2013/01/15 - 2013/01/15
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ちびのぱぱさん
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「くのいち」と言うだけで、すでに十分怪しいのに、
ピンクやイエローの衣装に身を包んだ忍者姿の若い女性が、
「いらっしゃいあせ〜。」
と、元気よく手招きするのは、
もはやそうとうに、いかがわしいんであります。
島原城、かなり大胆でありました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー Peach
-
ゆめのように穏やかで、ふるさとのように暖かい色の水が満ち満ちた橘湾に沿って、弧をえがいて進むうちに、とてもゆるやかな気持ちになってきました。
ふと、このようなところに住んでいる人は、きっと、やさしい人が多いのだろうな、と思いました。
やがて、むらさきの湯煙立ちこめる、小浜の温泉街にやってきます。 -
その昔見たNHKドラマの、その導入部の絵が、心にちらりと上ります。
すかさず想い出の糸をたどると、
たしか、ひなびた温泉街、夜の無人の坂道に、しゅーしゅーと蒸気が噴き出して、
いと、ノスタルジックな、怪しげな情景がゆらゆらと描かれていたような……。 -
遠い記憶は、飲み残しのコーヒーのように、きわめて曖昧な味がします。 -
ドラマの内容など、全く覚えていないのですが、
そういう雰囲気というのが、のうりのどこかにこびりついていて、
なにかの拍子に、たとえばそれはニオイだったりするのですが、
ずるずると、仄かな光の中に引き出されて、
あたまの中が、むずがゆいような気持ちになります。 -
島原半島を訪れるに際し、そのかいわいの観光地を調べてみました。
雲仙温泉についての、消極的な評価をどこかで目にし、
その周辺へ目を向けていると、この小浜温泉が目に入りました。
小浜と言えば、オバマ……。
無知な人間には、断片的な情報が無節操につぎはぎされて、
街中に、オバマ大統領の看板や、オバマグッズがあふれていると勝手に想像していたのです。 -
「だいとうりょうの看板、どこにもないね。」
「うん。」
「温泉、すごいね。」
「うん。」
「海がいいね。」
「うん。」 -
オバマ温泉……、いいです。 -
小浜温泉は、街ぢゅうから温泉の蒸気が吹き上がり、豊かな海の幸が人々の味覚を満足させる、なんともうらやましい温泉地です。
-
このあたりは、やはりカキが美味しいのでしょうか。
食べてみれば良かった……。
いつも、後悔先に立たず、ですね。
人という生き物は、後悔をするために生まれてきたようなものです。
後悔のない人生なんて、なんてつまらないものでしょう。 -
-
温泉が、市民の生活にとけ込んで、町の各所には、蒸気を利用した無料の「蒸しコーナー」が、ごく当たり前に利用されていました。 -
-
日本一の長さを誇る足湯はもちろん、手湯だってあります。
「雲仙温泉に入る」という呪縛がなければ、ここで多くの時間を費やし、満足していたことでしょう。
自分は、つくづく、ミーハーだと思います。
「次に来たときは、ここに泊まる。」
と、自分に言い聞かせつつ、小浜温泉を後にしました。雲仙温泉 温泉
-
後ろ髪引く小浜温泉から、山の中に分け入ってゆくと、雲仙温泉に達します。 -
このときの、雲仙温泉は、いたって静かでした。
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-
空が、今にも泣き出しそうな様子をしています。
硫黄の臭気を抱いた噴煙が、ゆっくりと上昇して、曇り空に溶けてゆきます。
雲が、硫黄のニオイにむせて、雨を降らせるのではないかと、気が気ではありません。 -
相方が、どんどん先に行くと、激しく踊る蒸気に包まれて、完全に見失ってしまいました。
わたしから相方を奪った白い雲を、ぼんやり見つめていると、やがて幻影のように、妻はふたたび私の前に姿を現しました。
うしろから、観光客の一団が現れて、わたしはつかの間の幻想から解き放たれのです。 -
温泉街の、信号のある交差点角に、古びたたたずまいのみやげ屋があります。
明日は北海道に帰りますから、なにか手土産を買わなければなりません。
みせには、年配のご婦人がひとり座っていて、「おんせんせんぺい」が、カジノでひとり勝ちしている客の前に積まれたチップよろしく、チンレツされています。
が、わたしたちは、ボンタン飴を買うことにしました。
このボンタン飴、ふつう見かけるものの5倍くらいあって、ちょっと珍しいと思ったのです。
後から入ってきた地元の顔見知りとおぼしきおばさんと、世間話に熱中する、店の主を促して包んでもらいました。
おかみさんは、こちらに視線も向けず、おばさんとの世間話に花を咲かせつつ、ポンと、紙袋に入れて渡してくれました。 -
目当ての立ち寄り湯は、なにやら改修中とのことで、もう一つの候補である「小地獄温泉」に立ち寄ることにしました。
けっこう離れた場所にあり、数少ない通行人を捕まえては訊ね、捕まえては訊ねして、ようやく探し当てました。 -
私めは気づかなかったのですが、ここの脱衣所は、通路から丸見えだったそうで、妻は、私がきつめのタイツを一生懸命にあげている姿がよく見えたそうです。
「カエルのようだった。」
と言っていました。 -
ここは雲仙温泉に較べれば新しく、まだその歴史は300年に満たないようです。
お湯は熱めで、強烈な硫黄臭がします。 -
くつろぎ空間には、セルフサービスの100円おでんがあったりして、きわめて庶民的です。
入館料400円、受付も、気さくです。 -
ほてった体に山の空気がすがすがしい雲仙を後にして、島原の方に下ってゆくと、普賢岳があります。
雲仙普賢岳
二十年前の大災害の記憶が、しっかりと脳裏に刻まれております。普賢岳 自然・景勝地
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1991年6月3日の火砕流
「取材に当たっていた報道関係者16名(アルバイト学生含む)、火山学者ら4名(クラフト夫妻と案内役、アメリカ地質調査所のハリー・グリッケン(en:Harry Glicken))、警戒に当たっていた消防団員12名、報道関係者に同行したタクシー運転手4名、警察官2名、選挙ポスター掲示板撤去作業中の職員2名、農作業中の住民4名の合わせて死者行方不明者43名と9名の負傷者を出す惨事となった。」(ウィキペディアより) -
ときどき映らなくなるおんぼろのテレビにかじりつき、
原爆のキノコ雲をヨコに走らせたような不気味な火砕流の映像を、ニュースで繰り返し目にしたものです。 -
民間人の多くはすでに避難しており、火砕流に巻き込まれて被災されたのは、各方面の関係者の方たちが中心でした。
その点が、この自然災害の大きな特徴だったと思います。
しかし、経済的な傷手ははかりしれず、こうしてジオパークとして保存するのはとても意義深いことだと思います。
一般人が多く巻き込まれた東北の大震災は、事情が異なると思いますが、長い目で見たときに、それを物的な形で記憶にとどめることも必要ではないでしょうか。 -
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一部、屋内展示の形になっており、
たぶん火山灰だと思うのですが、雨に流されることもなく、ひしゃげた家屋のいたる処に忍びこんだ白塵の仲間が、今でも空中を浮遊しているようで、とても息苦しいのです。
火砕流のすさまじさを、鬼気迫る臨場感で伝えています。 -
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ここ土石流被災家屋保存公園には、物産館や、貴重な資料映像を上映している資料館(有料)もあり、必見です。
ほかにも、普賢岳の麓の広大な地域にさまざまな施設が点在しており、ゆっくりみれば、それなりの濃密な時間を要求されるでしょう。土石流被災家屋保存公園 公園・植物園
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併設の物産館にあった晩白柚(バンペイユ)
人のあたまほどの大きさがあります。
妻が、自分の頭と並べて、その大きさを較べておりました。
だいたい、おんなじですね。 -
島原湾に沿って車を北に走らせると、島原城が見えてきました。
実に堂々とした構えでです。島原城 名所・史跡
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その堂々とした構えに無邪気に喜んでいると、例の忍者の親玉が現れました。
城の入り口で呼び込みをする、子分のくノ一たちのノーテンキさにくらべ、上忍である彼は、苦み走ったいい男。
彼は、この城についていろいろと教えてくださいました。
この城がどれほど立派で、分不相応であったかということ、それが、領民にとって何を意味していたか、ということなど。 -
興味を覚えて、いろいろ調べてみると、キリシタン大名であった有馬直純が移された後の1616年、松倉重政が入封されてきました。
次々に主を変えつつ、常に上におもねることで身を立ててきた、俗物の代名詞のようなこの男が、分不相応な城を築き、ついでに幕府にしっぽを振るために江戸城の普請にまで手を出し、領民たちは辛酸をなめる羽目になったようです。
キリシタンの禁令にも、異常な熱心さで乗り出し、その取り締まりは苛烈を極めたそうです。 -
この政策を引き継いだ二代目、勝家の時代 1637〜8年にかけて島原の乱が勃発しました。
天草四郎はその象徴のような存在ですが、どうも、沢田研二の化粧の濃い顔がちらちらして……
天草四郎こと益田四郎がどんなビジュアルだったかは別として、この一揆、単なる百姓一揆でなかったことだけは確かです。 -
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この、ケタはずれた城は、一揆軍にとって憎んでも憎み足りない敵の象徴のような存在だったことでしょう。 -
反乱軍は、この城下まで迫って焼き討ちをしたといいます。 -
対する島原藩も、激しい攻撃を仕掛けたことでしょう。
一揆軍は、かつての領主の居城だった原城に立てこもり、ついには幕府軍の強大な勢力の前に、滅び去ったのです。
こうして、日本史上最大の一揆は、終焉を迎えました。 -
いつだって、上に立つものの責任は大きいのです。
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パノラマです
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有明海にそって、長崎に戻ります。
カキ養殖のたなが、整然と並ぶ兵士のように、鏡のような海面に浮かんでおりました。 -
その脇には、ユニークな色をした食堂が建っていましたが、表に回ってみると、あいにく定休日で、ひと気はありませんでした。
気がついてみると、八日間も国内を旅しておりました。
もう一度、目を有明海に向けると、雲間から漏れたスジ状の光が、暖色の海面を照らしていました。
視界は遮られていますが、すぐ対岸には「ああ、熊本があるのだ。」と、しみじみした感慨がこみ上げました。
外国にばかり出かけておりましたが、これからは、なるべく国内に目を向けてゆこうと思うのでした。
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