2012/04/10 - 2012/04/10
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上野公園の動物園の左手前に小松宮彰仁親王銅像がある。小松宮彰仁親王(弘化3年(1846年)〜明治36年(1903年))は皇族で、伏見宮邦家親王第8王子であった。官位は元帥陸軍大将大勲位功二級である。小松宮彰仁親王と改称する前には、仁和寺宮嘉彰親王、東伏見宮嘉彰親王と名乗っていた。
戊辰戦争では、奥羽征討総督として官軍の指揮を執った。博愛社、日本赤十字社の創設当時から総長、総裁として赤十字活動の発展に貢献した。三島・楽寿園は別邸跡である。
(表紙写真は小松宮彰人親王銅像)
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小松宮彰仁親王銅像。
説明看板には以下のように記されている。
「小松宮彰仁親王銅像
台東区上野公園八番
彰仁親王は伏見宮邦家親王の第八王子。安政五年(一八五八)京都仁和寺に入って純仁法親王と称し、慶応三年(一八六七)勅命により二十二歳で還俗、東伏見宮嘉彰親王と改称した。同四年一月の鳥羽・伏見の戦に、征東大将軍として参戦。ついで会津征討越後口総督となり、戊辰戦争に従軍した。
明治十年五月、西南戦争の負傷者救護団体として、博愛社が創設されると、九月その総長に就任した。同十五年には、小松宮彰仁親王と改称。同二十年、博愛社が日本赤十字社と改名すると、総裁として赤十字活動の発展に貢献した。同三十八年一月十八日、五十八歳で没。
銅像は明治四十五年二月に建てられ、同三月十八日に序幕式が挙行された。作者は文展審査員の大熊氏廣。「下谷区史」は当地に建てた理由について、寛永寺最後の門跡・輪王寺宮公現法親王(のちの北白川宮能久親王)の兄宮であったことに因んだのだろうと推察している。
平成八年七月
台東区教育委員会」 -
小松宮彰仁親王銅像。
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小松宮彰仁親王銅像。
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小松宮彰仁親王銅像。
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