高尾・八王子旅行記(ブログ) 一覧に戻る
八王子宿は甲州街道の他の宿場と異なり、街道の東端・西端は敵の侵入を防ぐ枡形(鍵の手)状の路となって防衛を意識した性格を示しています。<br /><br />その東端(八王子宿入口)の枡形付近一帯は当時は竹の鼻といい江戸から十二里を示す「竹の鼻一里塚」地でもあり、永福稲荷神社(えいふくいなりじんじゃ)は竹の鼻の鎮守で祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。<br /><br />説明では宝暦6年(1756)に力士八光山権五郎(はっこうさんごんごろう、1712〜1774)により再建され、落成と同時に相撲を奉納したと言われております。当時は相撲は神事と深いかかわりがあることから祭神である倉稲魂命の前で願いを込めて相撲を奉納したと思われます。<br /><br />例祭は「しょうが祭り」と呼ばれ毎年9月第一土曜日に開催、当日は当神社で軍配御守が授与され、縁起物として「しょうが」が販売されます。<br /><br />

武蔵八王子永福稲荷神社散歩

6いいね!

2012/06/10 - 2012/06/10

1298位(同エリア1903件中)

0

8

滝山氏照

滝山氏照さん

八王子宿は甲州街道の他の宿場と異なり、街道の東端・西端は敵の侵入を防ぐ枡形(鍵の手)状の路となって防衛を意識した性格を示しています。

その東端(八王子宿入口)の枡形付近一帯は当時は竹の鼻といい江戸から十二里を示す「竹の鼻一里塚」地でもあり、永福稲荷神社(えいふくいなりじんじゃ)は竹の鼻の鎮守で祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。

説明では宝暦6年(1756)に力士八光山権五郎(はっこうさんごんごろう、1712〜1774)により再建され、落成と同時に相撲を奉納したと言われております。当時は相撲は神事と深いかかわりがあることから祭神である倉稲魂命の前で願いを込めて相撲を奉納したと思われます。

例祭は「しょうが祭り」と呼ばれ毎年9月第一土曜日に開催、当日は当神社で軍配御守が授与され、縁起物として「しょうが」が販売されます。

交通手段
徒歩

PR

  • 八王子新町竹の鼻一里塚跡石碑<br /><br />一里塚は慶長9年(1604)に日本橋を起点として一里(約4Km)毎に塚を築き榎を植えた場所で旅人にとっては距離の目安となっています。<br />新町の一里塚は甲州街道中八王子宿の東端にあり、江戸から約十二里にあたります。<br />明治30年(1897)の大火で焼かれるまでは、大榎が大樹となって涼しい木陰を作り往時を偲ばせていたそうです。

    八王子新町竹の鼻一里塚跡石碑

    一里塚は慶長9年(1604)に日本橋を起点として一里(約4Km)毎に塚を築き榎を植えた場所で旅人にとっては距離の目安となっています。
    新町の一里塚は甲州街道中八王子宿の東端にあり、江戸から約十二里にあたります。
    明治30年(1897)の大火で焼かれるまでは、大榎が大樹となって涼しい木陰を作り往時を偲ばせていたそうです。

  • 新町一里塚説明

    新町一里塚説明

  • 鳥居<br /><br />当神社は八王子宿入口にあたり旅人の参拝が多数あったそうです。<br /><br />

    鳥居

    当神社は八王子宿入口にあたり旅人の参拝が多数あったそうです。

  • 拝殿<br /><br />柵で囲まれており入場不能でした。尚明治30年の大火及び昭和20年の空襲により焼失しています。<br />

    拝殿

    柵で囲まれており入場不能でした。尚明治30年の大火及び昭和20年の空襲により焼失しています。

  • 稲荷殿<br /><br />稲荷殿まえには狐の石像が鎮座しています。

    稲荷殿

    稲荷殿まえには狐の石像が鎮座しています。

  • 拝殿と稲荷殿

    拝殿と稲荷殿

  • 八光山権五郎像<br /><br />説明では八光山権五郎は江戸時代中期に活躍した八王子出身の力士で身長は191Cmで嶋屋という絹問屋の跡継(群馬県前橋生まれで嶋屋の3代目として養子となる)として商売をしながら相撲をとっていました。<br />当時は大坂・京都で勧進相撲が盛んに行われ、現在の相撲協会など存在しておらず、力士はその度毎に相撲が開かれる場所へ自前で参加する仕組みでした。<br />場所では全国の力自慢が東西に分かれて対戦し八光山は番付では出身地は江戸となっていたそうです。<br />八光山が八王子から相撲が開催される場所に旅立つ時には必ず永福稲荷神社に参拝し旅の安全と必勝を祈願し、また帰郷した折には当神社境内で勧進相撲を奉納しています。

    八光山権五郎像

    説明では八光山権五郎は江戸時代中期に活躍した八王子出身の力士で身長は191Cmで嶋屋という絹問屋の跡継(群馬県前橋生まれで嶋屋の3代目として養子となる)として商売をしながら相撲をとっていました。
    当時は大坂・京都で勧進相撲が盛んに行われ、現在の相撲協会など存在しておらず、力士はその度毎に相撲が開かれる場所へ自前で参加する仕組みでした。
    場所では全国の力自慢が東西に分かれて対戦し八光山は番付では出身地は江戸となっていたそうです。
    八光山が八王子から相撲が開催される場所に旅立つ時には必ず永福稲荷神社に参拝し旅の安全と必勝を祈願し、また帰郷した折には当神社境内で勧進相撲を奉納しています。

  • 八光山権五郎台座<br /><br />台座の裏側には「等身大」と新たな刻が認められます。

    八光山権五郎台座

    台座の裏側には「等身大」と新たな刻が認められます。

この旅行記のタグ

6いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP