2011/08/11 - 2011/08/19
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ライオンベラーさん
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※ 7 (http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10641913/) の続きです。
4日目はハーレム巡りのツアーに申し込んでいました。
これまでは、ハーレムについて詳しく調べたことはなくて、ハーレムとはただ治安が悪いところだというイメージしかありませんでした。
また、ハーレムとスラムを混同するようなことさえあったと思います。
そしてそれが、ニューヨークのどのあたりにあるのかということさえも知りませんでした。
ところが、出国前の雑誌を見ると、最近のハーレムは様変わりしてきているというようなことが書いてありました。
え、そんなところなら、是非行ってみたい。
そうしなければ、きっと後で後悔するだろうと思いました。
ということで、ハーレムのオプショナルツアー(現地発着ツアー)を申し込んでいました。
ツアーでは、教会を訪れて、信者たちのゴスペル(讃美歌の一種?)の大合唱を聞いたり、マイケルジャクソンなどが活躍したというアポロシアターを訪れたりすることになっています。
ハーレムでは特に、そのようなアフリカ系移民の子孫たちが生み出してきた文化に強く魅(ひ)かれます。
治安などの面で不安はありますが、とにかくそういったことを体験できるということで、とても期待しています。
さあ、それでは集合場所に向かいましょう。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩
- 航空会社
- チャイナエアライン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
3日前、ここニューヨークに初めて到着したとき、地下鉄でウエストサイドにあるホテルに向かいました。
このときに乗った地下鉄はニューヨークのアッパーマンハッタン、すなわちハーレム地区行きです。
そのときはまだ、ハーレムは治安が”回復しつつある”ところと理解していました。
”回復した”ところではなくて、”回復しつつある”ところです。
ということは、一人歩きをしては危険なところがまだたくさん残っているということになります。 -
ということは、もし、その列車を降り損(そこ)ねて、そのままハーレムまで行ってしまったらどうなるんだろう、というような不安がありました。
だから駅に着くごとに、長い駅名を必死で確認しながら、北へ向かっていました。
昨夜、ミッドタウンから帰ってくるときもそうでした。
いろいろ調べてみると、特に夜の地下鉄は危険だというようなことがいろいろな案内に書いてありました。
だからハーレムへ向かう列車に乗って、途中の目的の駅で、乗り過ごすことなく降りるということは、とても緊張感を伴(ともな)うことでした。 -
そのようなことから、今回のハーレム巡りのツアーに対しては、期待と不安とが入り混じった複雑な気持ちがありました。
そんな状態で集合場所のヒルトンホテルに向かいました。
集合時間は9時45分だったので、少し余裕がありました。
雨が降っていたので、降りた地下鉄の駅の構内の店で、折り畳み傘を買いました。
14ドル(1400円)もしたけど、黒い3段式の折り畳みで、デザインもよかったので、その傘を買いました。 -
今日は時間前に到着することができました。
このツアーも大勢の人がいて、2〜3のグループに分けられました。
ガイドの男性が、
「みなさん、表情がこわばっていますね。」
と言ったので、参加者はみな、笑いました。
バスに乗りました。
いよいよハーレムツアーの出発です。 -
アップタウン(セントラルパークとその東西のウエストタウンとイーストタウン)を北上して、いよいよハーレム地区に入りました。
コロンブスのアメリカ大陸発見は1492年のことですが、その100年後の1600年当初に、ここに最初にオランダ人が入植したようです。
日本では江戸時代の初めの頃になります。
その後、独立戦争や南北戦争を経験したのち、1904年にここに地下鉄が開通して、上流、中流層向けの住宅が大量に建てられて、ユダヤ系、アイルランド系、ドイツ系の人たちが住む街となりました。 -
1904年は、日露戦争が起こった年です。
そして、その後地価が暴落して、南部から移住してきた貧しいアフリカ系の人たちが住むようになって、1920年頃までに現在のような街となったようです。
そのような経緯から、ここハーレムは、建物自体は1900年当初に建てられた立派なものが多いということです。
最初の目的地の教会に到着しました。
ここでは信者たちが歌うゴスペルを聞きます。
ゴスペルはゴッドスペル(神のことば)を語源とする、讃美歌から変化した、神をたたえる歌の大合唱です。 -
私たちは大きな教会の後ろの2階席の後段に登って行って、そこに列をなして、座りました。
私たち以外にもたくさんの観光客らしい人たちが来ていて、同じように座っていきました。
やがて、前方のステージ(?)にそろいの衣装(白だったか黒だったかは忘れました)を来た数十人の信者の人たちが現れて、ゴスペルが始まりました。
讃美歌というよりは、ノリのいいポップスという感じです。
声量も大きく、身体を揺らしての大合唱です。
軽快なリズムが教会中に響き渡りました。 -
思わず私たちもリズムに合わせて身体を左右に揺らしながら、聞き入りました。
終わると大きな拍手が起こって、寄付のための帽子が回って来ました。
寄付はツアー代金の中から一括してしているので、任意ということでしたが、それでもお金を入れました。
教会を出てから、またバスに乗って、今度はアポロシアターに向かいました。 -
そのときは、かなり雨が降っていました。
傘を持っているので平気・・・
であるはずですが・・・
あれ、服や髪の毛が濡(ぬれ)れています。
おおお、何とその折り畳み傘は雨漏(あまも)りしているではありませんか!
アポロシアターに到着しました。 -
シアターの内部をのぞいています。
時刻は12時15分ごろです。 -
アポロシアターがダンスホールとして設立されたのは、1860年代中ごろなので、日本ではちょうど明治維新のころになります。
そしてそのあと、すぐに劇場となりました。(1872年)
その後、閉鎖(へいさ)されますが、1934年に再オープンし、現在に至っています。
ハーレムという場所柄(がら)から、当時からここはアフリカ系の人たちの音楽文化の中心地としての役割を果たしてきました。
そして、そこで行われてきた”アマチュアナイト”というアマチュアコンテストのようなイベントから、ジャクソンファイブ、ダイアナ・ロス、スティービーワンダーなどの、数多くのビッグスターが生み出されてきました。
ジャクソンファイブは1990年に解散しましたが、その中のリードボーカルだったマイケルジャクソンは、その後もソロで活動しました。
前向きに歩くようなしぐさで後ろ向きに進んでいく”ムーンウォーク”や、床の上で、背中を支点にして回転するパフォーマンスなんかも、世界中で流行しました。
そしてマイケルは、2年前の2009年に亡くなりました。 -
3年前にここで、日本のビッグアーティストが東洋人初のコンサートをしたということでした。
コンサートは盛り上がって成功したということですが、観客の大半は日本人だったので、どうも日本の歌が、ここハーレムの人たちに受け入れられたということではないようです。
その国民的ビッグアーティストというのは、歌手の和田アキ子さんだったようです。 -
劇場前の床には、このように、殿堂入りしたスターの名前が刻まれたパネルが埋め込まれています。
マイケルジャクソンは、昨年(2010年)殿堂入りしました。 -
バスが、出発しました。
-
このように雨が降っています。
-
セント・ジョン・ティヴァイン大聖堂にやって来ました。
ここはコロンビア大学があるアッパーマンハッタンの西南部です。
この北部は、ドミニカ系の人たちの多いウエストハーレムで、東部は、アフリカ系の人たちの多いセントラルハーレムですが、ここは俗にいうハーレムには含まれていません。
今、地図を見ると、私の泊まっていたホテルは、ここのほんの1〜2kmほど南でした。 -
かなり大きな教会です。
-
入って行きます。
-
日曜日はここに大勢の人がやってきて、お祈りをするはずです。
1時になろうとしています。
雨は相変わらず強く降っていて、今日買った折り畳み傘は何度も差したりたたんだりしているうちに、とうとう骨の部分が何カ所か折れてしまって、大変でした。
何とか差しても、布の部分の防水が不完全で、数分もすれば、雨漏りのために全身が濡(ぬ)れてしまいました。
この後、バスで出発地のヒルトンホテルに戻って解散しました。 -
まず近くにある観光案内所へ行って、バスの路線図をもらいました。
これで、このマンハッタン中を自在に移動できるようになりました。
その後、明日のツアーの集合場所のペンシルバニア駅に行ってみました。
昨日、外から見ましたが、今日は、実際に地下にある駅に降りてみました。 -
大きな駅でした。
どうやらここから、全米各地への列車が出ているようです。
この駅の上は、マディソンスクエアガーデンという施設で、そこには観客を2万人も収容できるようなアリーナ(屋内競技場)やコンサートホールがあるようです。
そこではプロバスケットボールの試合や世界中で放送されるような、大きなコンサートがよく行われるようです。
写真は3時40分ごろの市内の様子です。
このように激しく雨が降っていました。 -
それからアップタウンのイーストサイドにあるグッゲンハイム美術館に行ってみました。
セントラルパークの東側を走る5番街の88〜89番通りのあたりになります。
時刻は4時になろうとしていました。 -
美術館はこのような目を引くデザインの建物です。
この建物全体がとても不思議な、アーティスティック(芸術的)な構造をしています。 -
内部はこんな感じです。
-
この回廊は、らせん状に上層階まで続いています。
そのためこの部分に階段はありません。 (奥にはエレベーターと階段があります。) -
その時は、中国人アーティスト(リー・ウーファン)の特設展が開かれていました。
大きな石を並べたような展示でした。
ちょうど1時間ほどかけて、見て回りました。 -
その後、セントラルパークを歩いてみました。
街の中の公園ということで、雰囲気は東京の代々木公園なんかと似ていました。 -
公園を横切ってウエストサイドに出て、ホテルに戻りました。
-
その日の夜8時半に日本の知人に送ったメールです。
「携帯電話の表示では今、日本は朝の8時になっている。
こちらは、朝から雨が降り続いていて大変だった。
せっかく14ドルも払って買った折り畳み傘は、防水が不十分で、頭や服がびしょ濡れだ。
おまけに折り畳む度に骨がボキボキと折れていって、もうほとんど使い物にならない。
明日も雨らしいから、ボストン行きが思いやられる。 -
今、懲りずにまた日本料理店に行ってきた。
握り寿司2つと天ぷらうどんを注文したら、うどんと豪華な天ぷらが別々に出てきた。
どちらも西洋人向けの甘い味付けだった。
チップは勘定を済ませた後で勘定札に挟んでおいたが、それでよかったんだろうか?
ハーレムは思ったよりきれいな住宅が多くて、昼間は安全そうだった。
明日のワシントンツアーは6時に集合場所に行かなければならないので大変だ。 -
今日、バスの乗り降りの仕方を完全にマスターして、わざわざインフォーメーションへ行って、路線図をもらったので、マンハッタンのどこでも自在に移動できるようになったので、とても嬉しい。
ではまた。」
(写真は6時15分です。)
※ 9 http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10642590/ に続く
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