東山・祇園・北白川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ちょっと大阪に用ができたので、宿泊プランを探したところ、JALダイナミックパッケージに、「日本航空(往復)+帝国ホテル大阪1泊(朝食付)」23700円というのを見つけました。別々に手配するより安いので早速申込み。<br />用は1時間程度ですむので、2日間観光することに。<br />初日は、今まで行ったことがなかった高野山へ、2日目は、京都へ行くことにしました。<br /><br />【旅の概要】<br />9/10(月) 福岡→大阪<br />      高野山観光      大阪泊<br />9/11(火) 京都観光<br />      大阪→福岡<br /><br />&lt;本日の日程&gt;<br />梅田駅→淀屋橋駅→清水五条駅→清水寺→八坂神社→知恩院→二条城→烏丸御池駅→河原町駅→梅田駅→大阪国際空港<br />JAL2061 大阪国際空港(19:50)福岡国際空港(20:55)

清水寺・八坂神社・知恩院

4いいね!

2012/09/11 - 2012/09/11

5268位(同エリア6952件中)

0

86

董事長

董事長さん

ちょっと大阪に用ができたので、宿泊プランを探したところ、JALダイナミックパッケージに、「日本航空(往復)+帝国ホテル大阪1泊(朝食付)」23700円というのを見つけました。別々に手配するより安いので早速申込み。
用は1時間程度ですむので、2日間観光することに。
初日は、今まで行ったことがなかった高野山へ、2日目は、京都へ行くことにしました。

【旅の概要】
9/10(月) 福岡→大阪
      高野山観光      大阪泊
9/11(火) 京都観光
      大阪→福岡

<本日の日程>
梅田駅→淀屋橋駅→清水五条駅→清水寺→八坂神社→知恩院→二条城→烏丸御池駅→河原町駅→梅田駅→大阪国際空港
JAL2061 大阪国際空港(19:50)福岡国際空港(20:55)

  • 京阪電車で京都へ

    京阪電車で京都へ

  • 清水寺が見えてきました。<br />修学旅行生が多い。

    清水寺が見えてきました。
    修学旅行生が多い。

  • ちょっと裏道を使って来たようです。

    ちょっと裏道を使って来たようです。

  • 清水寺<br /><br />「清水寺」という寺名は、音羽山中より今もなお途切れることなくこんこんと湧き、音羽の滝に流れる霊泉に由来しています。この霊泉は「すべての人を救う」観音さまのご利益とあわせ、古来より無病息災、立身出世、財福、良縁、子授けといった現世利益を願う善男善女を集め、「清水の観音さん」の名で全国に広く信仰を得てまいりました。<br />開創は宝亀9年(778)、奈良時代の末で、山号は音羽山。宗派は北法相宗です。「北」は南都・奈良に対して北の京都に立地するという意味をもっています。 <br />東山・音羽山の中腹に広がる13万平方メートルの境内に、国宝、重要文化財を含む15の伽藍が建ち並びます。そのほとんどが江戸初期の再建であり、平成6年(1994)にユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。<br />「清水の舞台から飛び降りる」の語源となった本堂の舞台、音羽の滝などが特に知られていますが、緑深い境内には、様々な意匠の堂宇があります。どうぞゆっくりと拝観されて、野鳥が囀る美しい自然のなかで心静かに手を合わせ、観音さまとのご縁をお結びください。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    イチオシ

    清水寺

    「清水寺」という寺名は、音羽山中より今もなお途切れることなくこんこんと湧き、音羽の滝に流れる霊泉に由来しています。この霊泉は「すべての人を救う」観音さまのご利益とあわせ、古来より無病息災、立身出世、財福、良縁、子授けといった現世利益を願う善男善女を集め、「清水の観音さん」の名で全国に広く信仰を得てまいりました。
    開創は宝亀9年(778)、奈良時代の末で、山号は音羽山。宗派は北法相宗です。「北」は南都・奈良に対して北の京都に立地するという意味をもっています。
    東山・音羽山の中腹に広がる13万平方メートルの境内に、国宝、重要文化財を含む15の伽藍が建ち並びます。そのほとんどが江戸初期の再建であり、平成6年(1994)にユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。
    「清水の舞台から飛び降りる」の語源となった本堂の舞台、音羽の滝などが特に知られていますが、緑深い境内には、様々な意匠の堂宇があります。どうぞゆっくりと拝観されて、野鳥が囀る美しい自然のなかで心静かに手を合わせ、観音さまとのご縁をお結びください。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 仁王門と西門と三重塔

    仁王門と西門と三重塔

  • 狛犬の口が、「阿形(あぎょう)」=開口した形になっています。一般的に狛犬は口を開けた「阿形」と、口を閉じた「吽形(うんぎょう)」で一対をなしており、これはとても珍しいもの。<br />明治時代に寄進される折、東大寺南大門にある狛犬をモデルにして造られたことによります。<br />また、お釈迦さまの教えを大声で世に知らしめているともいわれています。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    狛犬の口が、「阿形(あぎょう)」=開口した形になっています。一般的に狛犬は口を開けた「阿形」と、口を閉じた「吽形(うんぎょう)」で一対をなしており、これはとても珍しいもの。
    明治時代に寄進される折、東大寺南大門にある狛犬をモデルにして造られたことによります。
    また、お釈迦さまの教えを大声で世に知らしめているともいわれています。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 仁王門<br /><br />応仁の乱(1467〜1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003)に解体修理されました。清水寺の正門で、幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、室町時代再建当時の特徴を示す堂々たる楼門です。<br />入母屋造り、檜皮葺(ひわだぶき)、鮮やかな丹塗りのため「赤門」とも呼ばれています。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    仁王門

    応仁の乱(1467〜1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003)に解体修理されました。清水寺の正門で、幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、室町時代再建当時の特徴を示す堂々たる楼門です。
    入母屋造り、檜皮葺(ひわだぶき)、鮮やかな丹塗りのため「赤門」とも呼ばれています。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 仁王門のそばに、明治初期の基準点標石があります。

    仁王門のそばに、明治初期の基準点標石があります。

  • 明治初期の基準点標石の説明

    明治初期の基準点標石の説明

  • 明治初期の基準点標石

    明治初期の基準点標石

  • 仁王門から見える西門と三重塔がきれいです。

    イチオシ

    仁王門から見える西門と三重塔がきれいです。

  • 西門<br /><br />現在の建物は寛永8年(1631)再建のもの。もとの創建時期は分かっていませんが、史書「帝王編年記」など鎌倉時代の文献に見えるので、おそらく浄土教が流行した平安時代末期にはできていたと推測されています。<br />ここから見る西山の日没は素晴らしく、極楽浄土に往生する入り口の門、浄土を観想する日想観(にっそうかん)の聖所であったと考えられています。<br />平成6年(1994)に桧皮屋根の葺き替えと、彩色の全面復元がなされました。<br />西門で目を引くのは、その華やかさ。丹塗りの柱には極彩色の文様が描かれ、金箔飾り、彫刻が華やかな桃山時代の様式美を今に伝えています。また、正面は向拝をつけて一見拝殿風に作り、背面は唐破風を付けるという建築自体がとても珍しいものといわれています。背面の両側には持国天、増長天を安置しています。 <br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    西門

    現在の建物は寛永8年(1631)再建のもの。もとの創建時期は分かっていませんが、史書「帝王編年記」など鎌倉時代の文献に見えるので、おそらく浄土教が流行した平安時代末期にはできていたと推測されています。
    ここから見る西山の日没は素晴らしく、極楽浄土に往生する入り口の門、浄土を観想する日想観(にっそうかん)の聖所であったと考えられています。
    平成6年(1994)に桧皮屋根の葺き替えと、彩色の全面復元がなされました。
    西門で目を引くのは、その華やかさ。丹塗りの柱には極彩色の文様が描かれ、金箔飾り、彫刻が華やかな桃山時代の様式美を今に伝えています。また、正面は向拝をつけて一見拝殿風に作り、背面は唐破風を付けるという建築自体がとても珍しいものといわれています。背面の両側には持国天、増長天を安置しています。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 鐘楼<br /><br />慶長12年(1607)の再建で、平成11年(1999)に彩色復元され、桃山様式の美しい彫刻が一層華やかに蘇りました。<br />牡丹彫刻の懸魚(けぎょ)や菊花彫刻の蟇股(かえるまた)、四隅の柱の先にある獏と象の木鼻などが見どころです<br />鐘楼の柱は四隅に4本が一般的ですが、清水寺の鐘楼は、間に2本追加して、6本で組まれています。<br />これは2.03トンのとても重い梵鐘を吊るために頑丈に造ったため。<br />また、6本の柱はすべて少し内側に傾ける「四方転び」という技法を用いて、しっかりと屋根と梵鐘を支えているのです。色彩鮮やかな鐘楼と相性よく収まっているのが、平成の新梵鐘です。五代目として平成20年(2008)4月20日に、清水寺門前会の寄進によって奉納されました。<br />四代目の梵鐘(重要文化財)は、応仁の乱後、当山を復興した願阿上人(がんあしょうにん)の大勧進活動によって文明10年(1478)に奉納されて以来、なんと530年の間、京都・東山にその音色を響かせてきました。金属疲労が進んだため、堂よりおろされ、今は静かに宝蔵殿に納められています。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    鐘楼

    慶長12年(1607)の再建で、平成11年(1999)に彩色復元され、桃山様式の美しい彫刻が一層華やかに蘇りました。
    牡丹彫刻の懸魚(けぎょ)や菊花彫刻の蟇股(かえるまた)、四隅の柱の先にある獏と象の木鼻などが見どころです
    鐘楼の柱は四隅に4本が一般的ですが、清水寺の鐘楼は、間に2本追加して、6本で組まれています。
    これは2.03トンのとても重い梵鐘を吊るために頑丈に造ったため。
    また、6本の柱はすべて少し内側に傾ける「四方転び」という技法を用いて、しっかりと屋根と梵鐘を支えているのです。色彩鮮やかな鐘楼と相性よく収まっているのが、平成の新梵鐘です。五代目として平成20年(2008)4月20日に、清水寺門前会の寄進によって奉納されました。
    四代目の梵鐘(重要文化財)は、応仁の乱後、当山を復興した願阿上人(がんあしょうにん)の大勧進活動によって文明10年(1478)に奉納されて以来、なんと530年の間、京都・東山にその音色を響かせてきました。金属疲労が進んだため、堂よりおろされ、今は静かに宝蔵殿に納められています。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 三重塔<br /><br />西門と同様に絢爛豪華な建築美を見せているのが三重塔です。平安時代初期847年に創建され、寛永9年(1632)に再建。現在の塔は古様式に則って昭和62年(1987)に解体修理したもので、総丹塗りとともに、桃山様式を示す極彩色文様を復元しました。<br />内部には大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれています。<br />三重塔としては日本最大級の高さ約31メートルの塔は、清水寺、京都東山のシンボルとして、古くから国内外に広く宣伝されてきました。 <br />各層の屋根の四隅にはそれぞれ鬼瓦があり、如来・明王・天の梵字が額飾りについています。しかし、東南角だけは各層とも龍の鬼瓦。<br />もともと京都は火伏せの神が鎮座する愛宕山が西北を守っており、反対側の東南が弱点になるため、水の神である龍神を置いたといわれています。<br />当時の人々がとても火災を恐れていたことが、うかがえます。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    三重塔

    西門と同様に絢爛豪華な建築美を見せているのが三重塔です。平安時代初期847年に創建され、寛永9年(1632)に再建。現在の塔は古様式に則って昭和62年(1987)に解体修理したもので、総丹塗りとともに、桃山様式を示す極彩色文様を復元しました。
    内部には大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれています。
    三重塔としては日本最大級の高さ約31メートルの塔は、清水寺、京都東山のシンボルとして、古くから国内外に広く宣伝されてきました。
    各層の屋根の四隅にはそれぞれ鬼瓦があり、如来・明王・天の梵字が額飾りについています。しかし、東南角だけは各層とも龍の鬼瓦。
    もともと京都は火伏せの神が鎮座する愛宕山が西北を守っており、反対側の東南が弱点になるため、水の神である龍神を置いたといわれています。
    当時の人々がとても火災を恐れていたことが、うかがえます。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 中興堂<br /><br />清水寺の中興開山大西良慶和上(おおにしりょうけいわじょう)の御霊屋(おたまや)。<br />良慶和上は大正3年(1914)に奈良・興福寺住職と兼職で清水寺に住持、約70年にわたって清水寺住職を勤められ、明治の上地令や廃仏毀釈によって衰退していた清水寺を、現在の形に復興されました。<br />中興堂は、その偉業を讃え、平成7年(1995)の和上十三回忌を記念して建立発願、平成9年(1997)に落慶されました。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    中興堂

    清水寺の中興開山大西良慶和上(おおにしりょうけいわじょう)の御霊屋(おたまや)。
    良慶和上は大正3年(1914)に奈良・興福寺住職と兼職で清水寺に住持、約70年にわたって清水寺住職を勤められ、明治の上地令や廃仏毀釈によって衰退していた清水寺を、現在の形に復興されました。
    中興堂は、その偉業を讃え、平成7年(1995)の和上十三回忌を記念して建立発願、平成9年(1997)に落慶されました。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 随求堂<br /><br />塔頭慈心院(たっちゅうじしんいん)の本堂で、享保3年(1718)の再建。衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしています。<br />また、堂内には大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)や粟島明神(あわしまみょうじん)など縁結び、安産、子育ての神仏もお祀りしています。<br />千鳥破風に施された「龍の鏝絵(こてえ)」は傑作として知られています。 平成18年(2006)、解体修理によって美しくよみがえりました。<br />また、お堂の下を大随求菩薩の胎内に見立てた、胎内めぐりが体感できます。真っ暗の中を、壁に巡らされた数珠を頼りに進み、この菩薩を象徴する梵字(ハラ)が刻まれた随求石を廻して深く祈り、再び暗闇の中をたどってお堂の上に戻ってくるというもの。<br />心の生まれ変わり・ルネサンスを体感できる場所として、平成12年(2000)に開設以来、参詣者の人気を集めています。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)<br /><br />胎内めぐり(100円)を体験しました。本当に真っ暗で、手摺りから手を離せません。行った人は、ぜひ体験してほしいです。

    随求堂

    塔頭慈心院(たっちゅうじしんいん)の本堂で、享保3年(1718)の再建。衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしています。
    また、堂内には大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)や粟島明神(あわしまみょうじん)など縁結び、安産、子育ての神仏もお祀りしています。
    千鳥破風に施された「龍の鏝絵(こてえ)」は傑作として知られています。 平成18年(2006)、解体修理によって美しくよみがえりました。
    また、お堂の下を大随求菩薩の胎内に見立てた、胎内めぐりが体感できます。真っ暗の中を、壁に巡らされた数珠を頼りに進み、この菩薩を象徴する梵字(ハラ)が刻まれた随求石を廻して深く祈り、再び暗闇の中をたどってお堂の上に戻ってくるというもの。
    心の生まれ変わり・ルネサンスを体感できる場所として、平成12年(2000)に開設以来、参詣者の人気を集めています。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

    胎内めぐり(100円)を体験しました。本当に真っ暗で、手摺りから手を離せません。行った人は、ぜひ体験してほしいです。

  • 随求堂の中です。

    随求堂の中です。

  • 絵馬があります。

    絵馬があります。

  • 三重塔

    三重塔

  • 西門から京都市内の眺望

    西門から京都市内の眺望

  • 経堂(右の建物)<br /><br />寛永10年(1633)の再建で、平成12年(2000)に解体修理され、西門、三重塔とあわせて美しい丹塗りの建物が続きます。<br />平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が集まる講堂として栄えましたが、それ以降、記録から消え、現在その一切経は伝来していません。<br />堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基(おかむらのぶもと)筆の墨絵の円龍が描かれています。<br />毎年2月15日の涅槃会には、法要のため、堂内に「大涅槃図」が特別に掛けられ、拝観することができます。<br />江戸時代前期から中期に活躍した絵師、 山口雪渓の筆による、縦3.91メートル、横3.03メートルの大きな涅槃図です。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    経堂(右の建物)

    寛永10年(1633)の再建で、平成12年(2000)に解体修理され、西門、三重塔とあわせて美しい丹塗りの建物が続きます。
    平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が集まる講堂として栄えましたが、それ以降、記録から消え、現在その一切経は伝来していません。
    堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基(おかむらのぶもと)筆の墨絵の円龍が描かれています。
    毎年2月15日の涅槃会には、法要のため、堂内に「大涅槃図」が特別に掛けられ、拝観することができます。
    江戸時代前期から中期に活躍した絵師、 山口雪渓の筆による、縦3.91メートル、横3.03メートルの大きな涅槃図です。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 開山堂(一番右の建物)<br /><br />謡曲「田村」に謡われている「田村堂」とは、このお堂のことです。清水寺創建の大本願・坂上田村麻呂公夫妻の像を堂内中央、須弥壇(しゅみだん)上の厨子(ずし)(重要文化財)内にお祀りし、併せて清水寺開基の行叡居士(ぎょうえいこじ)と開山の延鎮上人(えんちんしょうにん)を奉祀しています。<br />三間四方、入母屋造り、檜皮葺。現在の建物は寛永10年(1633)の再建で、平成18年(2006)に修復されたもの。繧繝(うんげん)彩色という手法が施され、丹塗りの柱と屋根をつなぐ組み物は、朱や緑など五色で彩られています。<br />行叡居士坐像・延鎮上人坐像は、特別公開の際に拝観できます。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    開山堂(一番右の建物)

    謡曲「田村」に謡われている「田村堂」とは、このお堂のことです。清水寺創建の大本願・坂上田村麻呂公夫妻の像を堂内中央、須弥壇(しゅみだん)上の厨子(ずし)(重要文化財)内にお祀りし、併せて清水寺開基の行叡居士(ぎょうえいこじ)と開山の延鎮上人(えんちんしょうにん)を奉祀しています。
    三間四方、入母屋造り、檜皮葺。現在の建物は寛永10年(1633)の再建で、平成18年(2006)に修復されたもの。繧繝(うんげん)彩色という手法が施され、丹塗りの柱と屋根をつなぐ組み物は、朱や緑など五色で彩られています。
    行叡居士坐像・延鎮上人坐像は、特別公開の際に拝観できます。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 世界遺産清水寺の説明

    世界遺産清水寺の説明

  • 轟門<br /><br />寛永8〜10年(1631〜33)再建の三間一戸の八脚門で、ここを通って本堂へと向かいます。<br />切妻造り、本瓦葺で、妻や天井の構造は東大寺転害門を縮小して写しています。<br />門の前には、四角にフクロウが彫刻された石造の「梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)」があり、正面には左右両脇に持国天と広目天を、背面には阿・吽形(あ・うんぎょう)の狛犬を安置しています。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)<br /><br />入場料300円を支払い入場

    轟門

    寛永8〜10年(1631〜33)再建の三間一戸の八脚門で、ここを通って本堂へと向かいます。
    切妻造り、本瓦葺で、妻や天井の構造は東大寺転害門を縮小して写しています。
    門の前には、四角にフクロウが彫刻された石造の「梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)」があり、正面には左右両脇に持国天と広目天を、背面には阿・吽形(あ・うんぎょう)の狛犬を安置しています。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

    入場料300円を支払い入場

  • 左手にある朝倉堂は、修理中でした。<br /><br />洛陽三十三所観音霊場第十三番札所。<br />越前の守護大名・朝倉貞景の寄進により、「法華三昧堂」として永正7年(1510)に創建されました。創建当初は朱が鮮やかな舞台造りでしたが、寛永10年(1633)の再建で、全面白木造り、木口のみ胡粉を塗った重厚な雰囲気の建物になりました。<br />堂内には、宝形作り唐様厨子(重要文化財)の内部に、本堂と同様に清水寺型千手観音ら三尊像をお祀りしています。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    左手にある朝倉堂は、修理中でした。

    洛陽三十三所観音霊場第十三番札所。
    越前の守護大名・朝倉貞景の寄進により、「法華三昧堂」として永正7年(1510)に創建されました。創建当初は朱が鮮やかな舞台造りでしたが、寛永10年(1633)の再建で、全面白木造り、木口のみ胡粉を塗った重厚な雰囲気の建物になりました。
    堂内には、宝形作り唐様厨子(重要文化財)の内部に、本堂と同様に清水寺型千手観音ら三尊像をお祀りしています。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 鉄の錫杖(てつしゃくじょう)と高下駄<br /><br />入口左側には、重さ90キログラム以上の大錫杖と14キログラムの小錫杖、12キログラムの高下駄があります。明治中期に奈良県・吉野で修行した修験者から奉納されたものですが、あまりの重さに「弁慶の錫杖と高下駄」とも呼ばれます。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    鉄の錫杖(てつしゃくじょう)と高下駄

    入口左側には、重さ90キログラム以上の大錫杖と14キログラムの小錫杖、12キログラムの高下駄があります。明治中期に奈良県・吉野で修行した修験者から奉納されたものですが、あまりの重さに「弁慶の錫杖と高下駄」とも呼ばれます。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 出世大黒天像<br /><br />本堂外陣の西側で、ニコニコ顔で参拝者を迎えてくれるのは出世大黒天像。<br />大きな黒頭巾と、左肩に宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏む姿は、中世以降に固まった大黒さんのスタイルです。<br />平成20年(2008)に修復され、見事な室町時代の姿が甦りました。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    出世大黒天像

    本堂外陣の西側で、ニコニコ顔で参拝者を迎えてくれるのは出世大黒天像。
    大きな黒頭巾と、左肩に宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏む姿は、中世以降に固まった大黒さんのスタイルです。
    平成20年(2008)に修復され、見事な室町時代の姿が甦りました。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 本堂<br /><br />西国三十三所観音霊場第十六番札所<br />洛陽三十三所観音霊場第十二番札所<br />寛永10年(1633)に再建された、正面36メートル強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂です。<br />堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣、内々陣の三つに分かれ、通常、外陣とさらに外側にめぐらされた廊下を進んで拝観します。<br />建物は、優美な曲線を見せる寄棟造り、檜皮葺の屋根や軒下の蔀戸(しとみど)など、平安時代の宮殿や貴族の邸宅の面影を今に伝えています。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    本堂

    西国三十三所観音霊場第十六番札所
    洛陽三十三所観音霊場第十二番札所
    寛永10年(1633)に再建された、正面36メートル強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂です。
    堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣、内々陣の三つに分かれ、通常、外陣とさらに外側にめぐらされた廊下を進んで拝観します。
    建物は、優美な曲線を見せる寄棟造り、檜皮葺の屋根や軒下の蔀戸(しとみど)など、平安時代の宮殿や貴族の邸宅の面影を今に伝えています。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 奥の院も修理中<br /><br />洛陽三十三所観音霊場第十一番札所。<br />清水寺の起こりとなった「音羽の瀧」の真上に建ち、開基行叡居士(ぎょうえいこじ)と、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)が修行した旧草庵跡と伝えられています。<br />現在の建物は、本堂と同時期の寛永10年(1633)に再建されました。<br />寄棟造りの檜皮葺屋根は美しい反曲線を描き、随所に桃山様式の極彩色文様の跡を残しています。また、本堂と同様の舞台造りで、ここから望む本堂の舞台と京都市街の景観は、絶好の撮影スポット。<br />「奥の千手堂」ともいい、秘仏の御本尊三面千手観音、脇侍地蔵菩薩、毘沙門天と、二十八部衆、風神、雷神をお祀りしているほか、古くは真言宗兼学を伝統していたことから、弘法大師像も奉祀しています。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    奥の院も修理中

    洛陽三十三所観音霊場第十一番札所。
    清水寺の起こりとなった「音羽の瀧」の真上に建ち、開基行叡居士(ぎょうえいこじ)と、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)が修行した旧草庵跡と伝えられています。
    現在の建物は、本堂と同時期の寛永10年(1633)に再建されました。
    寄棟造りの檜皮葺屋根は美しい反曲線を描き、随所に桃山様式の極彩色文様の跡を残しています。また、本堂と同様の舞台造りで、ここから望む本堂の舞台と京都市街の景観は、絶好の撮影スポット。
    「奥の千手堂」ともいい、秘仏の御本尊三面千手観音、脇侍地蔵菩薩、毘沙門天と、二十八部衆、風神、雷神をお祀りしているほか、古くは真言宗兼学を伝統していたことから、弘法大師像も奉祀しています。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • 遠くに見える子安塔も修理中<br /><br />子安塔は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝わっていますが、詳しい創建時期はわかっていません。現在の建物は明応9年(1500)のもので、明治の終わりまで仁王門の左手前に建っていましたが、本堂の南に位置する、錦雲渓を隔てた丘の上に移築されました。高さ約15メートル、檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)をお祀りし、名前の通り安産に大きな信仰を集めてきました。<br />現在、子安塔は修復のため解体工事中ですが、ここからは、西門、三重塔、経堂、開山堂、轟門、朝倉堂、回廊、本堂までがずらりと並ぶ、見事な景観が楽しめます。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    遠くに見える子安塔も修理中

    子安塔は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝わっていますが、詳しい創建時期はわかっていません。現在の建物は明応9年(1500)のもので、明治の終わりまで仁王門の左手前に建っていましたが、本堂の南に位置する、錦雲渓を隔てた丘の上に移築されました。高さ約15メートル、檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)をお祀りし、名前の通り安産に大きな信仰を集めてきました。
    現在、子安塔は修復のため解体工事中ですが、ここからは、西門、三重塔、経堂、開山堂、轟門、朝倉堂、回廊、本堂までがずらりと並ぶ、見事な景観が楽しめます。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • ここが清水の舞台です。

    ここが清水の舞台です。

  • 清水の舞台から京都市内の眺望

    清水の舞台から京都市内の眺望

  • 京都タワーも見えます。

    京都タワーも見えます。

  • 地主神社<br /><br />現在のご社殿は1633年(寛永10年)、徳川三代将軍家光公の再建によります。入母屋造りと権現造りの様式を兼ね備えた桧皮葺極彩色の華麗優美な建築は、双堂という奈良時代の様式をも今に伝え、わが国の神社建築史上、貴重な存在であるとして、国の重要文化財に指定されています。特に、ご社殿内部の華麗な極彩色模様は、平安朝の優雅さと桃山文化の雄大さを巧みに取り入れた彩色で、比類のない見事さです。<br />本殿・拝殿・総門と共に境内地そのものが国の重要文化財に指定されています。また地主神社は世界文化遺産にも登録されています。<br />(以上、地主神社公式ホームページより引用)

    地主神社

    現在のご社殿は1633年(寛永10年)、徳川三代将軍家光公の再建によります。入母屋造りと権現造りの様式を兼ね備えた桧皮葺極彩色の華麗優美な建築は、双堂という奈良時代の様式をも今に伝え、わが国の神社建築史上、貴重な存在であるとして、国の重要文化財に指定されています。特に、ご社殿内部の華麗な極彩色模様は、平安朝の優雅さと桃山文化の雄大さを巧みに取り入れた彩色で、比類のない見事さです。
    本殿・拝殿・総門と共に境内地そのものが国の重要文化財に指定されています。また地主神社は世界文化遺産にも登録されています。
    (以上、地主神社公式ホームページより引用)

  • 清水の舞台<br /><br />昔から思い切って決心することを「清水の舞台から飛んだつもりで・・・」といいますが、その語源となったのが、この場所。<br />錦雲渓(きんうんけい)の急な崖に、最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べ、「懸造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。<br />本堂から張り出した「舞台」はちょうど4階建てのビルの高さにあたり、京都市街の眺望が見事。面積は約190平方メートル、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧舞台」です。<br />この舞台はもともと、御本尊の観音さまに芸能を奉納する場所で、平安時代から雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納されてきました。現在でも重要な法会には、舞台奉納が行われます。

    イチオシ

    清水の舞台

    昔から思い切って決心することを「清水の舞台から飛んだつもりで・・・」といいますが、その語源となったのが、この場所。
    錦雲渓(きんうんけい)の急な崖に、最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べ、「懸造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。
    本堂から張り出した「舞台」はちょうど4階建てのビルの高さにあたり、京都市街の眺望が見事。面積は約190平方メートル、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧舞台」です。
    この舞台はもともと、御本尊の観音さまに芸能を奉納する場所で、平安時代から雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納されてきました。現在でも重要な法会には、舞台奉納が行われます。

  • 子安塔から清水の舞台が見えます。

    子安塔から清水の舞台が見えます。

  • 音羽の瀧<br /><br />清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となったのがこの瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。<br />3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列ができるほどの人気の場所ですが、元は瀧行の場。開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も水垢離が行われています。<br />(以上、清水寺公式ホームページより引用)

    音羽の瀧

    清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となったのがこの瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。
    3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列ができるほどの人気の場所ですが、元は瀧行の場。開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も水垢離が行われています。
    (以上、清水寺公式ホームページより引用)

  • ぐるっと回って、西門の下に来ました。

    ぐるっと回って、西門の下に来ました。

  • 仁王門をくぐって帰ります。

    仁王門をくぐって帰ります。

  • お土産屋さんがにぎわっています。

    お土産屋さんがにぎわっています。

  • 八坂神社<br /><br />八坂神社は、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)を祀ります。 <br />日本神話でも知られるように、スサノヲノミコトは、ヤマタノオロチ(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し、クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらした偉大な神さまです。<br />八坂神社の歴史は、社伝によれば平安建都の約150年前の斉明天皇2年(656)と伝えられています。都の発展とともに、日本各地から広く崇敬を集め、現在も約3千の分社が日本各地にあります。<br />八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称しましたが、明治維新の神仏分離にともなって、「八坂神社」と改称しました。<br />(以上、八坂神社公式ホームページより引用)

    イチオシ

    八坂神社

    八坂神社は、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)を祀ります。
    日本神話でも知られるように、スサノヲノミコトは、ヤマタノオロチ(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し、クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらした偉大な神さまです。
    八坂神社の歴史は、社伝によれば平安建都の約150年前の斉明天皇2年(656)と伝えられています。都の発展とともに、日本各地から広く崇敬を集め、現在も約3千の分社が日本各地にあります。
    八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称しましたが、明治維新の神仏分離にともなって、「八坂神社」と改称しました。
    (以上、八坂神社公式ホームページより引用)

  • 東日本大震災の復興を祈願

    東日本大震災の復興を祈願

  • 西楼門

    西楼門

  • 西楼門

    西楼門

  • 南楼門

    南楼門

  • 本殿<br /><br />国の重要文化財に指定されている本殿は、かつて別棟であった二つの建造物-本殿と拝殿-とを一つの屋根で覆ったもので、他に類例のない建築様式であることから、「祇園造」とよばれている。本殿の建築についての文献上の初見は、『二十二社註式』所引の承平5年(935)6月15日の太政官符で<br />・神殿五間檜皮葺一宇<br />・天神、婆利女、八王子<br />・五間檜皮葺礼堂一宇 <br />とあり、本殿と礼堂(現在の拝殿)が別棟であることが記されている。元徳3年(1331)に描かれた当社の古図(国指定重要文化財)には、すでに現在の姿の本殿が描かれており、研究の結果、この古図の原本は寛和2年(986)のものであることが判っていることから、本殿建築が「祇園造り」の様式になったのは、承平5年(935)から寛和2年(986)の間とされている。現在の本殿は、明応元年(1492)に再建されたものが正保3年(1646)に焼失したあと、承応2年(1653)10月より工事が進められ、同三年(1654)11月に竣功をみたものである。<br />(以上、八坂神社公式ホームページより引用)

    本殿

    国の重要文化財に指定されている本殿は、かつて別棟であった二つの建造物-本殿と拝殿-とを一つの屋根で覆ったもので、他に類例のない建築様式であることから、「祇園造」とよばれている。本殿の建築についての文献上の初見は、『二十二社註式』所引の承平5年(935)6月15日の太政官符で
    ・神殿五間檜皮葺一宇
    ・天神、婆利女、八王子
    ・五間檜皮葺礼堂一宇
    とあり、本殿と礼堂(現在の拝殿)が別棟であることが記されている。元徳3年(1331)に描かれた当社の古図(国指定重要文化財)には、すでに現在の姿の本殿が描かれており、研究の結果、この古図の原本は寛和2年(986)のものであることが判っていることから、本殿建築が「祇園造り」の様式になったのは、承平5年(935)から寛和2年(986)の間とされている。現在の本殿は、明応元年(1492)に再建されたものが正保3年(1646)に焼失したあと、承応2年(1653)10月より工事が進められ、同三年(1654)11月に竣功をみたものである。
    (以上、八坂神社公式ホームページより引用)

  • 舞殿

    舞殿

  • 鳥居をくぐって円山公園へ

    鳥居をくぐって円山公園へ

  • 円山公園

    円山公園

  • 円山公園

    円山公園

  • 知恩院へ

    知恩院へ

  • 知恩院の三門が見えてきました。

    知恩院の三門が見えてきました。

  • 知恩院<br /><br />法然によって創立された浄土宗の総本山。

    イチオシ

    知恩院

    法然によって創立された浄土宗の総本山。

  • 修理中でした。

    修理中でした。

  • 三門<br /><br />元和7年(1621)、徳川二代将軍秀忠公命を受けまして建立されました。<br />構造は入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、わが国現存の木造建築として最大の二重門で、外に掲げられている「華頂山」の額は、大きさは畳二畳以上にもなります。<br />一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、「三門」と書きます。これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)を意味しています。<br />上層部(楼上)内部は、仏堂となっており、中央に宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像(いずれも重要文化財)が安置されているほか、天井や柱、壁などには迦陵頻伽や天女、飛龍が極彩色で描かれていて、荘厳な雰囲気を備えています。 <br />また、七不思議の一つである白木の棺があり、三門を建立した棟梁、五味金右衛門(ごみきんえもん)夫妻の木像が安置されています。<br />通常は非公開ですが、毎年春と秋の特別公開の期間中には七不思議のひとつ白木の棺や、華麗な楼上内部を目にしていただくことができます。<br />(以上、知恩院公式ホームページより引用)

    三門

    元和7年(1621)、徳川二代将軍秀忠公命を受けまして建立されました。
    構造は入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、わが国現存の木造建築として最大の二重門で、外に掲げられている「華頂山」の額は、大きさは畳二畳以上にもなります。
    一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、「三門」と書きます。これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)を意味しています。
    上層部(楼上)内部は、仏堂となっており、中央に宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像(いずれも重要文化財)が安置されているほか、天井や柱、壁などには迦陵頻伽や天女、飛龍が極彩色で描かれていて、荘厳な雰囲気を備えています。
    また、七不思議の一つである白木の棺があり、三門を建立した棟梁、五味金右衛門(ごみきんえもん)夫妻の木像が安置されています。
    通常は非公開ですが、毎年春と秋の特別公開の期間中には七不思議のひとつ白木の棺や、華麗な楼上内部を目にしていただくことができます。
    (以上、知恩院公式ホームページより引用)

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