2011/01/25 - 2011/01/25
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belleduneさん
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皇居の参観を終えた後、お堀の周りをジョギングではなく、歩いて各門を巡ってみました。時間のある時でないと、ゆっくり見ることはできません。
お昼頃になると、ジョギングする人が増えるため、乾門を過ぎて、道幅が狭くなるところでは気を付けないと危険です。
車で通り過ぎると気が付かないような建物や風景を発見しました。
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平川門へ向かいます。月、金はお休みの皇居東御苑ですが、現在大手門、平川門、北桔橋門の三箇所です。
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平川門(平河門)は、江戸時代大奥の奥女中が出入りした門だったので、「お局門」とも言われました。
昔、上平川、下平川の村があり、江戸の港町として重要な場所でした。
平川門は平川口と言い、冠木門でした。
欄干の疑宝珠は、嘗て二重橋にあったものを移したと言われています。 -
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平川門も勿論枡形門となっています。
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この高麗門をくぐると矩形の空間があります。
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向こうに見える帯曲輪門は、城内で罪人や死人がでるとこの門から出されたため、「不浄門」と呼ばれています。生きたままこの門を出たのは、浅野内匠頭と絵島だけということです。
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櫓門からみた景色です。
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平川門の渡櫓門
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ここからも東御苑に入れますが、先にお堀を一周します。
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国立近代美術館が左手に見えます
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清水濠に架かる竹橋は、徳川氏が関東入国以前から既に架けられていたそうです。竹を編んで渡した橋からこの名前が付いたとも言われています。
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右手の首都高の向こうに、重要文化財指定の東京国立近代美術館工芸館があります。
旧近衛師団司令部庁舎を改修して使っています。
この建物の詳細は次の旅行記でご覧ください。
http://4travel.jp/traveler/adoredune/album/10620371/ -
お堀の向こうに見えるのは、北桔橋門。
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北桔橋門は、嘗て渡櫓門、岩岐多門、乾ニ重櫓に囲まれたL字形の厳めしい内枡形でした。
大奥に近い重要な場所だったので、石垣は堅固で濠は深くなっているそうです。敵が攻めて来る時は、跳ね橋を揚げたのでしょうね。 -
跳ね橋となっているのは、ここと西桔橋だけ。一般公開されていない西桔橋は、本丸へ入る橋で、蓮池濠と乾濠の間にありました。
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現在の北桔橋門は高麗門だけとなっています。門の上部に跳ね橋を吊上げる金具が見えます。
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新宮殿に通じる乾門は改修中でした。明治時代になって建てられた京風の門。皇居の乾の方角にあるので、こう呼ばれました。
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乾門から下がって来た辺りからが一番狭い区間です。ジョッギングをする人とぶつからないように注意しましょう。
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英国大使館が向かいに見えます
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半蔵門は、甲州街道の入口だった、現在の靖国通り
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半蔵門(麹町御門)は、伊賀衆組頭の服部半蔵の組屋敷があったので、この名前が付いたそうです。
大戦で旧来の門が焼失したため、和田倉門の高麗門を移築しました。 -
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半蔵門で新しいホテルを発見。
警察関係者だと安く泊まれるというホテルグランドアーク半蔵門。
これを設計したのは、墨田のスカイツリーと同じ日建設計です。1998年11月に完成したそうで、今日歩いてみるまで、気が付きませんでした。 -
皇居を眺めるには、ここ穴場かもしれません。
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国立劇場
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最高裁判所
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お堀の傍にある柳の脇に「柳の井戸」があります。
井伊候藩邸の表門前の「桜の井戸」と共に江戸時代から名水として知られていました。 -
緑の丸印が井伊家屋敷です。
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こちらは、昭和43年の道路整備によって原型のまま約10mほど移設された「桜の井戸」です。三連式釣瓶井戸で、1,8mX3mの石垣で組んだ大井戸でした。
三本の釣瓶を下ろし、一度に桶3杯分の水が汲めたため、幕末当時江戸城を訪れる通行人に豊富な水を提供していました。
安藤広重の「外桜田弁慶桜の井」天保14年(1843)にも描かれています。安政7年(1860)3月3日に、大老井伊直弼は移設前の井戸の脇で暗殺されました。 -
2月のある日大観桜が咲き始めていました。
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桜田門は、桜田堀と凱旋堀の間にあり、昭和31年に旧江戸城外桜田門として国の重要文化財に指定されました。
小田原街道の始点として、小田原口と呼ばれていました。
寛永13年(1636)に、それまでの柵戸仕立ての門を現在の枡形門に改築し、単に桜田門と呼ぶようになりました。
大正12年の関東大震災で一部破損したため、鋼鉄土蔵造りに改修されました。
桜田門外の変として有名なところです。 -
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渡櫓門
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正門への眼鏡橋が見えます。
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砂利道を歩いて行くと左手に正門が見えます
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皇居正門
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皇居参観で見た正門鉄橋(二重橋)が中央に見えます
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植木職人の方がせっせと松を刈っていました。いつも綺麗にしておかないといけませんから。
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やっと坂下門へやって来ました。坂下門は、江戸城西の丸が完成した直後に造られました。現在は、ここから先程参観した宮内庁庁舎へと出入りします。一般には開放されていません。
ここ坂下門では、文久2年(1862)に水戸浪士を中心とする尊王攘夷派の志士6名が老中安藤信正を襲って負傷させたという事件が起こっています。桜田門外の変があった後、警護が厳重になったため、その浪士6名は闘死しました。この後、安藤信正は老中を罷免されました。
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