2011/09/17 - 2011/09/25
543位(同エリア765件中)
maroさん
クスコの市内観光です。
カテドラル、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会、サント・ドミンゴ教会を観光して、オリャンタイタンボへ移動です。
約100km・・・バスでの移動。やはり遠いですね。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- デルタ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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これから、サント・ドミンゴ教会へ向かいます。
建物の土台部分は、インカ時代の石積みですね。 -
サント・ドミンゴ教会の中へ。
こちらは、かつてはインカ帝国の神殿だったそうです。
現在サント・ドミンゴ教会となっているこの場所は、インカ帝国時代にはコリカンチャと呼ばれる太陽神殿だったそうです。
スペイン人は黄金で一杯だった神殿から欲しいものをすべて取り除いてしまうと、上部を壊し、残った土台の上にチュリゲレス様式の教会を建てたそうです。
その後、クスコに大地震があった際、このサント・ドミンゴ教会無残に崩れ落ちたそうですが、土台の石組みだけはひずみひとつ起こさなかった!!
この話は有名な話ですよね〜。
インカの石組みの精巧さを示す証拠ですね。
いったいどのような技術を施したのでしょうか?なぞが深まるばかりです。 -
美しく整えられた中庭です。
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インカ時代に、虹、稲妻を現したといわれる部屋です。
壁の台形のへこみに黄金の像が飾られていたとされています。
また、部屋の真ん中にある石は、生け贄の台に使用されていた石です。
インカの堅牢な石組みのもうひとつのミソは、日本の木造建築でも用いている”貫”といわれる工法を石で行っていたことも重要ですよね。 -
生け贄の台の後ろには、小さな穴があります。
これは、生け贄の血を神殿の外へ流すためにあるそうです。 -
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大地震が起こった時の、歪み。
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スペインのコンキスタドール(征服者)フランシスコ=ピサロによるインカ帝国占領時の皇帝アタワルパに行使した屈辱は有名な話です。
占領後、この太陽の神殿に幽閉されたアタワルパは、金を大部屋一杯渡すから立ち去ってくれと交渉。ピサロは同意したが、結局彼らは支配が目的であるため、その後、アタワルパは、キリスト教にまで改修させられたにも関わらず、傀儡となる王を立てた後、用済みとなり処刑されてしまう。
騙されたんですよね・・・。 -
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サントドミンゴ教会からみた山に書いてあるペルーのシグネチャー。
”ペルー万歳!”と書かれています。
見えにくいですね・・・。 -
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これから、オリャンタイタンボへ向かいます。
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