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「トルコの人々は、日本に親近感を持っているので、行ってみると良い」、「たいへん楽しい旅が出来る」等の話が良く聞かされていました。<br />私は、当初、「どこでも観光客で行くのであれば、歓迎はしてくれるでしょう……」程度の認識でしたが、そこまで言うなら一度行ってみようと、この5月に12日間の団体ツアーで行ってきました。<br />確かに、大変なもてかたでした。<br />「日本人」の一言でほとんどの地元の方々は好意的なまなざし、親しみを持った表情を浮かべ、私どもに接してくれました。また、話し掛けてきました。<br />重要なことは、その方々は決して観光関連の方々のみならず、商売に無関係の地元観光客、通行人、小中学生、警察官等も同様でした。<br />今までに訪問した国々ではまったく経験したことのないことで、何がその背景にあったのか、またあるのかを、非常に興味を持ち、私なりに考え・整理してみました。<br /><br />背景の最大の理由<br />120年前の軍艦エルトールル号遭難救助の恩を語り継ぐことで、トルコ国民の一つの良き手本とする、アタチュルク氏の強い意志があったのではないでしょうか。<br />アタチェルク氏没後も引き継いだ指導層は、その意思・考えに共感され、今日まで、義務教育(10歳時)で全国民に学ばせているようです。<br /><br /><br />下記のブログで触れてみます。<br /><br />1.トルコの「親日感情」を体験2010年5月(1)旅行前<br />   http://4travel.jp/traveler/ozamari/album/10468681/<br /><br />2.トルコの「親日感情」を体験2010年5月(2)実際の体験談<br />3.トルコの「親日感情」を体験2010年5月(3)訪問後の理解<br />4.日本への、エルトールル号派遣までの背景<br />5.「親日的な国々とはどこ?」、トルコとの比較<br />6.日本とトルコの交流史(1)、エルトールル号遭難経緯<br />7.日本とトルコの交流史(2)、エルトールル号遭難後の動き<br />8.日本とトルコの交流史(3)、トルコ航空機215名の邦人救出<br />9.日本とトルコの交流史(4)、トルコ北西部大地震・日本の支援<br />10.トルコ人の好きな国、日本は堂々の第1位!<br />11.日本人は、フェリー船長室の入室がOK(ダーダネルス海峡)<br />12.トルコ ミニ写真館<br /><br />ご覧になるには、各テーマを検索するか、また上記1.をクリックしてご覧願います。

トルコの親日感情について pedometer-ken

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2010/05/08 - 2010/05/19

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pedometer-ken

pedometer-kenさん

「トルコの人々は、日本に親近感を持っているので、行ってみると良い」、「たいへん楽しい旅が出来る」等の話が良く聞かされていました。
私は、当初、「どこでも観光客で行くのであれば、歓迎はしてくれるでしょう……」程度の認識でしたが、そこまで言うなら一度行ってみようと、この5月に12日間の団体ツアーで行ってきました。
確かに、大変なもてかたでした。
「日本人」の一言でほとんどの地元の方々は好意的なまなざし、親しみを持った表情を浮かべ、私どもに接してくれました。また、話し掛けてきました。
重要なことは、その方々は決して観光関連の方々のみならず、商売に無関係の地元観光客、通行人、小中学生、警察官等も同様でした。
今までに訪問した国々ではまったく経験したことのないことで、何がその背景にあったのか、またあるのかを、非常に興味を持ち、私なりに考え・整理してみました。

背景の最大の理由
120年前の軍艦エルトールル号遭難救助の恩を語り継ぐことで、トルコ国民の一つの良き手本とする、アタチュルク氏の強い意志があったのではないでしょうか。
アタチェルク氏没後も引き継いだ指導層は、その意思・考えに共感され、今日まで、義務教育(10歳時)で全国民に学ばせているようです。


下記のブログで触れてみます。

1.トルコの「親日感情」を体験2010年5月(1)旅行前
   http://4travel.jp/traveler/ozamari/album/10468681/

2.トルコの「親日感情」を体験2010年5月(2)実際の体験談
3.トルコの「親日感情」を体験2010年5月(3)訪問後の理解
4.日本への、エルトールル号派遣までの背景
5.「親日的な国々とはどこ?」、トルコとの比較
6.日本とトルコの交流史(1)、エルトールル号遭難経緯
7.日本とトルコの交流史(2)、エルトールル号遭難後の動き
8.日本とトルコの交流史(3)、トルコ航空機215名の邦人救出
9.日本とトルコの交流史(4)、トルコ北西部大地震・日本の支援
10.トルコ人の好きな国、日本は堂々の第1位!
11.日本人は、フェリー船長室の入室がOK(ダーダネルス海峡)
12.トルコ ミニ写真館

ご覧になるには、各テーマを検索するか、また上記1.をクリックしてご覧願います。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
3.0
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
鉄道 観光バス
航空会社
エジプト航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB
  • 高齢者用運動器具のある公園<br /><br />イスタンブ−ル郊外住宅地域の公園に、スポーツ・ジムに置いてあるような運動器具が設置されていました。<br />東京郊外に住んでいる私ですが、無料の公園でこうした設備は初めてで、「トルコも進んでいるなぁ」と感心!<br /><br />また運動に来ている高齢者の皆さんが、器具の使い方等を身振り・手ぶりで教えてくれる等、大変親切でした。<br />ジョジング中の高齢の男性は、「オハヨウ!」の日本語での挨拶し走り抜けていきました。<br />

    高齢者用運動器具のある公園

    イスタンブ−ル郊外住宅地域の公園に、スポーツ・ジムに置いてあるような運動器具が設置されていました。
    東京郊外に住んでいる私ですが、無料の公園でこうした設備は初めてで、「トルコも進んでいるなぁ」と感心!

    また運動に来ている高齢者の皆さんが、器具の使い方等を身振り・手ぶりで教えてくれる等、大変親切でした。
    ジョジング中の高齢の男性は、「オハヨウ!」の日本語での挨拶し走り抜けていきました。

  • 中学教師から生徒との写真依頼<br /><br />トッズ塩湖で観光中のこと、「私は英語の教師ですが、生徒と一緒に写真を撮らせて欲しい」の依頼。<br />ムービースターでもない私どもにこうした依頼をするのは、ひとえに「日本人」だからです。<br />勿論ニッコリでご一緒しました。写真を撮って頂いた後、私も撮らせて頂きました。それがここに載っている写真です。

    中学教師から生徒との写真依頼

    トッズ塩湖で観光中のこと、「私は英語の教師ですが、生徒と一緒に写真を撮らせて欲しい」の依頼。
    ムービースターでもない私どもにこうした依頼をするのは、ひとえに「日本人」だからです。
    勿論ニッコリでご一緒しました。写真を撮って頂いた後、私も撮らせて頂きました。それがここに載っている写真です。

  • 兵士と聖職者スナップ写真<br /><br />マリア聖母教会でのこと、自動小銃を持った兵士が、聖職者と何か話していました。談笑中の感じです。この組み合わせが私には面白いと思い、失礼ながら丁重にお願いし、写真を撮らせて頂きました。<br />聖職者は喜んで「どうぞ…」、兵士はいやいやの雰囲気。兵士は警戒中ですので当然でしょう。ハンサムのツーショットが撮れました。<br />ここでも<日本人>だったことからOKしてくれたのだと思いました。<br /><br />

    兵士と聖職者スナップ写真

    マリア聖母教会でのこと、自動小銃を持った兵士が、聖職者と何か話していました。談笑中の感じです。この組み合わせが私には面白いと思い、失礼ながら丁重にお願いし、写真を撮らせて頂きました。
    聖職者は喜んで「どうぞ…」、兵士はいやいやの雰囲気。兵士は警戒中ですので当然でしょう。ハンサムのツーショットが撮れました。
    ここでも<日本人>だったことからOKしてくれたのだと思いました。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • こんぱすさん 2010/12/28 10:49:48
    トルコ人はどうして親日的か  − 私見
    下記の点は、正統的な見解とおもいますので、記述します。
    まず、第一の原因は、
    1、日本が日露戦争で勝ったこと。
      日本が有色人種で始めて白人の大帝国を破ったことは、全ての有色
      人種に勇気を与えたそうです。 トルコ人もアジア人です。
       トルコは17世紀までは大帝国でしたが、19世紀にはロシア帝国に
       領土を奪われ続けてきたために、その思いが強かったようです。
    2、有色人種、アジア人の中で先駆けて近代化をしたこと。
      日本が戦争で負けた後も、驚異的な経済発展したこと

    したがって日露戦争後から、「日本を見習おう」の意識が高まり、教育でも取り上げられ、親日感情が高くなったものとみられます。
    遭難船の救助のことも、親日感情を高めたものとおもいます。

    沈滞気味の日本ですが、今でもトルコ人にとっては、世界で最高の車や電気製品を作る「輝かしい国」のようです。

    以上が、歴史に詳しく無い、理系人間の認識ですが・・。
    疑問点があれば・・・・

    pedometer-ken

    pedometer-kenさん からの返信 2010/12/28 12:44:34
    RE: トルコ人はどうして親日的か  − 私見
    > 下記の点は、正統的な見解とおもいますので、記述します。
    > まず、第一の原因は、
    > 1、日本が日露戦争で勝ったこと。
    >   日本が有色人種で始めて白人の大帝国を破ったことは、全ての有色
    >   人種に勇気を与えたそうです。 トルコ人もアジア人です。
    >    トルコは17世紀までは大帝国でしたが、19世紀にはロシア帝国に
    >    領土を奪われ続けてきたために、その思いが強かったようです。
    > 2、有色人種、アジア人の中で先駆けて近代化をしたこと。
    >   日本が戦争で負けた後も、驚異的な経済発展したこと
    >
    > したがって日露戦争後から、「日本を見習おう」の意識が高まり、教育でも取り上げられ、親日感情が高くなったものとみられます。
    > 遭難船の救助のことも、親日感情を高めたものとおもいます。
    >
    > 沈滞気味の日本ですが、今でもトルコ人にとっては、世界で最高の車や電気製品を作る「輝かしい国」のようです。
    >
    > 以上が、歴史に詳しく無い、理系人間の認識ですが・・。
    > 疑問点があれば・・・・

    掲示板投稿有難うございました。

    私は調べ始めたばかりですので、確たることは言えませんが、私の理解では、遭難事件がやはり大きな意味を持っているのではないかと考えています。
    時系列的に並べると、遭難救助事件が1890年、山田寅次郎氏のオスマン・トルコへ義捐金持参が1892年です。
    日露戦争は遭難事件12年後の、1904年です。

    オスマン・トルコの皇帝・指導者層は、この遭難事件まではアジアの端の日本に対する印象は極めて薄かっただろうと推測します。衰退しつつも世界の覇権を争ったオスマン・トルコです。
    この遭難事件がなければ、多くの国民は、日本そのものをまったく意識はしていなかったと思われます。
    1887年明治政府はロシアの南下政策の対抗策の一つとして、ロシアと争っていたオスマン・トルコへ、小松宮様を派遣。
    1889年トルコ皇帝は東アジアのイスラム教徒への親善訪問・日本の小松宮の答礼を目的に皇帝特使を派遣。日本を最後の訪問国としたが、その帰路の遭難事件でした。
    また、遭難事件を後世に残し、伝えようとした共和国初代大統領アタチェルク氏の指導が極めて大きく影響していると考えています。
    10歳になると全国民は、教科書でこの遭難事件を現在でも教えられているようです。
    ご指摘の、日露戦争勝利、敗戦後の日本の飛躍的発展等は背景に大いにあると思います。

    最後に、今年5月に行った時のトルコのガイドさんの話では、トルコの老若男女全世代では、エルトールル号遭難事件後2年がかりで義捐金を集め、皇帝へ届けた「山田寅次郎氏」の名前が、日本人で一番の有名人のようでした。
    「トウゴウ、ノギ」の名前もありますが……


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