2011/02/18 - 2011/02/25
358位(同エリア528件中)
Tatsuoさん
- TatsuoさんTOP
- 旅行記116冊
- クチコミ12件
- Q&A回答2件
- 119,487アクセス
- フォロワー11人
イタリアのナポリとフィレンツェという対照的な2つの都市を訪問。
南イタリアの明るい日差しのもと活気あふれるナポリと、貴族的な雰囲気の芸術あふれるフィレンツェ、それぞれの魅力を満喫しました。
【1】ナポリの街歩き
>【2】ポンペイで古代ローマのすごさを実感
【3】陽光あふれる
アマルフィとポジターノの絶景
【4】カプリ島、青の洞門は見れなかったが
代わりの絶景があった!
【5】フィレンツェは街自体が芸術
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【2】二日目はポンペイ観光。紀元79年にベスビオ山が噴火し、その火砕流で一瞬にして飲み込まれて封印された街です。以前ローマ近郊のオスティア遺跡を見ましたが、こちらは一瞬にして時が止まった街で生活の実感があり、犬のモザイクや剣闘士の養成所跡などポンペイ独特の遺跡もあって十分楽しめました。ローマの様子に現実感が増し、凄さと現代との近さをなお一層実感した一日でした。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
パンはパン屋で
http://roman-ruins.com/bakery/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1】2/18 成田=
2/19 (パリ経由)=ローマ=ナポリ
ナポリ観光
>【2】2/20 ポンペイ観光
【3】2/21 アマルフィ海岸観光
【4】2/22 カプリ島観光
ナポリ=フィレンツェ
【5】2/23 フィレンツェ観光
2/24 フィレンツェ=ローマ
2/25 ローマ=(パリ経由)=成田
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
駅前のせいか、夜も人の声や車の音が絶えることがなく、かなりの騒々しさでした。
朝ホテルの窓から外を見ると、雲はあるもののまあまあの天気のようです。
今日は日曜日とあって、駅前では観光客がバンや観光バスに乗り込んでいます。
天気予報では明日が快晴なのでアマルフィ行きに充てることにして、今日は天気が良くなくても差し支えのないポンペイを見に行くことにします。スターホテルズ テルミナス ホテル
-
ポンペイ行きのチルクムヴェスヴィアーナ鉄道(ベスビオ周遊鉄道)は、イタリア鉄道ナポリ中央駅の地下にあるNapoli Piazza Garivaldi(ナポリ・ガリバルディー広場)駅から出ます。
ホームに向かう地下通路の途中に小さなコーヒーショップがあり、たくさんの人がコーヒーを飲んで行きます。小さめのカップで煽るようにのどにコーヒーを流し込むといった慌ただしい飲み方です。 -
この電車は昨日買った3日間有効のカンパニア・アルテカードで乗ることができます。改札は日本のものとはだいぶ違う形の自動改札で、このカードもバーコードを読ませて通れました。
ホームに9:41発ソレント行きの列車が入ってきました。
意外なことに時間通りです。ナポリ ガリバルディ駅 駅
-
定刻に出発し、こまめに地元の駅に止まっていきます。
ポンペイと同じように噴火で埋もれたエルコラーノの辺りではベスビオ山が左の間近に迫っています。今噴火したら大変です。電車はさらに進み、ベスビオ山は後方に遠ざかってしまいました。
ナポリから30分でポンペイに到着。
イタリアらしい落書きだらけの電車は、この先ソレントまで行きます。ヴィッラ ディ ミステリ駅 駅
-
駅名は「Pompei ScaviーVilla dei Misteri」、「ポンペイ遺跡―秘儀荘」です。
降りた人はほとんどがポンペイ遺跡に向かっています。日曜日なのでかなりの人出です。ヴィッラ ディ ミステリ駅 駅
-
駅のすぐ近くにある遺跡の入り口を入ると向こうの高台に遺跡が広がっています。
坂を登って町の入口の門ポルタ・マリーナをくぐり、遺跡に足を踏み入れます。
ポルタ・マリーナというのは「海浜門」という意味で、かつてはすぐそこまで海だったのです。ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ アヌンツィアータの遺跡地域 史跡・遺跡
-
海を臨む斜面には邸宅が並んでいました。
以前西洋美術館で開催された「古代ローマ帝国の遺産展」でこのような邸宅の色鮮やかな壁画の現物や邸宅の再現映像を見ましたが、当時の生活の豊かさは想像をはるかに超えていました。 -
ポルタ・マリーナを入ってすぐ右側にウェヌス神殿があります。
ウェヌスとはローマの神で、愛と美の女神、つまりビーナスです。紀元前89年にポンペイを征服して植民都市にしたスッラによって建てられたものです。 -
その先フォロの西に接してアポロ神殿があります。神殿は基壇だけが残っています。こちらは紀元前6世紀、ローマの支配下に入るずっと以前に創建されたものです。
その後ろにベスビオ山が小さく見えます。ポンペイは桜島や、同じように火砕流に飲み込まれた雲仙のように、ベスビオ山を見上げるような位置にあるとばかり思っていましたが、思っていたよりかなり遠く感じます。ナポリから見たのとさほど変わらないような印象で、実際地図で見ても共に距離はベスビオ山から10km程度で同じくらいです。
これでは当時逃げ遅れた人がいたのもうなずけます。火砕流などという現象も知られておらず、きっと緊迫感がそれほどでもなかったのではないでしょうか。 -
イチオシ
神殿の隣にフォロの広大な空間が広がります。
当時の街の政治と経済の中心地で、この周囲に神殿や議場、市場がありました。
両脇に広場を取り囲んでいた2階建ての列柱が一部残ります。 -
ポンペイの街中に張り巡らされた通りは石畳です。
-
街中には水飲み場が点在しています。
他のローマ都市同様、ポンペイも水道がひかれて豊富な水があふれる豊かな生活でした。 -
フォロの北側には公衆浴場があり、壁面は彫像や浮き彫りで飾られています。
紀元前80年のローマ人入植の際に作られたものです。 -
公衆浴場は大きなものが2つあります。ローマ帝国ではポンペイのような地方都市でも公衆浴場が当たり前の設備でした。
-
イチオシ
ポンペイの象徴とも言えるもの。
空洞に石膏を入れて浮かび上がった、火砕流に埋もれた人の姿です。
苦しそうな顔と手の表情を見ていると、それまでただの歴史上の出来事としか感じられなかったものが、「ああ、本当にあった現実の出来事だったんだ。」と実感として心に迫ってきます。 -
遠近法で描かれた壁画です。
遠近法は中世に一旦忘れ去られ、千数百年後のルネサンスに再度発見されました。当時の知識がいかに現代に近いかがわかります。 -
イチオシ
「悲劇詩人の家」と呼ばれる邸宅の入り口の床には犬の絵と「猛犬注意」の文字のモザイクがあります。セコムのシールのようなものか?
-
イチオシ
ファウノの家という大邸宅に来客用の入り口の床には「HAVE」という文字があります。これは「ごきげんよう」という意味だそう。店先に「いらっしゃいませ」と書いたマットを敷いているようなもので、なんとなく親近感が湧いてきます。
この家の奥にあるペリスティリウム(中庭)の床に、きのう国立考古学博物館で見た「アレクサンドロス大王とダレイオス3世の戦闘図」のモザイクがあったのです。 -
個人の家の玄関を入ったところには四角い「アトリウム」と呼ばれる中庭のような空間があり、中央に水槽があります。もともとは屋根のこの部分だけが開いていて、そこから雨水が落ちて水槽に溜まるようになっていました。
アトリウムの周囲を寝室や書斎などの部屋が取り囲んでいました。
こういう実生活に直接役立たない空間があることが、生活の豊かさを象徴しているように思えます。 -
これはパン屋で、手前は小麦を挽く石臼、向こうにあるのはパン焼き窯です。
2000年前といったら日本は弥生時代。どこでもそのころは自給自足に近い生活をしているようなイメージがありましたが、ローマ帝国ではすでに主食のパンをパン屋で買っていたのです。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
パンはパン屋で http://roman-ruins.com/bakery/ -
テルモポリウム、飲食店のカウンターです。丸い穴にワインを入れた壺を置いて提供していました。
パン屋に飲食店、本当に生活の様子が現代と同じです。 -
これは交差点にある娼館。ポンペイに25件あったそうです。
-
フォロの北側に「Cateria」の看板があったので入ってみました。すると・・・。
-
外観は2000年前の遺跡のようなのに、内部は遺跡の中とは思えないような近代的なカフェテリアです。食べ物や飲み物が豊富にあります。
-
地形を利用して作られた5000席の大劇場です。
-
大劇場の隣に剣闘士の養成所があります。
剣闘士たちは中央の四角い広場で訓練をし、周囲を取り囲んだ部屋で寝起きをしていたのです。目の前の部屋で実際に剣闘士が生活していたのだと思うと、剣闘士の存在に急に現実感を覚えます。
試合が行われるのは東に少し離れたところにある円形闘技場で、試合の時には剣闘士たちがそこまで行進したそうです。剣闘士はアイドルだったので華やかな行進だったのでしょう。 -
これが剣闘士試合が行われた、街の東端にある円形闘技場です。
ローマのコロッセオやニームの闘技場と比べるとだいぶ小さいのですが、それでも2万人収容とのこと。ポンペイの人口が2万人ほどだったそうですから、街の大きさに比してとんでもなく巨大です。周囲の街からも見物に訪れていたのでしょうか。 -
ロレイウス・ティブルティヌスの家には広い庭があり、中央に水路があります。
-
水路の上に神殿の土台のような形の装飾があります。どういう意味があるのでしょうか。
-
街の北西にあるエルコラーノ門を出て当時の墓の並ぶ道を通って少し歩くと秘儀荘があります。
ローマでは街中に墓を作るのが禁止されていて、街を出た街道沿いに立派な碑文を伴った墓が並んでいました。 -
秘儀荘のトリクリニウム(食堂)の壁にはディオニュソスの秘儀を描いたといわれる赤い色の壁画がとてもきれいに残っています。この色使いでは落ち着かない気がしますが、当時の色彩感覚は少し違っていたのでしょうか。
秘儀というのは信者しか知らない儀式のことですが、子どもの成長に合わせていろいろな儀式をする様子が描かれていて面白い壁画です。
この部屋は当時の海岸に面した家の西の外側に入り口がありますが、案内板がなくてたどり着くまでに迷ってうろうろしてしまいました。ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ アヌンツィアータの遺跡地域 史跡・遺跡
-
再びフォロに戻って来ました。
遺跡を夕日が染めます。面白くて結局一日中ポンペイを見て回りました。
古代ローマの様子に現実感が増して凄さを実感し、ますます興味が湧いて来ました。 -
再び意外なことに定刻に来たチルクムヴェスヴィアーナ鉄道(ベスビオ周遊鉄道)の17:37発ナポリ行き電車に乗り、Napoli Piazza Garivaldi(ナポリ・ガリバルディー広場)駅に18:13に到着。
夕食を食べにガイドブックで見た店に行こうと、地下鉄linea2(2号線)で昨日博物館に行く時に降りたP.Cavour(カブール広場)駅に行き店に向かって歩き出しました。街中がいやに静かだと思っていたら今日は日曜日だったことを思い出し、ガイドブックを見たら目的の店は休み。ヨーロッパでは日曜定休はよくあることです。ナポリ ガリバルディ駅 駅
-
仕方ないので近くにあるナポリ大聖堂を見物します。
夜の薄暗い街に飾り気の少ない巨大な聖堂がそびえ立っています。ドゥオーモ (サン ジェンナーロ) 寺院・教会
-
地下鉄駅にもどる途中にピザ屋があったのでここで食事をすることにしました。
ナポリの定番マルゲリータと、隠れた名物らしい揚げたピザを注文。どちらもとても美味しかった。巨大で食べきれませんでしたが、持ち帰りたいというと箱をくれました。
店を出たのは9時。あまり治安の良くないナポリ、日曜で人通りも少ないのでちょっと急ぎ足で警戒しながら帰りましたが、地下鉄はきちんとした身なりの人や観光客も多く乗っていて、意外と危険な様子はありませんでした。
こういう時にやはり駅の近くのホテルは安心です。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
スターホテルズ テルミナス
3.89
この旅行で行ったスポット
ポンペイ(イタリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ イタリア二都訪問−ナポリとフィレンツェ(2011年3月)
0
35