2012/08/17 - 2012/08/17
206位(同エリア4401件中)
エンリケさん
ブルガリア~イスタンブール旅行8日目。
7日間のブルガリアの旅を終え、ようやくたどり着いたイスタンブールでの街歩きの続きです。
この日は夜行バスでイスタンブールに到着した後、朝一でスルタンアフメット地区のアヤソフィア博物館を観光。
アヤソフィア=“自分の中でのイスタンブール最大の目的地”を見終わってしまい、なんだか気が抜けた気分になってしまいましたが、気を取り直して次は隣接するトプカプ宮殿を回ってみたいと思います。
それにしても8月のイスタンブールは日射しも強く、日中は40℃を超えるような灼熱の暑さ・・・夜行バスによる移動での寝不足も手伝って、意識が朦朧としてくるなか、はたして無事、観光をすすめることができるのでしょうか??
<旅程表>
2012年
8月10日(金) 成田→ソウル→モスクワ→ソフィア
8月11日(土) ソフィア
8月12日(日) ソフィア→リラ→ソフィア
8月13日(月) ソフィア→プロヴディフ
8月14日(火) プロヴディフ→ヴェリコ・タルノヴォ
8月15日(水) ヴェリコ・タルノヴォ→ヴァルナ→ブルガス
8月16日(木) ブルガス→ネセバル→ブルガス→
○8月17日(金) →イスタンブール
8月18日(土) イスタンブール→
8月19日(日) →ソウル→成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- アシアナ航空 アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
8月17日(金)
朝一でのアヤソフィアの観光を終え、10時20分、次はすぐ後方に隣接しているトプカプ宮殿(Topkapi Sarayi)へ。
1453年にコンスタンティノープル(現イスタンブール)を征服したオスマン帝国スルタン(皇帝)、メフメト2世が築き、その後何度も増改築が繰り返されて現代にまで引き継がれたかつての宮殿です。
気温が上がってかなり暑くなってきましたが、さすがにイスタンブールを代表する観光名所だけあって、宮殿を囲む城壁の中へ観光客が続々と入場していきます。
写真に見えるのは、入口にあたる“皇帝の門”で、その隣にある四阿(あずまや)風の建物は、1728年に建てられた“アフメット3世の泉”。
こんなふうに、歴代の皇帝が増改築を繰り返したため、トプカプ宮殿は15世紀後半に建てられたといっても、もはや原型をとどめておらず、後の時代の贅沢な建築様式ばかりが印象に残る、なんとも歴史好き泣かせの建物となっています。 -
皇帝の門をくぐり、第一の中庭へ。
“中庭”というにはあまりにも広い空間で、木々や芝生の緑が生い茂り、ピクニックでもしたくなるようないい雰囲気の場所です。 -
皇帝の門から伸びる道に沿って少し歩くと・・・次の門が見えてきました。
“挨拶の門”(バービュッセーラム、儀礼の門、送迎の門などとも訳される)です。
右側にはチケット売り場があり、早速チケットを買い求めます。
代金は25TL=約1,100円。
ブルガリアに比べるとイスタンブールの物価はやっぱり高い・・・円安の今(2013年3月)はさらに高く感じるのでしょうね(笑)。 -
目の前にでーんとそびえる挨拶の門。
点を突き刺すような左右の八角形の塔が印象的です。 -
門を通っていく観光客の頭上には、クルアーン(コーラン)の一節を刻んだアラビア文字の額が。
現代のトルコ語はローマ字のアルファベットを用いていますが、オスマン帝国時代はイスラム諸民族の盟主として、このようにアラビア文字を使用していたんですね。 -
挨拶の門をくぐって荷物検査を終えたところには、このようにトプカプ宮殿の模型が展示されていました。
イスタンブール旧市街のある半島の先端に位置し、三方をマルマラ海、ボスポラス海峡そして金角湾に囲まれた小高い丘の上の宮殿は、まるで難攻不落の要塞のようです。
ちなみにトプカプとは、トプ=大砲、カプ=門で、大砲の門という意味。
1853年にスルタンの宮殿がここから対岸のベシクタシュ地区にあるドルマバフチェ宮殿に移転した後、マルマラ海沿いに設けられていたここの城壁の門に、礼砲用の大砲が取りつけられていたことから、旧宮殿をこの名で呼ぶようになったのだそうです。 -
さて、挨拶の門の先、第二の中庭を進んでいきます。
ここもまた、緑の芝生や木々が生い茂る、なんだか平和な空間。
建物も平屋建てのものばかりで、オスマン帝国のスルタンが住まう威風堂々たる宮殿、というイメージとはちょっとかけはなれた感じも・・・。
進行方向左側にはあの有名なハレム(Harem)があり、その入口付近には、“会議の間”と、このトプカプ宮殿でいちばん高い“正義の塔”があります。 -
ハレムは後で見て回ることにして、まずは第二の中庭と第三の中庭の境にある幸福の門を抜けていきます。
ここも各国からの観光客で大混雑。
幸福の門を抜けたところには“謁見の間”があり、帝国の高官たちや諸外国の大使たちはこの広間でスルタンに謁見したといいます。
謁見の際に大使たちは、玉座に座したスルタンの前にひれ伏し、その服の裾に接吻したという・・・。 -
謁見の間は、現在は絨毯などの展示室となっています。
ガラスケースに入れられた、高価そうな絨毯をパチリ。
最初の展示が何よりもまず絨毯とは・・・トルコと言えばやっぱり絨毯が代名詞なんでしょうかね。 -
第三の中庭に入って右側(マルマラ海側)の建物は宝物館になっています(内部撮影禁止)。
ここには、柄の部分に3つの巨大なエメラルドをあしらった“トプカプの短剣”やら、86カラットの巨大なダイヤを49個の小さなダイヤが取り囲む“スプーン職人のダイヤモンド”やら、時価にするといくらくらいなんだと思うような宝石がずらりと展示されていて、まさに目がくらむようです。
こういった宝石関係の展示は、分かりやすく女性にも人気があるのでしょう。入口には長い行列ができていて、宮殿内でいちばんの人気施設のようでした。
男のわたしとしては、目がくらくらするような宝石よりも、ムハンマドの剣やあごひげといった聖遺物の展示と、それをガラス越しになぞるように熱心に見つめるアラブ系の観光客たちの方が印象に残りましたが。
しかしイスラム教にもキリスト教のように聖遺物を信仰する習慣があるとは・・・調べてみると、サウジアラビアやイラクなどの初期アラブ帝国の中心地では聖遺物信仰という概念はほとんどなく、むしろ遅れてイスラム世界となったトルコやインドなどで盛んなのだそうです。
もともとイスラム世界の異邦人であったトルコ人(オスマン帝国)やインド人(ムガール帝国)は、預言者ムハンマドとのつながりを深め、イスラム世界の盟主となるために、武力でもってこれら聖遺物を中東地域から奪取し、このことがその後の聖遺物信仰につながったのだとか・・・。
【イスラームにおける聖遺物〜(財)中東協力センターニュース(2007年10月11日)】
http://www.jccme.or.jp/japanese/11/pdf/11-05/11-05-40.pdf -
宝物館をざっと見学した後は、宮殿の最奥部、半島の先端にあるメジディエ・キョシュクで一休み・・・と言っても観光客がいっぱいで座れるような場所はなく、外の景色を眺めるだけですが。
このメディジエ・キョシュク、1840年にアブデュルメジト1世(在位1839−61年)が、宮殿をここからドルマバフチェ宮殿に移す前に建てたもので、トプカプ宮殿の黄昏を感じさせる建物となっています。
ちなみに“キョシュク”とは日本で言う“キヨスク”の語源になったトルコ語で、このとおり四方が開かれた四阿(あずまや)のことを言います。 -
その四阿からはマルマラ海とボスポラス海峡の美しい眺めが。
この内海には常に船が行き交い、眺めていると海上交通が盛んなイスタンブールの様子がとてもよく伝わってきます。 -
12時、そろそろ昼食にしたかったのですが、メディジエ・キョシュクの階下にある、マルマラ海を眺められるレストランは当然ながら満杯(値段もかなり高め)。
仕方ないので観光を続けることにし、混んでいて見逃した部屋などを見に、宝物殿の回廊に戻ってきました。
しかし、気温はさらに上がり、観光を続けるにはたまらない暑さ・・・。
宮殿内で休もうにも、日陰に座れるような場所はほとんどなく、汗がとめどなく流れ、体力がどんどん奪われていきます。
しかも、宮殿内には水を売っている場所がない!
・・・こんなこともあろうかと、荷物になりましたが入口(挨拶の門)の左手にある売店で水を買っておいて正解でした。
通常0.5TL(23円)ほどの水が、2TL(90円)で売られていて、ほとんどぼったくり価格でしたが(笑)。
日本でも観光地の物価はほかよりも高くなっているのが通常ですが、それでも4倍になっていることはありませんよね・・・。
なお、スルタンアフメット広場ではさらに高く売られている場合もあるので要注意です。トルコの観光地での観光客価格にはお気をつけください。 -
あまりの暑さに頭がくらくらしてきましたが、いったん外に出てはチケットが無駄になってしまうので、我慢して次は屋内展示がメインのハレム(Harem)へ。
いわずと知れた、たくさんの妃と黒人の宦官たちが住まう“ハーレム”として西欧の人々の想像力をかき立てた、スルタンの後宮です。
このハレムだけは別料金になっていて、さらに15TL(約680円)必要。
やっぱりトルコ人は商売がうまいですね(笑)。 -
別料金のためか、それとも日中のこの暑さのためか、ハレムに入る観光客は案外少なく、宝物殿と違って並ばずに中に入れました。
さて、ハレムは歴代のスルタンにより次々に継ぎ足しがなされていったため、内部は平屋建ての建物が無秩序に並ぶ迷路のような複雑な造りとなっています。
入口を通った最初から、とても皇帝の宮殿とは思えない、どこかアラビア世界の街の路地裏のようなこんな薄暗い小路を通っていきます。 -
小路を抜けると、壁に張りめぐらされたブルーのタイルが美しいこんな広間が。
このタイル、小アジアのイズニックの街(ローマ、ビザンツ帝国時代のニケーア)で製作された“イズニック・タイル”を使っているそうで、つぎはぎだらけで統一感のないトプカプ宮殿の建築様式を示す、唯一とも言える特徴となっています。
・・・さて、もともとトプカプ宮殿は男だけの宮殿で、スルタンの家族は別の宮殿に住んでいました。
ところが、オスマン帝国最盛期のスルタン、スレイマン大帝(在位1520−66年)の時代に、スルタンの愛を独占したロシアの奴隷出身の妃、ヒュッレムの要望で、スルタンの家族や後宮がトプカプ宮殿に移されることになりました。
その後、トプカプ宮殿の後宮、すなわちハレムは拡大していき、スレイマン大帝の息子セリム2世の時代には数百人、その子ムラト3世の時代には千人もの女性たちが暮らすようになったとも言われています。 -
そんなこんなでハレムには現在、全部で300室ほどの部屋があり、そのうち観光客が見学できるのは20室ほどに限られています。
同じような雰囲気でこれといった特徴のない部屋も多かったのですが、その中で、いくつか印象に残った部屋を挙げていくことにします。
まずは、スルタンの母(母后)の間。
ドームのぶどうの木の模様が独特で優しい感じがしますね。
ハレムの女性たちにとって、スルタンの皇子を産み、その皇子が次のスルタンとなって、母后となることがいちばんの望みでした。
母后となれば、ハレムの中心に広くてこのように美しい部屋を与えられ、黒人の宦官長とともに、最高権力者としてハレムを仕切ることができたのです。 -
こちらのドームも色合いが柔らかで、壁を彩るイズニック・タイルも美しいですね。
-
こちらは“ムラト3世のサロン”(The privy chamber of Sultan Murad ?)。
その名のとおり、オスマン帝国第12代スルタン、ムラト3世(在位1574−95年)の時代のもので、1578年にオスマン帝国史上最高の建築家、ミマール・スィナン(1489−1588年)に命じて造らせたものです。
ここもブルーのイズニック・タイルが美しいですね。
ちなみに、中央にあるとんがり帽子のようなものは暖炉。
なんともエキゾチックでおもしろいデザインです。 -
こちらの壁の幾何学模様もまた芸術的。
こうして今、改めて写真を眺めてみると、じっくりと見入ってしまうほどなのですが、撮影した当時はもう暑くて気持ち悪くて、写真を撮るだけで精一杯のような状態でした。
ここトプカプ宮殿は日本人の観光客も多く、こうした部屋で一緒になったりしたのですが、話しかける気力もなくそのまますれ違い・・・。
8月のトルコは暑すぎてじっくり派の観光には向かないかもしれませんね。 -
続いてタイルの間。
写真を見返すと、もっと現地でじっくり見たかったなという気持ちが湧きあがってきます・・・。 -
同間の上部のドーム。
パステルカラーの色合いが、見ていて落ち着きを感じさせますね。 -
次は皇子の間(Crown Prince Chambers)。
ここは幾何学模様のイズニック・タイルとあわせて、こちらも青を基調としたステンドグラスが見事です。
ちなみに下は絨毯の上に座椅子のようなものが置かれているだけ。
椅子がないところが西欧の宮殿とは違うところでしょうか。
さて、スレイマン大帝の愛妃ヒュッレムの要望でスルタンの家族がトプカプ宮殿に住まうようになってから、皇子たちもこうした閉鎖された空間で奴隷たちにかしずかれて生活するようになってしまいました。
それまでは、青年になった皇子たちは、帝王学を身につけるべく各地方都市に派遣され、スルタンとなる準備をする機会があったのですが、この宮殿に居所が移ってからというもの、妾や奴隷たちに囲まれて享楽の世界に浸るだけ・・・。
スレイマン大帝以降、優秀なスルタンが現れず、オスマン帝国が衰退の途に向かうことになったのは、もとをたどれば愛妃ヒュッレムの一言に原因があったのですね。
まさに、“かわいい子には旅をさせろ”とはよく言ったものです。 -
天井には一風変わった布を使ったドーム。
・・・小アジアに定住する前は、もともと中央アジアのステップ地域で遊牧生活をしていたトルコ人にとって、天幕のようなこちらの方が親しみを感じるのでしょうかね。 -
こちらも色鮮やかな幾何学模様の世界です。
偶像がなくても、こんなふうに色と模様だけで芸術的な部屋を造れるなんて、やはりイスラムの文化は魅力的なところがありますね。 -
通路の大きな鏡の前で自分撮りをする外国人女性たち。
“自分撮り”は、日本だけでなく世界の若い女性たちの間で流行っているのでしょうか(笑)。
さて、時計を見るともう13時。
なんだかんだ言いながら、ハレムの見学に1時間近くかかったことになります。
ここを通り抜けて先へ進んでいくと・・・。 -
・・・宮殿の最奥部(先ほど見たメディジエ・キョシュクのもう一方の端)、バグダッド・キョシュクまでやってきました。
このバグダッド・キョシュク、オスマン帝国第17代スルタンのムラト4世(在位1623−40年)が、1638年にサファヴィー朝(ペルシャ)からバグダッドを奪還したことを記念に建てられたもので、金角湾とその先の新市街が一望のもとに見渡せる、絶好のビューポイントとなっています。
そんな場所だけあって、宮殿の端にありながら、集まってくる観光客もたくさん。
テラス中央には、一際目を引く“イフタリエ”という金色屋根の建物があり、観光客たちが代わる代わる写真を撮っていました。
ちなみに、この建物の語源となった“イフタール”とは、イスラム教において、日没時の断食を解く食事のこと。
ラマザン月(断食月)に一日の断食を終えて夕食をとる場所だったことから、この名がついたのだそうです。
こんな景色を眺めながらの食事は、さぞ優雅だったことでしょうね・・・。 -
さて、イフタリエの先から外を眺めてみると・・・金角湾の先に小高い丘となって広がる新市街の美しい街並みが目に入ってきました。
イスタンブールの街が、どこか南欧の街のようにこんなにカラフルだったとは、訪問するまでは思ってもみませんでした。
イスラムというよりはやっぱりヨーロッパなんですね。
・・・小高い丘の中腹にそびえる、まるでおとぎ話に出てくるような、とんがり帽子の一際目立つかたちをしている塔はガラタ塔。
新市街のランドマークとなっている、高さ67mの塔ですが、気になるので後で行ってみることにします! -
少し左の方へ目を向けると・・・こちらには金角湾に浮かぶガラタ橋やそのたもとにあるイェニ・ジャーミィ、小高い丘に建つスレイマニエ・ジャーミィが見渡せます。
-
振り返ってみると、とにかく暑いのでみんなキョシュクの陰でお休み。
やっぱりわたしだけでなく、この暑さはみんなこたえてるんですね。
・・・これで宮殿内の建物はひととおり見てきましたが、見終わっての感想は、もちろん建物のほとんどすべてにわたって美しいタイルなどの装飾はありましたが、なんだかパッとしない印象。
なぜだろうと考えてみると、他の解説書にもあるように、日本も含めた他の国の宮殿と違って、似たような平屋建の建物ばかりでメリハリがなく、メインとなる建物がないから、というのが大きい理由ではないかと思います。
最初から最後まで、程度の差こそあれ、同じような建物、同じような装飾が続くと、やっぱり飽きてきてしまうのかなと。 -
それでもせっかくここまで来たので、バグダッド・キョシュクの中にも入ってみます。
内部はやはりブルーを基調としたイズニック・タイルやステンドグラスがしつらえられており、涼やかな印象の空間。
・・・でもやっぱり飽きてきたかな(笑)。 -
天井までタイル尽くしです。
やはりハレム内で同じようなものを何度も見たので、感動もそこそこ。
・・・先にも書きましたが、トルコ民族はもともとテントを張って暮らしていた草原の遊牧民族だったので、先祖から受け継いだDNAが作用して、緑の中庭を中心に、こんな平屋建ての建物を周りにつなげたような宮殿になったのでしょうかね。 -
帰りがけ、ハレムの隣の建物で“Harem”なる特別展が開催されていたので、ちょっと立ち寄り(内部は撮影禁止)。
入ってみると、下のトプカプ宮殿公式HPで流れているような、エキゾチックで勇壮な曲がかかる中、オスマン帝国時代の武器や衣装、スルタンの肖像画などが展示されており、絨毯や宝石類を中心とした宮殿内の展示とは一風変わっていて、なかなか興味深かったです。
しかし、静かな雰囲気で観賞されるべき博物館の中で、堂々と音楽が流れているなんて初めての経験。
さすがはトルコ行進曲の国だなと思いました。
【トプカプ宮殿公式HP】
http://www.topkapisarayi.gov.tr/ -
13時45分、宮殿内の観光を終え、挨拶の門から出てきました。
なんだかんだでかかった時間は3時間半。
これだけの所要時間を必要とするのにこの暑さはつらいですね・・・。
トルコ旅行はやっぱり真夏は避けた方がよいかもしれません。 -
皇帝の門の外へ。
だいぶ日が昇って、アヤソフィアが鮮やかなピンク色に輝いてきました。 -
スルタンアフメット広場では木々の花が咲き誇り、気持ちのいい景色です。
-
14時、チェックイン時間を迎えたため、荷物を預けていた広場近くのホテル、レディ・ダイアナ・ホテルにチェックイン。
部屋はこんな感じで、中庭に面した部屋だったため、外の景色は眺められず。
ここで、観光時間が惜しかったですが、暑くて汗をかいてたまらないので、シャワーを浴びて少々休憩。
真夏のイスタンブール観光は適度に休まないとやってられません・・・。 -
15時30分、再び街に繰り出す前に、このレディ・ダイアナ・ホテルは屋上からアヤソフィアやスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)を眺められるのが売りだそうなので、行ってみることにします。
エレベーターで屋上のレストランに上がって外に出てみると・・・テラスの向こうに、マルマラ海をバックにして白く輝く、スルタンアフメット・ジャーミィの壮麗な姿が目に飛び込んできました。
思わず、“おおっ”と声をあげてしまいます。 -
そしてその左手にそびえるのはもちろんアヤソフィア。
対岸の新市街の街並みをバックに、淡いピンク色に輝く姿がとても美しいです。
これぞイスタンブールの風景、といった印象です。 -
アヤソフィアとスルタンアフメット・ジャーミィの美しい姿を見てやる気を取り戻し(笑)、再びイスタンブールの街へと繰り出します。
16時、地球の歩き方にも載っているトラムのチェンベルリタシュ駅近くのファストフード店、マカルナ・サラユ(Makarna Sarayi)で遅めの昼食。
奥の席に通されますが、実はこの日はラマザン(イスラム教の断食月)なので、昼に食事をしている人は外国人観光客を含めてどこかこそこそしているよう(笑)。
チキンケバブとポテト、コーラのセットを頼んだところ(10TL=450円)、ケバブはなんだかクセのある匂いでイマイチの味・・・。
トルコ料理は美味しいと聞いてきたのに、これまでの長旅や暑さで疲れているせいなのか、それとも、店のセレクトが悪かったのか・・・今回のイスタンブールでの食事は外れが多かったですね。
さて、食事の後は街歩きへ戻りますが、旅行記が長くなってきたので、続きはまた次回で。
やはりイスタンブールはブルガリアの都市と違って見どころが多く、なかなか話が先へ進みません(笑)。
(引き続きイスタンブール観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- liberty-libertyさん 2013/03/20 13:52:13
- ご無沙汰しています〜(^o^;)
- エンリケさん、こんにちは!
年明けからの忙しく落ち着かない日々が一段落して
ようやく旅行記、ゆっくり楽しませて頂くことが出来ました。
トプカプ宮殿、室内のタイル張りのモザイクの壁や天井
とってもステキです(*^o^*)
気温がかなり辛そうですが
じっくりゆっくり見て回りたくなる場所だろうなぁと思いました。
日光の強さが
色んな写真から伝わってきます。
その光が異国情緒を更に誘っているように感じます。
それではまた、お邪魔させて頂きますね!
次回の旅行記も楽しみにしています。
- エンリケさん からの返信 2013/03/24 00:51:38
- いつもご訪問ありがとうございます!
- liberty-libertyさん
こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!
わたしもこの何か月かは忙しくて、旅行記を作成する時間がほとんどなかったのですが、3月になってようやく時間が持てるようになってきました。
昨年の夏の旅行なので、早く仕上げたいとは思っているのですが、作っているうちにいろいろと思いがこみ上げてきて、あれやこれや考えているとどうしても作成に時間がかかってしまいますね。
暑い時期の旅行記なので、今度の夏に訪れる方にとって参考になればと思います。
・・・そろそろ自分の夏の旅行先も考えないといけませんね。
その前になんとかこの旅行記を完成させますので、ぜひまた遊びに来てください!
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