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八事山興正寺は、名古屋市昭和区の興正寺公園内にある高野山真言宗の別格本山です。本尊は大日如来、1808年の建立の五重塔は、1982年に国の重要文化財に指定されました。東海地区唯一の木造五重塔です。

2011春、桜の季節の八事山・興正寺(1/2):総門、中門、五重塔、染井吉野、紅八重枝垂桜

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2011/04/10 - 2011/04/10

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旅行記グループ 2011春、フラワードームほか

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旅人のくまさん

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八事山興正寺は、名古屋市昭和区の興正寺公園内にある高野山真言宗の別格本山です。本尊は大日如来、1808年の建立の五重塔は、1982年に国の重要文化財に指定されました。東海地区唯一の木造五重塔です。

  • 八事山興正寺に面した通りの街路樹の光景です。蕾状態の里桜がありました。

    八事山興正寺に面した通りの街路樹の光景です。蕾状態の里桜がありました。

  • 開花直前の里桜の光景です。品種名までは分かりませんが、八重紅桜のようです。葉も一緒に出ていました。

    開花直前の里桜の光景です。品種名までは分かりませんが、八重紅桜のようです。葉も一緒に出ていました。

  • 入口門の左側にあった、別格本山・八事山興正寺の文字が刻まれた石碑の光景です。

    入口門の左側にあった、別格本山・八事山興正寺の文字が刻まれた石碑の光景です。

  • 正門から眺めた境内光景です。高い建物は、国の重要文化財に指定されている、五重塔です。東海地区では唯一の歴史的建造物の木造の五重塔とされます。

    イチオシ

    正門から眺めた境内光景です。高い建物は、国の重要文化財に指定されている、五重塔です。東海地区では唯一の歴史的建造物の木造の五重塔とされます。

  • 境内の染井吉野の光景です。右下に見える石碑には、『太田三次郎君碑』の文字がありました。大正3年、『シーメンス事件』汚職の内部告発をした海軍大佐です。ドイツのシーメンス社による日本海軍高官への贈賄事件です。イギリスのヴィッカース社への巡洋戦艦『金剛』発注にまつわる贈賄も絡んで、当時の政界を巻き込む一大疑獄事件に発展しました。海軍長老の山本権兵衛を首班とする第一次山本内閣が内閣総辞職する結果となりました。

    境内の染井吉野の光景です。右下に見える石碑には、『太田三次郎君碑』の文字がありました。大正3年、『シーメンス事件』汚職の内部告発をした海軍大佐です。ドイツのシーメンス社による日本海軍高官への贈賄事件です。イギリスのヴィッカース社への巡洋戦艦『金剛』発注にまつわる贈賄も絡んで、当時の政界を巻き込む一大疑獄事件に発展しました。海軍長老の山本権兵衛を首班とする第一次山本内閣が内閣総辞職する結果となりました。

  • 東日本大震災支援活動の案内看板です。興正寺内で行われる祈願の会のようです。大震災は、約1か月前の3月11日に発生しました。

    東日本大震災支援活動の案内看板です。興正寺内で行われる祈願の会のようです。大震災は、約1か月前の3月11日に発生しました。

  • 中門の光景です。総門を潜った後、次に正面に見えてくる門です。かつて女人禁制だった東山遍照院との境にあった女人門を、現在の場所に移築したものです。本堂などがある境内は、西山普門院です。

    中門の光景です。総門を潜った後、次に正面に見えてくる門です。かつて女人禁制だった東山遍照院との境にあった女人門を、現在の場所に移築したものです。本堂などがある境内は、西山普門院です。

  • 八事山興正寺の『境内案内図』です。この標識があった場所は、中門の東横に赤くマークしてありました。

    八事山興正寺の『境内案内図』です。この標識があった場所は、中門の東横に赤くマークしてありました。

  • 『興正寺五重塔』として、昭和57年(1982年)に国の重要文化財に登録された建物です。文化5年(1808年)入仏とされます。一階部分が東日本大震災支援活動用の白いテントで覆われてしまいました。

    『興正寺五重塔』として、昭和57年(1982年)に国の重要文化財に登録された建物です。文化5年(1808年)入仏とされます。一階部分が東日本大震災支援活動用の白いテントで覆われてしまいました。

  • 白いテントを避けて、斜め前の少し低い場所から見上げた、『興正寺五重塔』の建物光景です。

    白いテントを避けて、斜め前の少し低い場所から見上げた、『興正寺五重塔』の建物光景です。

  • 染井吉野の花と、新緑の中に建つ五重塔の光景です。高野山において弘法大師の五鈷杵(ごこしょ)を授かった、天瑞圓照により貞享3年(1686年)に建立されたお寺です。

    染井吉野の花と、新緑の中に建つ五重塔の光景です。高野山において弘法大師の五鈷杵(ごこしょ)を授かった、天瑞圓照により貞享3年(1686年)に建立されたお寺です。

  • 染井吉野の花で飾られた、五重塔のズームアップ光景です。年代を経た五重塔に、白い桜の花が良く似合います。

    イチオシ

    染井吉野の花で飾られた、五重塔のズームアップ光景です。年代を経た五重塔に、白い桜の花が良く似合います。

  • 同じく、染井吉野の花で飾られた、五重塔のズームアップ光景です。三層と四層の光景です。

    同じく、染井吉野の花で飾られた、五重塔のズームアップ光景です。三層と四層の光景です。

  • まだ若木だったソメイヨシノ(染井吉野)の光景です。大きな石碑には、家名と三つ巴の紋が刻まれていました。推測ですが、尾張藩の家系のお墓でしょうか。

    まだ若木だったソメイヨシノ(染井吉野)の光景です。大きな石碑には、家名と三つ巴の紋が刻まれていました。推測ですが、尾張藩の家系のお墓でしょうか。

  • 興正寺には、光明殿、遍照殿と普照殿の三つの斎場があるようです。この石段は、遍照殿方面への登り口のようです。

    興正寺には、光明殿、遍照殿と普照殿の三つの斎場があるようです。この石段は、遍照殿方面への登り口のようです。

  • 染井吉野の花と新緑が覆い被さった、遍照殿方面への石段のアップ光景です。石段脇の奉納の幟には、南無観世音菩薩の文字がありました。

    染井吉野の花と新緑が覆い被さった、遍照殿方面への石段のアップ光景です。石段脇の奉納の幟には、南無観世音菩薩の文字がありました。

  • 興正寺は、天瑞円照が貞享5年(1688年)、尾張二代目藩主の徳川光友の許可を得て建立しました。光友公の帰依を受け、尾張徳川家の祈願寺として繁栄しました。このため、『尾張高野』とも称されました。

    興正寺は、天瑞円照が貞享5年(1688年)、尾張二代目藩主の徳川光友の許可を得て建立しました。光友公の帰依を受け、尾張徳川家の祈願寺として繁栄しました。このため、『尾張高野』とも称されました。

  • 少しだけ場所を代えてズームアップした、五重塔の光景です。雲一つない青空になりました。

    少しだけ場所を代えてズームアップした、五重塔の光景です。雲一つない青空になりました。

  • 場所を代えながら撮影した五重塔の光景です。初層は3.93メートル角です。小規模な塔で塔身が細長く、相輪が短い点で江戸時代後期の特徴を持つようです。

    場所を代えながら撮影した五重塔の光景です。初層は3.93メートル角です。小規模な塔で塔身が細長く、相輪が短い点で江戸時代後期の特徴を持つようです。

  • 斜め方向から眺めた五重塔の光景です。本瓦葺きで、高さは30メートルです。

    斜め方向から眺めた五重塔の光景です。本瓦葺きで、高さは30メートルです。

  • 八事山興正寺の境内光景です。染井吉野の花の咲きに、紅白のテレビ塔が見えました。中京テレビの建物です。

    八事山興正寺の境内光景です。染井吉野の花の咲きに、紅白のテレビ塔が見えました。中京テレビの建物です。

  • 屋根瓦は、ギリギリ五層分がカメラに収まりました。二層と四層部の四層部の高欄は組高欄、三層と五層部の高覧は擬宝珠高欄など、外観に変化を持たせているようです。

    屋根瓦は、ギリギリ五層分がカメラに収まりました。二層と四層部の四層部の高欄は組高欄、三層と五層部の高覧は擬宝珠高欄など、外観に変化を持たせているようです。

  • 染井吉野の花が飾りに入った、最上階と四層の屋根の光景です。相輪は、型通りの形式を備えているものの、塔身に較べ非常に短いのが特徴とされます。相輪は、下から露盤、伏鉢(ふくばち)、請花(うけばな)、九輪、水煙、竜舎と宝珠の七つから構成されます。相輪全体を九輪と呼ぶこともあります。

    染井吉野の花が飾りに入った、最上階と四層の屋根の光景です。相輪は、型通りの形式を備えているものの、塔身に較べ非常に短いのが特徴とされます。相輪は、下から露盤、伏鉢(ふくばち)、請花(うけばな)、九輪、水煙、竜舎と宝珠の七つから構成されます。相輪全体を九輪と呼ぶこともあります。

  • 今度はカメラアングルを縦にして、染井吉野の白い花と、五重塔の光景です。相輪がないと、随分と締まりのない塔の光景になりますが、元々は、古代インドで貴人の標識だったチャトラ(傘)の名残だったとする説があります。釈迦を暑さから守るためとも言われます。

    イチオシ

    今度はカメラアングルを縦にして、染井吉野の白い花と、五重塔の光景です。相輪がないと、随分と締まりのない塔の光景になりますが、元々は、古代インドで貴人の標識だったチャトラ(傘)の名残だったとする説があります。釈迦を暑さから守るためとも言われます。

  • 染井吉野の花で飾られた五重塔の光景が続きます。世界文化遺産の法隆寺の金堂、五重塔を中心とする西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築とされます。五重塔は、仏教伝来とともに日本に定着したようです。

    染井吉野の花で飾られた五重塔の光景が続きます。世界文化遺産の法隆寺の金堂、五重塔を中心とする西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築とされます。五重塔は、仏教伝来とともに日本に定着したようです。

  • 八事山興正寺の境内光景です。待和若木のようですが、染井吉野の光景がありました。

    八事山興正寺の境内光景です。待和若木のようですが、染井吉野の光景がありました。

  • 紅八重枝垂れ桜らしい花のアップ光景です。薄いピンク色の花でした。

    紅八重枝垂れ桜らしい花のアップ光景です。薄いピンク色の花でした。

  • 同じく、紅八重枝垂れ桜らしい花のズームアップ光景です。蕾が少し残っていましたが、葉も同時に出ていました。

    同じく、紅八重枝垂れ桜らしい花のズームアップ光景です。蕾が少し残っていましたが、葉も同時に出ていました。

  • 五重塔をバックにした、ソメイヨシノ(染井吉野)の白い花のピックアップ光景です。満開でした。

    五重塔をバックにした、ソメイヨシノ(染井吉野)の白い花のピックアップ光景です。満開でした。

  • 同じく、横に伸びたソメイヨシノ(染井吉野)の白い花のピックアップ光景です。こちらは少し蕾が残っていましたが、花芽がない枝の部分には、新芽が出ていました。

    同じく、横に伸びたソメイヨシノ(染井吉野)の白い花のピックアップ光景です。こちらは少し蕾が残っていましたが、花芽がない枝の部分には、新芽が出ていました。

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