2012/08/17 - 2012/08/17
181位(同エリア4761件中)
エンリケさん
日本を発ってから8日目。
首都ソフィアから始まったブルガリア横断の旅を終え、黒海沿岸の街ブルガスから、夜行バスに乗ってついにトルコ・イスタンブールへ。
たどりついたイスタンブールは真夏の灼熱の気候でしたが、ブルガリアの田舎っぽい都市とは違うその大観光都市ぶりに楽しい気分が湧きあがってきます。
そして観光の第一歩は、かつてビザンツ帝国(東ローマ帝国)時代はギリシャ正教会の大聖堂、そしてオスマン帝国時代はイスラム教のモスク(ジャーミィ)として使われていたアヤソフィア博物館へ。
世界史上、キリスト教、イスラム教という異なる宗教を掲げる二つの大帝国の信仰の中心となり、両時代を生き抜き現代にも引き継がれたその壮麗な建物の姿に大感動。
世界史好きなら誰もがあこがれる歴史ある大聖堂をついに訪問することができ、イスタンブールの旅の大満足のスタートとなりました。
<旅程表>
2012年
8月10日(金) 成田→ソウル→モスクワ→ソフィア
8月11日(土) ソフィア
8月12日(日) ソフィア→リラ→ソフィア
8月13日(月) ソフィア→プロヴディフ
8月14日(火) プロヴディフ→ヴェリコ・タルノヴォ
8月15日(水) ヴェリコ・タルノヴォ→ヴァルナ→ブルガス
8月16日(木) ブルガス→ネセバル→ブルガス→
○8月17日(金) →イスタンブール
8月18日(土) イスタンブール→
8月19日(日) →ソウル→成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- アシアナ航空 アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
8月16日(木)
23時30分に黒海沿岸のブルガリア第四の都市ブルガスを発った夜行バスは、トルコの最大都市イスタンブールを目指して南下を続けます。
(ブルガス〜イスタンブール間は330kmで60Lv=3,000円) -
最後部の座席から見た夜行バスの中はこんな感じ。
ブルガスのメトロ(metro)社のオフィス前を発った後、すぐにどこかもう1か所(ブルガスのアフトガーラ・ユク(南バスターミナル)前?)に寄り、乗客は50名ほどになって車内は満席に。
少しすると、女性の乗務員(トルコ人かもしれませんが、普通の欧米系の乗務員と同じような制服を着ており、スカーフはしていません。)が座席にまわってきて、甘そうなお菓子を渡された後、“Coffee or Tea?”と聞かれます。
ここは紅茶を注文。
甘いお菓子は寝る前なので食べる気にもなれず(笑)、冷房の効いた車内で熱い紅茶をすすります。
少しすると車内は暗くなり、乗客は皆眠りに落ちていきます・・・。 -
座席の前にはテレビを見たり音楽を聞いたりできるこんなモニターもありますが、これまでのブルガリアの旅で疲労しまくっていたので、眠くて眠くてとてもいじる気になれず・・・いつの間にかわたしも深い眠りに落ちます。
-
8月17日(金)
1時30分、車内がざわつき始めたのを感じて目が覚めます。
窓の外を見ると、EUを表示するゲートがあり、どうやら、ブルガスから85km走ったところにある国境の町、マルコ・タルノヴォ(トルコ側はデレキョイ)に到着したようです。
バスはしばらくこの場に停車し、やがて女性の乗務員がパスポートを回収しにきました。
パスポートを渡してこれまたしばらくすると、一人一人パスポートを返されますが、パスポートにはスタンプも何も押されておらず・・・単に人数を数えるために回収されたのでしょうか??
その後またしばらくしてバスを降りるよう指示され、荷物検査のゲートをくぐり(X線検査のみで中身を開けられることはありませんでした。)、すぐ脇にある建物で窓口に並んで出国&入国審査。
窓口では特に何も聞かれず、パスポートにスタンプを押され(車のマークがついたEUのスタンプは初めて)、ようやくブルガリア出国&トルコ入国完了です。
すぐ隣には小さなレストランもあり、夜食をとっている人もいましたが、わたしは何も食べる気になれず、そのまま国境を越えたところに移動していたバスに戻ります。
そして2時15分、乗客全員が戻ったバスはデレキョイを出発。
国境通過に1時間近くかかりましたが、全員が無事通過できたようで、皆バスに揺られながら再び眠りに落ちていきます・・・。 -
5時40分、イスタンブールに近づいたのを感じ、目が覚めます。
日本で夜行バスに乗ると、姿勢や周りの音などが気になってなかなか眠れないのですが、今回の夜行バスは、これまでの旅で相当疲れていたせいか、周りのことも気にならず思ったよりぐっすり眠れました。
・・・窓の外では東の空が少し赤くなって、夜が明け始めてきたようです。 -
だいぶ明るくなってきた6時、イスタンブールのエセンレル・オトガル(長距離バスターミナル)に到着です。
ここはもうブルガリアではなくトルコの地。
バスを降り、土産物屋など売店が並ぶターミナルの建物に入ると、開店前でしたがブルガリアでは感じられなかった大都市の雰囲気が伝わってきます。
建物内にあるATMでトルコリラ(TL)を200ほどキャッシングし(1TL=45円として9,000円)、街なかへ出るべく地下鉄(メトロ)へ。 -
ところが地下鉄への入口がなかなか見つからず・・・。
エセンレル・オトガルは案内標識がほとんどなく、慣れない旅行者にとっては非常に分かりにくい構造になっているようです(ATMを探すのも一苦労でした。)。
一度建物を出てターミナルの端に行ってみると・・・朝日を浴びて真っ赤に輝くミナーレ(ミナレット)のある街並みが見えてきました。
ブルガリアよりも異国情緒が漂う街並みに興奮。
早くあの街を歩いてみたいという気持ちが湧きあがってきます。 -
そして外からようやく線路を発見。
この下に地下鉄の入口があるはず!
再び建物の中へ入り、地下への階段を見つけて降りていきます。 -
ようやく見つけた地下鉄の入口では2TL(90円)を払ってジェトン(コイン形のプラスチックの切符)を購入し、自動改札機を通ります。
プラットフォームはきれいで日本の地下鉄のような感じ。
ブルガリアを旅した後ではトルコがかなりの先進国に見えてしまいます(笑)。
そして6時30分、地下鉄に乗り込み、終点のアクサライでトラムに乗り換えて(2TL)、予約したホテルのあるスルタンアフメットを目指します。
乗り換えの時、トラムの場所や切符の買い方について駅の係員に尋ねましたが、無表情でそっけない返事・・・何かを尋ねれば最後まで親切に教えてくれるブルガリアが懐かしくなったかも。 -
7時過ぎ、イスタンブール旧市街の歴史地区の中心地、スルタンアフメットに到着。
駅を出てホテルのある南の方角へ向かうと・・・まだ早朝で人影もまばらな広場の向こうに、6本の鋭いミナーレを従えるスルタンアフメット・ジャーミィ(通称ブルーモスク)の勇姿が目に入ってきました。
まだ寝惚け眼ですが、写真をとらずにはいられません(笑)。 -
そしてスルタンアフメット・ジャーミィの北の方向にはアヤソフィアが。
遠方ですが、これまた写真をとらずにはいられなくなり、またまたパチリ。
両建物の位置といいシルエットといい、何度も写真で見て思い描いていたイスタンブールの風景そのまんまです。 -
アヤソフィアに近づきたいのはやまやまでしたが、重い荷物も持っていたし、とりあえずホテルへ向かいます。
スルタンアフメット駅の南にある広場を通っていきますが、ここにもオベリスクなど様々なモニュメントがあり、立ち止まってパチリ。
この広場は実はローマ帝国時代(ビザンツ帝国(東ローマ帝国)時代を含む)には“ヒッポドローム”と呼ばれていた大競技場跡で、当時は縦500m、横117mの競技場があり、市民への見せ物として戦車競技などが行われていたそうです。
現在も残る写真のオベリスクは“テオドシウス1世のオベリスク”と呼ばれ、ローマ帝国を東西に分割した皇帝テオドシウス1世が390年にエジプトから取り寄せたものですが、もとはルクソール(旧テーベ)のカルナック神殿にあったトトメス3世(在位:紀元前1479頃-25頃、エジプト新王国時代最大の版図を築いたファラオ)のもの。
今から3500年も前のものにしては保存状態が信じられないくらい良好ですね。
後ろにある10世紀の皇帝コンスタンティヌス7世が造らせたオベリスクが、表面の装飾がはげてしまって石積みがむき出しとなり、ぼろぼろなのに比べると、その美しさが際立って見えます。 -
7時30分、ヒッポドローム近くにあるホテル、レディ・ダイアナ・ホテル(Lady Diana Hotel)に到着。
屋上のレストランからアヤソフィアとスルタンアフメット・ジャーミィが見られるというので、事前に日本からネットで予約した、1泊約1万円とこの旅でいちばん高くついたホテルです。
実際泊まってみると、確かに屋上のレストランからの眺めは素晴らしかったですが(レストランでの朝食も美味しかったです。)、部屋自体は外の景色が拝めず、狭くてイマイチでした・・・。
さて、まだこの朝の時点では客室はいっぱいというのでチェックインできず。
前日から汗をたくさんかいて気持ち悪かったため、部屋に入ってシャワーでも浴びたい気分でしたが、仕方ないのでひとまず荷物を預かってもらって観光にくりだすことにします。 -
ホテルのロビーで少し休んだ後の8時、アヤソフィアへやってきました。
言わずと知れた、ビザンツ帝国時代(395〜1453年)には聖ソフィア大聖堂、オスマン帝国時代(1453〜1922年)にはアヤソフィア・ジャーミィとして、それぞれの帝国とともにキリスト教とイスラム教双方を代表する宗教施設ともなった、世界史的にも類まれな建造物です。
オスマン帝国時代に付け加えられた4本のミナーレがイスラミックな雰囲気を醸し出していますが、巨大なドーム構造をした本体の建物は537年に建築されたもので(その後何度かのドームの崩落事故に伴い修復)、ギリシャ正教の大聖堂として使われていたビザンツ帝国時代のものが今日まで引き継がれています。
しかしこの朝の時間帯は建物の正面(南側)が陰になってしまって写りがイマイチ・・・。 -
アヤソフィアの反対側(広場の南西側)にはスルタンアフメット・ジャーミィ。
オスマン帝国第14代のスルタン(皇帝)、アフメット1世が建築家メフメト・アーに命じて1616年に造らせた、トルコで最も美しいと言われているモスクです。
アヤソフィアと違ってこちらは順光。
淡いグレーを基調としたドームが青空に映えて美しいです。
それにしてもスルタンアフメット・ジャーミィのシルエットはアヤソフィアにそっくり。
1453年にビザンツ帝国を滅ぼしてこの街を手に入れたオスマン帝国が聖ソフィア大聖堂を壊さずにモスクとして転用したのは、オスマン帝国がビザンツ帝国ほどの建築技術をもっていなかったということもあるでしょうが、宗教は違えど模倣してみたくなるような普遍的な美しさを聖ソフィア大聖堂が備えていたからなのでしょうね。 -
現在はキリスト教の大聖堂でもイスラム教のモスクでもなく、この街の数奇な歴史を伝える博物館となっているアヤソフィアの開館は9時から。
入口には並んで待つことの好きな日本人を中心に(笑)少しずつ列ができ始めています。
しかしブルガリアでは7日間で数人しか見かけなかった日本人がここイスタンブールではたくさん。
イスタンブールは大観光都市だなと改めて認識すると同時に、今まで欧米人ばかりに囲まれて一人ぼっちだったため、なんだか同胞がいるという安心感も湧いてきました。
一緒に列に並んでいた、カッパドキアに行っていたという一人旅の日本人の男性と久しぶりに日本語で会話。
ロンドンオリンピックで男子サッカーが韓国に負けたこともここで初めて知りました・・・。 -
9時になり、列が進んでいよいよ入場。
入場料は25TL(約1,100円)と、ブルガリアの低い物価に慣れてきた身にとってはぼったくりレベルです(笑)。
西側にある入口から入り、二重になっているナルテックス(玄関廊)を突っ切っていくと・・・。 -
薄暗い中にも、たくさんの小さい窓からの光が差し込み、数々のシャンデリアの光と相まって、黄色の壁がまるで金色に輝いているような厳かな空間が姿を現しました。
アヤソフィアの堂内です。
思い描いていた以上の荘厳さに、思わず“おおっ”と声を上げてしまいます。
堂内に入った途端、写真を撮りまくりです。
・・・このアヤソフィアは奥行きが約80m、幅は約70mあり、普通の建築物ならば何の展示品もない空間だとがらんとした印象を受けてもおかしくないはずなのですが、そんなことを一切感じさせず、むしろ圧迫さえ感じる堂内にただただ驚くばかりです。 -
天井を見上げると、高さ50mの巨大なドームの中央にはアラビア文字が。
中段にはやはりアラビア文字が書かれた円盤も架けられています。 -
そして南東を向いている正面のアプス(至聖所)には、上に聖母子像、下にメッカの方向を指すミフラーブ。
右側にはイスラム教徒が金曜の集団礼拝で用いる説教壇、ミンバルもあります。
キリスト教とイスラム教が同居した、何とも不思議な建物・・・それはこのイスタンブール(ビザンツ帝国時代はコンスタンティノープル)という街の歴史でもあるのでしょう。 -
アプスの上部、半ドームに描かれた聖母子のモザイクをズームアップ。
端整な表情で玉座に腰をおろしているその姿から非常に高貴な印象が伝わってきますが、同時に、母子ともに真っ直ぐ正面を向かず、少し目をそらしたその表情からは、日本人にも共感できる奥ゆかしさも感じとることができます。
もともとキリスト教は偶像崇拝を禁じていたため、6世紀の創建当時の聖ソフィア大聖堂にこのような聖像は一切描かれていませんでした。
しかし、偶像崇拝の可否をめぐって古代ギリシャ以来の“表現できる神”の伝統に根ざした聖像擁護派と、原理主義の聖像禁止派の争いが起こり、最終的にはイコン崇敬を通じて庶民にも浸透していた聖像擁護派が勝利を収めます。
この聖母子のモザイクはそんな聖像崇拝を巡る争いが終わった後の870年頃、ミカエル3世とバシレイオス1世の共同統治帝の寄進により製作されたものと考えられています。
・・・その後、時代はずっと下って1453年、オスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼした際、時の青年皇帝メフメト2世(征服帝)は、ビザンツ帝国の遺産であった聖ソフィア大聖堂をイスラム教のモスクに改修するよう命じましたが、これらキリスト教を象徴するモザイクをはがすようなことはせず、上からしっくいで塗りこめさせました。
メフメト2世は現代のような歴史や宗教を客観的に観賞できる時代が来ることを予期していたのか、異教の美しいモザイクを壊さずにそっと隠しておいてくれたことは、後世の我々にとっては本当にありがたい限りですね。
そういう意味では、メフメト2世は“千年の都”コンスタンティノープルを武力で征服しただけでなく、聖ソフィア大聖堂の建物自体をモスクに引き継いだり、その壁画をそっと後世に残したりするなど、征服地の文化にも理解を示した真に偉大な皇帝であったと言うことができるかもしれません。 -
側廊の柱の陰から見る中央の身廊もまたいい感じです。
・・・堂内はどこから見ても身廊の壁に架かるアラビア文字の円盤が目立ちます。
知り合いのムスリムにアヤソフィアの堂内の写真を見せたところ、各円盤にはムハンマド、アリー、フセインなど、ムスリムの指導者の名前が書かれているそうで、ムスリムの方にとっては、アヤソフィアを訪れると我々とはまた違った感慨が湧き起こるのでしょうね。 -
側廊の一角には中央に小さな穴の開いたこんな柱が。
この小さな穴に指を入れてぐるりと回すと願いがかなうと言われ、洋の東西を問わず観光地によくある仕掛けとなっています(笑)。
わたしも先に試していた欧米系のカップルからやってみるよう薦められたので、ベタですが指を入れてぐるりと回しているところを写真に撮ってもらいました(笑)。 -
さて、続いてはギャラリーなどになっている2階に上がります。
千年以上にもわたって踏みしめられた、こんな雰囲気のあるてかてかな石畳の通路を昇っていくと・・・。 -
外からの光が差し込むこんな明るい回廊へとつながっていました。
建物の西側にあたるこの場所は、“皇后のテラス”(The Loge of Empress)と呼ばれており、かつてビザンツ帝国の皇后がここから身廊で行われる礼拝を眺めていたことに由来するそうです。 -
皇后のテラスから眺めた堂内。
1500年近くの歴史を持つ大聖堂の内部は、年季を感じさせる大理石等の資材に全体としての薄暗さやドームの金色に見える光沢も手伝って、何とも荘厳な様子です。
現在は宗教施設ではなくなってしまいましたが、博物館になってまでこれほどの威厳を保っているとは・・・宗教性がないのに宗教性を感じる、そういう点でいうと、アヤソフィアは今まで見た大聖堂建築の中でいちばん荘厳なものと言えるかもしれません。 -
皇后のテラスを抜けて大聖堂の南側ギャラリーに行くと、有名な“デイシス・モザイク”がありました。
金色の下地から浮き上がるイエス・キリスト、聖母マリア、そして洗礼者ヨハネ。
“デイシス”とは、審判者たるイエス・キリストに対して、聖母マリアと洗礼者ヨハネがわれわれの罪を許すようとりなしてくれているという場面のこと。
現在では半分以上が欠けてしまっていますが、肝心の顔の部分は三人とも無事で、まるでルネサンス芸術のような表情感のある立体的な作風から、このモザイクはビザンティン美術の最高傑作とも言われています。 -
中央のイエス・キリストをズームアップ。
背後に描かれた“IC XC”とは“イエス・キリスト”という意味。
“ビザンティン美術の最高傑作”というにふさわしく、ほかのモザイクよりも整っていて、とても神々しい表情をしています。
このデイシス・モザイクが作成されたのは、文献が伝わっていないため詳細は不明ですが、13世紀、ミカエル8世パレオロゴス(在位1261-82年)がラテン帝国(1204年の第4回十字軍でコンスタンティノープルを陥落させた西欧の騎士団が設立)に奪われていたコンスタンティノープルを奪回したことを記念して作られたとする説が有力となっています。
一方で、このデイシス・モザイクの向かいの壁面には、第4回十字軍を資金面で操り、矛先をイスラムからコンスタンティノープルに向けさせたヴェネツィア総督エンリコ・ダンドロ(1107-1205年)の墓があることから(遺骨は先述のオスマン帝国スルタン、メフメト2世が祖国ヴェネツィアに返還)、エンリコ・ダンドロが自分のために作らせたのではないかとの説もあるようです。
“イスタンブールの大聖堂〜モザイク画が語るビザンティン帝国”(浅野和生著、2003年中公新書)より -
続いては東側、アプスの隣の壁面へ。
朝のこの時間帯は逆光になってしまってしますが、ここには11〜12世紀に作成された二種類のモザイク画があります。 -
まず右側には5名の人物像。
中央に聖母子(The Virgin and the Child)、
左側に皇帝ヨハネス2世コムネノス(Emperor Johannes Komnenos ?)、
右側に皇后イリニ(Empress Iren)、
さらにその右側、壁の側面に後から追加された彼らの息子アレクシオス(Alexios)。
このモザイク画は、12世紀、ヨハネス2世コムネノスとその皇后イリニが即位した記念に聖ソフィア大聖堂に寄進を行い、それを表すために作成した、あるいは教会側がお礼として作成したものと考えられています。 -
中央の聖母子を拡大。
マリアに抱えられた幼いイエスがやんちゃな感じで可愛らしいですが、先ほどのデイシス・モザイクと比べると、やや平面的な印象をぬぐえませんね。 -
そして左側には3名の人物像。
中央に全能者キリスト(Christ Pantkrator)、
左側に皇帝コンスタンティノス9世モノマコス(Constantine ? Monomakhos)、
右側にその皇后ゾイ(Empress Zoe)。
このモザイク画は11世紀に作成されたものですが、人物の顔などが一部改修されており、前述の浅野和生氏の著書“イスタンブールの大聖堂〜モザイク画が語るビザンティン帝国”によると、若めに描かれた皇后ゾイを巡る人間関係のストーリーがあったようで、読んでみるととてもおもしろいです。 -
それによると、ゾイは皇帝コンスタンティノス8世の娘として生まれたが、皇帝には息子がおらず、ゾイの結婚相手を次の皇帝にすることにした。
選ばれたのは貴族のロマノス・アルギロス(ロマノス3世)で、1028年に夫60代、妻50代で結婚した彼らは聖ソフィア大聖堂に寄進を行い、キリストを中心とする皇帝夫妻のモザイクがまず作られた。
ロマノスはゾイを女として顧みなかったため、宦官のイオアニスの仲介で、ゾイは若い愛人ミカエルに首ったけになった。
その後ロマノスは1034年に何者かに暗殺され、ゾイは即座に若い愛人と結婚。彼をミカエル4世として即位させ、共同統治を行うことになった。
ミカエル4世は無能ではなかったが病弱であったため、宦官のイオアニスが、ミカエルの甥で同名のミカエルという男を連れてきてゾイの養子とした。
1041年、ミカエル4世は修道院に入り、甥のミカエルがミカエル5世として即位。ゾイのおかげで皇帝になれたにもかかわらず、ミカエル5世はゾイをないがしろにしたため、ゾイは彼を修道院に幽閉し、単独統治をおこなうことにした。
その後ゾイは妹とともに帝国を統治したが、お互いの反目もあってうまくいかず、三度目の結婚を決意。
1042年に64歳のゾイは老年の貴族コンスタンティノス・モノマコスと結婚。新郎はコンスタンティノス9世となった。
この結果、モザイクにも修正が施され、当初ロマノス3世だった顔がコンスタンティノス9世に改められると同時に、キリストとゾイの顔もそれと調和を図るために修正されたのだという・・・。 -
しかしロマノスの顔だけでなく、なぜキリストとゾイの顔にまで修正が加えられたかについてはいろいろ説があって、単に様式の調和を図るためという説には定まっていないそうです。
浅野和生氏は、最初は皇帝ロマノスの方を向いていたキリストの顔を、ゾイの方に向き直させ、ゾイがキリストとより親密である様子を表現したかったとか、60代のゾイの顔が若々しく見えるのは当時の年代記も記録している事実であるとか、自説も展開していておもしろいです。
“イスタンブールの大聖堂〜モザイク画が語るビザンティン帝国”、ビザンツ帝国の歴史に興味ある方は、ぜひご一読をおすすめします!
・・・さて、1階の身廊は10時近くなって観光客がいよいよ多くなってきました。
同時に、風のない締め切った堂内はかなり蒸し暑く、立っているだけで汗がだらだらと出てきます。
ブルガリア以上に暑いイスタンブールは体力の消耗も激しいです・・・。
8月にトルコ旅行をするのはよほどの覚悟が必要かも。
それでも、帰りにトランジットで立ち寄ったソウルに比べれば、服が汗で体にまとわりつくような不快な蒸し暑さはなく、韓国旅行をするよりはマシかもしれません。
(このときのソウルは李明博大統領が島根県の竹島(韓国名:独島)に上陸した直後、また、オリンピックサッカー男子チームの一人が“独島は我が領土”と書かれたプラカードを掲げた直後で、地元のメディアなどが反日の嵐でしたし、はっきり言っていい思い出がありません・・・。) -
2階ギャラリー部分の北側。
こちらには堂内のモザイクを写真に撮って拡大した数々のパネルが掲げられています。
しかし近くに素晴らしいホンモノのモザイクがあるのにこういう展示をする必要があるのかと疑問に思ってしまいます・・・。
よほど展示のネタがないのでしょうかね。
日本円で1,000円以上の入場料をとっているのだから、もうちょっとアイデアをひねってほしいものです。 -
口直しに1階の身廊部分に再び戻ってきました。
ギャラリーのパネル展示はイマイチでしたが、オリジナルの建物は何度でも繰り返し見たくなるような素晴らしい芸術作品ですね。 -
ナルテックス(玄関廊)の身廊への入口は観光客で大混雑です。
・・・とここで写真を撮っていると、天井近くに、最初入る時は気付かなかった半円状のモザイク画があるのに気付きました。 -
このモザイク(ナルテックス・モザイク)は“キリストと皇帝のモザイク”と呼ばれますが、この、キリストの前にひざまずいて許しを請うような姿をした皇帝が誰かということについては、作成された年代を含め、諸説あるようです。
聖像擁護か聖像禁止かを巡る論争の終結に際し、多数派であった聖像擁護派の勝利を決定づけるため、密かに聖像を崇敬していた皇后テオドラが、禁止派であった夫の皇帝テオフィロス(在位829-842年)の死後、彼が擁護派の総主教から破門されないよう、死の床で悔い改めたということを主張するために作らせたという説。
聖像論争終結後、マケドニア朝を開いた低い農民身分の出自のバシレイオス1世(在位867-886年)が、自分を引き上げてくれた皇帝ミカエル3世を殺害して帝位に就いたことを悔い改めるために作らせたという説。
バシレイオス1世の息子のレオン6世(在位886-912年)が、子どもに恵まれず、正教会の教えに背いて計4回結婚したことを悔い改めるために作らせたという説。
いずれの説も決定的なものとはなっていないようですが、ビザンツ帝国の皇帝にも、現代の人間に通じるようなこんなドラマがあったとは何とも興味深い限りです。 -
中央の身廊だけでなく、ナルテックス(玄関廊)にも観光客があふれ出し、にぎやかになってきました。
ここも年季の入った天井や壁が何とも味があっていいですね。 -
ナルテックスにはアヤソフィアの歴史に関するパネルが順を追っていくつも展示されていました。
写真左上は、1453年5月29日、2か月に及ぶ攻防戦の末、コンスタンティノープルを陥落させ、ビザンツ帝国を滅亡に追いやったオスマン帝国第7代スルタン、メフメト2世(在位1451−81年)。
この攻防戦の様子を描いた塩野七生の小説“コンスタンティノープルの陥落”は、イスタンブールを旅行する者にとって必読の書です。
多少の脚色があるとはいえ、日本人には分かりにくい当時のコンスタンティノープルを巡る周辺諸国の様子が目に見えるように描かれていて、当時の地中海世界への扉を開いてくれます。
その右下はモスクとして使われていた頃の“アヤソフィア・ジャーミィ”。
この建物を世俗化し、キリスト教とイスラム教共通の遺産として、1935年に博物館として開放した共和国トルコの指導者、ケマル・アタテュルクもまた偉かったですね。 -
充実したアヤソフィアの見学もこれで終了、とばかりにナルテックス西側の出口に向かうと・・・外への出口の上に何やらモザイクが。
それでも何か見え方がおかしいと思い、目を凝らしてよく見ると、なんとそれは鏡に映ったモザイク。
観光客たちも皆、反対方向の天井を見ています。 -
振り返ってみると、ナルテックスへの入口の上に、聖母子を中心に4人の人物を表した半円状のモザイク画が展示されていました。
出口の上の鏡は、最後まで素晴らしいモザイク画を見逃さないようにとの配慮なのですね(笑)。 -
このモザイク画も記録が残されていないので製作時期や動機が不明なままとなっています。
中央に聖母子、その右にコンスタンティノープルの街を寄進するコンスタンティヌス大帝(在位306-337年)、左に聖ソフィア大聖堂を寄進するユスティニアヌス大帝(在位527-565年)。
世界史の教科書で習う二人の大帝が描かれているのが興味深いところです。
一説では、様式やモザイク画に書かれた字体から、聖母マリア信仰が高まってきた10世紀頃に作成されたと言われていますが、確証はないそうです。 -
アヤソフィア、最後まで素晴らしい建築様式ともに、人間臭いエピソードに事欠かない歴史あるモザイク画を見られて大満足でした!
写真は、出口の外の通路にある、オスマン帝国時代のスルタンの墓廟。
誰のものかは分かりませんでしたが(セリム2世とその子ムラト3世らか?)、白いターバンが掲げられ、イスラム教の神聖な色である緑色に包まれた棺に、しばし厳粛な気持ちになりました。
しかし外への通路の途中という騒がしい場所にあったのが残念でしたね。
先ほどの2階ギャラリーのパネルと同様、もうちょっと展示上の工夫はできないものでしょうかね。 -
10時15分、1時間ちょっとの見学を終えてアヤソフィアの外へ。
世界史を学んだ高校生の頃から訪れたかった場所と言うこともあり、作成にあまりにも気合を入れ過ぎてこれだけで旅行記が終わってしまいました(笑)。
しかし、歴史好きのみなさんだったら共感してくれるのではないでしょうか。
・・・さて、これでイスタンブール訪問の最大の目的を達成した感はありますが、アジアとヨーロッパ、東西文明の接点となる街イスタンブールの観光はまだまだこれから。
8月の灼熱の日射しがきついですが、欲張って観光を続けていこうと思います!
(引き続きイスタンブール観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (10)
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- kuritchiさん 2013/01/23 07:48:48
- はぁ〜〜っ。。。
- エンリケさん、お久しぶりです!
一度は目にしたい!と思っている アヤソフィア〜♪
もう、夢中で拝見!!!
はぁ〜〜っ。。。。
すばらしい。。。
訪れてみたい気持ちが倍増!です。。
また、じっくりと読み込ませていただきます
kuritchi
- エンリケさん からの返信 2013/02/03 11:30:35
- ご訪問ありがとうございます!
- kuritchiさん
こんにちは。イスタンブール旅行記にご訪問ありがとうございます!
最近はいろいろと忙しくて更新がままなりませんが、読んでくださる方がいるというのは本当にうれしい限りです。
続きもなんとか早いうちにアップしたいと思っていますので、ぜひまた遊びにいらしてください!
-
- サウスピーチさん 2013/01/17 11:46:05
- モザイク画がいっぱいのアヤソフィア
- エンリケさん、こんにちは♪ イスタンブールにお邪魔しています。 ゆっくり味わいながら拝見させて頂きました! (^^;
ブルガリア横断の旅が終わり、そして、今度はトルコへ。
それにしても海外で夜行バス・・・。 勇気ありますね〜。 しかも、日本ですらしない熟睡。(^^;
スルタンアフメット到着早々、写真を撮らずにはいられない気持ち、よ〜く分かります!(^^:
多分、頭で考えるよりも先にカメラのシャッターを押していたんじゃないですか?(笑)
アヤソフィアって2階(皇后のテラス)に行けるんですね、知りませんでした。
今まで何度もアヤソフィアの旅行記は見ていますが、どれも1階から写真のみ。
2階からの方が全体のスケールの大きさがよく分かりますね。
モザイク画の話も面白かったです。 皇帝が変わればモザイク画も変え、そして全体の調和の為、
他の2人の顔も修正されるなんて・・・。
その理由は諸説あるみたいですが、最初のキリストとゾイの顔も見てみたくなりました。
ただ、こちらのキリストは“デイシス・モザイク”の何とも言えない内に秘めた英知と強さみたいなものを感じる
キリストとは随分違いますね。 これはこれでちょっとマンガちっくと言うか、可愛い感じでいいのですが・・・。
それにしてもよく色々と細かく説明されていて、いつも感心させられます。 とても楽しく勉強させて頂いてますよ♪
続きのイスタンブール、楽しみにしています!
サウスピーチ :)
- エンリケさん からの返信 2013/01/19 23:46:30
- いつもご訪問ありがとうございます!
- サウスピーチさん
こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!
海外の夜行バスは初体験でしたが、乗客を見るとごつい男の客はそれほど多くもなく、ご高齢の女性客も何人かいて、思ったより安全な雰囲気で拍子抜けしました。
ブルガリア〜トルコ間のバスはブルガリアのトルコ系住民の利用も多そうで、それほど特別のものではないのでしょうかね・・・。
アヤソフィアは本当に素晴らしい建物でした。
現地では暑くて汗も絶え間なく出てきて、集中力もそれほどではなかったのですが、帰国して写真を整理しているうちに建物やモザイク画の美しさに改めて気付き、こんなふうに気合いの入った旅行記になってしまいました(笑)。
文章ばかりで読みづらい旅行記ですが、評価してくださる方がいて、本当にうれしい限りです。
今回のアヤソフィア編を書き終えて気落ちしてしまったので、次は気の抜けた旅行記になるかもしれませんが(笑)、ぜひまた遊びにいらしてください!
-
- 川岸 町子さん 2013/01/15 22:07:42
- 大好きな街 イスタンブール
- エンリケさん、こんばんは
本年もよろしくお願いします。
新年(もう半ばですが)早々、良い物を見せて頂きました。
さすが、エンリケさんって思うほど、わかりやすい文章。
私は、高校時代、世界史がダメで・・。
高校の先生よりも、こちらの旅行記の方が、伝わってくるものがありますよ!
見せて、そして読ませて頂きましたーーー。
やっぱりイスタンブールは、いいなぁ〜(^^♪
また行きたいと思うほどです。
私は、昨日一人旅から帰国しました。
良い旅でした。
川岸 町子
- エンリケさん からの返信 2013/01/19 23:07:27
- いつもご訪問ありがとうございます!
- 川岸 町子さん
こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!
こちらこそ、本年もどうぞよろしくお願いします。
イスタンブール、ヨーロッパの文化とイスラムの文化が混ざり合った、独特の雰囲気に包まれたいい街ですよね。
2日間ではとても見きれなかったこともあり、わたしもいつかきっと再訪したいと思っているところです。
川岸さんは年始に一人で旅に出てらっしゃったんですか??
良い旅だったとのこと、いったいどちらにいらっしゃったのでしょう?
旅行記、楽しみにしてます!
-
- ぴぴまるさん 2013/01/15 19:25:16
- イスタンブール
- エンリケさん
こんばんは。
エンリケさんのブルガリア〜トルコ旅行記楽しく拝見しています。
トルコ〜、やっぱりいですね。
当たり前ですが本物を見るっていうのは本当に感動しますね。
私は世界史不得意ですが、エンリケさんの詳細な説明に食い入ってしまいました。
トルコ。。。ぜひ一度行きたい場所になりました。
続きも楽しみにしています。
そして、今年もよろしくお願いします。
ぴぴまる。
- エンリケさん からの返信 2013/01/19 22:44:51
- いつもご訪問ありがとうございます!
- ぴぴまるさん
こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!
自分の趣味を前面に打ち出したマニアックな旅行記になってしまいましたが、じっくり読んでいただいたとのこと、うれしい限りです。
これからも自分の視点からの旅行記を作っていきたいと思いますが、そのうちマニアックすぎて難解なものが多くなってしまうかもしれません(笑)。
こんな旅行記ですが、またご訪問いただけたら幸いです。
こちらこそ今年もよろしくお願いいたします!
-
- ガブリエラさん 2013/01/15 13:14:29
- アヤソフィア♪
- エンリケさん☆
こんにちは♪
アヤソフィア、懐かしいです!
ここは、ツアーでもかなり時間をかけてくれたので、ゆっくり鑑賞できました。
モザイク画など、「これ見た〜♪」って、当時を思いだしながら拝見しましたヽ(^o^)丿
トルコ旅行の時の写真を、引っ張り出してみたら、フィルムカメラ時代だったので、枚数が少ないんです・・・。
もっと、撮っておけばよかったです!
イスタンブールの街歩き編も、楽しみにしてますね♪
ガブ(^_^)v
- エンリケさん からの返信 2013/01/19 21:46:55
- いつもご訪問ありがとうございます!
- ガブリエラさん
こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!
わたしの旅行記からご自身のイスタンブール旅行を思い出していただいたなんて、うれしい限りですね。
イスタンブールはやはり大観光都市。
たくさんの人々が集い、思い出を作っていく街なんですね。
わたしも早くその思い出を旅行記にしたいのですが、最近は仕事が忙しくてなかなか旅行記の作成が進みません・・・。
それでも、最後までがんばって作成していきたいと思いますので、ぜひまた遊びにいらしてください!
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