2010/12/29 - 2011/01/02
203位(同エリア508件中)
jun2さん
なんとなく、ずーと気になっていた世界遺産が、この『莫高窟』。
どんな時代のものなのか? どんな壁画が描かれているのか?
よく知らなかったのですが、漠然と”行ってみたいなぁ”と思っていました。
敦煌という街、漠然と行きたいと思い続けていた『莫光窟』。
冬場ということで、観光客が全くいないということも、かなりのプラス評価。
なんといっても、世界遺産の莫高窟が、”私たちだけの世界遺産”状態だった。
よくよく考えると贅沢な観光だよなー。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
-
最初の観光は『莫高窟』。
敦煌市内からは、南東約25Kmに位置し、車で約30分程度。
入場券はこの入り口部分で購入する。 -
入場券を手にして、奥に進むと橋が見えてくる。
もうその向こうには、『莫高窟』があるんだ と思うとわくわくしてきた。 -
橋の手前、入り口側から見て左側には世界遺産であることの書かれた石碑がある。
莫高窟は、敦煌石窟との呼ばれ、作られ始めたのは五胡十六国時代 前秦時代の366年に楽僔(らくそん)という仏教僧が彫り始めたといわれているので、もう2000年近くなるということ。
その後、5世紀から15世紀、約1000年間もの間、仏教を中心とした宗教画が数多く壁画として書かれてきた。
年代区分としては、大きく3つに分けられている。
◆初期 (420年〜580年頃)
北涼⇒北魏⇒西魏⇒北周
◆中期 (581年〜906年頃)
隋⇒初唐⇒盛唐⇒中唐(吐蕃支配期)⇒晩唐(張氏支配期)
◆後期 (907年〜1368年頃)
五代⇒宋⇒西夏⇒元 -
そして右側には、『莫高窟』と書かれた石碑。
莫高窟が有名になったのは、1900年に発見された『敦煌文書』による。
そのとき莫高窟から発見された文書の総称を『敦煌文書』と呼んでいて、11世紀唐代以前の貴重な資料が大量に保存されていた。
当時の敦煌の役人が、西夏から攻められるという話を聞き、経典が焚書されることを恐れて隠したという説で語られているが、全く不要なもの・価値のないものをとりあえず置いておいたという説もあり、全社のほうが時代のロマンを感じるんだけど、どうも後者の説が定説になっているようです。 -
橋を渡るとその下の川が凍っているのが見える。
こんなに寒いんだから、水も凍るだろう。
多分外気温は、マイナス12〜13℃くらい。
敦煌文書の発見後、イギリスの探検家、オーレル・スタインが、1907年に数千点余りの経典の数々をロンドンの大英博物館へと持ち帰った。1908年にはフランスのポール・ペリオがやって来て、特に価値の高いものを選んで数千点を買い取ってパリへ持ち帰った。
その後、日本の大谷探検隊(1912年)やロシアのオルデンブルク探検隊(1914年)と続き、1924年にやってきたアメリカのウォーナー探検隊は壁画を薬品を使って剥いで略奪していった。
逆にこのおかげで、敦煌文書が世界に知られることになり、逆に価値が上がったんじゃないかという説も聞かれた。 -
川の先のほうにも石窟が見えるが、このあたりは、敦煌石窟の穴を掘ったりする作業者の寝床らしく、壁画は見られないとのこと。
それでも、鳴沙山から続く砂漠の山の端、こんな崩れやすそうな山の側面なんで、よく今まで残っていたなー というのが最初の実感。
だって2000年も前なんだから。 -
橋を渡ると立派な牌楼が建っている。
-
牌楼には、『莫高窟』と立派な表札が掛かっている。
-
イチオシ
空を見上げると真っ青な空。
吸い込まれそう。
白樺のような樹と対比した青い空、寒いけど澄んだ空気を思いっきり吸い込むと気分が良い。
この白樺みたいな樹は、『鬼の拍手』って言うと聞いた。
枯れた葉っぱが、結構大きくて鬼の手のような葉っぱになっている。
そしてそれが紅葉して落ち葉になると、葉っぱ同士が重なり合って、大きな音を立てながら落ちてくるのでそんな名前がつけられたらしい。
確かに鬼の手のような葉っぱだなぁ。 -
牌楼を抜け、更に奥にも入り口(牌楼)が見える。
後に全く樹の生えていない岩山と断崖が見えてきて、「あー、莫高窟に来たんだなー」という実感がひしひしと伝わってくる。 -
莫高窟の正面部分。
柵の向こうは入場してから。
その前に、莫高窟の写真として有名な九層楼閣に向かう。
高さがあるので、入場してしまうと全景が見れないので先に行くことにした。 -
莫高窟の石窟は、部屋ごとにこんな感じで並んでいる。
部屋の一つ一つに鍵が掛けられており、ガイドなしでは中に入ることが出来ない。(ガイドが今日回る鍵を持って廻る仕組み)
部屋の中は当然、真っ暗。
見ているときはドアを開放してくれるので、その明るさで見ることになる。
「莫高窟には、懐中電灯が必要」と聞いていたので、持って行ったけど全く使い物にならなかった。
というのは、壁画などは照らして見るのですが、近いところなら良いけど遠いところ(天井)は全く明かりが通らない。
僕が持っていったLED電灯(LEDが5つくらいついているもの)では、駄目でしたが、さすがガイドの持っているものは、超強力で天井の壁画も鮮やかに映し出してくれていました。 -
ここが、有名な九層楼閣。
世界遺産を独り占め。
贅沢だな。
この九層楼閣は、高さが43mある。
遠くから見ないと、9層の上2つが見えない。
そのくらい大きい。
現在の9層になったのは、1936年。
かなりの間、野ざらし状態で放置された為、保存状態が悪かったため、建てかえられた。
それ以前は、5層だったとのこと。 -
敦煌とか莫高窟の写真といえば、必ず出て来るのが、この九層楼閣の写真。
でも、実はこの奥に第96窟があり、その中には、巨大(高さ34.5m)な仏像が鎮座しているのは、あまり知られていない。
造られたのは、初唐の時代、695年。
中にいる大仏は、弥勒菩薩像(通称北大仏)。
中に入ると、最初何があるのかさっぱり分からない。
ちょっとしたスロープを降りていくが、今実際自分が何の前にいるのかを理解するのに時間が掛かる。
あっ と思って見上げると、本当に巨大な仏像が鎮座している。
後に修復されているようで、顔色は白く、どちらかというと女性っぽい(もしかして女性?)雰囲気。
でも、巨大だなー。
ちなみに世界1は、四川の楽山大仏。
ここの大仏は大きかったけど、「大きい大仏がある」ということを知ってて見に行ったので、心の準備は出来ていましたが、この第96窟の中の大仏は、そこになにがあるのか知らずに入ったので、かなり驚きました。 -
この後に見た第130窟の中にも大仏がいた。
大きさは、29mで、第96窟の大仏よりは小さいが、場所が南側にあるので「南大仏」とも呼ばれている。
こちらは、盛唐の時代、742年に完成したもの。
こちらの大仏は当初からそれほど修復していないので、時代感を感じることが出来る。(修復したのは右手だけだとか)
柔らかい表情をしているので、どこと無く暖かい。
個人的にはこちらの仏像のほうが好き。 -
莫高窟は、全部で734窟あるが、今回の観光が以下の流れ。
第259窟 北魏時代
木製の仏像が2体並んでいる。
もげたところから、仏像が木を骨組に土で作られていることがわかる。
第249窟 西魏時代
チケットがこの第249窟の壁画になっている。
色彩鮮やかな壁画が印象的。(青色が印象的)
天井が伏斗式天井(中国の斗(ます)を伏せたような形になっている)。
第244窟 隋時代
こちらも伏斗式天井。
過去、現在、未来の三世仏の像が左、正面、右と並んでいる。(像自体はたくさんある)
第96窟 初唐の時代
前述
第130窟 盛唐の時代
前述
第148窟 盛唐の時代
身長17mの涅槃像で有名。
涅槃像を囲むように83体の人像が囲んでいる。
第328窟 初唐の時代
ほとんど修復されず、壁画の色彩など当時の状態が保たれている。
暗い中で光り輝く金箔が印象的。
第329窟 唐の時代
清の時代に補修された補修色が鮮やか。
仏像の目には、宝石(ルビー)がはめ込まれていて、ちょっと違和感。
第16・17窟 晩唐の時代
第16窟の手前右側にあるのが第17窟。
蔵経堂といわれ、敦煌文書が発見された窟。
この20世紀最大の発見は、タバコの煙が穴に吸い込まれたことから発見されたとか。 -
今まさに約1600年前の人が生きた証を目の前にした感動は、あまりの歴史の長さがどれほど重いものなのか? 実際には分からないけど、とにかくずしんと心に残るものがあった。
莫高窟を出た後は、少し無口になってしまった。
ところで莫高窟のちょうど向かいの山のてっぺんには、なにやら人工物が見える。
うーん、気になるなー。
なんとなく入ってみたい衝動が湧き出てきたけど、今回は時間が無い。
...残念。 -
莫高窟のある岩山の上には、狼煙台のようなものがある。
これは目視でも確認できる。
草木の生えていない岩山(砂山?)なので、生き物の住んでいる感じが無く、なんとなく孤独感漂う風景という印象。
莫高窟を見たときの感動と自身と心に残った感覚が、そう見せているのかもしれない。 -
空を見上げると、真っ青な空。
しかし良い天気だなー。
青い空に落葉した樹の白い幹が対比して、とても印象的。
感動の余韻に浸りながら、莫高窟を後にする。 -
莫高窟を後にして、次に向かうのは鳴沙山。
莫高窟は、鳴沙山東端に位置していて、繋がっているんですよね。
写真は、莫高窟を出て、北側の断崖に掘られた窟部分。
工員が住んでいたとされるところ。 -
鳴沙山到着。
写真は入り口部分の門。
『鳴沙山月牙泉』と書かれている。
鳴沙山は、敦煌から南に約7?離れたところに位置し、東西40?、南北20?にわたって高さ50〜60mの砂山を言う。
斜面を滑り降りる時に、砂が鳴くような音を発するのでこう呼ばれている。 -
イチオシ
鳴沙山には、2つの不思議がある。
一つ目は、砂が鳴くこと、二つ目は昼間つけられた足跡が翌朝にはきれいになくなっていること。
少し日が傾いてきて、砂山のコントラストが取っても綺麗。 -
砂漠の中の移動は、電動カーか、らくだ(有料)。
しかし、日が傾いてくると寒さが倍増してくる。
特にここは風が強いこともあり、かなり寒い。
なので、日陰に入ると耐えられない。
らくだに乗っている人達...全然楽しそうじゃないなー。 -
イチオシ
真っ青な空と砂山の白が綺麗。
詩人蘇履吉が「敦煌八景」の中で「沙嶺晴鳴」(晴天の日にはこぼれ落ちる砂が鳴る)と詠っているそうだが、そんな余韻に浸ってられないくらい寒い。 -
電動カーで月牙泉まで移動。
『月牙泉』は、長さ約150m、幅約50mの砂漠のオアシスで、形が三日月に似ていることから月牙(中国語で三日月のこと)泉と呼ばれている。
寒いので泉は凍っていて真っ白。 -
月牙泉の水は、3000年来その水が枯れることがないといわれている。
こんな砂漠の中にあって、砂も入らず水も枯れないのは結構不思議だな。
先ほどまでの強風も、月牙泉付近では気にならない。
でも...日陰により寒さ倍増...早く帰りたい。 -
月牙泉横にある立派な塔。
でも人っ子一人いない。
なので拝観出来るかも分からずじまい。
しかも寒いという記憶しか残っていない。(屋根は真っ白)
なので、観光もそこそこにホテルにご帰還。 -
ホテルの壁に掛けてあったのが、平山郁夫作の文字。
シルクロードを題材とした画家であることは、僕でも知っているけど、その芸術性は賛否両論だとか。
(でも実家には彼の絵が飾ってあった。)
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この旅行記へのコメント (2)
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- こまちゃんさん 2011/03/01 15:49:45
- 大泉河
- 莫高窟前を流れるこの河は、暖かくなると「干上がり」ます。
冬の間は、田畑の用水も使わないので、雪解け水が流れ込むのですが、
そのまま凍ってしまいますね。
1996年の1月に行きましたが、その時は、蕩々と湛えられた水が、
見事に凍って居ましたし(満タンでした)、その上をバイクで走る人が居ました!
写真が2,3枚しかないけど、載せておくと面白いかも知れませんね。
こま
- jun2さん からの返信 2011/03/18 18:42:52
- RE: 大泉河
- こまちゃんさん、こんにちは。
>蕩々と湛えられた水が、見事に凍って居ましたし(満タンでした)、その上をバイクで走る人が居ました!
すごい・すごすぎる。
でも、あの寒さならカチコチに凍っているだろうし、バイクで走ってもOKでしょうね。
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