2007/06/04 - 2007/06/16
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frau.himmelさん
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自分の子供より年下の若い同級生との授業にも、ようやく慣れてきました。
宿題では「昨日は何をしましたか?」という現在完了形がよく出ます。ドイツでは日常生活でも現在完了形はしょっちゅう使うのでしっかり覚えなさい、とのことです。
翌日の授業ではその宿題を各自発表しなければなりません。それに対してクラスメートが発表者にいろいろ質問を浴びせかけますので、質問を想定してその答えも考えておかなければなりませんので、気が抜けません。
それにしても若者の答えを聞いていると、順応性が早くてベルリンを目一杯楽しんでいる様子がいきいきと伝わってきます。
ヴァンゼーにボートを乗りに行ったとか、サイクリングでベルリン市内を回ったとか、クーダムにショッピングに行ったとか、クナイペ(居酒屋)で夜中まで飲んで騒いだとか…。本当に羨ましいです。私も若かったら経験したいことばかりです。
◇◆
さて、壁公園のフリーマーケットをひやかした後、私達はドイツが東西に分断されていた時代、東ドイツ政府の要人が住んでいたというパンコウ地区に行ってきました。
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最寄の地下鉄エーバルヴァルター通り駅から電車に乗り込みましたが、次の駅シェーンホイザー・アレー駅で全員降ろされました。
こんなことは今回が初めてではありません。
この地下鉄U2はまだあちこちで工事をしているようで、つい先日も途中駅で全員バスに乗り換えさせられました。
東西ドイツが18年前(2007年当時)に統一したとはいえ、まだまだ東ベルリン側は修復が遅れているところが多いですね。 -
パンコウまでは路面電車に乗り換えていけるようですが、二駅だし、お天気もいいのでボチボチ歩いていくことにします。
東ドイツの面影が残る街並みも魅力的だし…。 -
「ベルリン通り」って通りの名前もステキですしね。
この道をまっすぐ行けばいいんです。 -
次のVenetastr.駅。
知らない街並みを眺めながら歩いていると、いろんな発見があって面白いです。 -
「マキシミリアン通り」という大層な名前の通りもあります。
どうしてこんな名前が付いたのかなーと考えたり…。 -
その傍の歴史的な装飾がなされた給水栓(ですよね?)に感動したり…。
-
そしてエコ大国ドイツらしいカラフルなゴミ箱。
3個ともガラスを収集するためのものです。
グリーンとか白とか茶色の色別に分けて捨てなければならないようです。 -
おっとっと危ない危ない!
ヨソ見をしながら歩いていると自転車にぶつかりそうになりました。
すごい形相で自転車に乗っているおばさま、ごめんなさい!
このガードをくぐるとあちらはパンコウ地区です。 -
ガードをくぐって暫く行くとパンコウのラートハウスが見えてきます。
レンガ色の重厚な建物です。
時計はもう6時半を指していますね。 -
正面の彫像も素晴らしい!
こんなに立派な市庁舎がパンコウに存在するなんて思っていなかったので、ビックリしました。
だってパンコウってベルリンの1地区でしょう?なのにラートハウスって…?。
区役所のようなものなのでしょうか? -
日本で、ドイツ語学校からそんなに遠くないところに、東西ドイツ分断時代、東ドイツの高級官僚が住んでいた地区があるということは調べてきてました。
面白そうだから暇を見て行ってみようね、って…。
そろそろその地区に入ったのでしょうか。
緑の多い静かな区域に入って来ました。 -
公園が見えてきました。
あちらにはアンペルマンの信号も見えます。
この先にはお城もあるはずなのです。 -
なにやら学校か病院みたいな立派な建物もあります。
この近辺は、一般の東ベルリン市民が住んでいた粗末なアパートが建ち並ぶ界隈とは明らかに様子が違います。 -
深い緑の公園に沿ってなおも進むと、これぞ政府高官の邸宅ではないかと思われる高級住宅地が現れました。
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東ドイツの高級幹部たちは、東西ドイツの壁が出来る以前にこの付近を高い壁で囲い込んで一般民衆の目から隔離していました。
東ドイツの貧しい民衆に、高級幹部だけ贅沢な生活をしているところを知られたくなかったのです。 -
そのために、軍の特別部隊が昼夜を問わず警備していましたし、通行許可証を持っている人しか入れませんでした。
この鬱蒼とした川を渡ると…。 -
マヤコフスキー・リンクという標識がたっています。
今でこそ誰でも入ることができますが、当時この環状線内には特に重要な幹部が住んでいました。
私でも名前を知っている東ドイツ国家評議会議長ウルブレヒトやホーネッカー、それにエーリッヒ・ミールケなど、そうそうたる幹部が住んでいたそうです。
さぞかし特別な監視体制が引かれていたことでしょうね。
これを左に行けばそれらの邸宅を見つけることが出来たかも知れません。
ところがこの先で人が大勢集まっているなにやら賑やかな場所が見えました。
そちらの方に吸い込まれるように進んでみると…。 -
そこはシュロス公園。
ここでちょうど夏祭りをやっていました。
私達も早速入場料1人1.5ユーロを支払って仲間入りをします。 -
飲み物や食べ物のいろんな屋台が並んでいてみんな楽しそうです。
私達はビール醸造所のテントに入って、一人でビールを飲んでいたおばあちゃんの隣に座ります。
ビール1杯2ユーロ、安いですね。
入場料を払っているからでしょうか? -
大掛かりな舞台装置も設置してあります。
おばさま達が何人もカメラを向けているということは、有名な歌手でも出演していたのでしょうか? -
ここシュロス公園には知る人ぞ知る「ニーダー・シェーンハウゼン城」があるのです。
ちょうど改修中でしたが、この城の主はフリードリヒ大王の奥方エリザベート・クリスティーネ。
でも夫のフリードリヒ大王は殆どここには足を向けなかったということです。
大王はご存知ポツダムのサンスーシー宮殿に住み、奥方はこの城にと、あんまり夫婦仲はヨロシクなかったようで二人はほとんど別居生活だったようです。
ところで今年(2012年)はフリードリヒ大王の生誕300年になります。 -
城の歴史についての案内板が見えます。
後で調べたらこのお城、歴史的にすごい城なんですね。
ヒトラーのナチス時代は退廃芸術の倉庫として使われ、戦後ソ連領となり、その後東ドイツ大統領の住まいとして10年間使用され、その間には外国の重鎮を招いての迎賓館としても使われたようです。
圧巻はドイツ再統一のその後を決める「4+2会議」(アメリカ、ソ連、イギリス、フランスの4カ国と東西ドイツの2カ国)の場所として選ばれたのもこの城だったそうです。 -
ビールを飲み干して、しばしの間おしゃべりにお付き合いしてくれたおばあちゃんともお別れをして…。
お店をひやかしながら歩いていると、屋台で陶器を販売している日本人の女性に声をかけられました。
ドイツで焼き物の勉強をしていて、自分の作品をここに並べているんだと…。
思わぬところで頑張っている日本人の姿を見て嬉しくなりました。
写真に撮ってこなかったのが残念です。 -
足が疲れて駅まで歩くのが億劫なので土地の人にバスの停留所を聞きました。
そちらの方に歩きます。
この付近の高級住宅は戦禍から免れることができましたが、いち早くここを接収したソ連軍から住民は立ち退きを命じられます。
その後東ドイツの幹部が住むようになったそうです。 -
この立派な建物はその当時のものか定かではありませんが、でもいかにも東ドイツ的建物に見えません?
-
もちろんこの高級住宅地には最高幹部だけが住んでいたわけではありません。
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その幹部に付随する官僚や家族の住居も必要なわけで、そういう人たちはこういうアパートに住んでいたと思われます。
現在から見れば古いアパートに見えますが、東ベルリンの一般民衆の他の地区にあるアパートに比べると格段にいいアパートだったようです。 -
なんとこのチャイコフスキー通りからM1の路面電車で学校のアパートの前まで行ける事がわかりました。
この付近にはチャイコフスキー通りやマヤコフスキーリンクなどロシア名の地名を多く見かけました。
さあ、もう8時になります。
今日は遊びすぎて宿題がまだ残っています。早く帰らないと…。
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この旅行記へのコメント (4)
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- 迷子さん 2012/11/18 23:45:53
- あっ!アンペルマン君だっ!
- 暮らすように過ごすベルリン♪
素敵っすね。
旧東ドイツって・・・・・・・
よく分からないけど、
オリンピックで金メダルを獲得しても
ニコリともしないドイツ人?!
ホーネッカー&ブレジネフの
暑っいブチュ〜だけが印象にあります。
でも、ベルリンは歴史に風俗に
ドイツがギュギュっと凝縮されてる感じがしますね。
ここへ日本から直行便が就航してくれたら
言う事無いんだけどなぁ、ルフトハンザさんにお願いしちゃいたいっすね。
- frau.himmelさん からの返信 2012/11/20 00:03:34
- RE: あっ!アンペルマン君だっ!
- 迷子さん こんばんは。
ベルリン大好き人間です。
何度行っても、もう一度行きたくなる…。
ベルリンなんて見るところがないなんていう人が居たら腹が立ちます。
> 旧東ドイツって・・・・・・・
> よく分からないけど、
> オリンピックで金メダルを獲得しても
> ニコリともしないドイツ人?!
これに凄く反応してしまいました。
実は、昨日東ドイツのお話を聞くチャンスがありまして、
東ドイツは、オリンピックのメダル獲得数は常に1位か2位だったそうです。
やはりドーピングは凄かったらしいですね。
砲丸投げか何かで金メダルを取った女性選手、当時の写真と、現在の写真を見せてもらいましたが、
今はすっかりオジサンになっていました(笑)。
転換ではなく、ドーピングを続けた結果そうなったのですって。
会場にいた人は、えーっ!とビックリしていました。
まあ、そんな信じられない話も飛び出すベルリンですが、ほんとうにステキな街ですよ。
> ホーネッカー&ブレジネフの
> 暑っいブチュ〜だけが印象にあります。
これはいただけませんね。
himmel
-
- 近鉄バッファローズさん 2012/03/25 10:36:26
- パンコウの存在
- frau.himmelさん、お早う御座居ます。
近鉄バッファローズです。
Pankowの名前は聞いたことがありましたが、詳しい街は存じませんでした。
東独の幹部が住んでいた町なんですね。
Rathausがあるのは、Pankowが以前は独立した街だったのが、
Berlin市に合併されたからじゃないでしょうか。
今も、Bezirkの役所として使われているのかも知れません。
以前、「グッバイ!レーニン」をDVDで見ましたが、
その主人公やお母さんが住んでいたウチに似ているような気がします。
Niederschoenhausenという城もあるのですね。
ここも歴史の舞台になったと言うことで、行ってみたくなりました。
旧東独は、やはりスラブ系の名前を持つ人も多いですよね。
「〜スキー」とか「〜ヴィッチ」とか。通りにもそれが出ています。
地理的な要因だと思いますが。
大変興味深く拝見致しました。ありがとうございました。
- frau.himmelさん からの返信 2012/03/25 23:02:47
- RE: パンコウの存在
- 近鉄バッファローズさん こんばんは。
コメントありがとうございました。
パンコウ地区は、ドイツ北部に位置する静かな環境の区域です。
ドイツの敗戦により、いち早くロシアがあの地区を占領した区域で
あちこちにロシア名の通りが付いておりました。
分断時代は、東独の指導者が住んでいた地区で、その当時から高い防御壁で囲まれていて一般市民は立ち入り禁止の地域だったそうです。
> Rathausがあるのは、Pankowが以前は独立した街だったのが、
> Berlin市に合併されたからじゃないでしょうか。
> 今も、Bezirkの役所として使われているのかも知れません。
そうらしいですね。
Bezirk毎に役所があり、一番有名なのはあのケネディーが
「Ich bin ein Berliner.」
と演説をしたシェーネベルクのラートハウスですね。
先日アマゾンで「観光コースでないベルリン」という本を取り寄せて読んでいますが、面白いですねーーー。
観光本には載っていないワクワクするような内容がゾクゾク!
GWにドイツをひとり旅いたしますので、今回は少しベルリンに腰を落ち着けてそれらの歴史跡を見て歩くのを楽しみにしています。
> Niederschoenhausenという城もあるのですね。
> ここも歴史の舞台になったと言うことで、行ってみたくなりました。
今回もNiederschoenhausen城を訪れてみたいと思っています。
今年はフリードリヒ大王生誕300年に当たるということです。
あまり夫婦仲は良くなかったようですが、奥方の居城だったこの城を
せめて表敬訪問したいと思っています。
出発まで1ヶ月にせまりましたので、いろいろ資料集めに奔走しています。
近鉄バッファローズさんに教えていただきたいことも出てくるかと思います。
その折はどうかよろしくお願いいたします。
himmel
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