2013/01/13 - 2013/01/13
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ちびのぱぱさん
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「大化の改新」がなんだったのかも、とうの昔に忘れていました。
それが、旅行の下調べをしているうちに、けっこうどろどろした出来事だと知ってショック。
そのうえ、日本食研の「もやしいための素」のコマーシャルに出演していた蘇我入鹿さん(CG加工した絵)が、その犠牲者だったと知って、驚きもさらに倍増。
大化元年(西暦645年)の出来事だったので、大化の改新と呼ぶことも、併せて知りました。
歴史は大好きだったはずが、すっかり忘れているものですね。
ついでに、あの「石舞台」は蘇我馬子(入鹿のおじいさん)の墓だろうという話もあって、それなら、レンタカーを借りて自分の目で歴史ロマンを見てみようと思いました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー Peach
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最近、もっぱら、かの卑弥呼の墓ではないかと噂されている、箸墓古墳が、いかにもなぞめかして、静かに横たわっています。
訪れる人とて、いません。
JRでゆけば、桜井線の巻向(まきむく)駅で降りて、10分ほど歩けばたどり着けます。
わたしたちは、大阪は難波近くのホテルを朝6時に出て、美章園という駅の近くにあるニコニコレンタカーで車を借りて、やってきました。
大阪の長原ICから高速に乗り、途中から「南阪奈道路」に入り、トンネルをぬけると、眼下に奈良盆地を見渡すようになります。
この辺りが、古からの人が行き来した、竹内峠でしょうか。
奈良盆地にはかすかに霞がたなびき、大和三山や三輪山が浮き上がっています。
「うまし国」という言葉が、ごく自然に頭に浮かびました。 -
まだ、朝の8時過ぎですから、日陰に沿って白い霜が残っております。 -
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かの有名な「三国志」のなかに、東夷伝倭人条があり、そこでかすかに触れられている邪馬台国の卑弥呼。
まさに、靴の上から水虫をかくような、当時の日本。
ちょうどその頃に作られた、この大型の前方後円墳。
全長280mというサイズからして、一般の首長のものではないということは、素人でも分かります。
巨大墳墓の歴史はここから始まり、仁徳天皇陵で最高潮を迎えたのだそうです。 -
時間とは、いったいなんでしょう。
わたしの頭で考えても、どうもよく分かりません。
ときおり人は、時間を川の流れにたとえます。
かのアインシュタイン博士は、時間というものは、かならずしもいつも同じ早さで流れるわけではないと言いました。
なるほど、目の前のこの大和川も、五月雨を集めれば、このように三輪山を川面に映して、たゆたゆと流れたりはしないでしょう。
なるほど、楽しいことをしているとき、時間はあっという間に過ぎ去ります。
その時間という名の川の上流で何があって、この水は流れ下っているのでしょう。
ときおり、むしょうにその上流を覗いてみたくなりますが、ずっと見通しの良い川もあれば、この川のように蛇行し、遮蔽し、視界が届かないこともあります。
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箸墓古墳からほど近いところに、大和川が流れ、その向こうに出雲族の聖地、三輪山がひかえています。
出雲族と天孫族とのあいだには、どんな出来事があったのでしょう。
大和川は流れ流れて、仁徳天皇陵のすぐ北を通って大阪湾に注いでいます。
飛鳥の時代、額田王は、近江への遷都に際して、この山のことを未練たっぷりに歌っています。
味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 情なく 雲の 隠さふべしや
味酒(うまさけ)の三輪山…… ですか。
今日のように、いい天気だったんでしょうかね、遷都の日は。
これまた不勉強でしたが、いにしえの朝廷は、実に頻繁に遷都していたようです。
平安京に移り、やがて朝廷が実権を失ってゆくにつれ、遷都する理由もなくなったんでしょうか。 -
大化の改新は、蘇我一族の横暴を誅し、政治に一大改革をもたらそうとした中臣鎌足(のちの藤原鎌足)と、中大兄皇子とがあい謀ったものでした。
県道(15号線)を、ニコニコレンタカーで走っていると、藤原鎌足の生家はコッチとかかれた表示が出ていました。
畑の中のあぜ道に、毛の生えたような道です。
サイクリングロードといった方が、わかりやすいでしょう。 -
大原神社です。
藤原家の大原の里です。 -
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神社の奥に細道があって、その先に -
井戸というものは、長く残っていることが多いのですが…… -
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神社の前に歌碑があります。
万葉集……
つくづく、文字というものは、そして歌というものは、すごいものだと思います。
千四百年前の人の息づかいまで、伝わってきます。 -
わが里に大雪降れり 大原の古りにし里に降らまくは後
壬申の乱を制して天皇となった大海人皇子が、夫人である、大原の里の鎌足の娘に送った歌です。
大原はすぐ近くなのに、ど田舎のあなたの家に雪が降るのは「後」とは、おもしろい!
「降る」を「古る」とかけているのも、面白い。
それに対する藤原夫人の返歌は
わが岡のおかみに言ひて落(ふ)らしめし雪のくだけし其処に散りけむ
うちの神様に言って降らせた雪が、くだけてそっちに散ったのね、という。
ますますもって、おもしろい!!
なんで、万葉集の和歌というのはこれほど面白いのでしょう。 -
写真奥には、飛鳥寺が写っていますが、この辺りに車で来るのはあまりお勧めできないと思いました。
レンタカーのヴィッツも写っていますが、その脇は、自転車がかろうじて行き交える程度なのです。
その先に至っては、絶対車は通れない、という妻を説得して、何とか通り抜けた次第です。(なぜか、妻がハンドルを握っておりました) -
で、この灯籠のようなものが、蘇我入鹿の首塚です。
奢れるものも久しからず
人間、謙虚に生きなければいけませんね。
なぜか、日本食研のコマーシャルが頭から離れません。
http://www.youtube.com/watch?v=V0O5R_wJKTg -
この石舞台は、蘇我氏の横暴を戒める意味で暴かれた、蘇我馬子の墓だと言います。
立派ですね。
聖徳太子も蘇我氏系列ではなかったでしょうか。 -
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内部に入ると、その大きさに、さらに驚かされます。 -
このような石棺が入っていただろうということです。 -
石舞台のところで県道15号と分かれて155号を行くと、ごらんのような棚田が見られます。
味酒は、今も昔も…… -
さらに進むと、紅葉の名所、談山神社。
この裏の山で、中大兄皇子と中臣鎌足は、蘇我入鹿誅殺の計画を練ったのだとか。
でも、もう、とっくに紅葉は終わっていました。
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