2011/10/18 - 2011/10/18
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城陽市の久世神社は旧久世村の産土神で、祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。華霊天神若王社と称したが明治初年、久世神社に改めている。
伝えによると祭神の日本武尊は死後西に白鷺となって飛び去り、その鷺が留まった地を鷺坂山と言い、この地にまつったのが始まりとされる。万葉集で詠われている白鳥の鷺坂山はこの地とのこと。
久世神社境内前には万葉歌碑が建っている。
山城(やましろ)の 久世(くせ)の鷺坂(さぎさか) 神代より 春は張(は)りつつ 秋は散りけり と刻まれている。
山背の久世の鷺坂は、神代の昔から、春は草木が芽を吹き、秋は黄葉(もみじ)して散るのである、の意。
この地鷺坂(さぎさか)には柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、660頃−720年頃)もたびたび訪問しており柿本人麻呂の歌とされている。
現在の本殿は室町末期の建立で一間社流造、桧皮葺き。小建築であるが木割は比較的大きい。
「遺跡の宝庫」と呼ばれる城陽市では、約150基の古墳が確認されている。
南北に流れる木津川は大和に通じており、城陽の古墳群は大和の権力とつながりを持った有力な支配者のものと考えられている。
城陽の地で人が暮らしはじめたのは、約4000年前の縄文時代の後期。古墳は城陽市内と宇治市の一部にまたがる東部丘陵地に分布し、「久津川古墳群」と呼ばれている。
「芝ケ原古墳群」もその一つで、久世芝ケ原から寺田大谷にかけて13基の古墳が点在し昭和61年に発掘され、日本最古級の古墳として全国的に注目された「芝ケ原12号墳」もその一つ。
大きさは、長さ2.3m幅0.7mで、棺の内側は朱塗りだった。
日本初の遺物である「車輪石形銅製品」(腕輪)をはじめ、ガラス小玉、管玉、勾玉など数多くの玉類、鉄製の工具類が出土している。
南山城地方最大の前方後円墳である「車塚古墳」(国指定史跡)は、全長約180mもあり、日本で最大級の石棺が発見された。
日本書紀によると山城地方には栗隈氏という県主の名があり車塚古墳は栗隈一族の墓と考えられている。
副葬品である鏡や鎧、玉など、当時の高級な装飾品や戦いの道具は大和政権と手を結び山城地方に力を誇った豪族の強大な権力を示している。
(写真は城陽市の久世神社)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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城陽市の久世神社。
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久世神社境内の光景。
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久世神社周辺の街並み。
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久世神社の説明。旧久世村の産土神で、祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。華霊天神若王社と称したが明治初年、久世神社に改めている。
伝えによると祭神の日本武尊は死後西に白鷺となって飛び去り、その鷺が留まった地を鷺坂山と言い、この地にまつったのが始まりとされる。万葉集で詠われている白鳥の鷺坂山はこの地とのこと。
現在の本殿は室町末期の建立で一間社流造、桧皮葺き。小建築であるが木割は比較的大きい。 -
久世神社境内の光景。
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久世神社境内の光景。
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久世神社の本殿。旧久世村の産土神で、祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。華霊天神若王社と称したが明治初年、久世神社に改めている。
伝えによると祭神の日本武尊は死後西に白鷺となって飛び去り、その鷺が留まった地を鷺坂山と言い、この地にまつったのが始まりとされる。万葉集で詠われている白鳥の鷺坂山はこの地とのこと。
現在の本殿は室町末期の建立で一間社流造、桧皮葺き。小建築であるが木割は比較的大きい。 -
久世神社境内の光景。
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久世神社の本殿。
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久世神社参道の光景。
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久世神社の本殿。
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久世神社参道の光景。
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久世神社の説明。
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久世神社の本殿。
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久世神社参道の光景。
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久世神社境内の光景。
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久世神社境内前に建っている万葉歌碑。
山城(やましろ)の 久世(くせ)の鷺坂(さぎさか) 神代より 春は張(は)りつつ 秋は散りけり と刻まれている。
山背の久世の鷺坂は、神代の昔から、春は草木が芽を吹き、秋は黄葉(もみじ)して散るのである、の意。
祭神の日本武尊は死後西に白鷺となって飛び去り、その鷺が留まった地を鷺坂山と言い、この地にまつったのが始まりとされるが万葉集で詠われている白鳥の鷺坂山はこの地とのことだ。
柿本人麻呂の歌とされている。 -
久世神社境内前に建っている万葉歌碑の説明。
山城(やましろ)の 久世(くせ)の鷺坂(さぎさか) 神代より 春は張(は)りつつ 秋は散りけり
この地鷺坂(さぎさか)には柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、660頃−720年頃)もたびたび訪問している。柿本人麻呂の歌とされている。 -
久世神社境内前に建っている万葉歌碑。
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久世神社周辺の街並み。
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「芝ケ原古墳」周辺の光景。
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「芝ケ原古墳群」の説明。「遺跡の宝庫」と呼ばれる城陽市では、約150基の古墳が確認されている。
南北に流れる木津川は大和に通じており、城陽の古墳群は大和の権力とつながりを持った有力な支配者のものと考えられている。
城陽の地で人が暮らしはじめたのは、約4000年前の縄文時代の後期。古墳は城陽市内と宇治市の一部にまたがる東部丘陵地に分布し、「久津川古墳群」と呼ばれている。
「芝ケ原古墳群」もその一つで、久世芝ケ原から寺田大谷にかけて13基の古墳が点在し昭和61年に発掘され、日本最古級の古墳として全国的に注目された「芝ケ原12号墳」もその一つ。
大きさは、長さ2.3m幅0.7mで、棺の内側は朱塗りだった。
日本初の遺物である「車輪石形銅製品」(腕輪)をはじめ、ガラス小玉、管玉、勾玉など数多くの玉類、鉄製の工具類が出土している。 -
「芝ケ原古墳」周辺の光景。
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「芝ケ原古墳」周辺の街並み。
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「芝ケ原古墳」周辺の光景。
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「車塚古墳」周辺の光景。
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「車塚古墳」周辺の光景。
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南山城地方最大の前方後円墳である「車塚古墳」(国指定史跡)の説明。全長約180mもあり、日本で最大級の石棺が発見された。
日本書紀によると山城地方には栗隈氏という県主の名があり車塚古墳は栗隈一族の墓と考えられている。
副葬品である鏡や鎧、玉など、当時の高級な装飾品や戦いの道具は大和政権と手を結び山城地方に力を誇った豪族の強大な権力を示している。 -
「車塚古墳」周辺の光景。
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「車塚古墳」周辺の光景。
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「車塚古墳」周辺の光景。
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「車塚古墳」周辺の光景。
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「車塚古墳」周辺の光景。
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「車塚古墳」周辺の光景。
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「車塚古墳」周辺の光景。
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