込むのが見えました。
すわ、逃がしてなるものかと車に取りすがると、いかにも具合の悪そうな白髪の老人が運転席に座っておりました。
「眼鏡橋……?、はて……、私はこのあたりに疎くて。」
だめか、と、そう思ったとき、その方ははたと何かを思い出したように、
「ヤマジョウ公園のことかな?」
そのおじいさんにお礼を言って、すがるような気持ちで教えられた道を進みました。 -
川沿いの、木々が茂った丘のある公園の池に、その眼鏡橋は静かに佇んでおりました。
小さな駐車場に車を止めると、そこは高城(山城)公園という名前の場所であることが分かりました。
「なるほどヤマジョウ(もしかしたらヤマジロの聞き間違えかも)か。」
おじいさん、ありがとう、疑ってごめんなさい。 -
この橋は、もとは天保10年(1839年)、この近くを流れる本明川(ほんみょうがわ)に架けられたものです。
諫早は、地形ゆえ、昔からたびたび水害に見舞われ、架けた橋は何度も流されました。
そこで、当時の領主・領民が永久不壊の願いを込め、長崎の眼鏡橋を参考に石造りのアーチ橋をかけました。眼鏡橋 名所・史跡
-
長崎市の丸めがねに比べて、おしゃれなファッショングラスのような形状です。
橋を架けた人のセンスですかね。
ちなみに、なぜ川に架かっていないで、公園ですましているのかというと、頑丈すぎたのです。
1957年に起きた諫早水害の際に、壊れずにかえって水を堰きとめ、洪水の被害を大きくした、というのですね。
はっぱを仕掛けてぶっこわしちまえ、というのを、惜しんだ有志がこの公園に移設して残したそうです。
そして、奇しくもその翌年の1958年に、石橋として初の重要文化財に指定されたといいます。
わたしも、この橋がなければ諫早を素通りしていたでしょうから、この数奇な運命の橋も、この町のひとつの顔なのです。 -
すぐちかくに、小さな石橋が架かっていて、面白い由来が記されていました。
その橋の写真は撮り忘れたのですが、土橋さんが架けた石橋、というのが面白くて……。 -
パノラマです。
だいぶ大きな画像になっています。 -
この公園は諫早城趾でもあり、城跡へ続く道を上りました。
頂上には、樹齢600年の楠木があり、国の天然記念物といいます。 -
ふと道ばたに目を引くものがありました。
長崎のランタン祭りのランタンのようなヒゼンマユミの実が、はっとするほどあざやかな黄色で、つやつやと生っておりました。 -
国道57号線をそのまま、東に走って行くとごらんのような丘陵地になります。
真っ赤な土が、中央アナトリア高原のように広がっています。
一瞬、何かの遺跡かと思いましたが、すぐわきで農家の方が作業しておられました。
小さなジャガイモを作っているようです。 -
「あ、佐賀県のジャガイモ、まずかったなあ。」
妻が、思い出したように言います。
「これ、滅多なことを言うものではありません。第一ここは長崎県です。」
「まあ、九州だから、同じようなものかな。」
これ以上しゃべらせておくと、何を言うか分かりません。
そもそも、北海道のジャガイモと比べるのがまちがっています。 -
しかし、不思議な景色です。(パノラマです)
-
やがて、前方に橘湾が見えてきました。
-
眺めの良い駐車スペースの木陰には、石蕗(つわぶき)が冬の花をつけていました。
北海道に、これと似たエゾリュウキンカという花があります。
やはり、早春の雪解けを待って咲く早生の花です。
エゾリュウキンカもヤチブキと地元では呼んでいますが、全く科が違います。
今年、花をつけるのは、いつになるでしょうか。 -
島原半島を橘湾に沿って進むと、一度内陸に入って小さな峠を越します。
そのあたり、千々石(ちぢわ)といって、ほんとうに石が多いのか、ごらんのように棚田の法面に石垣が施してあります。
こういうのを「石積みの棚田」といい、土でできたものを「土はの棚田」というのだそうです。
田んぼの真ん中に「うまか棚田の里」と大書した立て看板がみえます。
どんな味のお米がとれるのでしょう。
ここは、もはや雲仙市です。 -
千々石というと、千々石ミゲルのことが頭に浮かびます。
天正遣欧使節の4人の代表者の一人で正使であり、叔父さんにあたるキリシタン大名、大村純忠の名代としてヨーロッパに渡りました。
1543年の種子島、鉄砲伝来からわずか40年目の天正10年(1582年)に、この地の領主の息子だった千々石ミゲルが、二年6月の歳月を掛けてリスボンに到着したわけです。 -
ポルトガルのリスボンを訪れたとき、彼らがしばらく滞在した教会を、拝見したことがあります。
そのころは、コロンブスがアメリカ大陸に到着してからすでに90年もたっており、ポルトガルはブラジル経営によって莫大な富を築き上げていたでしょう。
石積みの棚田は、鎌倉時代以降に作られたと言いますから、目の前の、棚田が広がるこの景色は、きっと、ミゲルがいた当時と、たいした違いはないのでしょう……。
ここで生まれた少年が、ポルトガル領マカオに入り、たぶんマラッカにも立ち寄ってインドはゴアに達し……
やがて、壮麗絢爛たる16世紀ヨーロッパの地に足を踏み入れる。
十代はじめの少年にとって、これはどのような経験だったのでしょうか。
ぐうぜん、わたしはそれらの土地を訪れたことがあります。
しかし、国道の道ばたに立って、周囲の棚田を見回すと、そのあまりの距離が、私の脳の把握力を完全に凌駕してしまい、どこか、現実のこととして受け入れるのを拒んでしまったように感じました。
日本を発って8年後に帰国したときに、彼らを待ち受けていた環境はあまりにも激変していました。
歴史の波に翻弄されたという言葉が、これほど似つかわしい経験も少ないと思いました。
千々石ミゲルは、少年使節団の中で唯一棄教し、裏切り者、キリスト教弾圧者の汚名を身に帯びて、失意のうちにその生涯を閉じたと言います。 -
意外にも、この、史上まれに見る国際使節団の功績は、私たちのくににおいてよりも、西洋の国々に与えた衝撃の方が大きかったようです。
ヨーロッパにおいては、世界の果ての国からのこの王子たちの来訪について、数十冊もの書籍が発行されたのに較べ、
我が国においては、明治になるまで、ほとんど記憶の中から忘れ去られ、埋もれてしまっていたのです。
上の写真、二枚合わせたら、パノラマがうまくいきました。
近くには千々石城趾など、ミゲルゆかりの石碑もあるようです。
千々石海岸は日本の渚100選にも選ばれ、夏には海水浴客でにぎわうとか。千々石海岸 自然・景勝地
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