2006/08/05 - 2006/08/05
623位(同エリア699件中)
ドクターキムルさん
- ドクターキムルさんTOP
- 旅行記7572冊
- クチコミ134件
- Q&A回答247件
- 7,322,632アクセス
- フォロワー41人
徳川家康が関東に入部後、井伊直政が高崎と命名し、今の地に高崎城を築城し、12万石の城下町の整備が始まった。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、直政は近江国佐和山城に移封となり、高崎城は総社領主諏訪頼水の預かりとなった。慶長9年(1604年)に家次が5万石で入城し、以降は、戸田康長(2万石)、藤井信吉(5万石)、安藤家(5万6千石)、松平輝貞(大河内長沢松平家)(5万2千石→6万2千石→7万2千石)、間部詮房(5万石)、松平輝貞(7万2千石)と5家7人8藩主とめまぐるしく替わっている。享保2年(1717年)に輝貞が再入封してからは大河内長沢松平家(7万2千石→8万2千石)が明治維新まで藩主を勤めた。高崎藩主は歴代幕府要職に就くものが多かった。そのためか、江戸時代を通じて高崎藩は2万石から8万2千石の石高であり、10万石を越えたのはそれ以前の井伊直政の時代だけである。
今は高崎城址公園になっている。昭和49年(1974年)乾櫓が、昭和55年(1980年)に東門がそれぞれ移築復元されている。城の周りは土塁で囲まれ、石塁はほとんどなかった。他には三の丸外堀が残っているだけである。
(表紙写真は高崎城乾櫓)
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ドクターキムルさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
4