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2013年1月11日(金)<br /><br /><br />さて、東京駅を出発した中央線浅川行きの電車は、間もなく神田に停まる。<br /><br />私が国鉄を辞した昭和55年(50歳)前後のころ、神田の駅前には、落着いた雰囲気のうなぎ屋があった。<br /><br />その二階座敷で、国鉄在職中から気心が合っていた仲間が、時々集まった。<br /><br />その都度私は、大阪からやって来て、その席に出ることを楽しみにしていた。<br /><br /><br />話題は、輸送行政の改革「日本の輸送をどうすれば総合的に体系化できるか」に集中した。<br /><br />詰まるところは、建設省と運輸省の合体化構想である。<br /><br />それまでの輸送行政は道路、鉄道、港湾、空港とばらばらで、全体のあり方について方向性が見えなかった。<br /><br /><br />出席者は、建設省、運輸省、国鉄などの、次官候補クラスだった。<br /><br />このときの議論が、数年後の国鉄民営化や、さらにずっと後になるが「国土交通省」の誕生に、幾らか影響したかもしれない。<br /><br /><br />さかのぼって昭和35年、28〜29歳、通勤の帰途お茶の水駅で降りて、「アテネフランセ」に通ったことを思い出す。<br /><br />私がフランス政府招待社会人留学生試験を目指してフランス語習得に一歩を踏み出したのは、昭和34年の秋だった。<br /><br />秋田・岩手県境の山中、北上線(当時横黒線)大荒沢に暮らしていたので、フランス語学習といっても、頼りは「リンガフォン」だけ・・・。<br /><br />毎晩繰り返し聞きながら、全文を暗記することにした。<br /><br />生きたフランス語に接したのは、翌昭和35年4月、東京に転勤してからである。<br /><br /><br />「アテネフランセ」の夜間クラスを申し込んだのだったが、東海道新幹線設計で超過勤務が多く、出席率4分の1程度だったろうか。<br /><br />それでもフランス人の先生から聞く生のフランス語は、新鮮さに満ちていた。<br /><br /><br />フランス語を、日本語を介さずにフランス語で学んだ結果、オーラル・コミュニケーションは長年学んだ英語よりもずっと楽になった。<br /><br />英語も同じような学び方をすれば、もっともっと世界を見ることが出来たのでは・・・。<br /><br /><br />次の停車駅四谷には、土木学会がある。<br /><br />私の夢の一つは、土木学科出身者の意識改革だった。<br /><br />技術に優れているだけでなく、「数十年という長い視野を持って、社会全体をリードすべき責任を持つ」との改革である。<br /><br /><br />長期的視点が不足しがちなのは日本社会の特徴だが、その原因の一つとして、意思決定者に科学的思考が不十分なことがある。<br /><br />その問題点を補う存在として、土木学科出身者がもっと頑張らなければならない。<br /><br /><br />このような視点から、学会にかかわる機会を前向きに持とうとしていた。<br /><br />そうした結果、土木学会と基礎工学会の双方で、関西地区の代表的立場に立つものとして、学会活動にかなりの大きなエネルギーを使った。<br /><br /><br />関連の写真を「ソフィーさんの旅行記」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載します。<br />ご覧ください。<br /><br />(2013年3月3日 片瀬貴文)<br />

東京感動の旅【05】神田での運輸行政改革議論・お茶の水でのフランス語習得・四谷での土木学会活動と思い出は続く

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2013/01/11 - 2013/01/11

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ソフィ

ソフィさん

2013年1月11日(金)


さて、東京駅を出発した中央線浅川行きの電車は、間もなく神田に停まる。

私が国鉄を辞した昭和55年(50歳)前後のころ、神田の駅前には、落着いた雰囲気のうなぎ屋があった。

その二階座敷で、国鉄在職中から気心が合っていた仲間が、時々集まった。

その都度私は、大阪からやって来て、その席に出ることを楽しみにしていた。


話題は、輸送行政の改革「日本の輸送をどうすれば総合的に体系化できるか」に集中した。

詰まるところは、建設省と運輸省の合体化構想である。

それまでの輸送行政は道路、鉄道、港湾、空港とばらばらで、全体のあり方について方向性が見えなかった。


出席者は、建設省、運輸省、国鉄などの、次官候補クラスだった。

このときの議論が、数年後の国鉄民営化や、さらにずっと後になるが「国土交通省」の誕生に、幾らか影響したかもしれない。


さかのぼって昭和35年、28〜29歳、通勤の帰途お茶の水駅で降りて、「アテネフランセ」に通ったことを思い出す。

私がフランス政府招待社会人留学生試験を目指してフランス語習得に一歩を踏み出したのは、昭和34年の秋だった。

秋田・岩手県境の山中、北上線(当時横黒線)大荒沢に暮らしていたので、フランス語学習といっても、頼りは「リンガフォン」だけ・・・。

毎晩繰り返し聞きながら、全文を暗記することにした。

生きたフランス語に接したのは、翌昭和35年4月、東京に転勤してからである。


「アテネフランセ」の夜間クラスを申し込んだのだったが、東海道新幹線設計で超過勤務が多く、出席率4分の1程度だったろうか。

それでもフランス人の先生から聞く生のフランス語は、新鮮さに満ちていた。


フランス語を、日本語を介さずにフランス語で学んだ結果、オーラル・コミュニケーションは長年学んだ英語よりもずっと楽になった。

英語も同じような学び方をすれば、もっともっと世界を見ることが出来たのでは・・・。


次の停車駅四谷には、土木学会がある。

私の夢の一つは、土木学科出身者の意識改革だった。

技術に優れているだけでなく、「数十年という長い視野を持って、社会全体をリードすべき責任を持つ」との改革である。


長期的視点が不足しがちなのは日本社会の特徴だが、その原因の一つとして、意思決定者に科学的思考が不十分なことがある。

その問題点を補う存在として、土木学科出身者がもっと頑張らなければならない。


このような視点から、学会にかかわる機会を前向きに持とうとしていた。

そうした結果、土木学会と基礎工学会の双方で、関西地区の代表的立場に立つものとして、学会活動にかなりの大きなエネルギーを使った。


関連の写真を「ソフィーさんの旅行記」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載します。
ご覧ください。

(2013年3月3日 片瀬貴文)

交通手段
JRローカル
  • 東京駅<br />中央通路の人々

    東京駅
    中央通路の人々

  • 中央線電車<br />天井風景<br />こんなものまでとても新鮮に見える

    中央線電車
    天井風景
    こんなものまでとても新鮮に見える

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