2010/12/29 - 2011/01/02
220位(同エリア506件中)
jun2さん
敦煌市内を離れ、ゴビ灘を移動して、シルクロードの重要な関所である『陽関』の観光へ。
さすがに見渡す限り”何も”無い...
渭城朝雨潤軽塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽関無故人
渭城の街に朝雨が降った 軽塵を洗い流し
客舎(旅館)の瓦は青青していて柳の緑は新しくなったようである。
君に勧める、もう一杯 酒を飲んで行け。
西の陽関のを出たら安西まで長い長い間、知人の1人もいないのだから。
『陽関』横の展望台から見るゴビ灘は雄大であり、見渡す限り何も無い。
こんな地で別れの歌を歌った王維の詩は、そんな時代の友との別れ・友のこれからの苦難を今の現実として感じさせてくれる、そんな場所でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
-
敦煌市内を抜けて、東に車を走らせる。
昨日行った『鳴沙山』を後方に見ながら移動する。
右も左も何も無い。
だだっ広いゴビ灘の平地が続いている。 -
少し走ると、雪というより水が凍った状態。
とにかくこの季節(1月)は、寒すぎる。
水分があれば凍ってしまうのもうなずける。 -
ところでこのあたりの車はみな、天然ガス車なんですね。(西安もそうだった)
ガソリンスタンドでは、こうやって直接タンクにガスを注入している。
ここ敦煌では、ガス注入中には、車の外に出なければいけないようだ。(西安では車の中で待っていた) -
で、これがいわゆる給ガス・スタンド。
見た目は、ガソリン・スタンドをそれほど変わらない。 -
最初に観光するのは、『漢長城』。
敦煌から、約100Kmに位置する。
秦の時代に築城が始まった万里の長城よりも少し後、漢代に築城された長城跡であり、『漢長城』と呼ばれている。
万里の長城同様、北の『匈奴』の侵略から領土を守るために作られたとの事。
ちなみに万里の長城の西端は敦煌の東に位置する嘉峪関にある。
帰りの電車で通ったけど、今回は時間が無くパス。 -
ここの『漢長城』跡が残っているのは、ちょうど風向きと長城の方向が一致(平行)しているからだとか。
垂直に風のあたる部分は、崩れてしまって跡形も無い。 -
崩れた部分を見ると分かるが、長城は、藁と土で作られている。
実際には、高さ6Mくらいあったそうだが、ここでは最高でも3Mくらいしか残っていない。
見た目的には、かなりもろそうな作り。 -
『漢長城』は、総延長150Kmとのこと。
このゴビ灘の平地に延々と続く『漢長城』を目に浮かべると、壮大な景色が浮かんでくる。
とにかくスケールの大きさに圧倒される。(実際には見えないけど...) -
次に向かうは、『玉門関』。
シルクロードの重要な堅固な関所の1つとして、漢と唐の2度に渡り建立された。
今の玉門関は唐代の玉門関の遺跡とのこと。
『玉門関』は別名『小方盤城』とも呼ばれている。
しかしここも周りには何も無いなー。 -
唯一あるのはこの植物。
タマリスク(らくだ草)という名前だとか。
結構とげとげしいので、動物からも食べられにくそう。
(でも一説には、らくだの好物だとか...この時期の状態では食べないだろうけど...) -
玉門関から、少し離れた場所に、石碑が立っている。
石碑には、
『黄河遠上白雲間 一片孤城萬仞山 羌笛何須怨楊柳 春風不渡玉門關』
と書かれている。
黄河の流れをはるかにさかのぼってゆけば、
その源は白雲のわきたつあたりに姿をかくす
そのあたりにそびえたつ万仞の山、その山上に見える一片の孤城
この土地で、羌族の笛の音にのせ、
別れの曲「折楊柳」をうらめしげに吹きならすのは、むだというもの
なぜなら、柳を芽吹かせる春の光も、ここ玉門関の辺境までは、
とどいてこないのだから
玉門関にて羌(きょう)族との戦いに明け暮れる兵士の悲しみを詠ったもの。
唐代の詩人 王之渙によって読まれた「涼州詞」という名の詩とのこと。
広々とした広大な平地にぽつんと立つ『玉門関』。
こんな辺境の地で、匈奴と戦い続けた兵士たちの悲しみもむなしさと共に感じることが出来る。 -
『玉門関』には、西側と北側に2箇所門がある。
「玉門関」の名前は、新疆ウイグル自治区の和田で産出された「玉石」がここを通って中国に入ってきたことからだとか。
そういえば、敦煌市内にも和田玉石を掲げたお店の看板を見かけました。
冷やかしで入ると、真っ白な和田玉石が、さまざまな形(特に動物)に加工されて売っていました。
結構なお値段です。 -
こちらは北側の門。
西側に比べると倍程度大きい。
今は劣化が大きいが、当時はどんな門だったのだろう? -
西暦629年、西遊記で知られる三蔵法師(玄奘(げんじょう)三蔵)が、インドの地へ教学を学びに旅立ったときに、ここ「玉門関」を通ったと言われている。
そんな昔の事実と、頭の中の西遊記の思い出が重なってくる。
ちなみに頭の中の三蔵法師は、夏目雅子ですよ。 -
イチオシ
次に向かうは、『河倉城』。
『玉門関』からは西に約10Kmのところにある。
縦17m、横130m、高さ6mの岩室で出来ていたということもあり、このあたりの遺跡としては、かなり巨大な遺跡になっている。 -
ここ『河倉城』は、別名『大方盤城』とも呼ばれ、漢代に建設され、魏晋代まで西部防衛のために軍の兵糧を蓄えた倉庫だったとの事。
『玉門関』別名『小方盤城』と比べると、その名の通り大きい。 -
横にちょっとした高台があるので、そこに登って『河倉城』を見ると、その遺跡の大きさと、その後ろに控える広大な平地が印象的。
-
『河倉城』の裏側。
裏側のほうが少し崩れが大きい。
季節柄、足元には雪が残っている。 -
遺跡の表面はこんな感じ。
漢の長城同様に、藁と土で固められて作られているんだろうな。
・・・表面自体はこれ以上崩れないような加工がなされているらしい -
ガイドが足元を指差して、『これ、お塩だよ』って言っている。
確かになめてみると、しょっぱい。 -
次に向かうは、『陽関』。
ここは、今まで訪れた遺跡と違って、しっかりと門が作られている。
ちなみに門の前には、昔の兵器らしきものが展示されている。
三国志の漫画を読みながら、”昔はこんな兵器で戦っていたんだなー”というような兵器が現実の形として展示されているのは興味深い。 -
門をくぐって中に入ると、大きな仏像が目に飛び込んでくる。
彼の名前は、『張騫』。
前漢代の政治家、外交官で、北の匈奴の侵攻に悩まされていた為、前漢の使者として大月氏への協力を求めて西域を訪問した人物。
大月氏との同盟は果たせなかったが、その過程で掴んだ西域の情報が、後の匈奴対策に役に立ち、そしてシルクロードに繋がったと言われている。
この仏像の左側には、陽関博物館があり、当時の武器や農具が展示されているが、その中に子供のミイラも展示してあった。
結構グロテスクだったなー。 -
中の建物を抜けた後方の丘の上に、『陽関』が立っている。
『陽関』は、シルクロードの最古のルートの一つである「西域南路」の関所であり、『玉門関』と共に対西域の重要な軍事拠点でもあった。 -
正門から、陽関への移動はこの専用車で移動する。
自力で歩くには、かなり遠い。
でも冬これに乗るとかなり寒い。
この時期はお客が全くいない(当日は貸切状態)ので、ちゃんと待っててくれる。 -
この先は見渡す限りの平地が続いている。
西出陽関無故人(西の陽関を出たら誰一人知人はいない)
この景色を見ると、その思い・これからの苦難が切実に感じられる。
これより西に広がるは、タクマラカン砂漠。
タクラマカンとは、ウイグル語で「生きては戻れぬ砂漠」という意味。
この景色を見ていると、華やかなシルクロードの交易ルートのイメージではなく、先の詩にあるような切実な哀愁のほうが強く感じられる。 -
『陽関烽燧』 陽関狼煙
煙を燃やして情報を伝達した”のろし台”
狼の糞を利用すると、まっすぐに煙が上がることから、よく利用されたことからこの名前がついたという話もある。
確かにこんな平地なら良く見えると思う。
この辺りには、ぽつんぽつんと狼煙台跡を見ることが出来る。 -
次に移動するのは、『西千仏洞』。
莫高窟の西にあることから、こう呼ばれているとの事。
こちらもかなりの断崖に作られている。 -
中には、19ヶ所の石窟が残っている。
莫高窟と時代が同じ北魏・唐時代の壁画が残されている。こちらも古いものですね。
莫高窟にない釈迦の前世の物語を描いた壁画などもあり、見ごたえのある壁画が多いのですが、実際に見た壁画の中には、後に修復する為に勝手に顔を書き足したような壁画もある。
しかもその書き方が、まさに”幼稚園児”レベルのいたずら書きのようなものがあり、かなり笑ってしまいその印象が強すぎて本当に価値のある壁画の印象が薄れてしまった。
笑ってはいけないけど、見た人には分かってもらえると思う... -
『西千仏洞』は、党河北岸に作られている。
ここは両側ともかなりの断崖絶壁になっていて、自然の強靭さを見ることが出来る。
奥に見えるのは、鳴沙山に繋がる砂山。 -
敦煌市内に帰る途中に見た『敦煌古城』
映画『敦煌』の映画セットとして作られ、そのまま映画村のように残り、現在もここで映画が撮られているとの事。
映画『敦煌』は、1988年作なので、もう20年も経っている。
外から見ただけですが、規模もかなり大きく、しっかり作ってある...ように見えました。 -
こちらも敦煌市内に帰る途中に見たソーラーパネル群。
とにかく延々とソーラーパネルが設置されている。
こういった思い切ったところは、中国らしいな。 -
本日最後の観光は、敦煌市内に近い、『白馬塔』
4世紀末、北涼時代の高僧・鳩摩羅什が布教で敦煌に着いた時、病死した白い愛馬をここに埋めて建てた塔と言われる。
その後戦火で焼失し、現在の塔は元時代に再建されたものである。
入り口は、立派な門構え。
今はシーズンオフなので、誰もいない。
ガイドは横の家にあけてくれるように頼みに行った。 -
すると久しぶりのお客さんだからなのか? 家では楽しくなくて外に出たくてうずうずしていたのか? 子供もついてきた。
とっても楽しそう。
写真をとって見せると、めちゃくちゃうれしそう。
中に入っても一緒についてくる。
でも親から大きな声で起こられてしょげて帰っていった。
かわいそう。 -
門をくぐっても、直ぐに『白馬塔』が見えるわけではない。
回廊の中を歩いていく。
観光シーズンはこの両脇にお土産屋が並んでいるらしいのですが、シーズンオフなので誰もいない。
まあ、門自体も開いていなかったんだからな。 -
回廊を抜け、突き当りの壁画を回りこむと、高さ12m、直径7m、9層構造の『白馬塔』が見える。
これしかない、といえばこれしかありません。
外装が崩れているところもあり、内部がレンガと土で出来ていることがわかる。
裏側には、”民国23年改修”と書かれてあった。
(ちなみに中華人民共和国は1949年建国)
今日の観光はこれで終わり。
明日は、西安へ寝台列車で移動します。
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この旅行記へのコメント (2)
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- こまちゃんさん 2011/02/28 13:21:26
- らくだ草
- らくだ、口から血を流しながら、普通にモシャモシャしながら食べるのですが、
ほんとに変なものが好きになっちゃったものですよね。わざわざこんなトゲトゲ
のある草を好きになるなんて・・・(手で触ったけどマジ痛い!)
砂漠で育つらくだ草も、動物に喰われないように神様が作ってくれたトゲなのに、
血を流しながらでも食べる動物に出会うなんて、考えもしなかったでしょうね(^灬^;。
こま
- jun2さん からの返信 2011/03/01 14:20:53
- RE: らくだ草
- こまちゃんさんへ。
ほんとこんなもの らくだ食べるの? っと思うような草ですよね。
しかも口から血を流して食べるとは...
でも周り見渡してもこれくらいしか食べるものは見当たらないから、瀬に腹は変えられないと言う事でしょうか。
>手で触ったけどマジ痛い!
私も触りました。かなり強かったですよ。
口から血出るわけだ。
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