2011/04/12 - 2011/04/12
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belleduneさん
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4月11日に起きた東関東大震災以後もかなり強い余震が起こっています。そんな中、昨年からの用事で14日から関西で肉体労働を約1ヶ月間しておりました。
やっと目途が付いた4月初旬、快晴に恵まれて吉野山へ初めて行ってきました。
久し振りに会う友人と二人、山桜の素晴らしい景色に見とれて来ました。
下千本はほぼ満開で、七曲を歩いて上がりました。途中、あまり混んでいないところで早めのお弁当にしました。こんな風に山桜を見ながらお弁当を食べるなんて、本当に久し振りでした。長閑で平和な景色は人生に必要だとつくづく感じました。
「山全体を桜で埋め尽くす」という秀吉の考えは、先見の明があったんだなぁと思いました。
ちょうど行った日に大名行列や餅まきがあり、上って行くとタイミング良く、餅まき開始2分前でした。
私は飛んでくるお餅を除けながら、階段上に避難したのですが、友人はなんと8個もしっかり握って戻ってきました。かなり遠くまで飛んでくるので、危険でした。頭にだけ当たらないようにしていました。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
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神戸から車で行きましたが、火曜日ということもあり、行事がある日にも拘らず、それ程の渋滞もなく、駐車場に停めることができました。
ケーブルには乗らずに、景色をゆっくり眺めるために、歩いて七曲がりを行きました。たいした距離ではないので、こちらがお勧めです。 -
幣掛神社で参拝してから、上ります。
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すみれが沢山咲いていました。思わず「菫の花、咲く頃...」と口ずさんでしまいます。
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下千本辺りは満開近いようで、とても綺麗でした。
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という訳で、上り始めて間もない頃、この辺の方が静かで良いねとランチライムとなりました。中千本からは人が一杯で、静かに鑑賞とはいかなかったようです。
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右手上からは、団体の方が大勢、下の駐車場からケーブルに乗らないで歩いて来られました。
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七曲坂を振り返った景色です。
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この日は気温も高く、朝と夕方を比べると、一気に蕾が開いたように見えました。
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言葉の要らない景色です。一度来てみたかった吉野山は、当分病みつきになりそうです。
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日本三代鳥居の一つである、鋼の鳥居。高さ8,2m、柱の間隔7,4m、柱径1,1mで、鋼の鳥居としては最古の物らしい。
この鳥居は、俗界と浄域の境界で、山頂まで続く金峯山四門の第一門。柱底には、珠文帯と蓮弁があります。 -
柱の正面には、発心門の扁額が掲げてあります。
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東京の下町根津の夕焼け段々を思い出しました。仁王門から振り返ったところです。
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金峯山蔵王堂に到着した時、友人が今日は大名行列の後、餅まきがあると言い、その通り正にこれからお餅が撒かれるところでした。
私はカメラを腕に抱えて、直ぐに後退りして本堂の階段上に避難しました。
頭に当たると痛そうでした。お年寄りや足の悪い方は避難するべきでしょうね。 -
それでも、皆頑張って下に落ちたお餅を拾っていました。このお餅を食べると1年元気で居られるそうで、友人が拾った8つのお餅を半分分けて貰いました。
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果たして自分で拾ったお餅でなくても、ご利益はあるのでしょうか?
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この中に友人が必死に拾っているのが見えます。
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私は階段の一番上辺りにいたのですが、傍までお餅が飛んできます。結構怖いものですよ!
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餅まきも終り、やっと静かさを取り戻した境内でした。
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寺伝によると7世紀・白鳳年間に修験道の開祖・役行者によって創建されたそうです。金峯山寺は平安時代天皇家、公家、武家から暑い帰依を受け、数多い末葉寺院や広大な寺領を誇っていたと伝えられています。
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本堂は山上ヶ岳頂上にある山上蔵王堂(大峯山寺)に対して、山下蔵王堂と呼ばれ、修験道の霊場です。
吉野・大峯の中心的伽藍として信仰を集めてきました。 -
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現在の建物は、天正20年(1592)に再建された物で、高さ33,9m、桁行7間25,8m、梁間8間27,3mの一重裳階付入母屋造り檜皮葺きの木造建築で、修験道の中心寺院として相応しい威容を誇っています。
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堂内には修験道の本尊である金剛蔵王権現の巨像三体や役行者などを安置しています。
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蔵王堂の全体
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毎年餅まきをされている地元の方が快く写真に応じてくださいました。
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後姿も人気があるのよ、ということで1枚。ありがとうございました。来年も来れればいいな。
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蔵王堂横にある威徳天満宮(天満神社とも言う)は、菅原道真を祭神としています。社伝によると、平安時代・天徳3年9月5日に鎮座したとされています。今から千年前、椿山寺(竹林寺の前身)で、出家した日蔵道賢(如意輪寺の開祖)という僧が、大峯山中の笙の窟で修行中、急に仮死して間魔宮へ行ってしまい、そこで冥土を彷徨っている天子の衣服を着けた人に出会ったので、訳を訊くと「自分は延喜の帝(醍醐天皇)である。生前は善政を行なったつもりだが、ただ藤原時平の告げ口によって菅原道真を九州の大宰府に流してしまった。その罪によって死後の苦しみにあっている。生前、私が
師と仰いだ上人よ。再び生き返って道真の霊を祀って欲しい。そうしたら、私はこの苦しみから救われるだろう。」と言われたと思うと日蔵はこの世に蘇ったそうです。
日蔵上人は修行を終えると吉野山へ帰り、威徳天満宮として祀ったのが、この社殿であると伝えています。 -
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この辺りで葛きりを食べて、ひと休みしました。京都で食べる葛きりとはちょっと違った葛粉の本場の味がしました。
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中千本も結構咲いていました。どこを見ても桜でテンションも上がりっぱなしでした。
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ちょっと脇道へ逸れて、パチリ。
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東南院の枝垂桜も綺麗です。
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中へ入ってみると、反対側にも素晴らしい枝垂桜が咲いていました。
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下から見上げて...
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傍にある椿と共に...
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蝦蟇の油売りではなくて、陀羅尼助という薬屋さんでした。
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古いお店なんですね。店先においてある鬼瓦も貫禄ものです。
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勝手神社は只今工事中。
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民家の庭に咲いていた色分け紅白梅。
1本の木に紅白の梅が咲いていました。 -
中千本から見た如意輪寺と枝垂桜です。
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上っていく程に山を彩る山桜の美しさに惚れ惚れします。
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初めて見た葛根
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竹林院前の山桜
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電線がちょっと邪魔ですよね。
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ただうっとりとして見ています。
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少しずつ勾配がきつくなります。
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猿引坂
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振り返っても凄い!
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こういう苔?が付いたのがとても良い感じです。
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古今集の紀貫之による句
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花矢倉展望台からの眺めです。
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やっと吉野水分神社に到着しました。
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上千本からの帰りは、如意輪寺を通る道にしました。朝より桜の花が開いたように見えます。
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如意輪寺に着きました。午後4時頃になると流石に人が少なくて静かでした。
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北条幕府を倒し、建武中興を成し遂げた後醍醐天皇は、足利氏との争いのため、京都を逃れ、吉野山へ行幸以来、4年間を吉野の行宮で過ごされました。
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延元4年(1339)天皇は、病床につかれ、「身は仮に南山の苔に埋まるとも
魂は常に京都の天を望まん」と詠まれて遂に崩御されました。天皇の遺骸を北向きに葬ったのが塔尾陵です。 -
正平2年(1347)12月楠木正行公の一族郎党143人が四条畷の決戦に向かう際、吉野の皇居に天皇と今生の別れを告げm先帝の御陵に参拝の後、如意輪堂に詣で、髻を切って仏前に奉納し、最後に正行公が鏃で御堂の扉に辞世の句を書いた。 かへらじと かねておもへば 梓弓 なきかずにいる 名をぞ とどむる
しかし、衆寡敵せず、弟正時と共に最期を遂げました。
現在の建物は、約350年前の再建で、正行公の歌をとどめた扉は寺の宝物殿に保存されています。 -
如意輪寺から下りてきて谷を進みます
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吉野温泉元湯の入口です。鬱蒼とした谷間にある隠れ家のようでした。
島崎藤村ゆかりという広告がその後、電信柱にありました。 -
もう夕方5時過ぎなので、谷間は少し暗くなっていましたので、桜の色が青っぽくなっていますが、実際に見ると何とも言えない見事さでした。
皆さんも、是非一度いらしてください。一見の価値ありですよ! -
枝垂桜の向こうに白樺がありました。
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