2012/05/25 - 2012/05/27
372位(同エリア657件中)
mingさん
レギスタン広場で写真を撮っていると、警備員が「ミナレットに登らないか?」と誘ってきた。「5ドルでOKだ。」と言い、施錠のかかったミナレットの扉を開けてくれた。
【生活費】3万円
【飛行機】9万円
【通貨単位】1000ソム=50円
【英語通用度】5人に2人
【旅程】5日間
5/25タシケント
5/26サマルカンド
5/27サマルカンド
5/28タシケント
5/29帰国
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- アシアナ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
(1)『雪化粧の天山山脈』
5/25 17:20ソウル発タシケント行きの飛行機は予定より30分遅れてソウルを出発した。
ウズベキスタンでは国家が輸入制限政策を取っており、個人で日本や韓国から食品や工芸品を大量に持ち込むため、飛行機の出発が遅れたとのことであった。
2時間ほど飛ぶと、眼下に天山山脈が広がった。5月下旬にも関わらず辺り一帯が雪に覆われ、4000m級の山々が連なる風景はとても雄大であった。 -
(2)『動かぬタクシー』
空港周辺で待っているタクシーに乗ると、ダッシュボードを開けて「(現地通貨の)ソムをいいレートで両替するよ。」と札束を取り出してきた。
「ホテルで両替するから必要ない。」と言っても、「ホテルよりレートはいい。」と言ってタクシーが動き出さない。
イスラム圏の頑固さである。
結局、空港から離れた所でプライベートタクシーと交渉し、1万円を184,600ソム(1,000ソム札が184枚)に両替し、タクシー代5,000ソム(=250円)で交渉が成立した。
23:00にようやくホテルに到着した。 -
(3)『サマルカンド駅』
5/26 6:30サマルカンド行きの列車に乗るため、タシケント駅に到着した。
午前中の便は7:00と8:30の2本しかなく、駅に到着した頃には7:00発のチケットはすでに売り切れであった。
チケット売場では英語があまり通じなかったため、列車名の「サマルカンド、ナザフ、ワン(ナザフ号を1枚)」と21,000ソム(=1,050円)を出し、何とか8:30発のチケットを入手した。
12:10定刻通りにサマルカンドに到着した。あいにくの曇り空であったため、街の中心部を軽く廻り、その日は早めに休むことにした。 -
(4)『グリ・アミール廟』
5/27 前日の曇り空が嘘のように、シルクロードらしい青空が広がっていた。新市街のホテルより22番のバス(500ソム=25円)に乗り、旧市街へと向かった。
グリ・アミール廟は1404年に造られたティムール時代の美しいモスクの1つである。
ティムールは世界中の腕利き職人をサマルカンドに集めるために遠征を続けたとさえ言われている。征服地からは優秀な学者や職人を戦利品さながら連れ帰った。 -
(5)『ティムールの墓石』
グリ・アミール廟内部は3キロの金でツタ紋様に装飾され、ライトアップにより廟の内部は金色に光っていた。中央の黒い墓石がティムールの墓石である。
外観に着目するとドームが二重構造となっており、内部から見るよりも外観が高く見える。
スクウィンチと呼ばれる接触面を正十六角形にする方法で正方形の部屋の上に丸いドームを乗せており、十数世代の間に蓄積された職人たちの技術の結晶を見ることができる。
この建築方法は、1653年に完成したタージ・マハルなどのムガル建築に大きな影響を与えた。 -
(6)『レギスタン広場』
9:30 グリ・アミール廟から15分ほど歩き、レギスタン広場に到着した。
レギスタンとは砂の広場を意味する。ティムール時代には大きな屋根のついたバザールであり、3つのメドレセが完成したのはティムール時代から200年以上経過した1660年であった。 -
(7)『ウルグベク・マドラサ』
レギスタン広場の西側にあるウルグベク・マドラサは、1420年ティムールの孫であるウルグベクによってが建てられた。入口のアーチに描かれた青い星が美しいマドラサである。
マドラサとは神学校を意味し、当時は100名以上の学生が寄宿し、アラビア語や数学や天文学などが教えられていた。 -
(8)『秘密の入口』
ウルグベク・マドラサの写真を撮っていると、警備員が「ミナレット(=塔)に登らないか?」と誘ってきた。
「いくらなの?」と尋ねると、「50ドルだ。」と警備員が答えた。
「ネットで他の人は5ドルで登ったと書いてあった。」と返答すると、「5ドルでOKだ。」と言い、右側のミナレットの施錠のかかった扉を開けてくれた。
本には載っていないイベントの発生に、「ドラクエみたいだ。」と少し興奮した。 -
(9)『ミナレットの上部へ』
ミナレットの内部では数人の観光客とすれ違い、「警備員の小遣い稼ぎも好調ですな。」と思いつつ、狭い階段を登った。
ミナレット上部は螺旋状の階段となっており、200段ほど登り頂上に到着した。 -
(10)『ミナレットからの眺め』
ミナレットは高さ35mほどあり、周囲の景色が一望できた。
すぐ近くにあるビビハニム・モスクは巨大なモスクであるが、写真左側の大モスクとその正面を飾るファサードの大きさは際立っていた。 -
(11)『シェルドル・マドラサ』
1636年レギスタン広場の東側にシェルドル・マドラサが完成した。
シェルドルとは、ライオンが描かれたという意味で、小鹿を追うライオンが人面を帯びた日輪を背に描かれている。
イスラームでは偶像崇拝が否定されているが、敢えてそのタブーを破り人や動物の姿をモチーフとした珍しい装飾である。 -
(12)『ティラカリ・マドラサ』
1660年レギスタン広場の正面に3つ目のマドラサが完成した。
ティラカリとは、金で覆われたという意味で、青いドームの下にある礼拝所には黄金の装飾や星や植物の文様が描かれ、当時はマドラサ(=神学校)だけではなく、モスク(=礼拝所)としても使用された。
礼拝所の天井(=写真)には、バラのモチーフが織りなす幾何学的なアラベスク模様が美しく施されている。 -
(13)『ビビハニム・モスク』
タシケント通りをしばらく歩き、巨大なビビハニム・モスクに到着した。
1399年、インドへの遠征から帰ったティムールは妃のビビハニムのために壮大なモスクを造る決意をした。
建設には200人の職人と500人以上の労働者に加え、95頭の象が従事した。
入口に幅19m、高さ35mの巨大なアーチの主門があり、広大な敷地の正面に大モスク、その両脇に小モスク、四隅にミナレットが建てられている。
1404年、わずか5年で建てられたため、完成後から自然に崩壊が始まり、度重なる地震で損傷も激しく廃墟となっていった。 -
(14)『ビビハニム廟で遊ぶ子供たち』
ビビハニム・モスクと同時期に建てられたビビハニム廟が向かいにある。
壁に囲まれた広場は子供たちのよい遊び場となっていた。カメラを持った観光客が珍しいらしく、「写真撮ってよ。」と興奮して遺跡の壁の上で各々がポーズをとっていた。 -
(15)『ショブ・バザールにて』
ビビハニム・モスクのすぐ裏手に、ショブ・バザールがある。
大きなナンはサマルカンドの名物である。直径が30cmほどで食感はモチモチとしている。2,000ソム(=100円)と格安であり、作り手によってナンの中央に異なったマークをつけている。
14世紀頃はモンゴル人やインド人、ヨーロッパ人、トルコ人らの商人でいつも活気に満ちており、バザール周辺はキャラバンサライ(=隊商宿)が軒を連ねていた。
かつての交易の中心にふさわしく、ヨーロッパ産の革製品、中国産の絹、インド産の香辛料などが街で積み替えられ、各地へと運ばれていった。 -
(16)『アフラシャブの丘から』
サマルカンドの起源は紀元前10世紀で、ソグド人により交易の中心地として繁栄した。
紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の攻撃や、7世紀の玄奘三蔵の訪問など幾度も歴史の表舞台に顔を出した。
1220年チンギスハンによって徹底的に破壊され、かつてサマルカンド市街があったアフラシャブは現在では荒野となっている。 -
(17)『シャーヒ・ズィンダ廟群』
シャーヒ・ズィンダには、ペルシャ語で生ける王の異名を持つクサム・イブン・アッバースが葬られている。クサムはムハンマドのいとこで、7世紀に初めてサマルカンドにイスラームを伝えた人物とされている。
一番奥の青いアーチの右側のドアが、クサム・イブン・アッバース廟の入口となっている。1220年のモンゴル来襲の際もこの廟だけは破壊をまぬがれ、現在ではサマルカンドで最も古い建造物となっている。 -
(18)『ティムール広場』
20:30 サマルカンドから特急に乗りタシケントに到着した。
タシケントは、ソ連時代に中央アジア全体の行政の中心として位置付けられていた。
古来から商業都市として発達したタシケントは、伝統的なオアシス都市に近代都市を継ぎ足した街並みが他の中央アジアの諸都市との違いである。 -
(19)『チョルスー・バザール』
チョルスー駅を出ると、チョルスー・バザールの真ん中に出る。
青緑色の屋根がウズベキスタンっぽくて特徴的である。
かつて、タシケント市街はチョルスーバザールを中心に広がっており、周囲は城壁で囲まれていた。
バザール周辺には多数のモスクやロシア統治以前の旧市街の街並みが残っている。 -
(20)『タシケントの学生』
ウズベキスタンではカメラが普及しておらず、撮影に笑顔で応じてくれた。
1人ははにかみ、1人は顔を覆いと、「ウズベキスタンでの一眼レフは、日本でのテレビカメラに近い感覚かもしれない。」とも思った。
純粋な笑顔を撮影した写真は、ウズベキスタンの人々の素朴さと優しさを象徴するような1枚のように思えた。
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