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東武伊勢崎線館林駅下車徒歩約20分、関東入封の徳川家康が江戸を北から護る重点拠点として三河からの譜代重臣、徳川四天王のひとり、榊原康政(さかきばら・やすまさ、1548~1606)を配置した館林城(群馬県館林市城町)を訪問しました。<br /><br />一般に知られているのは徳川家康入封以降ですが歴史的には古く、いわゆる「享徳の乱」が始まる享徳3年(1455)を前後に築城されたようで室町幕府の支援を得た関東管領・上杉顕定(うえすぎ・あきさだ、1454~1510)と与する豪族が古河公方・足利成氏(あしかがしげうじ、1438~1497)に攻勢をかける折、成氏側として赤井氏が館林城攻防で館林城に立て籠もるも結果、赤井綱秀(あかい・つなひで、生没不詳)の降参申し出により館林城は開城となります。<br /><br />その後山内上杉軍が下野から退去する事になり、一度古河から身を引いた足利成氏は再び古河に復帰、合わせて赤井氏も館林城に再度館林城に居を構える事になります。<br /><br />永禄3年(1560)越後の上杉謙信が関東出陣により関東の各地は戦乱の状態が深まります。<br /><br />そして永禄5年(1562)、館林城主赤井文六(あかい・ぶんろく、生没不詳)はかねてより小田原北条氏に誼を通じていた為、上杉軍の攻撃を受け防御に耐え切れず開城し、謙信は赤井氏に替り長尾景長(ながお・かげなが、1469~1528)を上杉方として入城させます。<br /><br />その後の関東状況の変化として上杉氏の関東からの撤退、武田氏の滅亡によって政治環境が大きく変わり、更に小田原北条氏の攻勢が一層強まり長尾氏は館林城を明け渡し足利に退去、以降北条氏重臣が城代として入城しますが天正18年(1590)の小田原城包囲と開城の後、豊臣秀吉派遣軍の攻撃により落城となります。<br /><br />地勢的には西から東に流れる鶴生田川(つるうだがわ)が東に落ちて湖沼である城沼の位置から西北部の突端部に館林城が築城されており、いわゆる湖沼の先端部に造られた平城といえます。<br /><br />城の規模については、一時的に小田原北条氏による城郭の整備・拡張がなされ、江戸時代創建期には家康の後押しを得て更なる城郭の整備に努め、合わせて近世城下町の体裁が造られ、またその後の歴代城主も幕府の意向を踏まえて多大の事業を行ってついに明治維新を迎えます。<br /><br />維新後は廃城となり、明治7年(1874)の大火でほとんどが焼失したりその後取り壊されたりして現在に至っています。<br /><br />訪問した館林の天気はさすがに真夏日の気候でして、駅前から歩く大通りは歩行者の姿極めて少なく、自分ながら久しぶりに最高気温を感じた次第です。(市役所や街路に「熱中症注意」の幟が見受けられました)<br /><br />館林城は市街化・公園化されており城郭のほとんどは復元されているため特段の印象がなくやや残念な気持ちですが、この訪問により戦国時代における館林城の地理的・政治的な位置付けが理解できた事はささやかな喜びでした。

上野館林 利根川を抑える要所として越後上杉・甲斐武田・小田原北条の絶え間ない攻防が続き家康関東入封後は徳川四天王榊原10万石の『館林城』訪問

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2012/08/26 - 2012/08/26

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滝山氏照

滝山氏照さん

東武伊勢崎線館林駅下車徒歩約20分、関東入封の徳川家康が江戸を北から護る重点拠点として三河からの譜代重臣、徳川四天王のひとり、榊原康政(さかきばら・やすまさ、1548~1606)を配置した館林城(群馬県館林市城町)を訪問しました。

一般に知られているのは徳川家康入封以降ですが歴史的には古く、いわゆる「享徳の乱」が始まる享徳3年(1455)を前後に築城されたようで室町幕府の支援を得た関東管領・上杉顕定(うえすぎ・あきさだ、1454~1510)と与する豪族が古河公方・足利成氏(あしかがしげうじ、1438~1497)に攻勢をかける折、成氏側として赤井氏が館林城攻防で館林城に立て籠もるも結果、赤井綱秀(あかい・つなひで、生没不詳)の降参申し出により館林城は開城となります。

その後山内上杉軍が下野から退去する事になり、一度古河から身を引いた足利成氏は再び古河に復帰、合わせて赤井氏も館林城に再度館林城に居を構える事になります。

永禄3年(1560)越後の上杉謙信が関東出陣により関東の各地は戦乱の状態が深まります。

そして永禄5年(1562)、館林城主赤井文六(あかい・ぶんろく、生没不詳)はかねてより小田原北条氏に誼を通じていた為、上杉軍の攻撃を受け防御に耐え切れず開城し、謙信は赤井氏に替り長尾景長(ながお・かげなが、1469~1528)を上杉方として入城させます。

その後の関東状況の変化として上杉氏の関東からの撤退、武田氏の滅亡によって政治環境が大きく変わり、更に小田原北条氏の攻勢が一層強まり長尾氏は館林城を明け渡し足利に退去、以降北条氏重臣が城代として入城しますが天正18年(1590)の小田原城包囲と開城の後、豊臣秀吉派遣軍の攻撃により落城となります。

地勢的には西から東に流れる鶴生田川(つるうだがわ)が東に落ちて湖沼である城沼の位置から西北部の突端部に館林城が築城されており、いわゆる湖沼の先端部に造られた平城といえます。

城の規模については、一時的に小田原北条氏による城郭の整備・拡張がなされ、江戸時代創建期には家康の後押しを得て更なる城郭の整備に努め、合わせて近世城下町の体裁が造られ、またその後の歴代城主も幕府の意向を踏まえて多大の事業を行ってついに明治維新を迎えます。

維新後は廃城となり、明治7年(1874)の大火でほとんどが焼失したりその後取り壊されたりして現在に至っています。

訪問した館林の天気はさすがに真夏日の気候でして、駅前から歩く大通りは歩行者の姿極めて少なく、自分ながら久しぶりに最高気温を感じた次第です。(市役所や街路に「熱中症注意」の幟が見受けられました)

館林城は市街化・公園化されており城郭のほとんどは復元されているため特段の印象がなくやや残念な気持ちですが、この訪問により戦国時代における館林城の地理的・政治的な位置付けが理解できた事はささやかな喜びでした。

交通手段
JRローカル 徒歩
  • 館林城跡周辺地図<br /><br />城跡は館林駅に近く交通の要地でもあったことから城郭は既に市街化された中に一体となっている状況です。

    館林城跡周辺地図

    城跡は館林駅に近く交通の要地でもあったことから城郭は既に市街化された中に一体となっている状況です。

  • 館林城跡石標<br /><br />道路から館林城跡三の丸に入口に石標が現れます。既に公園化されていまして、文化会館が内部に建てられています。

    館林城跡石標

    道路から館林城跡三の丸に入口に石標が現れます。既に公園化されていまして、文化会館が内部に建てられています。

  • 土塁<br /><br />三の丸に入りますと早速右手に土塁が現れます。公園化されている事から当時の雰囲気に合わせた造作と思われます。<br /><br /><br />

    土塁

    三の丸に入りますと早速右手に土塁が現れます。公園化されている事から当時の雰囲気に合わせた造作と思われます。


  • 土塁<br /><br />広々とした三の丸周辺は土塁に囲まれて、真に迫る印象があります。

    土塁

    広々とした三の丸周辺は土塁に囲まれて、真に迫る印象があります。

  • 三の丸土橋門案内

    三の丸土橋門案内

  • 三の丸土橋門(内側)<br /><br />復元された土橋門内側周辺には左右に土塁が施されています。

    三の丸土橋門(内側)

    復元された土橋門内側周辺には左右に土塁が施されています。

  • 三の丸土橋門(外側)<br /><br />土橋門の外側に出ますと門の左右にも土塁が盛られています。

    三の丸土橋門(外側)

    土橋門の外側に出ますと門の左右にも土塁が盛られています。

  • 三の丸土橋門周辺<br /><br />土橋門外側から右方向に土塀に合わせて土塁が走っています。

    三の丸土橋門周辺

    土橋門外側から右方向に土塀に合わせて土塁が走っています。

  • 三の丸土橋門(外側)

    三の丸土橋門(外側)

  • 三の丸土壁と古井戸<br /><br />

    三の丸土壁と古井戸

  • 三の丸土塁<br /><br />外側から見た土塁で、土塁に沿った小道とその外側には駐車場があり、かつては堀であったと思われます。

    三の丸土塁

    外側から見た土塁で、土塁に沿った小道とその外側には駐車場があり、かつては堀であったと思われます。

  • 二の丸周辺<br /><br />館林城跡二の丸の中に市役所が在ります。

    二の丸周辺

    館林城跡二の丸の中に市役所が在ります。

  • 本丸土塁<br /><br />広々とした敷地の奥に樹木が集まっています。

    本丸土塁

    広々とした敷地の奥に樹木が集まっています。

  • 本丸土塁<br /><br />

    本丸土塁

  • 本丸土塁<br /><br />この場所は本丸土塁の南側一部だそうで館林城に関する貴重な遺跡となっています。

    本丸土塁

    この場所は本丸土塁の南側一部だそうで館林城に関する貴重な遺跡となっています。

  • 本丸土塁上<br /><br />土塁の上から周辺を見渡します。余りにも周辺がが広いです。

    本丸土塁上

    土塁の上から周辺を見渡します。余りにも周辺がが広いです。

  • 本丸土塁上

    本丸土塁上

  • 本丸土塁説明板<br /><br />

    本丸土塁説明板

  • 本丸土塁<br /><br />説明板から土塁を見上げます。

    本丸土塁

    説明板から土塁を見上げます。

  • 天満宮鳥居<br /><br />

    天満宮鳥居

  • 天満宮<br /><br />この天満宮は武家の守神として、または城の守護神として、館林城の八幡廓に奉られ歴代城主の厚い崇拝を受けていたそうです。

    天満宮

    この天満宮は武家の守神として、または城の守護神として、館林城の八幡廓に奉られ歴代城主の厚い崇拝を受けていたそうです。

  • 天満宮説明板

    天満宮説明板

  • 天満宮土塁<br /><br />天満宮北側に土塁の一部が認められます。<br /><br />

    天満宮土塁

    天満宮北側に土塁の一部が認められます。

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