2011/11/02 - 2011/11/02
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belleduneさん
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大徳寺の聚光院で特別公開の茶室閑隠席と枡床席を拝見し、方丈庭園にある三代目となる沙羅の木を眺めてきました。内部は撮影禁止のため、写真はありません。
その後、今出川へ行き、冷泉家を見たかったのですが、私が見たネットの日時が間違っていて、明日からでした。そこで、目の前にある京都御所へ向かいました。一般公開で御所に入るのは初めてです。
週日だったため、それ程の人出ではなく、ゆっくり見られた方だと思います。
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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今出川御門から入ったので、この門は皇后宮常御殿の朔平門です。
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右手の築地塀で囲まれた京都御所の面積は約11万平方mです。
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宜秋門(ぎしゅうもん)から入ります。
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宜秋門を入って直ぐ見えるのが、御車寄です。
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編集中
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諸大夫の間。正式に参内した者の控えの間で、身分に応じて異なる部屋に控えました。襖の絵に因んで、「虎の間」、「鶴の間」、「桜の間」があります。
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五節舞は天武天皇が創設した舞いとされ、天皇が吉野宮で琴をお弾きになった折、天女が舞い降り、袖を五回翻して舞ったことに由来すると伝えられています。
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新御車寄
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新御車寄の前景
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この月華門は普段閉じられていて、紫宸殿は見ることができません。
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普段は閉じられている承明門です。
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その反対側にあるのが建礼門です。
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建礼門から右手にずっと歩いていくと見えるのが、建春門です。
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春興殿
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春興殿前のこの区画は蹴鞠の催しをするところでした。
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日華門から紫宸殿前に入っていきます。
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紫宸殿と前に左近の桜があります。
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御帳台(皇后御座)は向かって右側で皇后がお座りになるところ。高御座に比べて、少し小振りで屋形の上に鸞鳥が載っています。
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紫宸殿前の右近の橘です。
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紫宸殿
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紫宸殿
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清涼殿 − 平安時代の内裏では天皇の日常生活の場として使われていました。この建物は平安時代のものより小さくなっていますが、良く古制を伝えています。
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滝口
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清涼殿の全景
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小御所では、諸種の儀式が行なわれ、武家との対面にも用いられていました。寝殿造りと書院造りの両方の要素が混合した様式です。
慶応3年(1867)12月9日に王政復古の大令号が発せられた夜、「小御所会議」がここで行なわれました。昭和29年(1954)に焼失しましたが、昭和33年(1958)に復元されました。 -
御池庭の欅橋が見えます。
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蹴鞠の庭
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入母屋桧皮葺きの書院造りの御学問所は、御読書初の儀、和歌の会などの学芸関係や臣下と対面される行事に用いられました。
下段の間には岳陽楼図 − 原 在照 -
中段の間には蘭亭ノ図 − 岸 岱(たい)
上段の間には十八学士登えい州図 − 狩野 永岳 -
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これから進む御常御殿の屋根
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御内庭
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御常御殿(おつねごてん)は、室町時代以降、天皇の日常生活の場として使われました。明治天皇が東京へお移りになるまでここをお使いになれれていました。ここが京都御所で、最も広い建物で、内部は15室からなっています。
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東御縁座敷(南側)杉戸 陵王納曽(なそり) 原 在照
(中央)杉戸 南面 曲水(宴) 岡本 亮彦
(中央)杉戸 北面 蹴鞠 岡本 亮彦 -
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御涼所は夏季の納涼所として使われていました。
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迎春(ごうしゅん)は孝明天皇の御意見の間として使われました。
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御内庭
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御三間(おみま)は七夕や盂蘭盆会に使われました。
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下段の間 − 駒引図 岸 誠(せい)
中段の間 − 賀茂祭群参図 駒井 考礼
上段の間 − 朝賀図 住吉 弘貫 -
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乾御門から出ていきます。
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帰りは乾御門から烏丸通りに出ます。
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11月3日から令泉家が公開されますが、もう東京へ戻らなければならないので、また来年機会があれば、来て見たいと思います。
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