2008/04/17 - 2008/04/18
86位(同エリア490件中)
frau.himmelさん
- frau.himmelさんTOP
- 旅行記574冊
- クチコミ0件
- Q&A回答14件
- 926,820アクセス
- フォロワー135人
2008年、毎年楽しみにしている恒例のヨーロッパ旅行、今年は夫の予定がなかなか決まりません。
業を煮やした私、それじゃいっそのこと一人で行って来ようかしら??
と言う事で一人旅をすることになりました。
でも、一人で大きなスーツケースを引っ張って列車に乗ったり、ホテルを捜し歩いたり…、トシがトシですからちょっと億劫です。
それにレストランでの一人食事も、たまにはいいけど、ずーっとではさすがに寂し過ぎる…。
考えた結果、ツアーに参加することにしました。
そして、ツアーだけでは物足りないので、4泊ほど帰国日延長をして正真正銘の一人旅をします。
ツアーと個人旅行のいいとこ取り折衷案というところです。
ところで、帰国日延長と延泊は違います。
延泊はツアー最終滞在地のホテルにそのまま何泊か延長するもので、帰国日延長は帰国日の航空便のみを延長して、行き先もホテルも自分で決めることができます。
旅行会社によってはそれを嫌がるところもありますが、私は何社かに電話をして、帰国日変更を認めてくれるC社に決めました。
延長手数料は10,000円でした。
また一人で滞在する街はフランクフルトに決定です。
荷物ゴロゴロは避けたいので、ここを拠点に近辺の珠玉の街々を訪ねます。
まずは、ツアーの旅行記からご覧ください。
いろんなエピソードがありました。
相変わらず、トシのせいでクドいコメントもありますが、適当にスルーをしてくださいネ。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
C社主催の中で私が選んだのは北ドイツ巡り9日間の旅です。
まだ私が行っていないドイツの街が一番多く含まれているので選びました。
4月17日出発の朝。
恒例の両替レートチェック。
2008年ころはユーロが高かったですね。164円ですって…。
現在(2011年)の1.5倍です。
さて、ツアーではどういう方たちと一緒になるんだろう? -
今回は航空会社はスイス・エアです。
チューリッヒ乗継ぎハンブルクまで飛びます。
◆◇
成田空港でツアーの皆様と顔合わせをしてそのまま解散です。
ツアーの人数は23名、そのうち一人参加が11名でした。 -
このC社のツアーが良いところは、相部屋可だと言うところ。
一人部屋追加料金が高いのでここは割り切って相部屋で申し込みました。
このトシになると誰とでもうまく合わせられますし、ツアーだったら一人よりお仲間がいたほうが楽しいかなーと思って…。
何より1人部屋追加料金の50,000円(?くらい)は痛いです。
延長後のフランクフルトのホテル4泊分が優に浮いてしまう勘定ですからね。
◇◆
小雨でかすんでいるスイス・チューリッヒ空港で乗り継いでこれから北ドイツ・ハンブルクに向かいます -
4月18日朝。
ハンブルクの郊外のホテル レオナルドシルトホルン。
一人参加で相部屋可の女性は3人でした。
皆さん大体同じ年代で、海外旅行経験のつわものばかり。
この場合は二人が相部屋になり、誰か一人は一人部屋になります。
一人部屋追加料金は必要ありません。
順番ということで、ここハンブルクの2泊は私が一人部屋になりました。 -
今日は出発が10時と遅いので、朝食後、すっかり仲良くなった相部屋仲間のOさん、Fさんと近くを散策します。と言っても何もないところ…。
ツアーで使用するホテルはそれなりに設備は整っていますが、街中から遠いのが難点です。
街中ですと、今日のように出発まで時間がある場合、街散策が十分に楽しめるのに…、残念です。
一応フロントで市内への行き方を聞きました。
ホテルのちょっと先から出ているバスでUかSバーンの駅に行き乗り換えて、そこから3駅くらいあるとのこと、ちょっと遠いね…。 -
さて、ツアーバスに乗り込んでハンブルクの観光に出発です。
まずは市庁舎にやってまいりました。
正面の入口で2頭のライオン像がお出迎えです。
このアーチの門をくぐって中庭に入ります。 -
ハンブルクの象徴である、豪華なネオルネッサンス様式の市庁舎。
建物の彫刻もすばらしい。
なんと愛らしい天使のレリーフ。 -
中庭の噴水は、1892年にコレラがヨーロッパ中に大流行し、ハンブルクでも大勢の犠牲者がでたため、追悼のモニュメントとして作られたものです。
ギリシャ神話の女神が厄病の象徴である竜を退治している像です。 -
市庁舎の中に入ります。
ロビーは、複雑なアーチの天井やそれを束ねる重厚な柱など大変豪華です。
ここでは、ガイドによる内部ツアーも行われています。
私たちは時間に制限されていますので、さっと見るだけ。 -
今度は市庁舎を外側から。
この壮麗なネオルネッサンスの市庁舎は、19世紀末に建てられた比較的新しい建物です。
ハンブルクは大変豊かで繁栄した街でしたので、このように宮殿と見まがう豪華なものを造ることが出来ました。
部屋数が647部屋もあり、バッキンガム宮殿より6室多い、と言うのがハンブルクっ子の自慢だとか…。 -
市庁舎の塔。
写真の上から、時計とハンブルクの紋章が見えます。
またこの市庁舎の正面バルコニーからは、さまざまなハンブルクの歴史を見てとることができます。 -
バルコニーの、左の人物はカール大帝。
アーヘン出身で西ヨーロッパを制定した人物です(詳しくは*2010初夏 アーヘン大聖堂編をご覧ください)。
10回以上もハンブルクに遠征し、804年、ザクセン族を完全に降伏させ、長い間混乱状態にあった西欧に安定をもたらしたということです。
右は、12世紀にハンブルクに商業特権を与えた皇帝フリードリッヒ、バルバロッサと言った方が通りがいいかも。
彼のおかげでハンブルクが貿易都市として発展しました。
その真ん中のモザイク画はハンブルクの守護女神ハンモニア。
その上部の銘文は
「先人たちの勝ちとった自由を後世の人々が厳粛に守らんことを」
とあるそうです。 -
バルコニーの両脇の壁には20体の神聖ローマ皇帝像が並んでいます。
-
市庁舎広場。
左の建物に日本とスイスの国旗がはためいています。
日本領事館が入っている建物です。
奥の方に聖ペトリ教会の塔が見えます。 -
その近くにはヨーロッパ・パッサージュ。
ハンブルク市最大のショッピングモールで、ハンブルクっ子の人気スポットです。 -
写真では伝わらなくて残念ですが、中心に内アルスター湖と言う人工湖があります。
湖をバックにした写真は、すべて人物入りで使い物になりませんでした…(泣)
手前の、第一次大戦の戦没者慰霊塔の先に湖があります。その先の白い美しいアーケードの建物はアルスター・アルカデンというおしゃれなカフェやお店が並んでいるショッピングアーケードになっています。 -
市庁舎広場を後にして再びバスに乗り、今度は外アルスター湖に向かいます。
バスの中よりハンブルクの普段の街並みを…。
雑然とした映画のポスターがハンブルクの普段の生活をうかがわせるよう…。 -
湖の周辺を緑に囲まれた美しい外アルスター湖にやってきました。
◆◇
ドイツ語の授業で外アルスター湖には高級住宅街と言った生半可なものではなく、『豪華邸宅地』が建ち並んでいるのだと教わりました。
どんな素晴らしい邸宅があるんだろう。楽しみです。 -
バスが停まったところは…。
うわー、ほんとに素敵な邸宅が並んでいます。
でもまだこんなものではなさそう…。
◆◇
私がドイツ語の授業で習った物語は…。
ある男性が住居を探していました。
毎朝通勤のバスの中から見える外アルスターの豪華な住宅、一体どんな人が住んでいるのだろう、自分には一生縁のないところだなと考えていました。 -
ヨットの係留地。
さすがに豪華なお宅にお住まいの方はヨットも必需品?
静かな湖畔の風景です。
◆◇
ところがある日、不動産業者から電話があり、連れて行かれた所はなんと、毎朝あこがれ続けていたあのアルスター湖の豪邸。
それも自分にも手が届く金額だった…。
でも、彼はここには住めなかった…。
なぜなら夢だったからです。
このテーマがたしか"unheimlich"だったと思いました。
何かオカルト的な物語の中の1つだったような気がします。 -
なんだかくだらない事を書いていますね。
ハンブルクと言う名前を聞いて何故だかこの話を思い出したのです。
だけど、ガイドさんにどこに豪華な邸宅があるのか聞きましたが、判らなかったようでした。
この近くに住んでいる方々は、毎日この素晴らしい風景を眺めながら過ごしていらっしゃるんですね。
それだけでも十分贅沢です。 -
アルスター湖は遊覧船も走っています。
2004年に夫と訪問した時は遊覧船に乗って船からアルスター湖の観光をしましたが、今回は陸からも見れて良かったです。 -
豪華なお家を眺めながら、再び市内に戻ります。
-
バスの中より眺める街中の風景。
今回のツアー参加者は23名、大型バスの中では1人で2人分の席を占領してゆっくり出来ました。 -
バスはハンブルク中央駅前を通過します。
-
駅前のアーケード。
ハンブルクはドイツ第2の都市なので、一日の乗降客も多く、チェコ、オーストリア、ポーランド、スイス、デンマークなどの国際列車も数多く走っています。 -
バス車中から。
車窓には2階建てのハンブルク市内を巡る観光バスが走っています。
遠くに見える塔は聖ニコライ教会。 -
第二次世界大戦で破壊されたニコライ教会は記念碑として廃墟のまま残されています。
聖ニコラウスは船乗りと商業の守護聖人です。
サンタクロースの語源となった人です。 -
高さ147メートル。
バスの中から撮ったので全部入りきれませんが、教会建造物の中ではドイツで三番目に高い建物だそうです。
戦争犠牲者の記念碑として残されています。 -
こちらは聖ミヒャエリス教会。
今日は12時よりここでパイプオルガンコンサートを聴くことになっています。
この教会は、北ドイツで最も華麗なバロック建築といわれています。 -
教会の入口。
ここで他の国の人たちと一緒にコンサートを聴きます。
その前にお祈りがあり、教会の司教さんから
「今日は日本からのお客さんをお迎えしています」
と私達の紹介がありました。
なんとなくですが、その程度のドイツ語は理解できました。 -
コンサート終了後、バスはもう一度市庁舎のほうに戻り、昼食のレストランに向かいました。
昼食のレストラン、ヨハネスアルブレヒト。
なかなか雰囲気のいい明るいレストランです。
このレストランでは地ビールも醸造しているんですよ。 -
レストランの内部。
奥にはレンブラントの絵に良く似た絵画がかかっていました。
◇◆
ここでツアーの参加者が添乗員のMさんに「切手が買いたい」と話しかけていました。
ツアー客の飲み物のオーダーで忙しそうなMさんは困った様子でした。
私も切手が欲しかったので、
「じゃ、私が一緒に行ってきます。」
ってとりあえずビールを注文して、一緒に行こうとしたら、5,6人ゾロゾロとついてきてびっくりしました。 -
日本へ送る絵葉書の切手料金は1ユーロです。
それと「航空便シール」をそれぞれの枚数を聞いて買ってあげるお手伝いをしました。
(このシール、郵便局で「エアメール・シール」って言えばくれます。)
人によっては、毎日自分宛に、今日行った観光地の絵葉書に日記を書いて日本に送るそうですが、なかなかいいアイデアですね。
私にはまね出来ませんけど…。 -
今日のメニューはサケのムニエル温野菜添え、サラダ、アイスクリーム。
それから各テーブルに穀物を煎ったようなものがありました。
サラダにトッピングしたらとてもおいしかった。
レストランの横は運河です。
対岸には屋根つきの歩道橋とお店が並んでいます。
次はリューベックに向かいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- ベームさん 2011/11/25 19:39:21
- 今度は絵画ではありませんがまたまた同じような経験を。
- himmelさん、今晩は。
ハンブルクのアルスター湖畔の豪邸のunheimlichな話。
私もドイツ語の勉強で似たような話を読みました。テキストはTANGRAM aktuell 3 です。ひょっとしたら同じテキストかもしれませんね。その主人公が見た家はユーゲントシュティール風の素晴しい家、となっています。
来年北ドイツに行けたらハンブルクにも寄ってこの主人公になった気持ちでアルスター湖を眺めてみようと思います。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2011/11/26 10:29:21
- RE: アルスター湖畔の豪邸
- ベームさん こんにちは
> ハンブルクのアルスター湖畔の豪邸のunheimlichな話。
>
> 私もドイツ語の勉強で似たような話を読みました。テキストはTANGRAM aktuell 3 です。ひょっとしたら同じテキストかもしれませんね。その主人公が見た家はユーゲントシュティール風の素晴しい家、となっています。
そうそう! 確かにユーゲントシュティール様式の豪邸でしたね。
ずいぶん前に習ったことなので、すっかり忘れてしまっておりました。
2008年にハンブルクのアルスター湖にツアーで行った折、教科書の内容が鮮明に思い出され、豪邸はどこ!?って探したものでした。
バスはちょっと湖畔に止まっただけで、あとはバスで回ったその付近をキョロキョロして、これがそうなんだー!って納得して帰ってきました。
ベームさんは個人旅行ですからゆっくり散策出来ますね。
なお私は、別件で忙しくなってそれ以来、3年以上前にドイツ語の勉強をやめてしまいました。(泣)
いつかは復帰しようと思っていましたが、一旦やめてしまうとダメですね。
チラっとも教科書を広げていません。
久しぶりにタングラム、広げてみようかなー。
ベームさんはドイツ語の勉強はどこで? もしかして同じところだったりして…。
himmel
-
- 哈桑湖さん 2011/09/29 22:06:41
- 北ドイツの建物
- frau.himmel様
ハンブルクのお写真、有り難うございます。南ドイツやオーストリアの建物と違って、簡素な感じがしますが。旅行記にお書きになった、他のドイツの町とは、違うような。まだ、ドイツに行ったこともないので、木を見て森を見ずかも知れませんが。
言葉も低地ドイツ語で、日本人が習う高地ドイツ語とは、違うとか。オーストリアの町は、同じハプスブルク帝国だったウクライナのリビウと、似ているように、伺えますが。ハンブルクの町並みとは、違いますね。
私は一度、ドイツ北部のフレンスブルクに行きたいです。フレンスブルクは、デンマーク系住民が結構いるみたいです。
姓の末尾にセンがつくのが、デンマーク系のようですが。「リリー・マルレーン」を歌って有名になった歌手の名前は、ラーレ・アンデルセンでした。あと、高速魚雷艇の指揮官で有名な人に、ルドルフ・ペテルセンという人がいました。Uボート(ドイツではダス・ボウト)という映画では、トムセンという艦長が出てきます。ドイツ海軍は、北ドイツ出身の人が、多かったようです。
一つの国に色々な民族がいるのは、やはり陸続きだからですね。アウシュヴィッツの聖者コルベ神父の祖先は、ドイツ人でしたし。またクラウゼヴィッツは、ポーランド系のようですし。
ドイツに留学していた知人は、ハンブルクが一番良かったと言っていましたが。
- frau.himmelさん からの返信 2011/10/02 10:37:07
- RE: 北ドイツの建物
- 浦潮斯徳 さま おはようございます。
昨夜遅く、四国。中国旅行から帰ってきたもので、返信が遅くなって申し訳ありませんでした。
私のハンブルク編、見てくださってありがとうございます。
ハンブルクはドイツには珍しく港町なので、他の南ドイツの街とは違って見えたのかもしれません。
でも、アルスター湖の湖畔に建っている高級邸宅は素晴らしかったです。
> 言葉も低地ドイツ語で、日本人が習う高地ドイツ語とは、違うとか。
そうですね。毎日の挨拶も「モイモイ」(笑)と言うそうです。
> 私は一度、ドイツ北部のフレンスブルクに行きたいです。フレンスブルクは、デンマーク系住民が結構いるみたいです。
フレンスブルク、初めて聞く地名でしたので、地図で調べてみました。
キールのもっと先、本当にデンマークに近い街なのですね。ここも港町ですね。>
> 姓の末尾にセンがつくのが、デンマーク系のようですが。「リリー・マルレーン」を歌って有名になった歌手の名前は、ラーレ・アンデルセンでした。
童話作家のアンデルセンもそうでしたね。
> ドイツ海軍は、北ドイツ出身の人が、多かったようです。
たしか前に浦潮斯徳さまから教えていただいた 敗戦時のヒトラーの後継者(?でしたかしら)カール・デーニッツも北ドイツ出身でしたね。
> 一つの国に色々な民族がいるのは、やはり陸続きだからですね。アウシュヴィッツの聖者コルベ神父の祖先は、ドイツ人でしたし。またクラウゼヴィッツは、ポーランド系のようですし。
次回の旅行記はフランクフルトのゲットー地区をとりあげたいと思っています。
カメの歩みの私ですから、いつになるかわかりませんが、その時はまたご意見を聞かせてください。
himmel
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
35