2013/02/14 - 2013/02/14
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tsunetaさん
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2月14日、午後3時半頃に長崎さるくとして「丸山ぶらぶら思案橋」コースを歩くことにした。
このコースはかって江戸の吉原、京の島原と並ぶ、日本三大花街の一つだった長崎の丸山。そこは江戸時代から幕末、今に至るまで様々な出会いの舞台であり、訪れる人々を温かくおもてなししてきました。
また、幕末維新に活躍した坂本龍馬や土佐藩士、薩摩藩士たちも訪れたところであり、その当時の雰囲気を少しでも嗅ぎたいと思い、歩くことにした。
歩行距離は約0.9キロ
歩行行程は以下の通り
思案橋跡ー花街丸山公園―梅園身代わり天満宮ー高島秋帆旧宅ー長崎検番ー長崎華街跡の碑ー史跡料亭・花月ー旧大徳寺公園ー新地橋
*写真は坂本龍馬の像(丸山公園)
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新地・丸山界隈長崎さるくモデルコース
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思案橋横丁
黄色のランタン装飾が見られる。 -
丸山公園の方へ歩く
途中にカステーラの福砂屋が見られる -
丸山公園前に寄合町と丸山町との間にレトロな丸山町交番がある。
明治時代から遊郭の玄関先といえる同じ場所で県下随一の歓楽街を受け持ち、長崎署の顔としてにらみをきかせているのが当丸山町交番である。丸山
町交番の歴史は古く、石造りの現在の交番も丸山のシンボル的存在となって
いる。 -
長崎丸山ぶらぶら散歩道の案内図
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いろいろと行きたい所はあるが、とにかく、下記の通り行くことにした。
丸山公園ー長崎検番―梅園身代わり天満宮ー高島秋帆旧宅ー長崎華街跡の碑ー史跡料亭・花月ー大徳寺公園 -
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丸山公園
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坂本龍馬の像
龍馬も丸山の花街には良く通ったことだろう。 -
坂本龍馬と長崎に着いての説明
勝海舟の門人となり長崎に滞在した。
亀山社中を結成する。
土佐藩の参政・後藤象二郎と会談し脱藩を許され、海援隊隊長となる。 -
肥前長崎丸山廊中之風景
この絵は江戸時代後期に歌川貞秀によって書かれた花街丸山の模様です。
左下の門は花街の入り口にあたる二重門(丸山町交番あたり) -
梅園身代り天満宮への入り口
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梅園身代り天満宮付近の地図
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梅園身代り天満宮の方へ坂道を上って行く
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梅園身代り天満宮前の鳥居
この鳥居を過ぎると天満宮がある -
梅園身代り天満宮の説明
ここの天満宮は、元禄13年(1700)丸山町乙名安田次右衛門によって創建され、以降丸山町の氏神様として親しまれています。
元禄六年(1693)安田次右衛門が二重門(現丸山交番付近)にて、梅野五郎左衛門に襲われました。そして、自邸に担ぎ込まれたが不思議なことにどこにも傷が無く、身代りに庭の天神様が血を流して倒れていたそうです。その後、この天神様を身代り天神様と呼ぶようになりました。 -
梅園身代り天満宮の案内図
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梅園身代り天満宮
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こじんまりとした天満宮である。周囲には梅の花が咲いており見頃であった。
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梅の玉垣
梅園身代り天満宮には、明治40年頃まで、丸山の遊女や芸者衆が多く参詣していました。「身代り」を「みだい」とよび、自分たちの生活に苦労が無いことをお願いして参詣していました。彼女等は、自分の家で食べた梅干の種を、天神様と呼び、わざわざ持って来ていました。 -
天満宮の横には稲荷神社があった。
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天満宮を裏から見たところ
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愛八
長崎もの人気歌手の草分け芸妓愛八 芸妓愛八は大正から昭和初期にかけて長崎芸妓 の名を全国的にひろめた丸山の姐さん。
古賀十二郎
古賀十二郎は長崎学の基礎を築いた市井の大歴史学者である。郷土史研究家の系譜をたどると必ず十二郎にいきつく。生涯をかけて残した長崎学の著書も膨大である。
小説「長崎ぶらぶら節」は、丸山芸者の愛八(あげはち)と、長崎学の基礎を確立した市井の学者・古賀十二郎が、埋もれていた長崎の歌を発掘する話を縦糸に、愛八の生き様を横糸にして紡がれた見事な作品である。 -
高島秋帆旧宅
国指定史跡 -
高島秋帆について
高島秋帆太夫茂敦(だゆうしげよし)(秋帆(しゅうはん))は街年寄高島家の11代当主です。荻野流砲術を父に学び、鉄砲や砲弾の鋳型をオランダから輸入し、西洋式砲術を研究しました。
また、「天保上書」を幕府に上申し、海防等の備えと西洋の軍事技術の導入を説きました。 -
高島秋帆旧宅
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高島秋帆旧宅
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高島秋帆旧宅
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高島秋帆旧宅を見上げる
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長崎検番
ここに長崎検番の建物があります。かって、丸山遊郭の妓楼であった「松月楼」の建物を 譲り受けたというだけあって、その旧さには圧倒されてしまうほどであります。 -
長崎丸山花街跡の説明
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長崎丸山花街跡
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写真は丸山本通りを望む
明治、大正時代の丸山本通りを示しています。
電柱の本数や道幅、坂道の傾斜は今も変わっていません。 -
料亭 青柳の入り口
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料亭 青柳
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花月の説明
県指定史跡となっている。 -
長崎丸山と花月
江戸時代、長崎の丸山は江戸の吉原、京都の島原とともに天下の三大遊郭とうたわれ栄えた場所です。 花月(引田屋)は、寛永19年(1642)に誕生しました。日本永代蔵では、井原西鶴が「長崎に丸山という所なくば、上方の金銀、無事に帰宅すべし」と当時の繁栄ぶりをうたっております。 江戸から幕末、明治と長崎を舞台に活躍した国際人の社交場でありました。
文人墨客も数多く訪れ、なかでも頼山陽は3ヶ月にわたって逗留し、花月を「養花山館」と名付け、篆刻(てんこく)も残しております。
昭和35年には長崎県の史跡に指定され、全国的にも珍しい「史跡料亭」として営業いたしております。 -
花月の玄関入り口
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花月の建屋
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花月の建屋
史跡料亭としてにぎわっている様子 -
丸山公園より新地橋の方へ引き返す
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旧大徳寺公園より明かりが見える新地橋へ下りていく
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梅香崎神社(天満宮)の由来(旧大徳寺跡)について
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梅香崎神社(天満宮)の鳥居
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