2011/08/15 - 2011/08/18
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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★能登半島〜信州1800キロの車旅 <能登・白馬・栂池自然園・長野善光寺・松本・安曇野・木曽路宿場・近江八幡水郷 etc.>
奈良井宿観光のあと妻籠宿へ向かいました。
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
妻籠宿は中山道と飯田街道の分岐点に位置し、古くから交通の要所として栄えました。
昭和43年に町並みの保存が始められ、昭和51年に国の重要伝統建造物保存地区に選定されました。
全長約500mの町並みは、江戸時代にタイムスリップした感じで、どれも当時の面影を残し、懐かしさと郷愁を感じる情緒いっぱいの宿場町です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
-
■道の駅 木曽福島 国道19号沿い
奈良井宿の次は妻籠宿観光です。
神経痛がひどいもんですから途中少しずつ休憩をとりながら、のんびりと国道19号線を南下していきました。 -
■長野県木曽郡木曽町
国道19号走行中〜 山深い木曽路 -
■長野県木曽郡大桑村
伊奈川橋、通過〜。 -
■長野県木曽郡大桑村野尻
道の駅 大桑 休憩〜 足・肩のストレッチをば・・・。 -
■道の駅 大桑
どぶろく風味の「杣酒(そまざけ)」が美味しいということなので、友人にお土産として購入しました。 -
■長野県木曽郡南木曽町
桃介橋、通過〜。日本最大級の木造吊橋だそうです。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・歴史の面影を残す宿場町
江戸と京を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていました。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・歴史の面影を残す宿場町
中山道69次のうち江戸から数えて42番目となる妻籠宿は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わいをみせていました。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・下嵯峨屋(町文化財)
当初、長屋であったものの一戸を昭和43年に解体復元しました。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・下嵯峨屋(町文化財)
妻籠宿における庶民の住居を代表する方土間に並列二間取の形式を良くとどめています。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・上嵯峨屋(有形文化財)
この建物は昭和44年の解体復元によって18世紀中期の木賃宿(きちんやど)であることがわかりました。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・上嵯峨屋(有形文化財)
建築当初の形式をよくとどめ庶民の旅籠としての雰囲気をうかがうことができます。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・上嵯峨屋(有形文化財)
「木賃宿」とは、江戸時代初めの庶民の旅は自分で米を蒸して乾燥させた糒(ほしいい)という今でいうインスタント食品を持参して、宿で湯を沸かして戻して食べたのですが、その薪代が宿代になったので付けられたものです。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・御宿 辰巳屋
タイムスリップの旅、妻籠宿にも、昔ながらの「旅籠」が残っています。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・御宿 辰巳屋
木彫りの看板に、鶴と亀と蛇が飾られています。わかりますか? -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・ねずこ下駄
「木曽ねずこ」聞きなれない木の名前かもしれませんが、古くから木曽五木(きそごぼく)の銘木の一つとして、使われてきました。
特に、軽いこと・堅いこと・水に強いことの条件をすべてかねそなえた木曽ねずこは、下駄に最適な素材として、木曽の名産品に数えられています。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・妻籠の自然環境
木曽谷の西南端部に位置する妻籠は、南北に連なる約6kmの細長い山峡の村です。
この山峡を北流し、木曽川に注いでいる蘭(あららぎ)川とその支流のおたる川の形成するわずかな河岸段丘に、1kmにおよぶ妻籠宿(標高420m前後)を中心に、いくつかの集落が点在しています。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
南木曽町蘭地区にある妻籠宿は、宿場の衰退にあわせ保存運動がはじまり、昭和51年明治百年記念事業として復元修復されました。その後全国初の「重要伝統的構造物群保存地区」に選定されました。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
江戸時代の面影がそのまま残っており、年間を通じ観光客も多いです。中山道は妻籠から馬籠峠を通り馬籠宿へと抜けます。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
妻籠宿から東へ向かうと、清内路峠があり峠を超えると伊那谷へ通じます。妻籠宿は伊那谷との合流地だったともいえます。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・光徳寺
町並みより1段高い台地に石垣を築き、白壁をめぐらせた気品ある寺で、明応9年に開山されたと言われています。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・延命地蔵(汗かき地蔵)
文化10年、光徳寺住職・中外和尚が、地蔵尊像の浮かび上がっている岩を蘭川(あららぎがわ)から運んできて安置したものです。 -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・枡形の跡
宿場は、幕府により防塞施設としても造られており、敵の侵入を阻むために道を直角に折り曲げて、いわゆる「枡形」を設けていました。(町史跡) -
■歴史の面影を残す宿場町<妻籠宿>
・枡形の跡
上りきって振り返ると、こんな感じです。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・郵便史料館(現妻籠郵便局)
島崎藤村『夜明け前』にも開局当時の様子が描かれている妻籠郵便局。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・郵便史料館(現妻籠郵便局)
現在の建物は、昭和53年度に郵政本省建築部の指導で復元され、同時に局前のポストも、全国で唯一の黒いポストが復元されました。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・郵便史料館(現妻籠郵便局)
ちょっとした資料館になっていました。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・妻籠宿本陣
島崎藤村のお母さんの生家だそうです。
妻籠宿本陣には島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣、庄屋を兼ね勤めました。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・脇本陣奥谷(国重要文化財)
代々脇本陣・問屋を勤めた家で、現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧をふんだんに使い、当時の粋を集めて建てたものです。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・脇本陣奥谷(国重要文化財)
明治天皇が林家(奥谷)を御小休所として利用されたそうです。また、島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先でもあります。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・歴史の面影を残す宿場町
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■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・歴史の面影を残す宿場町
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■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・お食事処やまぎり
中山道妻籠宿場内にある五平餅専門店です。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
「妻籠」はもともと「つまごめ」と呼び、「つま」は「どん詰まり」の意味だそうで、長野県南木曽町の「妻籠」の地形にぴったりです。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・水車小屋 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・高札場
今日でいう「官報掲示板」で、江戸時代の姿を復元しました。幕府が庶民に対し、禁制や法度等を示したものです。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・高札場
お上のご威光そのままに、人々を見下ろすように高札が掲げられています。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・高札場
禁制や法度などを示したものです。。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
・口留番所跡
ここには、戦国時代から17世紀半ばまで関所が置かれていましたが、後に木曽福島に統合されました。 -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
江戸時代の面影が残る町並み、意外とひょうたんが似合う。 -
イチオシ
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
ひとり旅のライダーさんかな? -
■中山道42番目の宿場<妻籠宿>
中山道妻籠宿名入りの「うちわ」を購入〜 -
■中央自動車道 中津川IC付近
能登半島〜信州1800キロの車旅、長かった旅もこれで終了です。 -
■中央自動車道 屏風山PA
休憩、肩足の調子を整えてGOGOです。 -
■近江八幡山
次のファイルは帰路途中ちょっと立ち寄ってみた「湖国滋賀の風景〜水郷めぐり」です。
THE END.
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