2012/09/11 - 2012/09/11
3264位(同エリア4364件中)
董事長さん
ちょっと大阪に用ができたので、宿泊プランを探したところ、JALダイナミックパッケージに、「日本航空(往復)+帝国ホテル大阪1泊(朝食付)」23700円というのを見つけました。別々に手配するより安いので早速申込み。
用は1時間程度ですむので、2日間観光することに。
初日は、今まで行ったことがなかった高野山へ、2日目は、京都へ行くことにしました。
【旅の概要】
9/10(月) 福岡→大阪
高野山観光 大阪泊
9/11(火) 京都観光
大阪→福岡
<本日の日程>
梅田駅→淀屋橋駅→清水五条駅→清水寺→八坂神社→知恩院→二条城→烏丸御池駅→河原町駅→梅田駅→大阪国際空港
JAL2061 大阪国際空港(19:50)福岡国際空港(20:55)
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地下鉄駅を出てすぐです。
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通りを挟んで京都全日空ホテル
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東南隅櫓
本丸や二の丸にも、寛永期に建てられた隅櫓があったが、天明8年の大火で焼失し、今では東南隅櫓と西南隅櫓しか残っていない。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
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二条城は、慶長8年(1603年)、徳川将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして、寛永3年(1626年)に完成したものである。
家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合され、いわゆる桃山時代様式の全貌を垣間見ることができる。
徳川家の栄枯盛衰のみならず、日本の歴史の移り変わりを見守ってきたお城である。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
記念碑的なもの
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入場券売場
入場料600円 -
東大手門
屋根は本瓦葺で入母屋造り、妻は木連格子、棟には鯱が飾られている。形式は櫓門で石垣と石垣の間に渡櫓を渡して、その下を門とした形式になっている。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
外堀
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東大手門
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番所
徳川将軍不在の二条城は二条在番と呼ばれる、江戸から派遣された武士によって警備されていた。毎年2組(1組50人)が4月に交代して番にあたりました。この番所はそうした詰め所の一つで、正面十間(19.6メートル)、奥行三間(6.06メートル)の細長い建物である。現在、門番所の遺構は少なく、貴重な建物となっている。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
武士の人形で当時の様子を再現
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一部修理中
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東南隅櫓
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唐門
切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっている。彫刻がふんだんに使われている。
(以上、二条城公式ホームページより引用)
残念ながら修理中でした。 -
イチオシ
二の丸御殿
桃山時代の武家風書院造りの代表的で、車寄に続いて遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が東南から北西にかけて雁行に立ち並んでいる。
建物面積3300平方メートル、部屋数33、畳は800畳あまり。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
二の丸御殿を真正面から
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車寄
欄間彫刻は表と裏のデザインを変えており、表側には五羽の鸞鳥・松・ボタン、上部には雲、下部には笹を見ることができる。屋根は桧皮葺、床は牛車で中に入れるように四半敷になっています。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
これより先は撮影禁止です。
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出てきました。
見応えがありました。 -
団体客はここが入口になります。
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団体客入口から望遠で撮影
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遠侍の前あたりです。
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二の丸庭園、本丸御殿方面へ
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二の丸庭園
作庭の年代については記録や作風から推測して、慶長7年(1602)〜8年(1603)頃(家康時代)二条城が造営されたと きに、その建築に調和させて作庭されたものあるが、寛永3年(1626)(家光時代)の御水尾天皇行幸のために一部改修を加えられたと考えられている。書院造庭園である二の丸庭園は神仙蓬莱の世界を表した庭園と言われ、また八陣の庭とも呼ばれている。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
二の丸庭園から二の丸御殿を眺める。
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手前の景石一体は、8代将軍吉宗の時代に拡幅された部分。奥は、3代将軍家光の時代に後水尾天皇の行幸を仰ぐために作庭された部分。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
二の丸御殿
障壁画保護のため締め切ったままです。 -
池の中央には大きな島(蓬莱島)、左右に小さい島2つを配した神仙蓬莱の世界を表した庭と言われる。小さな島は鶴・亀島を表した吉祥の庭園となっている。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
東橋
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内堀
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本丸櫓門
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本丸櫓門
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本丸庭園
本丸造営当初の庭園は、史料が不足している為、どのようなものであったか分かりませんが、二の丸庭園にひけをとらない庭園が存在していたと考えられている。しかし、天明8年(1788)の大火の飛び火によって本丸御殿、隅櫓、多聞櫓などが焼失。庭園も延焼して空地となっていたと思われる。
幕末には、本丸内に徳川慶喜の居室が建てられ、庭園は茶庭風に作られました。
現在の本丸庭園は明治28年(1895)5月23日、明治天皇が本丸に行幸された折、既存の枯山水風庭園の改造を命じ、約7ヵ月半の歳月をかけ大改造の末、明治29年(1896)に完成した芝庭風築山式庭園です。明治の中頃になると洋風の庭園が多く作庭されていることなどから、本丸庭園も少なからずその影響を受けていると考えられる。庭園は東南隅に月見台(築山)を配し、芝生を敷き詰め、曲線的な園路を設け、石段(岩岐 <がんき>)沿いにはアラカシ、ベニカナメなどを植樹し、所々に燈籠や庭石などを据えられている。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
天守閣跡へ
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天守閣が焼失した旨書かれています。
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本丸には五層の天守閣がそびえていましたが、寛延3年(1750年)落雷のため焼失した。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
今では展望台になっています。
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本丸御殿
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西橋
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本丸御殿へ
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本丸御殿
創建当時の本丸御殿は、二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもっており、内部は狩野派の障壁画で飾られていたが、天明8年(1788年)には市中の大火のため焼失した。
その後、永らく本丸御殿の再建はならず、幕末に15代将軍慶喜の住居として、本丸御殿が建てられたが、明治14年に撤去。
現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を移築したものである。
(以上、二条城公式ホームページより引用) -
残念ながら、本丸御殿は入場できません。
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西橋
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こうやってみると、お城っぽいです。
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桃山門
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一周回って再び唐門へ
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最終入場時間を過ぎているため、東大手門は閉門
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