2012/05/17 - 2012/05/17
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mas98765さん
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王宮周辺を歩きます。主に次のような写真をのせます。
ミヒャエル広場→中庭(フランツ2世像、スイス門など)→ヘルデンプラッツ(カール大公騎馬像、オイゲン公騎馬像、新王宮など)→ブルク門→ブルク公園(モーツアルト像)
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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前の旅行記から続きます。コールマルクト通りを抜けると、
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正面に王宮の立派なドームが現れます(写真はもう少し前にズームアップして撮ったものです)。この王宮は正式にはホーフブルク宮殿(Hofburg)といいます。13世紀頃から建てられ始め、のちにハブスブルク家の王宮となって、神聖ローマ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の宮殿として使われました。
(参考)周辺の地図
http://maps.google.co.jp/?ll=48.207651,16.366067&spn=0.004054,0.010568&t=m&z=17&brcurrent=3,0x0:0x0,1 -
そして7時53分、王宮の正面に出ました。アーチ状をしています。この場所をミヒャエル広場、正面の門をミヒャエル門といいます。この門は皇帝フランツ・ヨーゼフの命令で建設され、1895年に完成しました。
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コールマルクトを振り返るとこんな感じです。
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王宮の方を向き直って、左手はこんな感じです。
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注意して写真に撮らなかったのですが、この部分には「海の支配者」というテーマの噴水があります。
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今度は右側を向きます。こちらは改修中です。先ほどと対称的な位置に「陸の支配者」というテーマの噴水があるようなのですが、改修中のため全体は見えないようです。
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ミヒャエル広場には手前にこのような場所があって、
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中を覗くとこんな感じです。ローマ時代の遺跡のようです。当時ローマ人はこの辺りをウィンドボナと呼び、駐屯していたようです。このウィンドボナが現在のウィーンの原型となりました。
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くどいようですが、ここでもドームを見上げておきます。
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このようなマークがあります。王宮の外見について詳しく説明したホームページが見つからなかったので、雰囲気だけの紹介になってしまいます。
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正面には4体の像が並んでいます。どれもヘラクレスの像です。
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一番左はこんな像です。これは有名なヒュドラ(頭が複数ある水蛇)退治の場面ですね。
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その右がこんな像で
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その右がこんな像で
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一番右がこんな像です。これはケルベロス(複数の頭を持つ犬)を生け捕りにする場面でしょうか。詳しく説明しているホームページが見つからなかったので、Wikipediaでヘラクレスを調べて想像します。
(参考)ヘラクレス(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9 -
7時57分、門をくぐります。ここを入ったあたりの建物の部分をミヒャエル宮(Michaelertrakt)といいます。
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中はこんな感じです。
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上を見上げます。ドームの部分です。
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左を向きます。こちらにはスペイン乗馬学校の入口があります。1572年創設の、世界最古の乗馬学校です。スペイン種の馬を使っていたためスペインという名前になっています。
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右を向きます。こちらは王宮見学コースの入口です。銀器コレクション・シシィ博物館・皇帝の部屋と一連の見学コースになっています。後で見学します。
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先に進みます。
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外に出る直前の空間でも上を見上げるとこのような綺麗な天井が見えます。
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8時ちょうど、外に出ます。
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王宮の中庭のような、四角く囲まれた広場(In der Burg)に出ます。正面に見える辺はレオポルド宮(Leopoldinische Trakt)という部分です。もともとはレオポルド1世の時代に建てられましたが火事で焼けてしまって立て直されました。マリア・テレジアがかつてここに住んでいて、現在は大統領の執務室として使われているそうです。この位置で右斜め前を見ると
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こんな感じで、
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このような像が立っています。左手がレオポルド宮で、正面はアマリア宮(malienburg)といいます。ルドルフ2世の時代に建てられました。ヨーゼフ1世の未亡人アマリアがここに長く住んだため、この名前があります。後にフランツ・ヨーゼフ1世の皇后エリーザベトもここに住みました。
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これはフランツ2世(1768-1835)の像です。フランツ1世とマリア・テレジアの孫で、フィレンツェ生まれです。ナポレオン戦争に巻き込まれて敗北し、神聖ローマ帝国の称号を自ら放棄したため、最後の神聖ローマ皇帝となりましたが、オーストリア皇帝(この名前としてはフランツ1世)として君臨し、メッテルニヒを登用してウィーン会議で失地を回復しました。40年間に渡って国を治め「善き皇帝フランツ」として国民に親しまれました。この像は息子のフェルディナント1世が父を称えてつくらせました。
(参考)フランツ2世(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%842%E4%B8%96 -
フランツ2世像の位置から、正面の方向を見るとこんな感じです。先ほどのミヒャエル門を入ってまっすぐ来た場合は左手です。
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ここにはスイス門があります。スイス門を入るとスイス宮の中庭があります。この辺りに13世紀、ハブスブルク家の創始者ルドルフ1世が城塞を築いたのがホーフブルク王宮の始まりです。現在スイス宮には王宮礼拝堂と王宮宝物館があります。礼拝堂は日曜日のミサでウィーン少年合唱団が歌うことで有名です。宝物館は後ほど訪れます。
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くどいようですが、縦型スイス門です。スイス門はルネサンスの時代の1552年にピエトロ・フェラボスコが設計しました。マリア・テレジアとフランツ1世(夫婦です)の時代に、ここをスイス傭兵が警護していたために18世紀頃からこのように呼ばれます。
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今通ってきた王宮のところを振り返って見ます。
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ここにもヘラクレスの像があるようです。
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同じ位置で少し左側を向きます。宰相宮(Reichskanzlertrakt)というところです(現地で買った宮殿の日本語版ガイドブックには帝国官房宮と書いてありました)。この宮の向こう側にシシィ博物館や皇帝の部屋があります。中庭を囲む4辺のうち、この部分だけが最も新しく、18世紀のカール6世(マリア・テレジアの父)の時代に建てられました。
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注意して写真に撮らなかったのですが、この中央の部分にカール6世の紋章をあしらった盾があります。双頭の鷲がオーストリアの盾を掲げ、その上に神聖ローマ帝国の王冠があります。
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さて8時06分、そろそろ先に進みます。この門をくぐると、
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このように視界が開けます。ヘルデンプラッツ(Heldenplatz)という広場です。
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正面右手前方にはこのような騎馬像があります。これはカール大公(1771-1847)の騎馬像です。先ほどの中庭に像があったフランツ2世の弟で、軍人として活躍しました。最高司令官としてフランスと戦い、アスペルン・エスリンクの戦いではナポレオン軍に勝ちました。
(参考)カール大公(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%92%EF%BC%9D%E3%83%86%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3 -
像に近づいて
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角度を変えて眺めます。朝早い時間だったのでこの位置の背中側では芝生に水が散布されていて、しぶきが飛んで来ました。
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カール大公騎馬像の正面(ミヒャエル門から歩いてくると左側)には新王宮の建物があります。皇帝フランツ・ヨーゼフの命令で1881年に建設が開始され、1913年に完成しました。1938年にアドルフ・ヒトラーがオーストリアを併合したときは、ここのテラスから宣言を行ったそうです。
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新王宮の前にはオイゲン公(1663-1736)の騎馬像があります。フランスの貴族出身の軍人です。オスマン帝国との戦いでオーストリア軍を勝利に導きました。
(参考)オイゲン公(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3 -
下から眺めるとこんな感じです。オイゲン公と向かい合うカール大公の後ろにも新王宮と対称的な建物を建て、更に南側の2棟の博物館に橋を渡す計画だったようですが、実現するまでに帝国が終わってしまいました。
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傍らに王宮の案内図がありました。下のMichaelerplatzからまっすぐ上に進んできて、今はHeldenplatzにいます。
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ここからは、このような市庁舎の建物も遠くの方に見えています。
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今来た道をまっすぐ進みとブルク門があります。ライプツィヒの戦いでナポレオン軍に勝利したのを記念して1824年に建てられました。
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上を見上げるとこんな感じで
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オーストリア国旗がはためいています。13世紀から使用されている、世界で最も古い国旗の1つだそうです。1191年の第3回十字軍に参加したレオポルド5世が、敵のイスラム教徒の返り血を浴びて全身赤く染まり、ベルトをしていた腰の部分だけ白く残った軍服を旗として使ったという言い伝えによるデザインだそうです。
(参考)オーストリア国旗の歴史についてのホームページ
http://tospa-flags.com/aeu-12.html -
8時19分、ブルク門をくぐります。
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すると、前方を道路が横切っています。これはウィーンの中心部を取り囲むリンクという環状線です。その向こうには
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マリア・テレジアの像があります。
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ブルク門を振り返ります。この門の右の部分には
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このようなものがあります。これはウィーン市内の観光地を表す印で、約200箇所に掲げられているそうです。
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マリア・テレジアの像のところには後で行くことにして、まずはブルク門を見ながらリンク通りを右に進み、
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8時24分、王宮横のあたりのブルク公園に行ってみました。ここにはモーツアルト像があって、その手前の芝生にト音記号が綺麗な花で描かれている様子が写真によく出ていますが、
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なんじゃこれ、ということになりました。
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はずれだったようです。
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仕方がないからモーツアルト像を眺めておきます。
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下からも眺めておきます。
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公園ではこのようなことをしてはいけません。
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特にイヌは禁止です。だいたいどこの公園も同じでした。後で見るように、イヌは地下鉄への乗車がOKなのに、公園はダメというところが面白いですね。次回はマリア・テレジア像のところに行ってから、リンク沿いの建物を見て回ります。次の旅行記に続きます。
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