
2007/03/21 - 2007/03/26
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Tatsuoさん
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初めて訪れたローマ。
ローマ市内の定番を中心に巡ります。
古代ローマの面白さにハマるきっかけとなった旅です。
【1】サン・ピエトロ大聖堂
【2】コロッセオとフォロ・ロマーノ
【3】オスティア遺跡
>【4】ローマ市内遺跡巡り
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【4】オスティアからローマ市内に戻ったのはまだ14時過ぎ。
早いのでこれから市内の遺跡を巡ることにします。
アウレリアヌス城壁からカラカラ浴場、チルコ・マッシモを通ってパンテオンまで北上しました。
翌日帰国の日にテルミニ駅近くのディオクレティアヌス浴場跡を見て遺跡巡りを締めくくります。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
ピラミデ~古代ローマはエジプトかぶれ(イタリア)
http://roman-ruins.com/pyramide/
アウレリアヌス城壁~ローマ衰退の象徴(イタリア)
http://roman-ruins.com/aurelian-walls/
アッピア街道の第1マイルストーン(イタリア)
http://roman-ruins.com/milestone/
アッピア街道・起点のカペーナ門からチェチーラ・メテッラの墓まで(イタリア)
http://roman-ruins.com/appia/
カラカラ浴場~巨大テルマエ(公衆浴場)の代表(イタリア)
http://roman-ruins.com/caracalla/
テルミニ駅近くに痕跡を留める巨大テルマエ~ディオクレティアヌス浴場(イタリア)
http://roman-ruins.com/thermae-diocletiani/
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【1】3/21(土)成田発
(21:55発 エールフランス277便)
=ローマ着
3/22(日)サン・ピエトロ大聖堂
【2】3/23(月)コロッセオ
フォロ・ロマーノ
【3】3/24(火)オスティア
>【4】 サン・セバスティアーノ門から
ローマ市内に入り遺跡巡り
3/25(水)ディオクレティアヌス
浴場跡
サンタ・マリア
・デッリ・アンジェリ教会
ローマ発
3/26(木) 成田着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
オスティアからローマ・リード線の起点ローマ・ポルタ・サン・パオロ駅(Roma Porta San Paolo) に14時過ぎに戻って来ました。
さて駅名のポルタ・サン・パオロ(Porta San Paolo)、これはサン・パオロ門という意味。ローマを取り囲むアウレリアヌス城壁の門があった場所で、ここは古代からオスティアに向かうオスティエンセ街道の起点でした。
しかし駅前に出てみると城門より目立つのはピラミッド(イタリア語で「ピラミデ」)。
紀元前10年代に作られたもので、執政官を務めたガイウス・ケスティウスという人物の墓だそうです。そばで見ると結構大きいものです。実物を見たことはありませんが、もちろん本物のピラミッドよりはるかに小さいのですが。
表面は大理石に覆われて白く輝き、とても存在感があります。エジプトのピラミッドも元は大理石に覆われていたといいますから、こんな感じだったのでしょう。
ローマ人はオベリスクを何基も持ってきて街中に立てていたので(サン・ピエトロ広場のを初め13本残っているそうです)、エジプトブームとでも言えるような流行りがあったのでしょう。ローマ人のこういうところが日本人に似ている気がします。
ピラミッドは城壁とつながって一体化しています。すぐ右側にあるのがサン・パオロ門。高さはピラミッドより高いようですが、やはり存在感はピラミッドのほうが圧倒的に上です。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
ピラミデ~古代ローマはエジプトかぶれ(イタリア)
http://roman-ruins.com/pyramide/ -
サン・パオロ門に連なる城壁に沿って歩いてみることにしました。
城壁の内側に沿う道を東に向かいます。登り坂になっています。
辺りは静かな住宅地。歩道にベンチが置かれ、ゆったりとしたいい雰囲気の場所です。
このアウレリアヌスの城壁は、ローマ帝国への北方異民族の侵入が頻繁に起きて脅威になっていた3世紀後半、アウレリアヌス帝により建設されたものです。
ヨーロッパというと街が城壁に囲まれているイメージですが、ローマでは紀元前4世紀にこれよりずっと内側にセルウィウスの城壁が築かれて以来、ローマ市街がその城壁のずっと外側まで広がっても新たな城壁が築かれませんでした。つまり何世紀にも渡ってローマは城壁のない街だったのです。パクス・ロマーナ=ローマの平和というのはこんなところに形になって現れています。
このアウレリアヌスの城壁はパクス・ロマーナが過去のものとなり、ローマ帝国の崩壊が始まったことを象徴するものと言えます。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
アウレリアヌス城壁~ローマ衰退の象徴(イタリア)
http://roman-ruins.com/aurelian-walls/ -
いったん登ったあと、城壁は直角に右に折れて下り坂になり、坂を下りきったところで大きな道路に出ました。
カラカラ浴場の方から来たカラカラ通りです。道は城壁のアーチをくぐって外に続きます。
ここはアルデアティーナ門という城門のあった場所です。
城門を出ると通りはクリストフォロ・コロンボ通りと名前を変え、エウルを通ってまっすぐ海まで通じています。もともとはオスティアにつながる道だったと思われます。 -
ここから城壁の外側に沿った坂道を登って行きます。
城壁は頑丈な作りで、攻めるためのものと思われる穴が開いています。 -
坂を登り切ったところに立派な城門があります。ローマ街道の花形、アッピア街道への出入口となるアッピア門。今ではサン・セバスティアーノ門と呼ばれています。
これが元々の城門の姿でしょう。やはり外敵から守るためにできたものというのが実感できる頑強な姿。まさに城です。
中は博物館になっているのですが既に閉館時間の14時を過ぎています。残念。
中央は車道で内から外への一方通行です。
今ではこの門はサン・セバスティアーノ門という名前で呼ばれています。これは後の4世紀に作られたサン・セバスティアーノ・フォーリ・レ・ムーラ教会にちなんだものでしょう。アッピア街道を少し行ったところにあるカタコンベで有名な教会です。
でも私はアッピア門と呼びたいです。 -
城門の正面にアッピア街道が伸びています。
路面は石畳で、車が通るとタイヤがゴロゴロ音を立てます。狭くて歩道もなく、バスも通るので歩くのはちょっと怖いです。 -
100mほど進んだ右側に壁に埋もれるように立っているのがマイルストーン。
ローマ街道に沿って1マイル(約1.5km)毎にこれが建てられていたのです。
マイルストーンの一番上に「I」、つまりローマ数字で1と刻まれていて、アッピア街道の第一番目のマイルストーンであることを示しています。
建設当時のアッピア街道の起点は、チルコ・マッシモの南東部にあって現在は残っていないカナペ門で、そこから1マイルの地点になります。
(2003/4/25訂正)
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
アッピア街道の第1マイルストーン(イタリア)
http://roman-ruins.com/milestone/ -
城門を出たところに大理石でできた水飲み場があります。
掘られた人物像がすり減っていて古そうな感じです。 -
アッピア門から中に入るとすぐに、ドルーススの凱旋門と呼ばれているアーチがあります。ドルーススは2代皇帝クラウディウスの弟ですが、実際にはこのひととはなんの関係もなく、トラヤヌスの凱旋門が後に水道に転用されたものだそうです。
その水道はマルキア水道から分岐するアントニアーナ水道で、紀元226年、マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝が建造したものです。この名前より別名の「カラカラ帝」の方が馴染みがありますが、その名前のついたカラカラ浴場に水を引くために引いたものです。
道をまたぐこの部分だけがぽつんと残っています。
※(2018/1/16)別名アレクサンドリア水道、ローマの11本の水道のうちで最後に引かれたもの、と記載していましたが誤りでした。 -
ローマ中心地の方向に歩きます。
車はちょくちょく通りますが人通りはほとんどなく、寂しい道です。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
アッピア街道・起点のカペーナ門からチェチーラ・メテッラの墓まで(イタリア)
http://roman-ruins.com/appia/ -
道端に水飲み場がありました。
いつからあるものでしょうか。 -
しばらく進むと大通りに出ます。
道端に謎の建物があります。なんでしょうか。
左前方にはカラカラ浴場の威容が聳えています。 -
カラカラ浴場の切符売り場に近づくと、受付の女性が「イチユーロ」と言っています。一瞬なんのことかと思いましたが、入場料「1ユーロ」でした。日本語を予期していないときに聞くとかえってわかりません。
中に入ると、風呂というのが信じられないような広大な敷地の中央に、巨大な建物が建っています。
それもそのはずで、単なる入浴施設ではなく、体育館や図書館まである総合レジャー施設だったのです。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
カラカラ浴場~巨大テルマエ(公衆浴場)の代表(イタリア)
http://roman-ruins.com/caracalla/ -
かつてはいくつもの部屋にわかれ、様々な浴槽がありました。
天井が失われていてなかなか当時の姿を思い浮かべるのは難しいのが残念です。 -
部屋の一つにきれいな幾何学模様のモザイクが残っています。
-
床のモザイクの断片が置かれています。
オスティアで見た龍の絵に似ています。あのようなダイナミックな絵がこの広い空間の床に描かれていたら、さぞ迫力があったろうと思います。 -
カラカラ浴場を出て、北西に進むとチルコ・マッシモに突き当たります。
左手のチルコマッシモの南側の道を進みます。
広大な細長い空き地という感じです。
かつて戦車競走などが開催された10万人収容の巨大な競技場ですが、当時の姿を思い浮かべるのはちょっと難しいです。
向こうに見えるのはパラティーノの丘です。
昨日丘の上から見た皇帝ドミティアヌスの宮殿が丘の斜面を覆い尽くして聳えています。 -
さらに北上すると、鉄柵の向こう側に「真実の口」がありますが、人が行列を作っているのでパスします。みんな古代ローマの下水の蓋に手を突っ込むために並んでいるのです。
更に北上すると左手にマルケルス劇場が見えてきました。
アウグストゥスの時代に作られた古代劇場の跡です。
後の時代に要塞や住居に転用され増改築されていて、かつての姿がどうだったのかよくわかりません。
今は上部がアパートになっているそうです。ヨーロッパは古い建物を大事に使い続けるようですが、ここまで古い建築物が住居に使われているというのはさすがに珍しいでしょう。 -
パンテオンに向けて北西に向かいます。
街中を歩いていたら噴水がありました。古代ローマの時代から水道で運ばれた水が街の隅々まで行き渡っていましたが、今のローマもあちこちに噴水があります。
これはいつの時代のものでしょうか。 -
大通りだと遠回りなので、街中の少し細い道を抜けて行きます。
-
大通りのヴィットリオ・エマヌエーレ?世通り(Corso Vittorio Emanuele II)の手前にトッレ・アルジェンティーナ広場があります。
ここは共和政ローマ時代の聖域で、4つの神殿があったとのこと。現在発掘中です。
この西側にはローマ劇場の原型となったポンペイウス劇場がありました。
カエサルが暗殺されたのはポンペイウス劇場につながる列柱廊とのこと。つまりこの西側辺りということになります。
てっきりフォロ・ロマーノ内の元老院議場の近くだと思っていましたが、当時の元老院議場はポンペイウス劇場の一画にあったそうです。フォロ・ロマーノに今も残る元老院議場クリア・ユリアはカエサルが建てさせたものですが、このときまだ建設中でした。 -
パンテオンに到着しました。
思っていた以上に巨大です。2000年前の建物というのが信じられません。でも均整のとれた形とすっきりした外観のせいか、威圧感はあまりありません。
上部に文字が刻まれているのがはっきりと見えます。M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT(ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、3度目のコンスルの際に建造)と書かれているとのこと。これは紀元前25年にグリッパが建造したものです。
アグリッパはアウグストゥスの腹心であり、軍事や建築に才能を発揮してアウグストゥスと共にローマ帝国の基礎を作った人物です。
実際にはアグリッパが立てた最初のパンテオンは火災に逢い、現在の姿は2世紀初めにハドリアヌス帝によって再建されたものです。 -
イベントか何かあるらしく、中には入れませんでした。
観光客はみんな半開きの扉の隙間から中を覗いています。 -
正面は四角い形をしていますが、後ろは円形です。
円形の部分に巨大なドームの天井がかけられている構造です。
壁は大理石に覆われていたようですが、今は剥ぎ取られて芯になっているレンガがむき出しの状態です。 -
パンテオンから南下して、カピトリーノの丘にやって来ました。昨日に続いて2回目の訪問です。
なぜまた来たかというと、昨日は知らなかったので素通りしてしまったものがあるから。
それは正面の階段から一番右側に見えるものです。 -
目的のものはこれ。
先ほど見たアッピア街道最初のマイルストーンは実はレプリカで、本物はこれなのです。
ミケランジェロは広場の飾りとして、ここに持ってきて設置したのでしょうか。
本来の役割を果たしていない姿はちょっと悲しく感じてしまいます。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
アッピア街道の第1マイルストーン(イタリア)
http://roman-ruins.com/milestone/ -
ホテルのあるテルミニ駅前に向かいます。
地下鉄に乗ってもよかったのですが、なんとなく歩いてみることにしました。
建物の間からコロッセオが見えます。
どこにでもある現代の都市の光景の中に、2000年前のものがひょっこり顔を出す。
ローマというのは本当に不思議な街です。 -
さて本日最後の遺跡はテルミニ駅前の城壁です。
先ほど見たアウレリアヌス城壁の内側にあったセルウィウス城壁です。まだローマが共和制で小さな国だった紀元前4世紀頃のものです。
ターミナル駅の駅前に2400年も前の遺跡が残り、きれいに保存されていること、そして2400年前の都市が今も都市として栄えていることには、本当に驚きです。 -
駅の地下街にも数カ所、城壁が顔を出しています。
-
夕食はテルミニ駅の2階にある売店で買ったもので済ませます。
サンドイッチのようなものですが、トマトとチーズが新鮮で意外とおいしいものでした。 -
夜テレビでサン・ピエトロ広場で話すローマ法王が写されていました。
昨日広場に椅子が並べられていたのは、この謁見があるからだったようです。 -
エレベータの中に夏時間の案内が貼ってありました。
今夜2時が3時に、1時間進みます。
日本では馴染みがないのでピンと来ません。
一番下に手書きの日本語があります。朝食の時にもレストランにたくさんの日本人がいましたが、やはり日本人が多く泊まるのでしょう。
ところでこれは誰が書いたのでしょうか? -
さて日が変わっていよいよ帰国の日です。
今日から1時間進んでいるので気をつけないといけません。
朝食後9時ころ、飛行機の出発まで少し時間があるので、最後にテルミニ駅の近くにあるディオクレティアヌス浴場の跡を見ていくことにしました。
駅名の「テルミニ」は浴場を表す「テルメ(Terme)」がもとになった地名です。 -
浴場跡が残る共和国広場に行こうとホテルから北に向かう途中、何か古そうな建物が道に付き出していました。もしかして浴場の一部でしょうか。
真ん中は裏手にあるショッピングセンターの駐車場への通路、左手はレストランになっています。
後でwikipediaにある浴場の配置図と比べてみたら、これは浴場の南西の隅にあったドームのようです。(http://en.wikipedia.org/wiki/Baths_of_Diocletian)
教会だけでなく、この辺り一帯に残骸がいろいろ残っているようです。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
テルミニ駅近くに痕跡を留める巨大テルマエ~ディオクレティアヌス浴場(イタリア)
http://roman-ruins.com/thermae-diocletiani/ -
共和国広場に着きました。
中央に噴水のある大きな円形の広場です。
西側は百貨店やホテルの建物が半円形に建っていますが、これはディオクレティアヌス浴場の西側外壁の「エクセドラ」と呼ばれる丸く突き出た部分の上に建てられています。
この半円形の部分は浴場の壁面の長さの3分の1ほどなので、全体の巨大さは想像をはるかに越えています。 -
共和国広場の東側には遺跡のようなものがあります。
これがサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会のようです。 -
この教会はディオクレティアヌス浴場の遺構を利用して作られたもので、ミケランジェロの設計です。
教会の入り口の壁面が丸くくぼんでいます。これはカルダリウム(高温浴室)という、床と壁に通した温風で温めた高温の部屋の内壁です。つまりこちら側が部屋の中です。
遺跡を教会に転用したものはパンテオンをはじめ他にも見られますが、建物の内壁を教会の外壁にするというのはかなり奇抜な発想で、とても印象に残ります。
そんなところが天才ミケランジェロならではなのかもしれません。 -
教会の中に入るとドームになっています。
天井の中央に開いた穴から光が差し込んで壁に光の点ができていました。
幻想的な雰囲気です。
しかし元はテピダリウム(微温浴室)という低温の部屋で、体をゆっくり温めてまったりとするところ。宗教的な雰囲気とは無縁の空間だったのです。 -
テピダリウムのドームの先は長方形の広大な空間になっています。
柱には巨大な宗教絵画がかかり、壁や天井の装飾とあいまって荘厳な雰囲気です。
ここは浴場の中央部分で、フリギダリウムという名の大ホールでした。
この先は祭壇が据えられた空間があります。
かつてここはナタティオと呼ぶ大プールがあったところです。 -
教会の北側にあるローマ博物館もディオクレティアヌス浴場の遺構を使ったものです。時間がないので中には入れませんでした。
この周辺には浴場の遺構や遺物が他にもいろいろあるようですが、今回は時間切れ。またの機会にもっと下調べをしてから来てみたいと思います。 -
ホテルのエレベータです。
扉は手で手前に開けます。ヨーロッパのホテルでは手動の扉はよく見かけます。 -
3泊したアトランティコをチェックアウトします。
今11:20。
帰りの成田行きは13:55分発なので、あと2時間半と結構余裕がなくなってしまいました。 -
テルミニ駅から空港に向かいます。
空港までの直通特急レオナルドエクスプレスの乗り場は、一番右のホームのずっと先にあり、かなり歩きます。
スーツケースを転がして走ります。 -
11:50の列車に乗ることができました。
空港までは35分程度なのでなんとか間に合いそうです。
イタリアの鉄道とは思えないようなきれいな社内でほっと一息つきます。 -
空港までは畑の広がるのどかな景色の中を走ります。
空港はアドリア海の近くにあり、テベレ川を挟んで南側には昨日行ったオスティアがあります。
空港のある場所は第4代クラウディウス帝が作ったクラウディウス港の場所にあります。古代の港が現代の空港になっているのです。
空港のすぐそばには、クラウディウス港がテベレ川からの土砂でうまってきたために作られたトラヤヌス港が、今でも六角形の湖として残っています。 -
空港到着は12:25頃。ぎりぎりセーフでした。
カウンターで私の前にチェックインした日本人の女性二人連れが、「まだ出発まで2時間半あるから買い物の時間がある」と言って係員に訂正されていました。
今日から夏時間に変わったのを知らなかったのですね。
定刻13:55にフィウミチーノ空港を出発。
離陸してすぐ、六角形のトラヤヌス港跡が一瞬見えました。
最後まで遺跡三昧で、3泊とはとても思えない中身の濃いローマ旅行はこうして無事終了しました。
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ローマ4泊6日・古代ローマの面白さに目覚めた旅(2007年3月)
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旅行記グループ ローマ4泊6日・古代ローマの面白さに目覚めた旅(2007年3月)
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