2010/12/24 - 2011/01/08
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ちゃおさん
この「วัดปากน้ำ」(ワットパクナム)というお寺の意味合いは、昨日このひとつ前のブログで説明したが、「วัด」(ワット)が「お寺」で「ปาก」(パク)が「口」、「パクパクする口」ですね。昨日の写真で「さわい魚」が口をパクパクしていました。あの「パク」=「口」です。で、「น้ำ」(ナム)が「水」。従って、直訳すると「水の口」。日本でも水口、水上、川口、等の名字もあるが、多分祖先はこうした水の豊富な畔に生活していたのではないかと想像される。
豊富な水に囲まれたこのお寺は、平田師が休んでいたような緑濃い内庭を持っているが、更に驚くべきことは、この寺の2階には、20数年前に亡くなった筈のこの寺の高僧が今も座して生き続け、人々の尊崇を受けているとのことである。この寺男、今名前を思い出したが、Veerchai,と内庭で偶然に会い、日本人僧を紹介され、その後、この寺の2階にまで案内してもらえなっかったら、こんな僥倖には巡り合えなかったかも知れない。この寺に来た仏の奇遇かも知れない。
何十年も前に死んだはずの高僧が目の前に黙している。死んではいなくて、今もなお生き続けている。弘法大師空海は、地下の穴倉の中で1200年間、今も尚生き続けていると信じられている。しかしその姿は誰も見ていない。タイのこのワットパクナムの高僧は、魂も肉体も生き続けている。この高僧を祀る為、この壮麗な寺院が20数年前に建立されたのだ。
見えるか見えないか、鼻腔を通る空気の動きも、見える人には見えるのであろう。手の平を鼻の前に掲げ、湿気を帯びた呼気を試すこともない。薄っすらと伸びた数ミリにも満たない口髭、少しばかり先端を見せている鼻毛が小刻みに震えているのを見れば、今も尚呼吸していることは分かるのだ。
「生き仏」。タイへ十数回来ているが初めて見る「生き仏」。先年、チェンマイの「ワットドーク」で高僧数名のミイラにする儀式の写真を見たことはあったが、現実に目の前に、今、戸籍で言えば150歳位にはなる筈の高僧が、数十年も座したままで生き続けている。奇跡と言うか、驚異と言うか・・。沈黙し、暫しの間、座して頭を垂れた。そうでもしないと、慈眼の籠った、しかしその強い眼差しに射すくめられ、自分が更に卑小なものに感じられ、その場にいられなくなることを恐れたからだった。
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