2010/12/29 - 2011/01/02
1105位(同エリア1561件中)
jun2さん
西安市内観光続編。
24時間掛けて、敦煌から西安に寝台列車で移動。朝一到着。
『秦始皇帝兵馬俑』を見た後、『華清池』と『秦陵地宮』を観光しました。
『華清池』は、楊貴妃と蒋介石の西安事変の現場として有名な所。
『秦陵地宮』は、秦の始皇帝陵の地下にあった”地下宮殿”を再現した場所。
どちらも見ごたえのある場所でした。
写真は『華清池』にあった楊貴妃の壁画。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
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『兵馬俑』から『華清池』への移動途中に見た秦の始皇帝陵。
ちょっと遠くから見てるので、ただの小山にしか見えない。 -
『華清池』の入り口。
『華清池』は、西安の東に30キロ離れた驪山(りざん)の麓ある。
玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスで有名。 -
そしてもうひとつ、西安事件の発生した五間庁が、この奥にある。
西安事件は、(1936年)12月12日に西安で起きた、張学良・楊虎城らによる蒋介石監禁事件のこと。
しかし日本人にとっては微妙な事件なので、実際には『西安事件』を目的として訪れる日本人は少ないんだろうな。
ガイドも、「あまり日本人は訪れない」と話していた。 -
中に入ると、真ん中に『九竜池』が見える広場がある。
昔はここに温泉の湯が流れ込んでいたそうだ。
驪山温泉として、歴史は古いようですが、比較的建物も新しく、はっきり言って、それほど見ごたえがあるとは思えない。
後ろに見えるのは、驪山。
驪山は1256mの高さがあり、山頂には公園やらお寺があると聞いた。
山頂へはロープウェイが通っている。 -
『華清池』の前の飛霜殿の裏側あった巨大な壁画。
玄宗皇帝と楊貴妃が、一緒に食事をしている様子が描かれている。
豪華絢爛な食事の様子の中でも、やっぱり楊貴妃の存在感がひときわ目立っているのが印象的。
なお、向かいの飛霜殿は玄宗と楊貴妃が宿泊したり、宴会した建物とのこと。
この壁画の様子が、飛霜殿の中で繰り広げられていたんだな。 -
柿と杏の接木。
こうすることで、『華清池』の柿は甘くなるのだとか。
よく見ると周りの木も同じようになっていた。 -
こちらは、楊貴妃が植えたとされる”ざくろ”の木。
確かに年代は感じますが、”そんなもんか”って感じ。 -
奥に行くと楊貴妃の像が見える。
でも、今日は雪。
裸の楊貴妃像も、周りが雪・地面も凍っていて、見るからに寒そう。 -
その奥にあるのは、温泉の源泉。
遠くからでも湯煙が上がっていて、直ぐに気が付いた。
ちなみに『華清池』は、驪山温泉とも呼ばれる有名な温泉所。
温泉自体は、2700年も前から既に発見されていて、ここでも「華清池皇家温泉沐浴中心」という名前で温泉に入れる施設が併設されている。 -
はすの花の中心から、温泉の源泉が吹き出ている。
手で触ると少し暖かい程度(40℃くらいかな?)。 -
『貴妃池』と書かれた建物。
この中に楊貴妃専用のお風呂がある。 -
これが楊貴妃専用の貴妃池(海棠湯)の写真。
蓮の花の形をした浴槽が特徴的。
唐代の詩人白楽天が、玄宗皇帝と楊貴妃の華清宮におけるロマンスを題材に詠った「長恨歌」の中にも詠まれている。
春寒賜浴華清池、温泉水滑洗凝脂
侍兒扶起嬌無力、始是新承恩澤時
春まだ寒いころ、華清池の温泉を賜った。温泉の水は滑らかに白い肌を洗う。
侍女が助け起こすとなよやかで力ない。こうして晴れて皇帝の寵愛を受けたのであった。
実際には倍くらいの年の差があった玄宗皇帝と楊貴妃。
そんな中、楊貴妃は何を考えて湯船に浸かっていたんだろうな? -
そしてこちらは、玄宗皇帝(李隆基、唐の第6代皇帝)専用の蓮花湯の写真。
専用としてはでかい。 -
唐の2代皇帝太宗”李世民”の専用風呂場、星辰湯(せいしんのゆ)。
こちらは”でかい”だけでなく、”流れるお風呂”のようだ。
ただ、個人的には、「こんなところでのんびりと湯船に使ってられないなー」と思ってしまう。 -
お風呂の裏を歩いていると、いろんな国の書道家(?)の人の石碑が立てられている。
中には日本の人の石碑もありました。
ちなみに『中国の華 楊貴妃』と書かれている。 -
そして個人的には『華清池』観光の目玉である『五間庁』に向かう。
入り口には立派なあずまやがあり、『望湖楼』と書かれている。
この下を通って奥に入っていく。 -
ここは蒋介石の会議室が再現された部屋。
このほかにも寝室やお風呂、警備室なども再現された部屋として公開されている。 -
1936年12月。
まさにここで起こったのが『西安事件』。
張学良が、蒋介石を監禁する為に、ここ『五間庁』で蒋介石を襲撃したのが『西安事件』。
そのときの襲撃の後が、写真のような銃弾の後として今でも残されている。 -
共産党の討伐を進めていた”蒋介石”、内戦をやめ中国内の統一を図り、外敵(日本ですね)に対して戦おうと考えた”張学良”。
知らせを聞いた”毛沢東”は”周恩来”を西安に派遣し、何度も”蒋介石”と交渉し、その結果第二次「国共合作」に繋がった。 -
そしてそれが、結果として日中戦争での日本軍の敗北に繋がったとされる。
格別戦争に興味があるわけではないが、そんな歴史の中の一場面が目の前で繰り広げられていたかと思うと、じーんとしてしまう。 -
次に訪れたのは、『秦陵地宮』。
秦始皇帝陵の地下に眠っているという地下宮殿が再現されている。
2003年の地質調査で地下30mの場所に巨大な「地下宮殿」や墓室が存在することが確認され発表されている。 -
その際の調査結果からは、地下宮殿は東西170m南北145mの規模で、中央に石灰石でつくった墳室(東西80m南北50m高さ15m)があるとみられる。東京ドームの倍近い大きさだから、かなりの大きさだな。
地下宮殿には大量の水銀が流し込まれていたことも判明。
司馬遷の史記には始皇帝陵について「水銀の川や海がある」との記述があり、これを裏付ける結果となっている。
このほか、墳室を守るように周囲には厚さ16〜22?の頑丈な壁が巡らされており、内部の墳室は壊れていないとの測定結果もでた。
こんな記事を読んでいると、わくわくしてくる。
なんとなくインディー・ジョーンズの映画のようだ。 -
『秦陵地宮』の地下の中心には、秦の始皇帝の御棺が置かれている。
まだ見ぬ秦の始皇帝陵の地下宮殿。
その中に未だに秦の始皇帝の御棺が置かれているのであれば、生きてるうちに実際に見てみたいなーと思ってしまう。 -
最後ですが、西安といえば『餃子』。
なので『餃子づくし』を食べたときの写真を入れておきます。
いろんな形、いろんな具で作られている西安の『餃子』。
「どうしてこんなものが入っているの?」というものから、「これはいける♪」ものまで、いろいろ楽しむことが出来ます。
西安に行く際は、是非お試しください。
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