2010/04/13 - 2010/04/16
196位(同エリア375件中)
mingさん
紀元前1世紀にローマ帝国の攻撃を防いだ天然要塞ペトラ。断崖に挟まれた細い道を30分ほど進むと、インディ・ジョーンズの舞台にもなった神殿エル・ハズネがその美しい姿を現した。
【生活費】7万円
【飛行機】15万円
【通貨単位】1JD(ディナール)=145円
【英語通用度】4人に3人
【旅程】9日間
4/9カイロ
4/10カイロ
4/11エルサレム
4/12エルサレム
4/13ペトラ
4/14ペトラ
4/15アンマン
4/16ジェラシュ
4/17帰国
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
(1)『アンマン到着』
4/13 15:00イスラエルの国境を越え、ヨルダンに到着した。
国境でタクシーと交渉し、20JD(=2,900円)でペトラ行きのバスが出発するムジャンマ・ジャヌーブのバスターミナルへと向かった。
ペトラ行きの最終バスが出発する16:00には間に合ったが、「全席埋まるまで出発しない。」とのことで、無常に時間は進み、結局17:00を回った頃、ようやく最終目的地のペトラに向けて出発した。 -
(2)『バレンタインイン』
20:00ペトラへの起点となるワディムーサに到着した。
ホテルはバックパッカー御用達のバレンタインインに宿泊した。シングル25JD(=3,625円)とその日の夕食5JD(=725円)を払い、ロビーでウェルカムチャイをポットごといただき、その日は休むことにした。 -
(3)『ペトラ入口』
4/14 8:20ホテルからのバスでペトラに到着した。
入場料が2010年11月より、33JD(=4,785円)から50JD(=7,250円)に値上がりするとの貼り紙があった。
これまで入場料は、マチュピチュの4,200円が最高であったが、「ペトラが世界で一番高い世界遺産の入場料ではないだろうか?」と思うくらい驚きの値段であった。 -
(4)『シーク』
入口から15分ほど歩くと、両サイドを崖に囲まれたシークに到着した。
シークとは狭い岩の裂け目を意味している。崖の高さは60m~100mあり、横幅は約2mの狭さである。
岩のグラデーションや馬車が走って来たりと、絵画の中を旅しているような気分になった。 -
(5)『難攻不落のペトラ』
紀元前63年、ヨルダン北部のジェラシュ・アンマンを制圧したローマ帝国が莫大な富を持つペトラのナバテア王国へと攻め込んだ。ペトラへと通じる道は、この細いシーク1本のみであった。ローマの大群はこの細い道を通るために、1列にならざるを得なかった。ペトラを守るナバタイ軍は、上から石を落とすなどの攻撃で、ローマ軍の侵入を防いだ。 -
(6)『エルハズネ』
シークを30分ほど歩くと急に視界が開き、美しいエルハズネが姿を現した。
エルハズネとは宝物殿の意味である。その名前の由来は、建物の一番上に乗っている壺の中に宝物が隠されていると信じられていたことから来ている。
近年、エルハズネの5m下に砂に埋もれていた新たな入口が発見された。この地下室には、当時の王であるアレタス4世と思われる遺骨が埋葬されていた。 -
(7)『サンドペインティング』
エルハズネからしばらく歩くと土産物屋が数軒あった。
サンドペインティングはヨルダンの名物であり、小さい瓶が3JD(=435円)で大きめの瓶が5JD(=725円)であった。
「JORDAN」の文字はアンマンでも見かけたが、「PETRA」の瓶はペトラ限定品であった。 -
(8)『ペトラの繁栄』
ペトラの起源は、紀元前6世紀にナバテア人がペトラを都としたナバテア王国を樹立したところから始まった。
南のアカバからペトラを経由した海上貿易の拠点として栄えた。ナバタイ王国はペトラを通るキャラバン隊の安全を保証する代わりに、交易路での通行料を取ることによって財政を潤わせていた。 -
(9)『ペトラの衰退』
紀元前1世紀のアレタス4世の時代にペトラは絶頂期を迎えた。
ペトラを軍事力では落とせないと判断したローマ帝国は、南のアカバからペトラを通らずに北のアンマンへ通じる新たな交易ルートを造った。
交易での富をローマに奪われたペトラは急激に衰退し、紀元106年ローマ帝国により併合され、19世紀の再発見まで歴史からその姿を消すこととなった。 -
(10)『柱廊通り』
ペトラ遺跡の中央ほどに柱廊通りがあった。この周辺には寺院や広場などがあり、腰を下ろして休憩することにした。
柱の上部にある装飾など、ペトラの建築物はアレキサンダー大王のヘレニズム文化の影響を受けている。 -
(11)『大神殿への道』
岩に築かれた800段ほどの階段を上ると最深部の大神殿エド・ディルへとたどり着く。
階段の入口で「ロバで登らないか?10ドルでどうだ?」とアラブ人が声をかけてきた。
「またどうせボッタクリだろう。」と思い歩いて上ることにした。
ところが、炎天下の足場の悪い崖を1時間上り続けることは意外と体力を消耗した。途中で「10ドルでもロバに乗っておけばよかったかな。」と思ったが、すでに階段を半分登り終えていた。 -
(12)『エド・ディル』
階段を1時間ほど上り、ペトラのハイライトであるエド・ディルへと到着した。ディルは修道院を意味し、この周辺に修道士が住んでいたことに由来する。
神殿は高さ45m、幅50mと巨大であるが、崖を上から削っていくという建築方法で1世紀頃に造られた。 -
(13)『バレンタインインからの夕焼け』
ペトラの帰り道でエル・ハズネの前を通った。エル・ハズネは微妙な光の違いによって1日に50色ものバラ色を見せると言われている。
陽光で鮮やかな光を放っていた午前(写真6枚目)とは異なり、薄いピンク色の落ち着いた表情(トップ写真)を見せていた。 -
(14)『アンマンの街並み』
4/15 11:00ペトラから4時間ほどバスに乗り、アンマンのゴールドスーク周辺に到着した。
17:00 少し休んだ後、散歩ついでに丘を歩くことにした。
レインボー通りはブティックやショップが並び、若い人たちであふれていた。アンマンは中東と思えないほど治安の良い街であった。 -
(15)『ハビーバのチーズケーキ』
マンスールから道なりを右手に数分進むと、「ハビーバ」というケーキがある。ここのチーズケーキはレベルが高い。
アラブのスイーツといえば、甘ったるいのが基本であるが、甘さを控えたレアチーズケーキ(0.6JD=87円)とブルーベリーソースは、アラブらしからぬケーキの奥深さを醸し出していた。
さらに13時からの数量限定プリンも、併せて絶賛であった。 -
(16)『ジェラシュ』
4/16 9:30ガラージュ・シャマーリーのバス停(1JD=145円)から1時間ほどでローマ遺跡が残るジェラシュに到着した。
紀元前63年ジェラシュはローマ帝国に征服された。ローマ帝国の繁栄に伴い、ジェラシュも交易によって富を増し、劇場や神殿などのローマ風建築物が造られるようになった。
3世紀初めに繁栄の絶頂期を迎え、その当時とほとんど変わらない姿を見ることができる。
イスラム圏である中東は、紀元前4世紀のアレキサンダー大王の進出に始まり、ローマ帝国、ペルシア、イスラムと多様な表情を各所に垣間見ることができた。
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