2010/12/15 - 2011/01/01
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ヌールッディーンさん
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アーグラーからバスで1時間あまりのところにあるファテープル・スィークリーに行ってきました。
アクバル帝の時代に一時期、首都として遷都されましたが、水不足のため14年ほどで放棄されたため残った廃墟です。世界遺産にも登録されています。
往路は『地球の歩き方』にも載っているとおりイードガー・バススタンドからバスで行けば簡単にいけますが、帰りはバスが来なかったりすることもあるようなので、ゆっくり観光していると帰りのバスがなくなってしまうことがあるようです。というか、私の場合はそうなってしまいました。(16時頃まで観光した後、17時に終バスだから急ぐように「自称ガイド」に言われたのですが、結局、バスは来なかった。)
インド人の観光客の協力を得て適当なところで普通に走っているバスを停めて乗り込み、アーグラーに無事戻ることができましたが、観光する場合には帰りの交通手段には注意が必要なようです。
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ブランド・ダルワーザ(1575年)。
高い階段の上に高さ41メートルの巨大な楼門建築があり壮観です。
「壮麗門」という意味のこの建築は、アクバルが1573年にグジャラート地方の征服を記念して建てられたもので、インド・イスラームの楼門建築の傑作とされています。
赤砂岩と黄砂岩、白大理石の組み合わせによる象嵌細工の壁面もなかなか見事です。 -
遺跡はモスク地区と宮廷地区に分けられますが、こちらはモスク地区のほぼ全景。
ブランド・ダルワーザを通って中に入ると、四方を囲まれた大モスク(1571年)になっており、この写真の左側に見えるのが主礼拝室です。
モスクの中庭にはサリーム・チシュティー廟(左側)とイスラーム・カーン廟(右側)があるため、「ダルガー・モスク」という呼び名もあります。
ちなみに、イスラーム・カーン廟はもともとは聖者や聖職者が講和などをするための建物だったそうですが、サリーム・チシュティーの孫であるイスラーム・カーンがここに埋葬されたために、この名で呼ばれています。建物の中やその周辺には沢山の墓石があります。 -
サリーム・チシュティー廟(1580年、1606年)はモスク地区の必見の建築です。
当初は赤砂岩と白大理石の混成だったものが、後にすべて白大理石に置き換えられました。 -
壁面の大部分はこのような石造格子のスクリーンで覆われています。
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方杖で支えられた深い庇がこの建築の大きな特徴で、雨が多いインドならではのイスラーム建築だと言われています。
この方杖と壁の石造格子スクリーンの繊細さは、インドの他の建築と比べてもこの上なく、最高レベルの出来栄えです。 -
モスクはインドのものとしてはやや珍しく、建物が余り独立した感じではないのが特徴かもしれません。また、回廊の柱の形や庇などにヒンドゥー建築の影響が強く見られるのが特徴です。
中庭を囲むように付けられた多数のチャトリはかつてその中に蝋燭を立てて時計がわりに使われていたという説明も現地の「自称ガイド」から聞きました。 -
ジャマー・マスジドの主礼拝室内。
この部分はアクバルの理念である複数の宗教の共生を最も強く反映した場所らしいので複数の写真で紹介します。
まず、ミフラーブはイスラームを象徴しているとされます。 -
ミフラーブの上部にある階段状の移行部はヒンドゥーを象徴しているとされます。
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そして、天蓋のドームはキリスト教を象徴していると現地の「自称ガイド」は説明していました。
彼らの表現では「アクバルには3人の妻がいた。それはイスラーム(ミフラーブ)、ヒンドゥー(移行部)、キリスト教(天蓋)だ」と。 -
モスク地区の中にある「自然のエアコン」。
穴の中から冷たい空気が入ってくるようになっているのだそうです。
ちなみにこの子は現地の「自称ガイド」の一人。10歳ですが英語、日本語、イタリア語、フランス語など7つか8つの言語でガイドしているそうです。
この手のガイドはインドの観光地ではよく向こうから勝手に声をかけてきて、勝手に説明を続けた挙句、最後には自分の店に連れて行ったり、さらに終わってからガイド料を要求されたりするので、あまり着いて行かない方がよいでしょう。
ただ、この子は割と性質が悪くなく、私はお金を全く払いませんでした。とはいえ、割としつこく(宮廷地区の大部分には彼らは入れないようなのですが、そこから出てくるまで)まとわりついて来たし、それなりに興味深い説明も幾つかあったので、ちょっとしたおもちゃ(インドに行く途中の台湾で友達からもらったお菓子の箱ですが、クリスマスの時期だったので箱を開けるとクリスマスの曲が流れる)をあげてガイド料の代わりにしました。 -
宮廷地区のジョド・バーイー殿(1569年)。
アクバルの住まいだったところでペルシア式の中庭建築。ペルシアの中庭建築では普通、四方をイーワーン付の建物で囲むのですが、ここでは梁-柱構造の建物を採用しており、また、深い庇を出している点などがインド独特の様式となっています。 -
ジョド・バーイー殿。
こうした梁-柱構造や柱の装飾などがヒンドゥ的だと感じさせます。
石造建築でこのように天井が平らなのは、私にとっては非常に違和感があり、圧迫感を感じてあまり好きではありません。やはりドームやヴォールトなどで空間にアクセントをつけてもらいたいと個人的には思ってしまいます。 -
パンチ・マハル(五層閣)
列柱で支えられた階段状の五層の吹き抜けからなる独特の建築です。 -
ディーワーネ・カース(貴賓謁見の間)。
外観は4つのチャトリを乗せた深い庇を持つシンプルな建物です。 -
ディーワーネ・カースの中には多数の房状の装飾を持つ柱があり、この上に置かれた玉座が王が貴賓を迎えたところです。
ファテープル・スィークリーの建造物の中でも最大の見所の一つです。 -
Turkish Sultana's House。
この建築と廷臣ビルバルの館の彫刻は必見です。
この天井は中東由来のアーチネットを髣髴とさせるものですが、天井が平らなのがやはりインド風という感じです。
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