2010/09/22 - 2010/09/26
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korotamaさん
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大雨降る中、路面電車を楽しんでいるうちに、雨も止みました。
さて、残る目的、城巡りのスタートです。
岡山市内に建つ岡山城は何年か前にも訪れたのですが、そのときはまだ「城」にはさほど関心がなかったからね。
気分新たに、再訪です。
- 交通手段
- ANAグループ 私鉄
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岡山城には、路面電車の一日乗車券を利用して行きました。
東山線 9200型「MOMO号」に乗り、電停「県庁通」下車。
岡山県庁です。
かつては岡山城二の丸がありました。烏城公園 (岡山城) 公園・植物園
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こちらは林原美術館。
二の丸屋敷対面所跡で、東アジア地域の絵画や工芸品、大名調度品等のコレクションが展示されているそうです。
立派な門は、武家屋敷の長屋門を移築したものだとか。林原美術館 美術館・博物館
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本丸の南と西をL字型に守る内堀。
岡山城は南北に流れる旭川が蛇行しているところに建てられているため、本丸の北と東側は川が天然の堀となっています。
後楽園と岡山城本丸を隔てるように、敢えて半円形に蛇行する川筋に変えたのだそうです。 -
お堀には必ずいらっしゃる?
白鳥さん、いい具合に羽を膨らませています。 -
アオサギさんもいらっしゃいました。
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二の丸界隈から天守を眺めます。
黒地に金が映えています。 -
ちょっと珍しいなぁ、と思ったのがこの橋。
橋というよりも、通路?
きっと、かつては本当に橋だったのですよねぇ?
内下馬橋。
またの名を内目安橋(うちめやすばし)。
かつてはここを渡った先に大手門(内下馬門)がありました。 -
現在の岡山城跡です。
「烏城公園」として整備されています。 -
こちらは江戸時代の本丸界隈の様子。
西に表書院、西に本丸御殿、そしてその北に天守があります。
岡山城は、宇喜多秀家がおよそ8年に渡って築城し、のちに小早川秀秋、池田氏、と城主が変わりました。 -
本丸へと入っていきます。
関ヶ原の合戦の後に小早川秀秋が築き、池田利隆が改修したと言われる「大納戸櫓(おおなんどやぐら)台の石垣」。
素朴な感じがするけれど、かなり急斜面です。 -
登城、登城、、、
本丸は「下の段」「中の段(表向)」「本段」の3段に分かれています。 -
今は無き「鉄門(くろがねもん)」手前の階段下から「不明門(あかずのもん)」を見上げます。
「鉄門」は下の段の南側から中の段 表書院へと通じる櫓門でした。
内堀脇の石垣は低かったけれど、こちらは結構な高さがあります。 -
「鉄門」をくぐると、そこは「表書院」。
藩の政治が行われた建物です。
幾つかの棟からなり、部屋数は60を超えるのだそうな…。
本丸御殿が建つ東側を除く三方は隅櫓と多門櫓でぐるりと囲まれていました。 -
その様子です。
迷子になりそうです。 -
宇喜多秀家築城時の石垣。
江戸時代の拡張工事で地中に埋め立てられたそうです。 -
「中の段」西側の石垣。
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さて、寄り道はこの辺にして、天守へ行かなければ・・・。
表書院がある中の段南側から本段へ上がる際にくぐる「不明門(あかずのもん)」(1966年再建)。
普段は北にある渡り廊下を使っていたため、この門は殆ど閉ざされていたことから「あかずのもん・不明門」と呼ばれたのだそうです。 -
「不明門」を本段側から。
肉厚な櫓門です。 -
1945年に戦災で消失した天守の礎石(移築)。
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でっ、でーんと、岡山城天守です。
黒漆が塗られた下見板が烏の濡れ羽色に似ていたことから、「烏城(うじょう)」とも呼ばれています。
また、最上層を金箔の瓦で葺き、金の鯱を上げていたと伝えられていることから、「金烏城(きんうじょう)」とも呼ばれています。
壁が黒いのは戦国時代の名残なのだそうな。 -
それにしても、変わったデザインです。
大入母屋屋根を持つ大中小の2階建ての建物を3つ重ねた三層六階。
三層目の望楼は2層になっています。
縦横比も極端に異なっていて、東西に長ーい造りです。
西に飛び出しているのは「塩蔵」で、これがあるから余計に東西に長く、ついでに重厚感が出ています。
(写真は南から見たもの。)
横から見ているだけでは分からないのですが、天守台が不等辺五角形をしていて、そのため1階平面も五角形。上層階へいくに従って徐々に四角形に修正しているのだそうで、五角形の天守台は全国唯一なのだとか。
なぜ、五角形の天守台を造ったのでしょう…(・・? -
豊臣秀吉の養子である宇喜多秀家は57万4000石の大大名。
それに相応しい城を造るため、「岡山」という小さな丘を旭川の流れを変えるために掘削した土砂を盛り上げて造成し、1590年から築城に着手しました。
間に朝鮮出兵にも従事しつつ、1597年、天守を完成させ、築城を完了させました。
複合式望楼型三層六階の天守。
戦災で焼失したため、今見られるのは1966年に鉄筋コンクリート造りで復元されたもの。 -
金の鯱鉾、お尻から。。。
宇喜多家の家紋「五七桐」が堂々と。 -
天守6階、正方形です。
今は普通の窓ですが、往時は華頭窓でした。 -
5階の鯱鉾、拝見。
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桃だ〜〜〜(◎o◎)!
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表書院間取りを眺めます。
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旭川に架かる月見橋。
その向こうが、 -
日本三名園の一つ、後楽園。
江戸時代初期に岡山藩2代藩主 池田綱政によって造営されました。 -
5階までは、江戸時代の町民の暮らしや、岡山城に関しての博物館になっています。
お殿様と奥方様の衣装を着て、城主の間で記念撮影、なんてコーナーもありました。 -
岡山歴代城主の家紋。
左から、
宇喜多家(五七桐)、小早川家(左三つ巴)、池田家(備前蝶)。 -
天守の西に付属している「塩蔵」。
今はお手洗いがあります。 -
天守をあとにし、中の段へ戻ります。
北の廊下門を横から見たのだったかな? -
表書院中庭にあった「泉水(せんすい)」(復元)に映る岡山城天守。
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上半分だけだと、普通の天守に見えます。
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中の段北西角を守る隅櫓「月見櫓」。
1620年代に建てられたもので、岡山城唯一の現存建築物。
国指定重要文化財。 -
そして、北の廊下門をくぐって、本丸をあとにします。
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廊下門を振り返ります。
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北西から見上げる岡山城天守。
優美さが感じられます。 -
旭川に架かる月見橋。
向こうは後楽園。 -
月見橋から眺める岡山城天守。
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旭川沿いには散歩道。
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ちょっと歩いて、旭川。
昨日からの大雨が嘘のように晴れてくれました。
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