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 インドネシアへの鐡旅を考え始めたのは、今春であった。日本の航空会社でインドネシアへ直行する便はジャカルタとデンパサール(バリ島)があるが、どちらもあまり安くない。そこで、シンガポールまではJAL便で、そこから先は別の格安航空会社で移動することにした。<br /> 格安だけあって、日時によって料金設定がまるで違う。希望する日のジャカルタ行きが高かったため、行きはジョグジャカルタ、帰りはジャカルタからという旅程になった。<br /> ジョグジャカルタには世界遺産のボロブドゥールがあるため、せっかくだからその程度は観光をしようかと思う。あとは鉄道であるが、最初はスラバヤからバニュワンギ(バリ島への玄関口)への路線乗車も考えたのであるが、行って戻ってで丸2日間必要であることを考慮して、今回は諦めることにした。それで普通に一周するだけにしたが、右回りか左回りかであれこれ悩み(詳細を書くと長くなるので省略するが)、結局は以下のような旅程を考えた。<br /><br /> 初日:成田空港→チャンギ空港  トランジットホテル泊<br /> 2日目:チャンギ空港→アジスチプト空港  ボロブドゥール泊<br /> 3日目:ジョグジャカルタ観光  ジョグジャカルタ泊<br /> 4日目:(鐡旅)ジョグジャカルタ→ガンビル(ジャカルタ)  ジャカルタ泊<br /> 5日目:(鐡旅)ガンビル→パサール・トゥリ(スラバヤ)  スラバヤ泊<br /> 6日目:(鐡旅)グブン(スラバヤ)→バンドン  バンドン泊<br /> 7日目:(鐡旅)バンドン→ガンビル  午後はボゴールへ往復。ジャカルタ泊<br /> 8日目:ジャカルタ近郊観光。スカルノハッタ空港→チャンギ空港。夜行便で出発。<br /> 9日目:早朝に成田空港着<br /><br /> 良い点は、旅程の最初に余裕を持たせることによって、未手配の切符を押さえやすくなるところである。逆に不安な点は、5日目と6日目の到着が夜になってしまうため、到着後の移動に不安があるところである。理想的には夕方に到着し、手配や交渉が面倒なタクシーは使わずにぷらぷらと歩いてホテルへ向かい、余裕をもって近所の店などを徘徊したいところであるが、移動距離が長くなるために到着時間が遅くなってしまうのは仕様がない。<br /><br /> 様々な支線やローカル線にも惹かれるところであるが、日程や治安の問題から、幹線を中心に一周するだけである。<br /> まずは、ジョグジャカルタから南線と北線(チルボン経由)でジャカルタへ。続いて、ひたすら北線のみでジャカルタからスラバヤへ。そして、南線とバンドン線でスラバヤからバンドンへ。最後はバンドンからジャカルタである。<br /><br /> 鉄道の切符が無事手配できるかどうかは不明であるが、現地で宿泊先を探すのも面倒であるため、一か八かでホテルの予約・決済をしてしまった(インターネットで予約ができる範囲で、安めのところ)。バンドンは駅から歩けそうなホテルを予約できたが、スラバヤは2キロほどあるためタクシーを手配しなければならない。あとは野となれ山となれ、である。

インドネシア、ジャワ島一周の旅(鉄道のみで一周)

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2010/09/18 - 2010/09/26

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国電

国電さん

 インドネシアへの鐡旅を考え始めたのは、今春であった。日本の航空会社でインドネシアへ直行する便はジャカルタとデンパサール(バリ島)があるが、どちらもあまり安くない。そこで、シンガポールまではJAL便で、そこから先は別の格安航空会社で移動することにした。
 格安だけあって、日時によって料金設定がまるで違う。希望する日のジャカルタ行きが高かったため、行きはジョグジャカルタ、帰りはジャカルタからという旅程になった。
 ジョグジャカルタには世界遺産のボロブドゥールがあるため、せっかくだからその程度は観光をしようかと思う。あとは鉄道であるが、最初はスラバヤからバニュワンギ(バリ島への玄関口)への路線乗車も考えたのであるが、行って戻ってで丸2日間必要であることを考慮して、今回は諦めることにした。それで普通に一周するだけにしたが、右回りか左回りかであれこれ悩み(詳細を書くと長くなるので省略するが)、結局は以下のような旅程を考えた。

 初日:成田空港→チャンギ空港  トランジットホテル泊
 2日目:チャンギ空港→アジスチプト空港  ボロブドゥール泊
 3日目:ジョグジャカルタ観光  ジョグジャカルタ泊
 4日目:(鐡旅)ジョグジャカルタ→ガンビル(ジャカルタ)  ジャカルタ泊
 5日目:(鐡旅)ガンビル→パサール・トゥリ(スラバヤ)  スラバヤ泊
 6日目:(鐡旅)グブン(スラバヤ)→バンドン  バンドン泊
 7日目:(鐡旅)バンドン→ガンビル  午後はボゴールへ往復。ジャカルタ泊
 8日目:ジャカルタ近郊観光。スカルノハッタ空港→チャンギ空港。夜行便で出発。
 9日目:早朝に成田空港着

 良い点は、旅程の最初に余裕を持たせることによって、未手配の切符を押さえやすくなるところである。逆に不安な点は、5日目と6日目の到着が夜になってしまうため、到着後の移動に不安があるところである。理想的には夕方に到着し、手配や交渉が面倒なタクシーは使わずにぷらぷらと歩いてホテルへ向かい、余裕をもって近所の店などを徘徊したいところであるが、移動距離が長くなるために到着時間が遅くなってしまうのは仕様がない。

 様々な支線やローカル線にも惹かれるところであるが、日程や治安の問題から、幹線を中心に一周するだけである。
 まずは、ジョグジャカルタから南線と北線(チルボン経由)でジャカルタへ。続いて、ひたすら北線のみでジャカルタからスラバヤへ。そして、南線とバンドン線でスラバヤからバンドンへ。最後はバンドンからジャカルタである。

 鉄道の切符が無事手配できるかどうかは不明であるが、現地で宿泊先を探すのも面倒であるため、一か八かでホテルの予約・決済をしてしまった(インターネットで予約ができる範囲で、安めのところ)。バンドンは駅から歩けそうなホテルを予約できたが、スラバヤは2キロほどあるためタクシーを手配しなければならない。あとは野となれ山となれ、である。

旅行の満足度
4.0
観光
3.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
鉄道
航空会社
JAL
旅行の手配内容
個別手配

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  • ■9.18 成田から旅立ち<br /> 夕方に成田を出発する便で、まずはシンガポールへ行く。最近はビジネスへの無償インボラやプレミアム・エコノミー席などが続き、それらがなくても非常口座席などであったのだが、久々に「真っ当なエコノミー」で、7時間のフライトはかなり足腰に来た。<br /> シンガポール・チャンギ空港着は夜中の0時05分。翌日のトランジットに備え、出国手続き前にある予約済のトランジットホテルに行き、6時間ほど横になる。<br /><br />■9.19 初めて赤道より南へ行く<br /> チェックアウト後、フライトまで5時間ほど時間があるため、空港の各ターミナルを徒歩やスカイトレインで移動して散歩するが、それでも時間がある。することもなくなり、一旦入国をする(乗り継ぎする飛行機会社の都合で、一度そうしなければならない)。というのも、私はあれこれ旅をしているが、初めてのいわゆるLCC(ロー・コスト・キャリア)であるエア・アジアに搭乗するからである(相互の航空会社で乗り継ぎが考慮されない)。<br /> 結果的には、チェックイン手続きでこれでもかと並んだことと、搭乗券がペラペラのレシートであったこと以外は、特に大きく変わるわけではなかった(もちろん、細かいことを言えば色々あるが)。唯注意すべきことは、基本的に遅延等の保障がないため、乗り継ぎや帰国に係わる旅程の際はやめた方がいいということだろう。<br /> この春にも来たチャンギ空港であるが、外国から外国に飛ぶのは初めての経験である。ハブ空港として有名なこの空港ならでは、であろうか。離陸後の機内では、事前予約しておいたチキンライスを食べ(味はまぁ良かったが、量はかなり少ない)、それ以降は、睡眠不足を補うためにうつらうつらとする。<br /><br /> 初めてのアジスチプト空港、世界遺産のボロブドゥールが近いとはいえ、基本的には田舎空港である。ビザの25US$を支払い、長蛇の列である東南アジアの方々を差し置いて専用レーンに西洋人と並び、手続きを済ませる。それから出口に向かうが、ジャカルタなどでは群がる蟻のようにタクシーなどの客引きがあると聞いていたが、ここジョグジャカルタはそれほどでもない。身軽なこちらもさっさと出入口から離れてしまったので、誰からも声を掛けられずに済ませることができた。<br /><br />@意外に質素な空港

    ■9.18 成田から旅立ち
     夕方に成田を出発する便で、まずはシンガポールへ行く。最近はビジネスへの無償インボラやプレミアム・エコノミー席などが続き、それらがなくても非常口座席などであったのだが、久々に「真っ当なエコノミー」で、7時間のフライトはかなり足腰に来た。
     シンガポール・チャンギ空港着は夜中の0時05分。翌日のトランジットに備え、出国手続き前にある予約済のトランジットホテルに行き、6時間ほど横になる。

    ■9.19 初めて赤道より南へ行く
     チェックアウト後、フライトまで5時間ほど時間があるため、空港の各ターミナルを徒歩やスカイトレインで移動して散歩するが、それでも時間がある。することもなくなり、一旦入国をする(乗り継ぎする飛行機会社の都合で、一度そうしなければならない)。というのも、私はあれこれ旅をしているが、初めてのいわゆるLCC(ロー・コスト・キャリア)であるエア・アジアに搭乗するからである(相互の航空会社で乗り継ぎが考慮されない)。
     結果的には、チェックイン手続きでこれでもかと並んだことと、搭乗券がペラペラのレシートであったこと以外は、特に大きく変わるわけではなかった(もちろん、細かいことを言えば色々あるが)。唯注意すべきことは、基本的に遅延等の保障がないため、乗り継ぎや帰国に係わる旅程の際はやめた方がいいということだろう。
     この春にも来たチャンギ空港であるが、外国から外国に飛ぶのは初めての経験である。ハブ空港として有名なこの空港ならでは、であろうか。離陸後の機内では、事前予約しておいたチキンライスを食べ(味はまぁ良かったが、量はかなり少ない)、それ以降は、睡眠不足を補うためにうつらうつらとする。

     初めてのアジスチプト空港、世界遺産のボロブドゥールが近いとはいえ、基本的には田舎空港である。ビザの25US$を支払い、長蛇の列である東南アジアの方々を差し置いて専用レーンに西洋人と並び、手続きを済ませる。それから出口に向かうが、ジャカルタなどでは群がる蟻のようにタクシーなどの客引きがあると聞いていたが、ここジョグジャカルタはそれほどでもない。身軽なこちらもさっさと出入口から離れてしまったので、誰からも声を掛けられずに済ませることができた。

    @意外に質素な空港

  •  線路を越え、大通りに出る。トランスジョグジャというバスの乗り場を探すが、歩いて10分しても見つからない。道端にいた親切そうな兄さんに英語で聞くと、道路の反対側に行けという。バス駅(変な表現だが、そういう形になっている)のお姉さんに聞くと、ここから3Aの路線に乗ればいいという。ジョグジャカルタ駅に直行する路線ではないが、言われたとおりにそれに乗ると、バスはあっという間に空港近くに戻ってしまった。要するに、空港近くのMaguwo※駅のすぐ前がトランスジョグジャの乗り場だったのである(ここで待っていた方が駅を観察できたのに、と思う)。大通りまで出てしまったのが間違いであった。<br /> ※以下、インドネシアの鉄道情報はあまり豊富ではないため、一部の有名な都市や駅名以外は、アルファベット表記にて記載する。<br /> トランスジョグジャは生活路線であるため、上下あちこちに寄りながらバスは激走する。結局ジョグジャカルタ駅(トゥグ駅)付近まで1時間もかかってしまったが、川べりの家々や道端の露店など、様々な生活を垣間見ることができたから「よし」としよう。運賃もRP3,000(約29円)と激安である。<br /> さて、今日明日明後日と「おのぼりさん」的な世界遺産観光であるが、それ以降は鐡旅である。そのためには指定席を手配しておかなければならない。<br /> 駅前道路を歩き、両替商で2万円を両替する。単位があっという間に204万ルピアになり、大金持ちのような気分になる。<br /> ジョグジャカルタのトゥグ駅は、駅舎のすぐ隣に予約センターがある。とりあえず入ってみると、記帳台の隣りには代表的な列車の時刻表も貼ってある。よし、とにかく最終確認をして申込みを、と思えども、申込用紙の様子が少しおかしい。というのも、事前に下調べした時点では、申込用紙はインドネシア語と英語が併記されているという情報だったのだが、ここの用紙は前者しかないのである。<br /><br />@駅横にあるチケット売り場

     線路を越え、大通りに出る。トランスジョグジャというバスの乗り場を探すが、歩いて10分しても見つからない。道端にいた親切そうな兄さんに英語で聞くと、道路の反対側に行けという。バス駅(変な表現だが、そういう形になっている)のお姉さんに聞くと、ここから3Aの路線に乗ればいいという。ジョグジャカルタ駅に直行する路線ではないが、言われたとおりにそれに乗ると、バスはあっという間に空港近くに戻ってしまった。要するに、空港近くのMaguwo※駅のすぐ前がトランスジョグジャの乗り場だったのである(ここで待っていた方が駅を観察できたのに、と思う)。大通りまで出てしまったのが間違いであった。
     ※以下、インドネシアの鉄道情報はあまり豊富ではないため、一部の有名な都市や駅名以外は、アルファベット表記にて記載する。
     トランスジョグジャは生活路線であるため、上下あちこちに寄りながらバスは激走する。結局ジョグジャカルタ駅(トゥグ駅)付近まで1時間もかかってしまったが、川べりの家々や道端の露店など、様々な生活を垣間見ることができたから「よし」としよう。運賃もRP3,000(約29円)と激安である。
     さて、今日明日明後日と「おのぼりさん」的な世界遺産観光であるが、それ以降は鐡旅である。そのためには指定席を手配しておかなければならない。
     駅前道路を歩き、両替商で2万円を両替する。単位があっという間に204万ルピアになり、大金持ちのような気分になる。
     ジョグジャカルタのトゥグ駅は、駅舎のすぐ隣に予約センターがある。とりあえず入ってみると、記帳台の隣りには代表的な列車の時刻表も貼ってある。よし、とにかく最終確認をして申込みを、と思えども、申込用紙の様子が少しおかしい。というのも、事前に下調べした時点では、申込用紙はインドネシア語と英語が併記されているという情報だったのだが、ここの用紙は前者しかないのである。

    @駅横にあるチケット売り場

  •  書いてある位置などで、なんとなく意味は想像できるのもあるが、まったく当てが付けられないものもある。悩んでも仕様がないため、整理券番号を出したりしている警備員風の人に訊いてみた。<br />「すみません、私はインドネシア語わかりません。この部分を英語で言うと、なんていうの?」(のようなことを、しどろもどろな英語で訊いた)<br />「う〜ん」<br />「これは、『日付』?」<br />「そう…」<br />「これは?」<br />「う〜ん」<br /> 英語の不得意そうな青年の横から、たまたま隣りにいたおじいさんが助けに入ってくれた。<br />「シュハツ」<br />「シュハツ?(なんだろう…、shuhat? shouhatt? そんな英単語知らないっていうか、たぶんなさそう。どうしよう、英語なのにわかんないや)。……シュハッツ?」<br />「シュハッツ。ダッテ、日本人デショ?」<br />「……(約3秒)……ああっ! シュッパツ! わかりました『出発』ですね、ありがとうございました」<br /> おじいさんが日本語ができた理由は不明だが(大東亜戦争時の教育の影響を受けているほどの高齢には見えない)、とりあえず礼を言って記帳台に戻った(ちなみに、おじいさんが私を日本人だとわかった理由は、私の見た目云々もあるだろうが、それよりも申込用紙にローマ字ですでに名前を書いてあったからであろう)。<br /><br />@ジョグジャカルタの申込用紙は、少し厄介

     書いてある位置などで、なんとなく意味は想像できるのもあるが、まったく当てが付けられないものもある。悩んでも仕様がないため、整理券番号を出したりしている警備員風の人に訊いてみた。
    「すみません、私はインドネシア語わかりません。この部分を英語で言うと、なんていうの?」(のようなことを、しどろもどろな英語で訊いた)
    「う〜ん」
    「これは、『日付』?」
    「そう…」
    「これは?」
    「う〜ん」
     英語の不得意そうな青年の横から、たまたま隣りにいたおじいさんが助けに入ってくれた。
    「シュハツ」
    「シュハツ?(なんだろう…、shuhat? shouhatt? そんな英単語知らないっていうか、たぶんなさそう。どうしよう、英語なのにわかんないや)。……シュハッツ?」
    「シュハッツ。ダッテ、日本人デショ?」
    「……(約3秒)……ああっ! シュッパツ! わかりました『出発』ですね、ありがとうございました」
     おじいさんが日本語ができた理由は不明だが(大東亜戦争時の教育の影響を受けているほどの高齢には見えない)、とりあえず礼を言って記帳台に戻った(ちなみに、おじいさんが私を日本人だとわかった理由は、私の見た目云々もあるだろうが、それよりも申込用紙にローマ字ですでに名前を書いてあったからであろう)。

    @ジョグジャカルタの申込用紙は、少し厄介

  •  さて、4枚の申込用紙を記入して先ほどの整理番号のところへ行ったが、もらった番号は529番、掲示されている番号はまだ460番台である。70人近い予約手続きなど待っていたら、下手をしたら日が暮れてしまうかもしれない。今日がジョグジャカルタ泊まりならまだしも、これからボロブドゥールまで行かなくてはならない(ボロブドゥール敷地内にある唯一のホテルを予約してある)。<br /> どうせ翌日にまたジョグジャカルタに来るわけであるから、今日の発券を諦めてしまうというのも手であろう。そんなことを考えて待合室内をぶらぶらしていると、小さなモニタがあり、そこに今後の指定券発売状況(残り席情報)が逐次更新されているようであった。見てみると、なんと最初の乗車予定である明後日のArgoLawu号の残りが、たったの19席ではないか。これはもう、どんなに遅くなろうが今日中に押さえなければならない。<br /> 待合室にいても仕様がないため、ぶらぶらと駅構内を散歩する。売店を覗き見し、エコノミーだけの近距離列車の出発を見送り、5分おきくらいに待合室に戻ってみる。すると、意外に整理券番号の進みは早いようである。それというのも、整理券だけバンバン出すだけしておいて、どこかに消えてしまう人が多いのである(それが証拠に、窓口の人も番号を呼んでから3秒くらい誰も来ないと、もう次の番号を呼んでしまっている。気付くのが遅い人だと、取り残されそうでもある)。<br /> 駅構内散歩&戻って確認、を繰返し(途中、ArgoLawu号の残りが17席に減った)、500番台になってからはカウンター近くで身構えて待つ。駅に来てから待つこと30分弱、やっと自分の番号が機械音声で呼ばれた。<br /> カウンターの女性職員は、インドネシア系らしからぬ「キレ」の良い、とてつもない美人であった(しかし、インドや中華系ではなく、明らかにマレーやインドネシアの系統である)。それはさておき、申込用紙を渡してプロッターから切符が打ち出される音を聞きながら待つ。しばらくしてから彼女が言うには、最後に書いたバンドンからの切符はここでは売れない、ということであったが、それ以外の3つの長距離列車は予約することができた。きちんと希望通り、窓側を押さえてくれている。バンドンからの列車については、まだ先の日でもあるし、近距離で本数も多いから、なんとかなるであろう(なんとかならなくても、バスなどで移動できる距離である)。<br /><br />@とりあえず3枚ゲット(切符にはSLのシルエットがある)

     さて、4枚の申込用紙を記入して先ほどの整理番号のところへ行ったが、もらった番号は529番、掲示されている番号はまだ460番台である。70人近い予約手続きなど待っていたら、下手をしたら日が暮れてしまうかもしれない。今日がジョグジャカルタ泊まりならまだしも、これからボロブドゥールまで行かなくてはならない(ボロブドゥール敷地内にある唯一のホテルを予約してある)。
     どうせ翌日にまたジョグジャカルタに来るわけであるから、今日の発券を諦めてしまうというのも手であろう。そんなことを考えて待合室内をぶらぶらしていると、小さなモニタがあり、そこに今後の指定券発売状況(残り席情報)が逐次更新されているようであった。見てみると、なんと最初の乗車予定である明後日のArgoLawu号の残りが、たったの19席ではないか。これはもう、どんなに遅くなろうが今日中に押さえなければならない。
     待合室にいても仕様がないため、ぶらぶらと駅構内を散歩する。売店を覗き見し、エコノミーだけの近距離列車の出発を見送り、5分おきくらいに待合室に戻ってみる。すると、意外に整理券番号の進みは早いようである。それというのも、整理券だけバンバン出すだけしておいて、どこかに消えてしまう人が多いのである(それが証拠に、窓口の人も番号を呼んでから3秒くらい誰も来ないと、もう次の番号を呼んでしまっている。気付くのが遅い人だと、取り残されそうでもある)。
     駅構内散歩&戻って確認、を繰返し(途中、ArgoLawu号の残りが17席に減った)、500番台になってからはカウンター近くで身構えて待つ。駅に来てから待つこと30分弱、やっと自分の番号が機械音声で呼ばれた。
     カウンターの女性職員は、インドネシア系らしからぬ「キレ」の良い、とてつもない美人であった(しかし、インドや中華系ではなく、明らかにマレーやインドネシアの系統である)。それはさておき、申込用紙を渡してプロッターから切符が打ち出される音を聞きながら待つ。しばらくしてから彼女が言うには、最後に書いたバンドンからの切符はここでは売れない、ということであったが、それ以外の3つの長距離列車は予約することができた。きちんと希望通り、窓側を押さえてくれている。バンドンからの列車については、まだ先の日でもあるし、近距離で本数も多いから、なんとかなるであろう(なんとかならなくても、バスなどで移動できる距離である)。

    @とりあえず3枚ゲット(切符にはSLのシルエットがある)

  •  ちなみに料金は、ジョグジャカルタからジャカルタ(ガンビル)までのArgoLawu号がRP290,000、ジャカルタからスラバヤ(パサール・トゥリ)までのArgoAnggrek1号がRP300,000、スラバヤ(グブン)からバンドンまでのArgoWilis号がRP310,000である。乗車時間がLawu号が7時間超で、それに対してWilis号が12時間超の割に、その差があまりないのが不思議でもある。インドネシアの切符は列車ごと、つまり途中で降りても始発から終点までの料金を払わなければならず、Lawu号はジョグジャカルタより前のSoloBalapan始発であるのも関係あるかもしれないが、それでも乗車時間は1時間弱増えるだけであるから、少なくとも距離制の料金体制ではないことは確実である。<br /> 代金を支払い、取り急ぎの礼だけを言って駅を出た。懸念事項であった長距離列車の切符が確保できたため、最低限の移動パターンはこれで固めることができた(事前に予約決済してしまった各都市でのホテルが無駄にならなくて済んだ)。<br /><br /> 続いては、ボロブドゥールへの移動である。格安のトランスジョグジャを乗り継ぎ、北部にあるジョンボール・バスターミナルへ向かったのはいいのだが、途中からスコールが降りだしてしまった。ターミナルに着いてからは、すぐ目の先も見えなくなるような、大音量のスコールである。今まで体験したどんな雷雨よりもその激しさは比較にならない程度であり、しばらくトランスジョグジャの待合室内に待機することになってしまった。<br /> 延々と続く雨の中、路線バスの車掌らしき人が大声で「ボンドブール!?」と客探しをしているように一瞬聞こえたが、大雨のせいもあって見逃してしまった。30分以上も待ち、雨が少し収まってきたところで目の前のターミナルへ移動するが、なかなか目当てのバスは来ない。路線バスは午後5時くらいでなくなるということであったから、しびれを切らしてオフィスへ行って訊いてみると、「今日はもうフィニッシュ」だという。<br /> 仕方なく、目の前に停まっていたタクシーと交渉する。運転手は料金表を見せ、RP168,200(だったか?)だというが、たしかに空港からの観光タクシーでは190,000くらいしたという情報もあるから、それほど論外でもないのだろう。適当に交渉し、端数だけ省いてもらって向かうことにした。<br /> 移動に1600円も使ってしまうのはもったいないが、距離にして50キロ超、1時間のタクシー移動であるから、まぁ納得しよう。それに、敷地内にあるホテル・マノハラまではバスターミナルから歩いて10分ほどあるし、タクシーなら玄関まで行ってくれる。実際、午後6時手前からもう日は暮れてしまい暗くなっているため、初訪問の地であることを考えるとこれでよかったのかもしれない。<br /> チェックイン後は夕食であるが、周囲に何もないのでレストランに行かざるを得ない。レストランはかなり混んでいて、3/4は塞がっている。それは混んでいるうちに入らないだろうと言われそうだが、場所柄、また事前にインターネットで調べた限りでは、かなり空いているはずであったからである。やはり「ラマダン休暇明け」の影響が、まだあるのだろうか。<br /> 中央では、ガムランの演奏(演奏者は1人のみだが)が延々と続いている。遠くには、ライトアップされているボロブドゥール遺跡がおぼろげに見えている。そんな状況で、いつもは部屋食の私がレストランでモノを注文している。まるで「観光旅行」のようである。<br /><br />@アヤムとナシゴレン(どちらも250円程度。美味)

     ちなみに料金は、ジョグジャカルタからジャカルタ(ガンビル)までのArgoLawu号がRP290,000、ジャカルタからスラバヤ(パサール・トゥリ)までのArgoAnggrek1号がRP300,000、スラバヤ(グブン)からバンドンまでのArgoWilis号がRP310,000である。乗車時間がLawu号が7時間超で、それに対してWilis号が12時間超の割に、その差があまりないのが不思議でもある。インドネシアの切符は列車ごと、つまり途中で降りても始発から終点までの料金を払わなければならず、Lawu号はジョグジャカルタより前のSoloBalapan始発であるのも関係あるかもしれないが、それでも乗車時間は1時間弱増えるだけであるから、少なくとも距離制の料金体制ではないことは確実である。
     代金を支払い、取り急ぎの礼だけを言って駅を出た。懸念事項であった長距離列車の切符が確保できたため、最低限の移動パターンはこれで固めることができた(事前に予約決済してしまった各都市でのホテルが無駄にならなくて済んだ)。

     続いては、ボロブドゥールへの移動である。格安のトランスジョグジャを乗り継ぎ、北部にあるジョンボール・バスターミナルへ向かったのはいいのだが、途中からスコールが降りだしてしまった。ターミナルに着いてからは、すぐ目の先も見えなくなるような、大音量のスコールである。今まで体験したどんな雷雨よりもその激しさは比較にならない程度であり、しばらくトランスジョグジャの待合室内に待機することになってしまった。
     延々と続く雨の中、路線バスの車掌らしき人が大声で「ボンドブール!?」と客探しをしているように一瞬聞こえたが、大雨のせいもあって見逃してしまった。30分以上も待ち、雨が少し収まってきたところで目の前のターミナルへ移動するが、なかなか目当てのバスは来ない。路線バスは午後5時くらいでなくなるということであったから、しびれを切らしてオフィスへ行って訊いてみると、「今日はもうフィニッシュ」だという。
     仕方なく、目の前に停まっていたタクシーと交渉する。運転手は料金表を見せ、RP168,200(だったか?)だというが、たしかに空港からの観光タクシーでは190,000くらいしたという情報もあるから、それほど論外でもないのだろう。適当に交渉し、端数だけ省いてもらって向かうことにした。
     移動に1600円も使ってしまうのはもったいないが、距離にして50キロ超、1時間のタクシー移動であるから、まぁ納得しよう。それに、敷地内にあるホテル・マノハラまではバスターミナルから歩いて10分ほどあるし、タクシーなら玄関まで行ってくれる。実際、午後6時手前からもう日は暮れてしまい暗くなっているため、初訪問の地であることを考えるとこれでよかったのかもしれない。
     チェックイン後は夕食であるが、周囲に何もないのでレストランに行かざるを得ない。レストランはかなり混んでいて、3/4は塞がっている。それは混んでいるうちに入らないだろうと言われそうだが、場所柄、また事前にインターネットで調べた限りでは、かなり空いているはずであったからである。やはり「ラマダン休暇明け」の影響が、まだあるのだろうか。
     中央では、ガムランの演奏(演奏者は1人のみだが)が延々と続いている。遠くには、ライトアップされているボロブドゥール遺跡がおぼろげに見えている。そんな状況で、いつもは部屋食の私がレストランでモノを注文している。まるで「観光旅行」のようである。

    @アヤムとナシゴレン(どちらも250円程度。美味)

  •  空いていた隣りのテーブルに座った女性2人は、どうやら日本人のようである。「語感」とは優れたもので、特に海外に来るとそれは顕著になり(聞き取れない言語を聞きとろうとして必死になっているため、いつも以上に他人の言語に対してピリピリしている)、通常よりも繊細になっている。隣りといっても3メートルくらい先であるが、そこから小さな声で「あはは」と笑い声が聞こえただけで、「あ、日本人だ」と分かってしまう。<br /> 先ほどのエア・アジアの機内でも考えていたことなのだが、小さな赤子の泣き声などは、人種に関係なくほぼ同じであって区別ができない。近くで泣いていた赤ちゃんもそうであるし、もうある程度の言葉を話せる小さな子のぐずり声も、日本人と大して変わらない。年齢を繰り返して、様々な文化の影響を受け続けることによって、それらが変わっていくのだろう。<br /> そんな、どうでもいいことを観察しながら、高い高いビール(せいぜい500円程度だが、インドネシアの平均収入を考えると笑えないような高価食材)を何本か平らげながら、パソコンをつついてみる。人も少なくなってきて、隣りの日本人的な会話も、普通に「付き合ってた彼」などの詳細な内容まで聞こえてきている。……そろそろ部屋に戻る頃合いか。明日は早朝ツアーで4時起きだ。<br /><br />■9.20 鐡的ではなく、世界遺産巡り<br /> さて、鐡旅とは関係ないことをあまり長く書きすぎたようである。しかし、今日も観光だけである。<br /> 件のボロブドゥール早朝日の出ツアーであるが、残念ながら雲が厚くて朝日を拝むことはできなかった。しかし、開門前で一般の観光客が入る前であり、ガラガラの遺跡を歩けたからそれで充分でもある。<br /> <br />@朝日は……、見えず(肝心の地平線に厚い雲が)

     空いていた隣りのテーブルに座った女性2人は、どうやら日本人のようである。「語感」とは優れたもので、特に海外に来るとそれは顕著になり(聞き取れない言語を聞きとろうとして必死になっているため、いつも以上に他人の言語に対してピリピリしている)、通常よりも繊細になっている。隣りといっても3メートルくらい先であるが、そこから小さな声で「あはは」と笑い声が聞こえただけで、「あ、日本人だ」と分かってしまう。
     先ほどのエア・アジアの機内でも考えていたことなのだが、小さな赤子の泣き声などは、人種に関係なくほぼ同じであって区別ができない。近くで泣いていた赤ちゃんもそうであるし、もうある程度の言葉を話せる小さな子のぐずり声も、日本人と大して変わらない。年齢を繰り返して、様々な文化の影響を受け続けることによって、それらが変わっていくのだろう。
     そんな、どうでもいいことを観察しながら、高い高いビール(せいぜい500円程度だが、インドネシアの平均収入を考えると笑えないような高価食材)を何本か平らげながら、パソコンをつついてみる。人も少なくなってきて、隣りの日本人的な会話も、普通に「付き合ってた彼」などの詳細な内容まで聞こえてきている。……そろそろ部屋に戻る頃合いか。明日は早朝ツアーで4時起きだ。

    ■9.20 鐡的ではなく、世界遺産巡り
     さて、鐡旅とは関係ないことをあまり長く書きすぎたようである。しかし、今日も観光だけである。
     件のボロブドゥール早朝日の出ツアーであるが、残念ながら雲が厚くて朝日を拝むことはできなかった。しかし、開門前で一般の観光客が入る前であり、ガラガラの遺跡を歩けたからそれで充分でもある。
     
    @朝日は……、見えず(肝心の地平線に厚い雲が)

  •  一通りの見学後、マノハラの裏口までしつこく付いてきた土産売りを断り(彼はホテル敷地までは入れない)、ナシゴレンなどの朝食をたっぷりと頂く。世界遺産を目の前にして(というか、まさにその敷地内で)食べる朝食は何よりである。<br /> <br />@誰もいない世界遺産

     一通りの見学後、マノハラの裏口までしつこく付いてきた土産売りを断り(彼はホテル敷地までは入れない)、ナシゴレンなどの朝食をたっぷりと頂く。世界遺産を目の前にして(というか、まさにその敷地内で)食べる朝食は何よりである。
     
    @誰もいない世界遺産

  •  食後は荷物をまとめてバスターミナルへと歩き出したが、どうにも人気(ひとけ)がなくなってきた気がする。10分以上歩いて余計に寂しくなってきたため、地図を出して考えるに、要するに北側へ行くべきところを西側に行ってしまったようである(出口が北東部にあり、どの辺りから出たのかわからなかった)。<br /> 仕方なく元来た道を戻り、やっと入口付近に辿り着く。そこでベチャ(三輪自転車タクシー)の運転手が声を掛けてくるが、バスターミナルはすぐ先(700メートルくらい)である。<br />「いくら?」<br />「テン(1万ルピア)」<br />「ターミナルはすぐそこだし、高い。歩けるし」<br />「○○寺院を周ってだよ」<br />「時間ない。すぐジョグジャに行く」<br /> と言って歩き出そうとすると。<br />「いいから、5千で」<br /> と手招きする。それでも高いと思うが、インドネシアに来て一度もベチャに乗らないというのももったいないので、記念のつもりで乗ることにした(それでも、相場からして2千くらいに負けさせてもよかったかもしれない)。ベチャはバイクや観光用馬車を掻き分けてターミナルへと向かった。<br /> バスターミナルからは、初の路線バス体験である。「ジョグジャ?」と大声で訊かれ頷くと、小さいオンボロバスを指差される。大人しくそれに乗る。<br /><br />@路線バス(この時点では「ボロいな」と思ったが、この後これよりも遥かにボロいバスを多数見ることに。結局、インドネシアではまだ綺麗な方であた)

     食後は荷物をまとめてバスターミナルへと歩き出したが、どうにも人気(ひとけ)がなくなってきた気がする。10分以上歩いて余計に寂しくなってきたため、地図を出して考えるに、要するに北側へ行くべきところを西側に行ってしまったようである(出口が北東部にあり、どの辺りから出たのかわからなかった)。
     仕方なく元来た道を戻り、やっと入口付近に辿り着く。そこでベチャ(三輪自転車タクシー)の運転手が声を掛けてくるが、バスターミナルはすぐ先(700メートルくらい)である。
    「いくら?」
    「テン(1万ルピア)」
    「ターミナルはすぐそこだし、高い。歩けるし」
    「○○寺院を周ってだよ」
    「時間ない。すぐジョグジャに行く」
     と言って歩き出そうとすると。
    「いいから、5千で」
     と手招きする。それでも高いと思うが、インドネシアに来て一度もベチャに乗らないというのももったいないので、記念のつもりで乗ることにした(それでも、相場からして2千くらいに負けさせてもよかったかもしれない)。ベチャはバイクや観光用馬車を掻き分けてターミナルへと向かった。
     バスターミナルからは、初の路線バス体験である。「ジョグジャ?」と大声で訊かれ頷くと、小さいオンボロバスを指差される。大人しくそれに乗る。

    @路線バス(この時点では「ボロいな」と思ったが、この後これよりも遥かにボロいバスを多数見ることに。結局、インドネシアではまだ綺麗な方であた)

  •  しばらくするとバスは走り始め、車掌は開いたままのドアから身を乗り出して道端にいる人に声を掛けて拾っていく。ちなみにこの段階で値段交渉などしていないので事前情報がないと不安になるかもしれないが、路線バスに交渉は必要なく、今乗っているものだとだいたいRP15,000くらいらしい。しばらくして集金に来たが、RP20,000であった(近くにいた人も同じだけ払っていたから、ボラれているわけではないようだ)。<br /> どうして走るのかが不思議なようなボロバスは、客が拾えそうな所では比較的ゆっくりと、そうでない場所ではバイクを避けながら猛スピードで暴走していく。命がいくらあっても足りない感じがしなくもない。辺りを見渡すと、道端で街路樹を人手で切り倒そうとしていたり(うっかり間違えて道路側に倒れたらどうするのだろう)、荷台にヒジャブをした女性が山ほど詰め込まれて乗っていたり、検問での免許証検査で捕まっているライダーがたくさんいたりと、「らしさ」を示すものは枚挙に暇がない。途中、名も知らぬバスターミナルに寄り、さらに呼び込みをして車内は満員になった。<br /> 昨日長時間の雨宿りをしたジョンボール・バスターミナルまでは、約1時間と少しの乗車時間であった。客を拾ったりしているわりには、時間的にはタクシーといい勝負である。<br /> ここからはトランスジョグジャに乗ることになる。トランスジョグジャは、最初の乗り場の入口で料金を支払ってしまえば、途中乗り換えをしても、その乗り場(小さな建物)を出なければ乗継料金は必要がない。そこで今日は、切符売りの人に確認をしながら、2回の乗り換えを経てプランバナン寺院へと向かうこととなる。<br /> 皆親切に教えてくれ、また車内にいる車掌も、いかにも旅行者な私に対してはわざわざ行先を確認して「ここで乗り換え」と教えてくれたりもする。結局、プランバナンまでは乗車時間や乗換の待ち時間を含め、1時間くらいで移動することとなった。もちろん、料金はRP3,000だけである。タクシーならいったいいくら取られるのだろう。<br /> プランバナン・バスターミナルから寺院の入口までは、歩いて10分弱である(事前に調べた地図がなければ、うっかりベチャなどに捕まってしまうかもしれない)。客引きを避け、炎天下を歩いて向かう。<br /> プランバナン寺院の入場は、ボロブドゥールと同様に外国人は現地人の10倍くらい取られてしまう(政府公認のぼったくりである。ちなみにマノハラの宿泊者は、ボロブドゥール敷地内にあるから料金支払いの必要はない)。外国人用の入口でUS$13を支払い、元は取れないがクーラーの効いた待合室内でミネラルウォーターをたらふく飲む。<br /> 肝心の寺院であるが、2006年に起きたジャワ島中部地震の影響もあり、まだあちらこちらで修復中であった。一番のメインであるシヴァ神やガネーシャが安置されている建物に入れなかったのは、少しく残念である。敷地内にある大小すべての寺院や跡を徒歩で見て回り、昼食を取ったり、博物館や飼われている鹿を見たり、なぜいるのかわからないヤギを写真に収めたりして、なんだかんだで2時間ほど過ごした。<br /> <br />@快晴の中、歩き回る

     しばらくするとバスは走り始め、車掌は開いたままのドアから身を乗り出して道端にいる人に声を掛けて拾っていく。ちなみにこの段階で値段交渉などしていないので事前情報がないと不安になるかもしれないが、路線バスに交渉は必要なく、今乗っているものだとだいたいRP15,000くらいらしい。しばらくして集金に来たが、RP20,000であった(近くにいた人も同じだけ払っていたから、ボラれているわけではないようだ)。
     どうして走るのかが不思議なようなボロバスは、客が拾えそうな所では比較的ゆっくりと、そうでない場所ではバイクを避けながら猛スピードで暴走していく。命がいくらあっても足りない感じがしなくもない。辺りを見渡すと、道端で街路樹を人手で切り倒そうとしていたり(うっかり間違えて道路側に倒れたらどうするのだろう)、荷台にヒジャブをした女性が山ほど詰め込まれて乗っていたり、検問での免許証検査で捕まっているライダーがたくさんいたりと、「らしさ」を示すものは枚挙に暇がない。途中、名も知らぬバスターミナルに寄り、さらに呼び込みをして車内は満員になった。
     昨日長時間の雨宿りをしたジョンボール・バスターミナルまでは、約1時間と少しの乗車時間であった。客を拾ったりしているわりには、時間的にはタクシーといい勝負である。
     ここからはトランスジョグジャに乗ることになる。トランスジョグジャは、最初の乗り場の入口で料金を支払ってしまえば、途中乗り換えをしても、その乗り場(小さな建物)を出なければ乗継料金は必要がない。そこで今日は、切符売りの人に確認をしながら、2回の乗り換えを経てプランバナン寺院へと向かうこととなる。
     皆親切に教えてくれ、また車内にいる車掌も、いかにも旅行者な私に対してはわざわざ行先を確認して「ここで乗り換え」と教えてくれたりもする。結局、プランバナンまでは乗車時間や乗換の待ち時間を含め、1時間くらいで移動することとなった。もちろん、料金はRP3,000だけである。タクシーならいったいいくら取られるのだろう。
     プランバナン・バスターミナルから寺院の入口までは、歩いて10分弱である(事前に調べた地図がなければ、うっかりベチャなどに捕まってしまうかもしれない)。客引きを避け、炎天下を歩いて向かう。
     プランバナン寺院の入場は、ボロブドゥールと同様に外国人は現地人の10倍くらい取られてしまう(政府公認のぼったくりである。ちなみにマノハラの宿泊者は、ボロブドゥール敷地内にあるから料金支払いの必要はない)。外国人用の入口でUS$13を支払い、元は取れないがクーラーの効いた待合室内でミネラルウォーターをたらふく飲む。
     肝心の寺院であるが、2006年に起きたジャワ島中部地震の影響もあり、まだあちらこちらで修復中であった。一番のメインであるシヴァ神やガネーシャが安置されている建物に入れなかったのは、少しく残念である。敷地内にある大小すべての寺院や跡を徒歩で見て回り、昼食を取ったり、博物館や飼われている鹿を見たり、なぜいるのかわからないヤギを写真に収めたりして、なんだかんだで2時間ほど過ごした。
     
    @快晴の中、歩き回る

  • @お約束写真(乗りませんでしたが)

    @お約束写真(乗りませんでしたが)

  •  見学が終われば、あとはまたトランスジョグジャで戻るだけである。大きな通りをてくてくと歩いていると、気の良さそうなおっさんが声を掛けてくる。<br />「ジョグジャ? これ(バイク)でどう。50でいいよ」<br />「トランスジョグジャに乗るから」<br />「あー」<br /> なんだ知ってるのかよ、みたいな笑いで去っていったが、しばらくするとまたやって来た。<br />「これだとすぐだよ。50だけでいいし」<br />「だって、バスはたったの3,000しか掛からないよ(笑)」<br />「そうかー(笑)。じゃーな」<br /> 50より3,000の方が高いじゃないか、と思われそうであるが、インドネシアは長く続いたインフレのせいで桁が大きくなってしまっているため、たいていの人は「千」の位を言わないのである(千の桁が一桁になってくると、きちんと言うようになる)。つまり彼が言っている50とは実際は50,000であって、よって、「フィフティー(サウザンド)>スリーサウザンド」なのである。<br /> 帰りは駅前のマリオボロ通りが目的地のため、乗り換えなしで行くことができる。もうすでに系統にも慣れ、「マリオボロ通りに行きたい。系統は1Aでいい?」「そう」という塩梅に、ほぼ完ぺきになってきた(でも、もうこれに乗るのはこれが最後であるが)。<br /><br />@最後のトランスジョグジャ乗車

     見学が終われば、あとはまたトランスジョグジャで戻るだけである。大きな通りをてくてくと歩いていると、気の良さそうなおっさんが声を掛けてくる。
    「ジョグジャ? これ(バイク)でどう。50でいいよ」
    「トランスジョグジャに乗るから」
    「あー」
     なんだ知ってるのかよ、みたいな笑いで去っていったが、しばらくするとまたやって来た。
    「これだとすぐだよ。50だけでいいし」
    「だって、バスはたったの3,000しか掛からないよ(笑)」
    「そうかー(笑)。じゃーな」
     50より3,000の方が高いじゃないか、と思われそうであるが、インドネシアは長く続いたインフレのせいで桁が大きくなってしまっているため、たいていの人は「千」の位を言わないのである(千の桁が一桁になってくると、きちんと言うようになる)。つまり彼が言っている50とは実際は50,000であって、よって、「フィフティー(サウザンド)>スリーサウザンド」なのである。
     帰りは駅前のマリオボロ通りが目的地のため、乗り換えなしで行くことができる。もうすでに系統にも慣れ、「マリオボロ通りに行きたい。系統は1Aでいい?」「そう」という塩梅に、ほぼ完ぺきになってきた(でも、もうこれに乗るのはこれが最後であるが)。

    @最後のトランスジョグジャ乗車

  •  さて、せっかくのジョグジャカルタであるから、名物のグデ(煮込み料理)でも食べてみたい。それを提供する屋台はたくさんあるが、唯一の難点は「ビールがない」ということである。「名物料理」と「酔って睡眠」を天秤に掛けたが、トランジットと早朝ツアーで2日連続であまりきちんと寝ていないため、どうしても今日は快く寝てしまいたい。そういうわけで、どこでもあるファーストフードと、コンビニで買ったビール(小さいが4本)にしてしまった。地の物がないが、敢えて言えば「地」のビンタン・ビールである。あとは、翌日からの鐡旅に備えてきっちり睡眠を取るだけである。<br /><br />■9.21 ついにインドネシアの鉄道に発乗車:ジョグジャカルタ→ジャカルタ(ガンビル)<br /> さて、前置きだか本文だかわからないような観光日記もここまでで、今日からはやっと本格的な鐡旅である。<br /> 宿泊していたホテルは、ジョグジャカルタ(トゥグ)駅のすぐ近くであったため、朝4時頃の汽笛の音で目を覚まされた。手持ちの旧い時刻表を参照すれば該当する列車の予想を立てられるかもしれないが、どうせ遅れているのが常であろうし、貨物か何かかもしれない。<br /><br />@ナシゴレンで朝食を

     さて、せっかくのジョグジャカルタであるから、名物のグデ(煮込み料理)でも食べてみたい。それを提供する屋台はたくさんあるが、唯一の難点は「ビールがない」ということである。「名物料理」と「酔って睡眠」を天秤に掛けたが、トランジットと早朝ツアーで2日連続であまりきちんと寝ていないため、どうしても今日は快く寝てしまいたい。そういうわけで、どこでもあるファーストフードと、コンビニで買ったビール(小さいが4本)にしてしまった。地の物がないが、敢えて言えば「地」のビンタン・ビールである。あとは、翌日からの鐡旅に備えてきっちり睡眠を取るだけである。

    ■9.21 ついにインドネシアの鉄道に発乗車:ジョグジャカルタ→ジャカルタ(ガンビル)
     さて、前置きだか本文だかわからないような観光日記もここまでで、今日からはやっと本格的な鐡旅である。
     宿泊していたホテルは、ジョグジャカルタ(トゥグ)駅のすぐ近くであったため、朝4時頃の汽笛の音で目を覚まされた。手持ちの旧い時刻表を参照すれば該当する列車の予想を立てられるかもしれないが、どうせ遅れているのが常であろうし、貨物か何かかもしれない。

    @ナシゴレンで朝食を

  •  朝食を取ってから荷物をまとめ、出発までまだ1時間弱もあるが駅へ向かう。入口にはPERON(入場料)RP2,500とある。しかし、一昨日にチケットを買う際に、売場の待合室から入れてしまったような気がしなくもない(というか、確実にそこから何回も入っている)。それでも、きちんと各出入口では人の出入りを制御しているようであるから、本当は入ってはいけない場所から入ってしまったのだろう。<br /><br />@ジョグジャカルタ駅(黄色い服はポーター達)

     朝食を取ってから荷物をまとめ、出発までまだ1時間弱もあるが駅へ向かう。入口にはPERON(入場料)RP2,500とある。しかし、一昨日にチケットを買う際に、売場の待合室から入れてしまったような気がしなくもない(というか、確実にそこから何回も入っている)。それでも、きちんと各出入口では人の出入りを制御しているようであるから、本当は入ってはいけない場所から入ってしまったのだろう。

    @ジョグジャカルタ駅(黄色い服はポーター達)

  •  改札にいたお姉さんに入線ホームを訊くと、「3」ということであった。まだまだ時間があるため、発車待ちの近郊エコノミー列車や、回送車両の車庫への出入り、通過する貨物列車などを眺め続ける。<br /><br />@駅裏手にある車庫

     改札にいたお姉さんに入線ホームを訊くと、「3」ということであった。まだまだ時間があるため、発車待ちの近郊エコノミー列車や、回送車両の車庫への出入り、通過する貨物列車などを眺め続ける。

    @駅裏手にある車庫

  •  さて、出発時刻になったが、案の定(と書いてはインドネシア国鉄に対して失礼であるが)定刻には来ない。ホームで10分以上待ち、遅れてやってきたLawu号に乗車した。宛がわれた席は、噂に聞いていたテレビ画面のすぐ近くであり、すでに音楽番組が流れている。窓にも、やはり噂に聞いていた投石痕が、小さいながらも付いている。<br /><br />@ついに入線

     さて、出発時刻になったが、案の定(と書いてはインドネシア国鉄に対して失礼であるが)定刻には来ない。ホームで10分以上待ち、遅れてやってきたLawu号に乗車した。宛がわれた席は、噂に聞いていたテレビ画面のすぐ近くであり、すでに音楽番組が流れている。窓にも、やはり噂に聞いていた投石痕が、小さいながらも付いている。

    @ついに入線

  • @車内はほぼ満員

    @車内はほぼ満員

  •  9時11分、ディーゼル機関車の汽笛と共に、定刻より16分遅れで出発した。観光地としてそこそこ小奇麗(実際は綺麗ではないが、インドネシアのわりには、である)なジョグジャカルタであったが、すぐに線路わきにはスラムのようなトタン屋根が並び始める。これはインドネシアに限ったことではないが、都市近郊の線路脇とは、騒音が激しくまた危険性も高く、そして衛生上も良くない(国や地域によるが、列車のトイレは垂れ流し式が多い)などの悪条件が重なるため、貧しい居住空間として成り立ってしまうのかもしれない。<br /> 車内には西洋人も僅かに見られるが、ほとんどすべてはインドネシア人である。しかし、これがインドネシアの一般的な空間である、という意味にはならないだろう。家族連れの子どもたちは、高価そうな車のおもちゃを手にしたり、大きなぬいぐるみを抱いたりして、家族みんなで食堂車からの出前を取ってそれをフォークでつついたりしている。つまりは、「そういう」レヴェルの家庭なのである。1人当たり3千円、家族そろえばそれなりの値段の切符を、ポンと出せる人しか乗れない車両なのである(しかし、日本の新しい特急列車と比べてしまうと、その古さと草臥れ具合はかなりのものであるが)。<br /> 幸い、私の隣りには人がいない。別にいてもいなくてもいいのだが、気兼ねなく外の写真を撮ったりできるのがよい。外の景色といっても、ひたすら田んぼが続くだけであるが、作業をしている人たちは三角の傘を被っていて、なんとなく異国情緒を感じさせる。<br /> 9時27分、最初の駅らしきものを通過したが、駅名が読み取れない(この後数回繰り返すことによって、駅侵入前に大きな掲示があることがわかった)。傍に寄りそう路盤を見てみると、どうにもバラスト(砂利石)が少ないような気がする。崩れたり沈下したりするため適度に追加する必要があるが、あまりそれが為されていないようで、バラストとレールとの間に隙間がかなり開いている。<br /> 9時36分にWatesをゆっくりと通過、10時07分にKutoarjo通過し、続いて赤屋根の何やら変わった形状の建物が続き始める。そのうちの一つが線路脇にあったのだが、どうやらそれは瓦制作場のようであった。中央部分には、窯でもあるのだろうか。それに使われるであろう薪も、大量に保管されている。10時48分、インドネシアに来て初のトンネルを通った(トンネル自体はとても短い)。<br /><br />@瓦制作の家々

     9時11分、ディーゼル機関車の汽笛と共に、定刻より16分遅れで出発した。観光地としてそこそこ小奇麗(実際は綺麗ではないが、インドネシアのわりには、である)なジョグジャカルタであったが、すぐに線路わきにはスラムのようなトタン屋根が並び始める。これはインドネシアに限ったことではないが、都市近郊の線路脇とは、騒音が激しくまた危険性も高く、そして衛生上も良くない(国や地域によるが、列車のトイレは垂れ流し式が多い)などの悪条件が重なるため、貧しい居住空間として成り立ってしまうのかもしれない。
     車内には西洋人も僅かに見られるが、ほとんどすべてはインドネシア人である。しかし、これがインドネシアの一般的な空間である、という意味にはならないだろう。家族連れの子どもたちは、高価そうな車のおもちゃを手にしたり、大きなぬいぐるみを抱いたりして、家族みんなで食堂車からの出前を取ってそれをフォークでつついたりしている。つまりは、「そういう」レヴェルの家庭なのである。1人当たり3千円、家族そろえばそれなりの値段の切符を、ポンと出せる人しか乗れない車両なのである(しかし、日本の新しい特急列車と比べてしまうと、その古さと草臥れ具合はかなりのものであるが)。
     幸い、私の隣りには人がいない。別にいてもいなくてもいいのだが、気兼ねなく外の写真を撮ったりできるのがよい。外の景色といっても、ひたすら田んぼが続くだけであるが、作業をしている人たちは三角の傘を被っていて、なんとなく異国情緒を感じさせる。
     9時27分、最初の駅らしきものを通過したが、駅名が読み取れない(この後数回繰り返すことによって、駅侵入前に大きな掲示があることがわかった)。傍に寄りそう路盤を見てみると、どうにもバラスト(砂利石)が少ないような気がする。崩れたり沈下したりするため適度に追加する必要があるが、あまりそれが為されていないようで、バラストとレールとの間に隙間がかなり開いている。
     9時36分にWatesをゆっくりと通過、10時07分にKutoarjo通過し、続いて赤屋根の何やら変わった形状の建物が続き始める。そのうちの一つが線路脇にあったのだが、どうやらそれは瓦制作場のようであった。中央部分には、窯でもあるのだろうか。それに使われるであろう薪も、大量に保管されている。10時48分、インドネシアに来て初のトンネルを通った(トンネル自体はとても短い)。

    @瓦制作の家々

  •  11時06分に、バンドン線の分岐となるKroyaを通過し、その後は辺り一面が水没しているかのような不可思議な路盤を走って行く。名も知らぬ小さい駅を過ぎると大きな川に沿い始め、また小さいトンネルを抜け、その川を鉄橋で渡る。そんなことを繰り返しているうちに、私が乗ってからは最初の停車駅であるPurwokertoに11時32分に到着した。<br /> <br />@水没しているかのような土地

     11時06分に、バンドン線の分岐となるKroyaを通過し、その後は辺り一面が水没しているかのような不可思議な路盤を走って行く。名も知らぬ小さい駅を過ぎると大きな川に沿い始め、また小さいトンネルを抜け、その川を鉄橋で渡る。そんなことを繰り返しているうちに、私が乗ってからは最初の停車駅であるPurwokertoに11時32分に到着した。
     
    @水没しているかのような土地

  •  到着するや否や、売り子の声があちらこちらでこだまする。しかし、彼らはエグゼクティブクラスの車内には入っていけないことになっているため、ひたすらデッキの入口部分で叫ぶだけしかできない(つまり、買い手がその気になって席を立たない限り、商売にならないのである)。そのため、掛け声も必死である。ほとんど意味はわからないが、食事物は衛星具合が不安であるし、お菓子も欲しくはないので、私はただ聞いているだけである。「カトゥー、コゥーレー」などは、「買ってー、これー」に聞こえなくもないが。<br /> Purwokertoを11時40分に出発してからは、ゆっくりと走り続ける。ダイヤのせいなのか、それとも山岳路線になったせいであろうか。ただし、後者を感じさせるような勾配はなさそうであるが。左側にずっと線路が寄り添っているということは、今走行している部分は当然ながら複線である。遅い走行の理由は、単線にありがちな「行き違い」ではなさそうであるが、理由は最後までわからなかった。<br /> 進行方向に向かって左側に座っているが、インドネシアの場合道路は日本と同じ左側通行であるが、鉄道は右側通行である。よって、左側に対向の路盤が見え続けている。11時55分頃、エグゼクティブ車両を連ねた列車とすれ違った。こちらはひたすらゆっくりであり、空模様も怪しくなってきている。じきに雨も降りだしてきた。通過する小さな各駅では、駅員(おそらく1人しかいないだろう)が、こちらの通過をじっと見守っている。<br /> この時間になって気づいたのだが、インドネシア国鉄のエグゼクティブクラスといえば、無料の飲料や食事が付いているはずである(各個人サイトの記述等を参照)。しかし、どうやらそのサービスは廃止されてしまったようである。今日は朝食をたっぷり頂いたのでなくても問題はないが、あると予想していたものがないと少し落胆してしまう。食事などがしたい人は、食堂車の係員に個別に注文して、席まで持ってきてもらう方式のようである。私もメニューを見せられたが、腹も空いていないため遠慮しておいた。<br /><br />@停車中にトイレの小窓から外を撮影

     到着するや否や、売り子の声があちらこちらでこだまする。しかし、彼らはエグゼクティブクラスの車内には入っていけないことになっているため、ひたすらデッキの入口部分で叫ぶだけしかできない(つまり、買い手がその気になって席を立たない限り、商売にならないのである)。そのため、掛け声も必死である。ほとんど意味はわからないが、食事物は衛星具合が不安であるし、お菓子も欲しくはないので、私はただ聞いているだけである。「カトゥー、コゥーレー」などは、「買ってー、これー」に聞こえなくもないが。
     Purwokertoを11時40分に出発してからは、ゆっくりと走り続ける。ダイヤのせいなのか、それとも山岳路線になったせいであろうか。ただし、後者を感じさせるような勾配はなさそうであるが。左側にずっと線路が寄り添っているということは、今走行している部分は当然ながら複線である。遅い走行の理由は、単線にありがちな「行き違い」ではなさそうであるが、理由は最後までわからなかった。
     進行方向に向かって左側に座っているが、インドネシアの場合道路は日本と同じ左側通行であるが、鉄道は右側通行である。よって、左側に対向の路盤が見え続けている。11時55分頃、エグゼクティブ車両を連ねた列車とすれ違った。こちらはひたすらゆっくりであり、空模様も怪しくなってきている。じきに雨も降りだしてきた。通過する小さな各駅では、駅員(おそらく1人しかいないだろう)が、こちらの通過をじっと見守っている。
     この時間になって気づいたのだが、インドネシア国鉄のエグゼクティブクラスといえば、無料の飲料や食事が付いているはずである(各個人サイトの記述等を参照)。しかし、どうやらそのサービスは廃止されてしまったようである。今日は朝食をたっぷり頂いたのでなくても問題はないが、あると予想していたものがないと少し落胆してしまう。食事などがしたい人は、食堂車の係員に個別に注文して、席まで持ってきてもらう方式のようである。私もメニューを見せられたが、腹も空いていないため遠慮しておいた。

    @停車中にトイレの小窓から外を撮影

  •  目の前では、裕福そうな家庭の子どもが、ダダをこねて大騒ぎしている。言葉の壁で内容まではわからないが、ああしろこうしろと親に指示をしていることは明白で、親も最初は動かないが子どもが大声を出すとすぐにそれに従ってあげる、という典型的な「甘やかし」である。お菓子をつまんだりしている子どもは、当然のように肥満児で(太っているから甘やかされている、と決めつけてはいけないのだろうが、そう言い切ってもいいような気もする)、やはり、そういう階級でそういう育てられ方をすると、そういう甘やかされ方をされがちなのかな、と勝手な想像をしてしまう。きっと、どの国でもある程度以上になると、そうなるのだろう。その子はそれでも不満で、あれこれと要求を繰り返しているが、君が今手に持っているF1やMotoGPのおもちゃを、この列車の傍で泥まみれで遊んでいる子どもにあげたら、どう思ってくれるだろうか(逆に、君をあちら側に行かせたら生きていくことができるだろうか)、などと厭らしいことを考えたりして時間を潰した。<br /> 12時半頃、単線になったためか行き違いで15分程度停車した。その後、列車は快走し始め、雨も豪快なスコールになり始めた。エグゼクティブの車内については、各サイトにおいて「冷蔵庫のようだ」と評されていたが、私は予想よりも寒くはないと感じていた(春物の長袖を羽織ってちょうどよいくらいである)。しかし、日が暮れて雨模様になってからは、やはり少しだけ寒くなってきた。<br /> 空も若干晴れてきて、街の様子も大きくなってきて、北線との合流点であるチルボンには14時10分に到着した。車両の入口で叫ぶ売り子の数も膨大である。<br /> 4分間の停車後に、チルボンを出発した。緩やかな峠越えを過ぎてからはひたすら田んぼが続いていたが、時折サトウキビ畑も見られるようになってきた。日本の沖縄で見られるそれより、背丈が高いような気がする。また田んぼにしても、刈り取られた跡地にヤギがたくさん屯しているのも、やはり日本との大きな違いであろう。<br /> 天気はまた急変してスコールとなり、Cipunegaraではまた行き違いで10分ほど停車。バンドン方面からの路線との合流点であるCikampekには16時22分に到着した。辺りにはショッピングセンターなどがあり遠くにはビルも見え、都会とは言い難いがこれまでの風景とは若干違ってきた。<br /><br />@再びスコールに

     目の前では、裕福そうな家庭の子どもが、ダダをこねて大騒ぎしている。言葉の壁で内容まではわからないが、ああしろこうしろと親に指示をしていることは明白で、親も最初は動かないが子どもが大声を出すとすぐにそれに従ってあげる、という典型的な「甘やかし」である。お菓子をつまんだりしている子どもは、当然のように肥満児で(太っているから甘やかされている、と決めつけてはいけないのだろうが、そう言い切ってもいいような気もする)、やはり、そういう階級でそういう育てられ方をすると、そういう甘やかされ方をされがちなのかな、と勝手な想像をしてしまう。きっと、どの国でもある程度以上になると、そうなるのだろう。その子はそれでも不満で、あれこれと要求を繰り返しているが、君が今手に持っているF1やMotoGPのおもちゃを、この列車の傍で泥まみれで遊んでいる子どもにあげたら、どう思ってくれるだろうか(逆に、君をあちら側に行かせたら生きていくことができるだろうか)、などと厭らしいことを考えたりして時間を潰した。
     12時半頃、単線になったためか行き違いで15分程度停車した。その後、列車は快走し始め、雨も豪快なスコールになり始めた。エグゼクティブの車内については、各サイトにおいて「冷蔵庫のようだ」と評されていたが、私は予想よりも寒くはないと感じていた(春物の長袖を羽織ってちょうどよいくらいである)。しかし、日が暮れて雨模様になってからは、やはり少しだけ寒くなってきた。
     空も若干晴れてきて、街の様子も大きくなってきて、北線との合流点であるチルボンには14時10分に到着した。車両の入口で叫ぶ売り子の数も膨大である。
     4分間の停車後に、チルボンを出発した。緩やかな峠越えを過ぎてからはひたすら田んぼが続いていたが、時折サトウキビ畑も見られるようになってきた。日本の沖縄で見られるそれより、背丈が高いような気がする。また田んぼにしても、刈り取られた跡地にヤギがたくさん屯しているのも、やはり日本との大きな違いであろう。
     天気はまた急変してスコールとなり、Cipunegaraではまた行き違いで10分ほど停車。バンドン方面からの路線との合流点であるCikampekには16時22分に到着した。辺りにはショッピングセンターなどがあり遠くにはビルも見え、都会とは言い難いがこれまでの風景とは若干違ってきた。

    @再びスコールに

  •  17時11分にはBekasiに到着。辺りの町は大きくなり始め、道路を走っているバスもドアから人がはみ出したままの超満員である。エコノミー編成の列車を追い抜いて行くが、それからも人が溢れている。<br /> Jatinegara到着は17時32分。ホームには黄色い服を着たポーター(荷物運番係)が大挙しており、ざっと見たところ7〜80人はいそうである。我先にとまだ動いている客車内に入ってきて、大きな荷物のある乗客を探している。<br /> 出発後、しばらくして高架駅を通過したが、駅のホームは人影が判別しにくいくらい真っ暗である。安い単価の乗客しか使用しない駅は、光熱費も抑えているのだろうか。<br /> 終着駅であるガンビルには、定刻から1時間25分遅れの17時42分に到着した。荷物を担いで車両の出口に向かったが、やはりここでも、まだ列車が動いているのにポーターがどんどん飛び乗って来る。ホームに出て、駅の出口へと向かうが、当然のようにタクシーの客引きから声がかかる。事前の下調べでブルーバードのタクシー(ジャカルタで信用できるタクシー会社)の乗り場があることを知っていたので、適当にかわしていくが、なかなか引き下がらない。ためしに「メーター使うの?」「どこの会社?」と聞いてもあまり返事は良くなく、しかも私が泊まろうとしていたホテルを知らなかったため、当然却下した。<br /> そんなやり取りをしているうち、偶然にもブルーバードのタクシーカウンター(といっても、結婚式の司会台程度の小ささであるが)を発見し、行先を告げた。駅構内の駐車場代だかなんかでRP5,000を前払いし、指定された車に乗ると、普通にメーターを使って向かってくれる。運転手があまりホテルの詳細な位置をわかっていなかったが、翌日に歩くために地図をプリントアウトしていたため、それが役立った(もしそれがなかったら、少し面倒なことになっていたかもしれない)。グーグルの地図機能で各地の地図を出しておくことは、今回に限らず各所で役に立っている。<br /> メーターはRP13,200くらいを指しており、気前よくRP15,000を出して「キープ・ザ・チェンジ!」とお互いに笑顔でタクシーを降りる。日本にいて、20円未満の釣銭で幸せになれることは、そうないことかもしれない。<br /><br /> 夕食は、ホテルでは味気ない&高いため、近所のスーパーへ行くことへした。日本国内の旅行では、地域のスーパーに行って地物の食材を買うのが一つの愉しみにもなっている。インドネシア初のスーパーである。<br /> フロントで場所を教えてもらい、「歩いて5分くらい」とのことであった。たしかにそのくらいの距離であるが、交通量が多すぎて道路が渡れない(信号はあって無きもの)ため、倍以上の時間がかかった気がする。<br /><br />@初スーパー(普通の店だが、ある程度以上の富裕層向けのようで、入口には警備員がいた)

     17時11分にはBekasiに到着。辺りの町は大きくなり始め、道路を走っているバスもドアから人がはみ出したままの超満員である。エコノミー編成の列車を追い抜いて行くが、それからも人が溢れている。
     Jatinegara到着は17時32分。ホームには黄色い服を着たポーター(荷物運番係)が大挙しており、ざっと見たところ7〜80人はいそうである。我先にとまだ動いている客車内に入ってきて、大きな荷物のある乗客を探している。
     出発後、しばらくして高架駅を通過したが、駅のホームは人影が判別しにくいくらい真っ暗である。安い単価の乗客しか使用しない駅は、光熱費も抑えているのだろうか。
     終着駅であるガンビルには、定刻から1時間25分遅れの17時42分に到着した。荷物を担いで車両の出口に向かったが、やはりここでも、まだ列車が動いているのにポーターがどんどん飛び乗って来る。ホームに出て、駅の出口へと向かうが、当然のようにタクシーの客引きから声がかかる。事前の下調べでブルーバードのタクシー(ジャカルタで信用できるタクシー会社)の乗り場があることを知っていたので、適当にかわしていくが、なかなか引き下がらない。ためしに「メーター使うの?」「どこの会社?」と聞いてもあまり返事は良くなく、しかも私が泊まろうとしていたホテルを知らなかったため、当然却下した。
     そんなやり取りをしているうち、偶然にもブルーバードのタクシーカウンター(といっても、結婚式の司会台程度の小ささであるが)を発見し、行先を告げた。駅構内の駐車場代だかなんかでRP5,000を前払いし、指定された車に乗ると、普通にメーターを使って向かってくれる。運転手があまりホテルの詳細な位置をわかっていなかったが、翌日に歩くために地図をプリントアウトしていたため、それが役立った(もしそれがなかったら、少し面倒なことになっていたかもしれない)。グーグルの地図機能で各地の地図を出しておくことは、今回に限らず各所で役に立っている。
     メーターはRP13,200くらいを指しており、気前よくRP15,000を出して「キープ・ザ・チェンジ!」とお互いに笑顔でタクシーを降りる。日本にいて、20円未満の釣銭で幸せになれることは、そうないことかもしれない。

     夕食は、ホテルでは味気ない&高いため、近所のスーパーへ行くことへした。日本国内の旅行では、地域のスーパーに行って地物の食材を買うのが一つの愉しみにもなっている。インドネシア初のスーパーである。
     フロントで場所を教えてもらい、「歩いて5分くらい」とのことであった。たしかにそのくらいの距離であるが、交通量が多すぎて道路が渡れない(信号はあって無きもの)ため、倍以上の時間がかかった気がする。

    @初スーパー(普通の店だが、ある程度以上の富裕層向けのようで、入口には警備員がいた)

  •  結局、地の食材はなかった。パック入りナシゴレン、など期待していたが、やはり基本的には自分で作るのだろう。それでも、ビンタン・ビールを4本とパンをいくつか手に入れ、同じ建物にあったファーストフードでチキンを3本買って、部屋でそれをつつきながら無線LANで久々の日本のニュースを斜め読みし、酔ったところであっという間に眠りに落ちた。<br /><br />■9.22 田園地帯を走る:ジャカルタ(ガンビル)→スラバヤ(パサール・トゥリ)<br /> 宿泊している宿はガンビル駅からは2キロほど離れているが、ケマヨラン地区にあり、すぐ傍にはパサール・セニ駅を経由して旧市街のコタ駅方面に行く路線がある。私が寝ている部屋からも、その路盤が見えて朝早くから様々な車両が行き来している。<br /><br />@ホテルからの景色(長距離列車通過中)

     結局、地の食材はなかった。パック入りナシゴレン、など期待していたが、やはり基本的には自分で作るのだろう。それでも、ビンタン・ビールを4本とパンをいくつか手に入れ、同じ建物にあったファーストフードでチキンを3本買って、部屋でそれをつつきながら無線LANで久々の日本のニュースを斜め読みし、酔ったところであっという間に眠りに落ちた。

    ■9.22 田園地帯を走る:ジャカルタ(ガンビル)→スラバヤ(パサール・トゥリ)
     宿泊している宿はガンビル駅からは2キロほど離れているが、ケマヨラン地区にあり、すぐ傍にはパサール・セニ駅を経由して旧市街のコタ駅方面に行く路線がある。私が寝ている部屋からも、その路盤が見えて朝早くから様々な車両が行き来している。

    @ホテルからの景色(長距離列車通過中)

  •  昨日は到着が遅れたことと、また雨もあったため迷わずタクシーで移動したが、今日はガンビル駅まで歩く予定である。ただ単なる吝嗇癖だけではなく、首都ジャカルタの混雑具合を体感することと、大聖堂などの建物を眺めながら散歩するためである。<br /> ホテルからの道なりは、横断には当然のごとく決死の覚悟が必要であるが、大きな交差点では混乱が激しすぎるために警官が常駐しており、かえって安全に渡ることができる。目的だった大聖堂やモスク、その他生活感が垣間見られるいくつかの建物を見やりながら、40分かけてガンビル駅へと辿り着いた。<br /> 駅構内や掲示物の写真を一通り撮り終え、続いては未取得である24日のバンドンからガンビルまでの指定券手配である。窓口はボゴールなどの近郊と遠隔地の発売が分かれており、それぞれ該当する列車名まで窓口の上に掲げてあるからわかりやすくなっている。私は該当する窓口に行ったが、母親らしき年齢の人と、どう見てもその娘程度の2人、合わせて3人で切り盛りしている。国鉄だからそんなことはないと思うが、どう見てもそんな感じである(奥には、関係なさそうな偉そうな男性がいたが)。<br /><br />@チケットカウンター

     昨日は到着が遅れたことと、また雨もあったため迷わずタクシーで移動したが、今日はガンビル駅まで歩く予定である。ただ単なる吝嗇癖だけではなく、首都ジャカルタの混雑具合を体感することと、大聖堂などの建物を眺めながら散歩するためである。
     ホテルからの道なりは、横断には当然のごとく決死の覚悟が必要であるが、大きな交差点では混乱が激しすぎるために警官が常駐しており、かえって安全に渡ることができる。目的だった大聖堂やモスク、その他生活感が垣間見られるいくつかの建物を見やりながら、40分かけてガンビル駅へと辿り着いた。
     駅構内や掲示物の写真を一通り撮り終え、続いては未取得である24日のバンドンからガンビルまでの指定券手配である。窓口はボゴールなどの近郊と遠隔地の発売が分かれており、それぞれ該当する列車名まで窓口の上に掲げてあるからわかりやすくなっている。私は該当する窓口に行ったが、母親らしき年齢の人と、どう見てもその娘程度の2人、合わせて3人で切り盛りしている。国鉄だからそんなことはないと思うが、どう見てもそんな感じである(奥には、関係なさそうな偉そうな男性がいたが)。

    @チケットカウンター

  •  それはさておき、すでに希望を記した記入用紙を提出したが、残念ながらバンドン8時45分発のArgoParahyangan号は売り切れであった。「その次のを」と言うと「11時30分になる」と言われ、それで了承した。バンドンの出発前に中途半端な時間ができてしまうことと、ガンビル到着後にボゴールまで往復する暇がなくなってしまうが、それほど大きな問題でもないだろう。取り急ぎ、これで「ジャワ島一周」が決行できることが確実となった。<br /><br />@ここの申込用紙には、英語がある

     それはさておき、すでに希望を記した記入用紙を提出したが、残念ながらバンドン8時45分発のArgoParahyangan号は売り切れであった。「その次のを」と言うと「11時30分になる」と言われ、それで了承した。バンドンの出発前に中途半端な時間ができてしまうことと、ガンビル到着後にボゴールまで往復する暇がなくなってしまうが、それほど大きな問題でもないだろう。取り急ぎ、これで「ジャワ島一周」が決行できることが確実となった。

    @ここの申込用紙には、英語がある

  •  まだ出発まで1時間以上もあるが、改札口を通る。PERONはここでもRP2,500と掲示されている。駅員に「どっちのホーム(に入線するの)?」と訊くと、「ワン、オア、トゥー」と言う。「知らない」と言われるよりはマシだろう。<br /> わざわざ早めに駅に来てホームまで入ったのは、ジャカルタ近辺では円借款によって鉄道インフラが整備され、さらに日本で不要になった電車が輸出されているからである。日本からの車両は、冷房があるために主に急行列車として使われている。そして何より面白いのが、行先表示がそのままになっている車両が多い、ということである。私が見ている短い間にも、「通勤特急 菊名」「快速 東陽町」「茅場町」「試運転」などがやってきた。見ているだけでも面白い。<br /><br />@これに乗っても菊名には行けません

     まだ出発まで1時間以上もあるが、改札口を通る。PERONはここでもRP2,500と掲示されている。駅員に「どっちのホーム(に入線するの)?」と訊くと、「ワン、オア、トゥー」と言う。「知らない」と言われるよりはマシだろう。
     わざわざ早めに駅に来てホームまで入ったのは、ジャカルタ近辺では円借款によって鉄道インフラが整備され、さらに日本で不要になった電車が輸出されているからである。日本からの車両は、冷房があるために主に急行列車として使われている。そして何より面白いのが、行先表示がそのままになっている車両が多い、ということである。私が見ている短い間にも、「通勤特急 菊名」「快速 東陽町」「茅場町」「試運転」などがやってきた。見ているだけでも面白い。

    @これに乗っても菊名には行けません

  •  そしてもう一つ有名であるのが、冷房のないエコノミー列車の方である。というのも、ドアが開きっぱなしなのは当然として、ラッシュ時には横にしがみついたり屋根に乗ったまま移動したりしているのである(それも1人や2人ではなく、数えきれないくらいである)。この路線は電化されているから、高架に触ってしまえば即感電死である。<br /> 写真や動画では見たことがあるが、実際に目の当たりにすると、本来は「異次元」であるとか「異空間」というべきものなのであるが、なぜだかそれが当然であるかのような「尋常さ」を持ち得ているのである。彼らの日常にとって、そうすることは当たり前すぎるのかもしれない。<br /><br />@ラッシュのピークは過ぎているため、屋根の上の人は少ない(ピーク時はとてつもないらしい)註:これは走行中です!

     そしてもう一つ有名であるのが、冷房のないエコノミー列車の方である。というのも、ドアが開きっぱなしなのは当然として、ラッシュ時には横にしがみついたり屋根に乗ったまま移動したりしているのである(それも1人や2人ではなく、数えきれないくらいである)。この路線は電化されているから、高架に触ってしまえば即感電死である。
     写真や動画では見たことがあるが、実際に目の当たりにすると、本来は「異次元」であるとか「異空間」というべきものなのであるが、なぜだかそれが当然であるかのような「尋常さ」を持ち得ているのである。彼らの日常にとって、そうすることは当たり前すぎるのかもしれない。

    @ラッシュのピークは過ぎているため、屋根の上の人は少ない(ピーク時はとてつもないらしい)註:これは走行中です!

  •  などということを考えていると、反対側のホームの先っぽで、必死になって列車の写真を撮っている人がいることに気付いた。衿シャツにタックズボン、肩からは一眼レフを下げ、明らかに日本人の「鉄っちゃん」である。炎天下にも関わらず必死に写真を撮りまくる姿には逆に感心さえするが、やはり少しく恥ずかしいものでもある(物事には「控えめ」が必要であると思う)。彼は列車を撮りまくり、そして持参のノート帳に何やら記載し続けている。しばらくしてから、冷房である急行列車の窓を車内から開けて走行中の動画を撮影している非常識な乗客を発見し、「やっぱりあれも日本人だな、恥ずかしいな」と思っていると、彼らは下車して先ほどの人と合流しているではないか。年の頃は私よりかなり上、結構な年配な鉄っちゃんたちであるが、あまり恥ずかしい姿を海外で晒してほしくはないと思う。郷に入っては郷に従え、そういう鉄道趣味が一般的ではない国に来た場合には、写真や動画や音声を撮りたい場合でも、控えめに遠慮しながらやるべきだろう。写真を撮るのは旅行者として当然のことであろうが、あのように偏執的にやられてしまうと、はっきり言って同じ人種として見られるのが恥ずかしい(ましてや、冷房車の窓を開けながらの撮影など、言語道断である)。<br /> それらを見ているのは忍びないため、反対側に移動して様子を眺めたりする。黄色シャツのポーターたちは、列車が来ない間には線路上に降りてゴミを拾ったりしている。もしかしたら、そういった雑務を含めた最低保証賃金があり、荷物運びは歩合制なのかもしれない(あくまでも勝手な想像であるが)。<br /><br />@こういった作業はどの国でも子どもの憧れの的

     などということを考えていると、反対側のホームの先っぽで、必死になって列車の写真を撮っている人がいることに気付いた。衿シャツにタックズボン、肩からは一眼レフを下げ、明らかに日本人の「鉄っちゃん」である。炎天下にも関わらず必死に写真を撮りまくる姿には逆に感心さえするが、やはり少しく恥ずかしいものでもある(物事には「控えめ」が必要であると思う)。彼は列車を撮りまくり、そして持参のノート帳に何やら記載し続けている。しばらくしてから、冷房である急行列車の窓を車内から開けて走行中の動画を撮影している非常識な乗客を発見し、「やっぱりあれも日本人だな、恥ずかしいな」と思っていると、彼らは下車して先ほどの人と合流しているではないか。年の頃は私よりかなり上、結構な年配な鉄っちゃんたちであるが、あまり恥ずかしい姿を海外で晒してほしくはないと思う。郷に入っては郷に従え、そういう鉄道趣味が一般的ではない国に来た場合には、写真や動画や音声を撮りたい場合でも、控えめに遠慮しながらやるべきだろう。写真を撮るのは旅行者として当然のことであろうが、あのように偏執的にやられてしまうと、はっきり言って同じ人種として見られるのが恥ずかしい(ましてや、冷房車の窓を開けながらの撮影など、言語道断である)。
     それらを見ているのは忍びないため、反対側に移動して様子を眺めたりする。黄色シャツのポーターたちは、列車が来ない間には線路上に降りてゴミを拾ったりしている。もしかしたら、そういった雑務を含めた最低保証賃金があり、荷物運びは歩合制なのかもしれない(あくまでも勝手な想像であるが)。

    @こういった作業はどの国でも子どもの憧れの的

  •  出発時刻の5分前に、スラバヤ行のAnggrek1号が入線してきた。エグゼクティブ車両に食堂車を混ぜたかなり長めの編成であるが、それらを確認している時間もあまりないため(それに確認したところで、車両のクラスはエグゼクティブしかないため)、さっさと乗車して時分の席を見つけて座ってしまった。<br /> ガンビル駅は近郊路線が行き交い、また長距離列車のターミナルとなっているが、ホームは2つ(4番線まで)しかないため、出入りが激しい。結局、定刻から8分遅れの9時38分になって、ようやくゆっくりと出発した。私の席は無傷であるが、前の席の窓は投石によって大きなひび割れが全体に広がっている。<br /> トタン屋根などが続く近郊区間は低速で走行していたが、Jatinegaraを過ぎてからはスピードアップをして走り始める。食堂車の係員が、バナナの皮で包まれた食事を大量にワゴンに積んで行き来をし始めたため、つい駅弁気分でうっかり1つ買ってしまう。中身はナシレマッで、1つRP20,000で味は悪くなかったが、あまりにも大量すぎて途中から飽きてしまった(おかずがないのも一因であろう)。ちなみに、注文した品の支払いは後払いである。品物を置いた席を係員がチェックしていて、食事を終えた以降くらいにメモを持った係員が請求に来るシステムである。それから、食べ終えた食器などは通路の脇に直接置いてくのもマナーらしい。<br /><br />@大量だったナシレマッ(かき混ぜた後)

     出発時刻の5分前に、スラバヤ行のAnggrek1号が入線してきた。エグゼクティブ車両に食堂車を混ぜたかなり長めの編成であるが、それらを確認している時間もあまりないため(それに確認したところで、車両のクラスはエグゼクティブしかないため)、さっさと乗車して時分の席を見つけて座ってしまった。
     ガンビル駅は近郊路線が行き交い、また長距離列車のターミナルとなっているが、ホームは2つ(4番線まで)しかないため、出入りが激しい。結局、定刻から8分遅れの9時38分になって、ようやくゆっくりと出発した。私の席は無傷であるが、前の席の窓は投石によって大きなひび割れが全体に広がっている。
     トタン屋根などが続く近郊区間は低速で走行していたが、Jatinegaraを過ぎてからはスピードアップをして走り始める。食堂車の係員が、バナナの皮で包まれた食事を大量にワゴンに積んで行き来をし始めたため、つい駅弁気分でうっかり1つ買ってしまう。中身はナシレマッで、1つRP20,000で味は悪くなかったが、あまりにも大量すぎて途中から飽きてしまった(おかずがないのも一因であろう)。ちなみに、注文した品の支払いは後払いである。品物を置いた席を係員がチェックしていて、食事を終えた以降くらいにメモを持った係員が請求に来るシステムである。それから、食べ終えた食器などは通路の脇に直接置いてくのもマナーらしい。

    @大量だったナシレマッ(かき混ぜた後)

  •  満腹になりぼんやりと外を見ていて気付いたのだが、踏切は列車が進入すると、まだ通り過ぎていないのに開いてしまうのである。もちろん、それはそれで充分なのであろう。通り過ぎてもしばらく鳴っている日本のそれなどは、慎重に作られ過ぎているのかもしれない。<br /> 11時を過ぎ、係員が先ほどのナシレマッの集金に来てから、外はスコールになった。田園地域を走っているため、外の景色は、ただひたすら「田んぼ」の連続である。スコールがあるかないかの違いだけで似たような景色が続いたため、満腹も手伝ってしばらく眠ってしまった。<br /> ここでまた気づいたのだが、よそ様のサイトでよく読んでいた「毛布のサービス」(有料・無料はサイトによって記述が異なる)も、どうやら廃止されたようである。もしかしたら、車内温度が適温なのは、それも一つの原因かもしれない(これまで寒かったのは、毛布をレンタルさせるため?)。食事等々の各種無料サービスを廃止して必要とする人だけに個別に行うというのは、ある種の合理化であり悪いことではないのかもしれないが、できれば旧態依然とした新興国の鉄道らしき雰囲気も残してほしい気がしなくもない。ちなみに、枕だけはデフォルトで各席に1つずつ置かれている。<br /><br />@信号停車中に「一般的な」民家を撮影

     満腹になりぼんやりと外を見ていて気付いたのだが、踏切は列車が進入すると、まだ通り過ぎていないのに開いてしまうのである。もちろん、それはそれで充分なのであろう。通り過ぎてもしばらく鳴っている日本のそれなどは、慎重に作られ過ぎているのかもしれない。
     11時を過ぎ、係員が先ほどのナシレマッの集金に来てから、外はスコールになった。田園地域を走っているため、外の景色は、ただひたすら「田んぼ」の連続である。スコールがあるかないかの違いだけで似たような景色が続いたため、満腹も手伝ってしばらく眠ってしまった。
     ここでまた気づいたのだが、よそ様のサイトでよく読んでいた「毛布のサービス」(有料・無料はサイトによって記述が異なる)も、どうやら廃止されたようである。もしかしたら、車内温度が適温なのは、それも一つの原因かもしれない(これまで寒かったのは、毛布をレンタルさせるため?)。食事等々の各種無料サービスを廃止して必要とする人だけに個別に行うというのは、ある種の合理化であり悪いことではないのかもしれないが、できれば旧態依然とした新興国の鉄道らしき雰囲気も残してほしい気がしなくもない。ちなみに、枕だけはデフォルトで各席に1つずつ置かれている。

    @信号停車中に「一般的な」民家を撮影

  •  12時42分、チルボンに到着する。ここからは、初めて乗る路線となる。駅付近は様々な改修工事がなされていて、掲示には日本の東急グループのマークが付いていたりする。6分の停車後に出発したが、線路脇からは小さな子どもたちが投石をしているのが見えている。<br /> 初めて乗る路線に入ったわけであるが、相変わらず田んぼだらけの単調な景色が続いていき、記述するような対象も見つからない。13時35分に貨物列車とすれ違ったが、所々に人が数人乗っていたのは気のせいではない(もしかしたら、休憩していただけかもしれないが)。<br /> 沿線の町が少し大きくなり、Brebesを13時45分頃に通過、収穫後で水だけ張られている田んぼでは、小さい子どもたちが泥まみれでサッカーをやっている。インドネシア人から見ても特異な光景なようで、乗客のおばさんは「あらあら」みたいな声を出している。Tegal駅付近では、小さなSLが展示されているのが見えた。<br /><br />@慌てて撮影(踏切右手に小さくSLが……あるはず)

     12時42分、チルボンに到着する。ここからは、初めて乗る路線となる。駅付近は様々な改修工事がなされていて、掲示には日本の東急グループのマークが付いていたりする。6分の停車後に出発したが、線路脇からは小さな子どもたちが投石をしているのが見えている。
     初めて乗る路線に入ったわけであるが、相変わらず田んぼだらけの単調な景色が続いていき、記述するような対象も見つからない。13時35分に貨物列車とすれ違ったが、所々に人が数人乗っていたのは気のせいではない(もしかしたら、休憩していただけかもしれないが)。
     沿線の町が少し大きくなり、Brebesを13時45分頃に通過、収穫後で水だけ張られている田んぼでは、小さい子どもたちが泥まみれでサッカーをやっている。インドネシア人から見ても特異な光景なようで、乗客のおばさんは「あらあら」みたいな声を出している。Tegal駅付近では、小さなSLが展示されているのが見えた。

    @慌てて撮影(踏切右手に小さくSLが……あるはず)

  •  前に座っている親子は、インドネシアにはあまり多くないインド系の顔立ちである。やはり裕福そうで、子どもはたくさんのおもちゃを手にし、また最新式のポータブルゲーム機で高画質のサッカーゲームをしたりしている。そして当然(と言ってはいけないが)、子どもは肥満気味である。親子で食堂車から注文したナシゴレン(アヤム付き)を食べ、子どもは車内販売のパンフレットを見ながら「これどう?」みたいなことを聞いている。付けている腕時計も、今時の子どもが欲しがるような恰好の好いものだ。昨日の子のようにダダをこねたりはしておらず、全般的に行儀は良いのだが、しかし、どうしても窓の外との差が激しくて目立ってしまう。<br /> そのようなことを考えていると、また線路脇から子どもたちが投石をして、そのうちの1つがゴンッという音を立てて車両に当たった。投石は何回か見てきたが、当たったのはこれが初めてである(この後、何回も当たることになるが)。そもそもこの投石は、ただ単なる子どもたちの遊びなのであろうか、それとも、何かしらの訴えがあってのことなのだろうか。<br /> しばらくすると、大きな工場から煙が出ているのが見え始めた。英語でSUGARとある。田んぼの多さと比べると少ないが、サトウキビ畑もちらほらあったため、それらを加工するところなのであろう。<br /> 路盤の付け替え工事でもするのであろう、工事中の路盤がしばらく寄り添って続き、14時48分にPekalonganに到着した。4分の停車で出発、Ujungnegoroには15時09分着。ここで行き違いをするが、駅員は「○――」のような形をした緑色の札で、こちらに出発OKの合図を出している。<br /> しばらく走行してから、単調であった沿線風景を打破するかのようにして、突然左手に海が現れた。インドネシアで初の海岸風景、と一瞬は思ったのであるが、どういうわけか茶色く濁っている。湖かと思ったが、地図を参照するとやはり海のようである。海が見える風景は、約7分間ほど続いた。<br /><br />@ついに海が!(でもあまり綺麗じゃない……)

     前に座っている親子は、インドネシアにはあまり多くないインド系の顔立ちである。やはり裕福そうで、子どもはたくさんのおもちゃを手にし、また最新式のポータブルゲーム機で高画質のサッカーゲームをしたりしている。そして当然(と言ってはいけないが)、子どもは肥満気味である。親子で食堂車から注文したナシゴレン(アヤム付き)を食べ、子どもは車内販売のパンフレットを見ながら「これどう?」みたいなことを聞いている。付けている腕時計も、今時の子どもが欲しがるような恰好の好いものだ。昨日の子のようにダダをこねたりはしておらず、全般的に行儀は良いのだが、しかし、どうしても窓の外との差が激しくて目立ってしまう。
     そのようなことを考えていると、また線路脇から子どもたちが投石をして、そのうちの1つがゴンッという音を立てて車両に当たった。投石は何回か見てきたが、当たったのはこれが初めてである(この後、何回も当たることになるが)。そもそもこの投石は、ただ単なる子どもたちの遊びなのであろうか、それとも、何かしらの訴えがあってのことなのだろうか。
     しばらくすると、大きな工場から煙が出ているのが見え始めた。英語でSUGARとある。田んぼの多さと比べると少ないが、サトウキビ畑もちらほらあったため、それらを加工するところなのであろう。
     路盤の付け替え工事でもするのであろう、工事中の路盤がしばらく寄り添って続き、14時48分にPekalonganに到着した。4分の停車で出発、Ujungnegoroには15時09分着。ここで行き違いをするが、駅員は「○――」のような形をした緑色の札で、こちらに出発OKの合図を出している。
     しばらく走行してから、単調であった沿線風景を打破するかのようにして、突然左手に海が現れた。インドネシアで初の海岸風景、と一瞬は思ったのであるが、どういうわけか茶色く濁っている。湖かと思ったが、地図を参照するとやはり海のようである。海が見える風景は、約7分間ほど続いた。

    @ついに海が!(でもあまり綺麗じゃない……)

  •  Anggrek1号の停車する途中駅としては、大きな部類に入るスマランに16時21分に到着した。列車ごとの一定運賃であるためここから乗る人は少ないと思っていたが、乗客の入れ替え後は逆に増え、ほぼ満席となってしまった。ずっと空いていた私の隣りにも、ネクタイをしたサラリーマン風の恰幅の良い人が座ってしまった(この時点では「狭くなったな」程度に考えていたが、後になってこれが幸いすることになった)。<br /> スマラン出発は16時27分、しばらくは両脇とも水没しているかのような不可思議な路盤を走行していく。周囲にはゴミが山積しているところがあり、それらから使えそうなものを選り分けている人(もしかしたら仕事かもしれない)もいる。遠くには形ぶりのよい山も見えている。17時過ぎにエコノミーだけの列車とすれ違ったが(追い抜きかもしれないが)、屋根の上まで人が乗っていた。<br /><br />@左右とも水没しているため、まるで水面を走るかのよう

     Anggrek1号の停車する途中駅としては、大きな部類に入るスマランに16時21分に到着した。列車ごとの一定運賃であるためここから乗る人は少ないと思っていたが、乗客の入れ替え後は逆に増え、ほぼ満席となってしまった。ずっと空いていた私の隣りにも、ネクタイをしたサラリーマン風の恰幅の良い人が座ってしまった(この時点では「狭くなったな」程度に考えていたが、後になってこれが幸いすることになった)。
     スマラン出発は16時27分、しばらくは両脇とも水没しているかのような不可思議な路盤を走行していく。周囲にはゴミが山積しているところがあり、それらから使えそうなものを選り分けている人(もしかしたら仕事かもしれない)もいる。遠くには形ぶりのよい山も見えている。17時過ぎにエコノミーだけの列車とすれ違ったが(追い抜きかもしれないが)、屋根の上まで人が乗っていた。

    @左右とも水没しているため、まるで水面を走るかのよう

  •  だんだん日も暮れてきたため、車内はかなり暗い。というのも、上部の照明は消えたままで、間接照明の蛍光灯も半分くらいしか付いていないのである。そうして日も落ちてしまったころ、午後6時になると急にすべての電気が付いて明るくなった。<br /> さて、初訪問であるパサール・トゥリ駅からの移動手段であるが、事前に散々インターネットで調べた限りでは、列車の乗車中にタクシー伺いの係員が来るらしい(という情報が、とある掲示場に個人投稿として1つだけあった)。それを信用できるかどうか不明であったが、ふと気付くと「テクシー(TEKSI)」と連呼しながら来る人がいるではないか。慌てて呼びとめて「駅からのタクシー?」と訊いたのだが、残念なことに彼は英語ができないらしい。困ってしまったが、ここで隣りにいた男性が英語を話せたため、仲介に入ってもらえることとなった。駅から2キロほどのホテルまで、リストから示された料金はRP40,000、距離からするとRP15,000以内で充分かなというところではあるが、事前手配の安心料なのだろう。<br /> 料金を支払って控えをもらったのはいいのだが、さて到着後にどうすればいいのかがわからない。それでまた「駅に到着後、どこへ行けばいいの?」を通訳してもらったのだが、その答えがものすごく長い。不安になって聞いていると、係員は男性にあれこれ訊いて、男性が頷くと肩をポンと叩いて行ってしまった。雰囲気的には「同じ出口か、だったら案内してやってくれ」「いいよ」に見えなくもないが、インドネシア語はまったくわからないから断定はできない。<br /> 外は真っ暗であるため、景色も見えないからパソコンでこの文章を書いたりする。しばらくすると、係員が枕の回収にきたため、手元にあったものを渡す。そうこうしているうち、定刻から遅れること1時間5分の20時35分、パサール・トゥリに到着した。男性に肩をポンと叩かれ促され、一緒に出口へと向かう。「どこから来たか」「どのくらいいるのか」という定型の質問に答えたりしながら、改札付近にあったタクシーカウンター(やはり司会台のようなもの)へ行き、そこで控えを見せ、係員が近くにいた数多の運転手から希望者を募って、その人の後ろについて行く、という手順である(たしかに複雑である)。運転手からもある程度客を選べるようで、遠隔地の客を待つか、それとも早いうちに近場の客で手を打って稼いでおくか、の判断の分かれ目があるのかもしれない。<br /> 駅構内は様々な客引きなどで渾沌としており、雑踏と化していて、初めて来たのでは勝手がわからず困ってしまうだろう。とても自力だけで、まともなタクシーを見つけられる自信はない。少し(かなり?)割高の料金であるが、交渉などはしなくていいため、車内で手配しておくのもあながち下手な方法ではないとは思う。<br />案内してくれた男性に礼を言って、運転手の後ろについていった。車はタクシーではなく普通の車であったため、これが自己交渉ならかなり不安になってしまうところであるが、国鉄に乗っている係員から買ったのだから、たぶん大丈夫なのだろう。車は10分弱で、予約していたホテルに到着した。<br /><br /> さて、今日の夕食であるが、昨晩泊まったのと同じ系列のホテルでレストランの料金が高かったため、近場のスーパーを訊いて出かけることにした。しかし「営業は9時までかなぁ」と言われてしまったので、荷物だけを部屋に置いて慌てて向かった。なんとかビールとパンは買うことができたが、つまみがない。そこでその店の隣りで電気が付いていたマクドナルドへ入ろうとしたが、もう鍵がかかってしまっている。店どころか、敷地から出るための柵すら締められてしまっている。店員が「そっちから出られるよ」と言われ向かったのだが、暗くて下が見えずあやうく排水溝に落ちそうになりながら、危機一髪で逃れてやっとの思いでホテルまで戻った。<br /> 大量のビールとパンだけ、という不格好なバランスだが、幸い具の多いチーズパンを選んだため、その場しのぎのつまみとすることができた。それでも腹が減ったらルームサービスでも、と思っていたが、今朝のナシレマッが大量だったことも幸いしてパンだけで腹がくちくなり、そのまま寝てしまった。<br /><br />@今日は、おつまみ無し

     だんだん日も暮れてきたため、車内はかなり暗い。というのも、上部の照明は消えたままで、間接照明の蛍光灯も半分くらいしか付いていないのである。そうして日も落ちてしまったころ、午後6時になると急にすべての電気が付いて明るくなった。
     さて、初訪問であるパサール・トゥリ駅からの移動手段であるが、事前に散々インターネットで調べた限りでは、列車の乗車中にタクシー伺いの係員が来るらしい(という情報が、とある掲示場に個人投稿として1つだけあった)。それを信用できるかどうか不明であったが、ふと気付くと「テクシー(TEKSI)」と連呼しながら来る人がいるではないか。慌てて呼びとめて「駅からのタクシー?」と訊いたのだが、残念なことに彼は英語ができないらしい。困ってしまったが、ここで隣りにいた男性が英語を話せたため、仲介に入ってもらえることとなった。駅から2キロほどのホテルまで、リストから示された料金はRP40,000、距離からするとRP15,000以内で充分かなというところではあるが、事前手配の安心料なのだろう。
     料金を支払って控えをもらったのはいいのだが、さて到着後にどうすればいいのかがわからない。それでまた「駅に到着後、どこへ行けばいいの?」を通訳してもらったのだが、その答えがものすごく長い。不安になって聞いていると、係員は男性にあれこれ訊いて、男性が頷くと肩をポンと叩いて行ってしまった。雰囲気的には「同じ出口か、だったら案内してやってくれ」「いいよ」に見えなくもないが、インドネシア語はまったくわからないから断定はできない。
     外は真っ暗であるため、景色も見えないからパソコンでこの文章を書いたりする。しばらくすると、係員が枕の回収にきたため、手元にあったものを渡す。そうこうしているうち、定刻から遅れること1時間5分の20時35分、パサール・トゥリに到着した。男性に肩をポンと叩かれ促され、一緒に出口へと向かう。「どこから来たか」「どのくらいいるのか」という定型の質問に答えたりしながら、改札付近にあったタクシーカウンター(やはり司会台のようなもの)へ行き、そこで控えを見せ、係員が近くにいた数多の運転手から希望者を募って、その人の後ろについて行く、という手順である(たしかに複雑である)。運転手からもある程度客を選べるようで、遠隔地の客を待つか、それとも早いうちに近場の客で手を打って稼いでおくか、の判断の分かれ目があるのかもしれない。
     駅構内は様々な客引きなどで渾沌としており、雑踏と化していて、初めて来たのでは勝手がわからず困ってしまうだろう。とても自力だけで、まともなタクシーを見つけられる自信はない。少し(かなり?)割高の料金であるが、交渉などはしなくていいため、車内で手配しておくのもあながち下手な方法ではないとは思う。
    案内してくれた男性に礼を言って、運転手の後ろについていった。車はタクシーではなく普通の車であったため、これが自己交渉ならかなり不安になってしまうところであるが、国鉄に乗っている係員から買ったのだから、たぶん大丈夫なのだろう。車は10分弱で、予約していたホテルに到着した。

     さて、今日の夕食であるが、昨晩泊まったのと同じ系列のホテルでレストランの料金が高かったため、近場のスーパーを訊いて出かけることにした。しかし「営業は9時までかなぁ」と言われてしまったので、荷物だけを部屋に置いて慌てて向かった。なんとかビールとパンは買うことができたが、つまみがない。そこでその店の隣りで電気が付いていたマクドナルドへ入ろうとしたが、もう鍵がかかってしまっている。店どころか、敷地から出るための柵すら締められてしまっている。店員が「そっちから出られるよ」と言われ向かったのだが、暗くて下が見えずあやうく排水溝に落ちそうになりながら、危機一髪で逃れてやっとの思いでホテルまで戻った。
     大量のビールとパンだけ、という不格好なバランスだが、幸い具の多いチーズパンを選んだため、その場しのぎのつまみとすることができた。それでも腹が減ったらルームサービスでも、と思っていたが、今朝のナシレマッが大量だったことも幸いしてパンだけで腹がくちくなり、そのまま寝てしまった。

    @今日は、おつまみ無し

  • ■9.23 丸半日以上、車両に缶詰になる:スラバヤ(グブン)→バンドン<br /> 昨晩、日本では中秋の名月であったようで、赤道以南のスラバヤでもまん丸のお月さまがホテルの窓から見えている。<br /><br />@スラバヤ市街(ホテルより。月は日の出とともに消えた)

    ■9.23 丸半日以上、車両に缶詰になる:スラバヤ(グブン)→バンドン
     昨晩、日本では中秋の名月であったようで、赤道以南のスラバヤでもまん丸のお月さまがホテルの窓から見えている。

    @スラバヤ市街(ホテルより。月は日の出とともに消えた)

  •  今日はバンドンまで、12時間を超える鉄道旅行である。ホテルに置いてあった簡易な案内書を見てみると、昨日乗車したジャカルタ−スラバヤ間には、一日で46本もの飛行機が飛んでいる。それもそのはず、飛行時間は1時間20分だけで、鉄道とは雲泥の差である。陸路で直接行けるのは、私が乗った北線経由のAnggrek号が2往復と、ジョグジャカルタ(南線)経由のBima号が1往復、その他にビジネス編成の列車などを加えても数えるほどだけである。ちなみにスラバヤ−バンドン間の飛行機は3本しか飛んでいないが、これは需要の差であろう。<br /> グブン駅までは4〜5キロ離れており、タクシーが必須である。交通渋滞がどれくらいか読めないため、発車1時間前にはホテルを出ることにした。呼んでから来るまで少しの時間がかかったが、このホテルはブルーバード系列のタクシー会社を採用しているので安心である。<br /> タクシーの運転手は英語がまったくできない(行先については、ホテルの人が通訳してくれている)。それでも話し好きのようであれこれ訊いて来るが、こちらもインドネシア語はできないのでどうにもならない。<br />「……カレタピー?」(鉄道(汽車)のこと。数少ない私がわかる言葉)<br />「イエスイエス」<br /> と言って、手配済みの切符を見せると。<br />「オー、アルゴウィリス!」<br /> という塩梅で、固有名詞だけの会話が終わると、もう話せることはない。交差点では、車の合間を縫うようにして物売りがたくさん徘徊している。まだ7〜8歳くらいの小さい子まで、新聞を抱えて車やバイクを避けながら歩いている。<br /> タクシーのメーターは最後の端数RP5まで記されているが、当然支払える硬貨など誰も持っていないだろう。到着時のメーターはRP20,725くらいだったかと思うが、2万と千を差し出すと、愛想良く「もう1枚くらい?」と指で聞いてきたので、こちらも気前よく千をあと1枚出して、上機嫌な運転手から「スラマッ、ジャラン!」と言われて別れた。たった10円の幸せである(今思えば、「スラマッ、ティンガル」くらいは覚えておけばよかったかと思う)。<br /><br /> グブン駅は予想外に新しい駅舎で、エグゼクティブ利用者用の綺麗な待合室まで備えられている。一番手前のホームには、7時00分発のジョグジャカルタ行SancakaPagi号が停車していて、ビジネス車両では出入口で別れの挨拶をし合っている人がいたり、ホームで荷物の鳥(生きている)に餌を与えている人がいたり、生活感が漲っている。投石によって窓のあちこちにヒビが入っているが、中にはぽっかりと穴が開いているところもあり、修復すらされていない。昨日のエクゼクティブ車両でも酷いヒビがあったが、それ以上広がらないように修復はされていた。そういったところでも、差が付いているようである。<br /> <br />@真新しいグブン駅舎(チケット売り場)

     今日はバンドンまで、12時間を超える鉄道旅行である。ホテルに置いてあった簡易な案内書を見てみると、昨日乗車したジャカルタ−スラバヤ間には、一日で46本もの飛行機が飛んでいる。それもそのはず、飛行時間は1時間20分だけで、鉄道とは雲泥の差である。陸路で直接行けるのは、私が乗った北線経由のAnggrek号が2往復と、ジョグジャカルタ(南線)経由のBima号が1往復、その他にビジネス編成の列車などを加えても数えるほどだけである。ちなみにスラバヤ−バンドン間の飛行機は3本しか飛んでいないが、これは需要の差であろう。
     グブン駅までは4〜5キロ離れており、タクシーが必須である。交通渋滞がどれくらいか読めないため、発車1時間前にはホテルを出ることにした。呼んでから来るまで少しの時間がかかったが、このホテルはブルーバード系列のタクシー会社を採用しているので安心である。
     タクシーの運転手は英語がまったくできない(行先については、ホテルの人が通訳してくれている)。それでも話し好きのようであれこれ訊いて来るが、こちらもインドネシア語はできないのでどうにもならない。
    「……カレタピー?」(鉄道(汽車)のこと。数少ない私がわかる言葉)
    「イエスイエス」
     と言って、手配済みの切符を見せると。
    「オー、アルゴウィリス!」
     という塩梅で、固有名詞だけの会話が終わると、もう話せることはない。交差点では、車の合間を縫うようにして物売りがたくさん徘徊している。まだ7〜8歳くらいの小さい子まで、新聞を抱えて車やバイクを避けながら歩いている。
     タクシーのメーターは最後の端数RP5まで記されているが、当然支払える硬貨など誰も持っていないだろう。到着時のメーターはRP20,725くらいだったかと思うが、2万と千を差し出すと、愛想良く「もう1枚くらい?」と指で聞いてきたので、こちらも気前よく千をあと1枚出して、上機嫌な運転手から「スラマッ、ジャラン!」と言われて別れた。たった10円の幸せである(今思えば、「スラマッ、ティンガル」くらいは覚えておけばよかったかと思う)。

     グブン駅は予想外に新しい駅舎で、エグゼクティブ利用者用の綺麗な待合室まで備えられている。一番手前のホームには、7時00分発のジョグジャカルタ行SancakaPagi号が停車していて、ビジネス車両では出入口で別れの挨拶をし合っている人がいたり、ホームで荷物の鳥(生きている)に餌を与えている人がいたり、生活感が漲っている。投石によって窓のあちこちにヒビが入っているが、中にはぽっかりと穴が開いているところもあり、修復すらされていない。昨日のエクゼクティブ車両でも酷いヒビがあったが、それ以上広がらないように修復はされていた。そういったところでも、差が付いているようである。
     
    @真新しいグブン駅舎(チケット売り場)

  • @長距離列車には、出会いと別れが付き物

    @長距離列車には、出会いと別れが付き物

  •  まだ時間があるため、駅構内や出入りする列車を観察する。エコノミー編成の先頭車は、どうすればこんな壊れ方をするのだろうか、というくらいにボロボロである。車ならば交差点などで接触事故をしたりするだろうが、列車ではそうそう簡単には壊しようがないだろう。<br /> <br />@どうすればこんなボロボロに?

     まだ時間があるため、駅構内や出入りする列車を観察する。エコノミー編成の先頭車は、どうすればこんな壊れ方をするのだろうか、というくらいにボロボロである。車ならば交差点などで接触事故をしたりするだろうが、列車ではそうそう簡単には壊しようがないだろう。
     
    @どうすればこんなボロボロに?

  •  Argo Wilis号は、出発の20分前に入線してきた。今日は時間がたっぷりあるので編成なども確認できるが、こういうときに限って短くて単調な編成である。[機関車]+[エグゼクティブ×2]+[食堂車(厨房)]+[エグゼクティブ×2]+[電源車]となっている。<br /><br />@入口のお姉さんは、食堂車の係員も兼ねている

     Argo Wilis号は、出発の20分前に入線してきた。今日は時間がたっぷりあるので編成なども確認できるが、こういうときに限って短くて単調な編成である。[機関車]+[エグゼクティブ×2]+[食堂車(厨房)]+[エグゼクティブ×2]+[電源車]となっている。

    @入口のお姉さんは、食堂車の係員も兼ねている

  •  定刻の7時30分(……気のせいか、1分弱ほど早かったが)、グブンを出発した。進行方向に向かって左手の窓側に座っているが、今日の窓は昨日までのそれと比べて綺麗であるため、写真撮影には良い条件である。<br /> この車両に限らず、一昨日から乗車している車両すべてであるが、その無骨な造りからいって日本製ではないことは明らかである。最初は台湾やマレーシアで経験したような韓国製かと思っていたが、そうでもない。よくよく車内に貼られている掲示をみてみると、INKAというメーカでインドネシア国内製である。まさか国内にそういった産業があるとは知らなかったが、乗り心地などからしてそれ相応に及第点であると思える。もちろん、クーラーの排水が天井からそのまま窓伝いに流れていったり、荷物棚などのネジ止めがまばらで所々浮いていたりするのは愛嬌であろうが。<br /> 5分ほどで、バニュワンギ方面へ分岐するWonokromoに到着した。向かいにはビジネス車両のみの列車が停まっていて、通路に立っている人もたくさんいる。その車両の向こう側にはゴミの山があり、使えそうなものなどを選り分けている人が見える。<br /> 7時40分に出発し、しばらくすると分岐する路盤が左手に離れて行くのが見えた。続いて、巨大なモスクも現れた。周りにある崩れ落ちそうな民家と比べるとその大きさや新しさは目を見張るものがあるが、宗教事にかける金銭は必ずしも経済状況と正比例しないことは、これまでの海外における鉄道沿線風景からして明らかなことである。<br /> 遠くには、コニーデ型に近い綺麗な稜線の山が連なっている。空は快晴で、列車も結構な速度で快走し続ける。使われなくなった転車台(ターンテーブル)が見えたりして、8時31分にJombangに到着した。3分の停車で出発し、左手からBlitar方面からの路盤が合流してきて、Kertosonoには8時48分に到着。物売りがデッキから大声であれこれ訴えてくる。必死な彼らにとっては残念なことに、停車時間はたったの2分ですぐに発車してしまう。<br /> <br />@遠くには綺麗な山々が

     定刻の7時30分(……気のせいか、1分弱ほど早かったが)、グブンを出発した。進行方向に向かって左手の窓側に座っているが、今日の窓は昨日までのそれと比べて綺麗であるため、写真撮影には良い条件である。
     この車両に限らず、一昨日から乗車している車両すべてであるが、その無骨な造りからいって日本製ではないことは明らかである。最初は台湾やマレーシアで経験したような韓国製かと思っていたが、そうでもない。よくよく車内に貼られている掲示をみてみると、INKAというメーカでインドネシア国内製である。まさか国内にそういった産業があるとは知らなかったが、乗り心地などからしてそれ相応に及第点であると思える。もちろん、クーラーの排水が天井からそのまま窓伝いに流れていったり、荷物棚などのネジ止めがまばらで所々浮いていたりするのは愛嬌であろうが。
     5分ほどで、バニュワンギ方面へ分岐するWonokromoに到着した。向かいにはビジネス車両のみの列車が停まっていて、通路に立っている人もたくさんいる。その車両の向こう側にはゴミの山があり、使えそうなものなどを選り分けている人が見える。
     7時40分に出発し、しばらくすると分岐する路盤が左手に離れて行くのが見えた。続いて、巨大なモスクも現れた。周りにある崩れ落ちそうな民家と比べるとその大きさや新しさは目を見張るものがあるが、宗教事にかける金銭は必ずしも経済状況と正比例しないことは、これまでの海外における鉄道沿線風景からして明らかなことである。
     遠くには、コニーデ型に近い綺麗な稜線の山が連なっている。空は快晴で、列車も結構な速度で快走し続ける。使われなくなった転車台(ターンテーブル)が見えたりして、8時31分にJombangに到着した。3分の停車で出発し、左手からBlitar方面からの路盤が合流してきて、Kertosonoには8時48分に到着。物売りがデッキから大声であれこれ訴えてくる。必死な彼らにとっては残念なことに、停車時間はたったの2分ですぐに発車してしまう。
     
    @遠くには綺麗な山々が

  •  しばらくウトウトし、9時55分にはMadiunに到着。7分後に出発したが、すぐ左手に旧いSLが展示されているのが見えた。昨日も同様の物を見かけたが、意外にその手の展示物が多い気がする。<br /> 10時30分頃に、エコノミー編成の列車と行き違った(駅名は不明)。向こう側の車両の通路には物売りがたくさん行き来していて(物売りたちは、エコノミーなどには乗車してよい)、様々なものを手から吊るしてうごめいている。それ以外にも、プガメン(ギターなどを持った「流し」で、あまりお行儀は良くない)なんかもいる。<br /><br />@天気は良いが、遠くではスコールがある(雲の下の中央部分、色の濃いところだけが大雨という、珍しい画像)

     しばらくウトウトし、9時55分にはMadiunに到着。7分後に出発したが、すぐ左手に旧いSLが展示されているのが見えた。昨日も同様の物を見かけたが、意外にその手の展示物が多い気がする。
     10時30分頃に、エコノミー編成の列車と行き違った(駅名は不明)。向こう側の車両の通路には物売りがたくさん行き来していて(物売りたちは、エコノミーなどには乗車してよい)、様々なものを手から吊るしてうごめいている。それ以外にも、プガメン(ギターなどを持った「流し」で、あまりお行儀は良くない)なんかもいる。

    @天気は良いが、遠くではスコールがある(雲の下の中央部分、色の濃いところだけが大雨という、珍しい画像)

  •  左手には高い山々が連なっており、天気も良いままである。小腹も空いてきたため、初めての「食堂車への注文」をしてみることにした。メニューもなにもないため、料金徴収で通路を行き来している女性係員を呼び止め、必ずあるはずであるナシゴレンを注文した。ほどなくして持ってきたが、量はかなり少なめであり、値段はRP16,000である。しかしちゃんとした皿に盛られているし、温かいし、席まで持ってきてくれることを考慮すると、予想よりは安価であった(もちろん、街中で買うナシゴレンよりかなり高価であることは言うまでもない)。味も悪くはない。<br /><br />@小奇麗に盛り付けられているナシゴレン

     左手には高い山々が連なっており、天気も良いままである。小腹も空いてきたため、初めての「食堂車への注文」をしてみることにした。メニューもなにもないため、料金徴収で通路を行き来している女性係員を呼び止め、必ずあるはずであるナシゴレンを注文した。ほどなくして持ってきたが、量はかなり少なめであり、値段はRP16,000である。しかしちゃんとした皿に盛られているし、温かいし、席まで持ってきてくれることを考慮すると、予想よりは安価であった(もちろん、街中で買うナシゴレンよりかなり高価であることは言うまでもない)。味も悪くはない。

    @小奇麗に盛り付けられているナシゴレン

  •  すぐに食べ終え、ほどなくしてから料金を徴収に来た。代金を差し出すとレシートをくれるのだが、小さい紙に全メニューが書かれてあり、食べたものに○が付けられている体裁である。おかげで他に何があるのかがわかったため、また小腹が減ればこれを見て注文することも可能である。ちなみに一番高いものはRP25,000のビーフステーキであり、安いものはRP2,000のお茶である。午後になってから、係員が出来上がった料理を手にしながら「ビフステーク」と言いながら来たので見てみたが、まぁ値段相応のお肉であった。ステーキに限らず、係員は注文に応じるだけではなくて、ある程度の料理を食堂車で勝手に作って、それを手持ちで売りに来て乗客一人ひとりに勧めるのである。<br /> 11時23分にSoloBalapanに到着した。ここは遺跡群で有名であるため、旅程に余裕があれば1日ほど降りてもよさそうなところである。しかし今回はこのまま乗り続けるため、たった3分の停車時間で出発してしまう。<br /> ここからジョグジャカルタまでの区間は、紀行作家の宮脇俊三さんが乗車してそのレポートを書いている部分である。今日は相変わらず天気が良く、遅延とは関係なく快走しているが、運転手はやたらと汽笛を連発している。まさかそれが遅れなしの秘訣、ではないだろうが。<br /><br />@ジョグジャカルタが近づく(手前に人がいるのは気のせいではありません)

     すぐに食べ終え、ほどなくしてから料金を徴収に来た。代金を差し出すとレシートをくれるのだが、小さい紙に全メニューが書かれてあり、食べたものに○が付けられている体裁である。おかげで他に何があるのかがわかったため、また小腹が減ればこれを見て注文することも可能である。ちなみに一番高いものはRP25,000のビーフステーキであり、安いものはRP2,000のお茶である。午後になってから、係員が出来上がった料理を手にしながら「ビフステーク」と言いながら来たので見てみたが、まぁ値段相応のお肉であった。ステーキに限らず、係員は注文に応じるだけではなくて、ある程度の料理を食堂車で勝手に作って、それを手持ちで売りに来て乗客一人ひとりに勧めるのである。
     11時23分にSoloBalapanに到着した。ここは遺跡群で有名であるため、旅程に余裕があれば1日ほど降りてもよさそうなところである。しかし今回はこのまま乗り続けるため、たった3分の停車時間で出発してしまう。
     ここからジョグジャカルタまでの区間は、紀行作家の宮脇俊三さんが乗車してそのレポートを書いている部分である。今日は相変わらず天気が良く、遅延とは関係なく快走しているが、運転手はやたらと汽笛を連発している。まさかそれが遅れなしの秘訣、ではないだろうが。

    @ジョグジャカルタが近づく(手前に人がいるのは気のせいではありません)

  •  11時58分頃に、ビジネスとエグゼクティブ混成の列車を追い抜いたが、おそらくこれはグブンを一足先の7時に出発した列車であろう。12時12分頃には、4日前に降り立ったアジスチプト空港のすぐ前を通り過ぎ、ジョグジャカルタには12時20分に到着した。まだイビツな形であるが、これでジャワ島一周が繋がった形になった。<br /> これまでのパターンからすると、ここで物売りの声がデッキからどんどん聞こえてくるはずなのであるが、なぜかジョグジャカルタでは誰も売りに来ない。時間的な問題があるのか、それとも外国からの観光客が多いここでは、そのような行為を締め出しているのだろうか。いずれにしても、不思議なほど静かな停車時間が過ぎていった。<br /> さて、ここからは2日前に乗ったばかりの区間をしばらく走ることになる。しかし、一度見た景色をすべて覚えているわけもないため、新たな発見もある。ジョグジャカルタ出発後しばらくしてから、小さなプールのような水たまりに人が群がり、竿を垂れているのが見えた。要するに「釣り堀」であるが、そんなものまでインドネシアにあるとは思わなかった。<br /> 緊張の糸も切れたためか、30分くらい寝入ったりしてしまった。運転停車(行き違い)などを何回か行い、14時36分にバンドン線の分岐駅であるKroyaに到着した。<br /><br />@今日もあちこちで水没

     11時58分頃に、ビジネスとエグゼクティブ混成の列車を追い抜いたが、おそらくこれはグブンを一足先の7時に出発した列車であろう。12時12分頃には、4日前に降り立ったアジスチプト空港のすぐ前を通り過ぎ、ジョグジャカルタには12時20分に到着した。まだイビツな形であるが、これでジャワ島一周が繋がった形になった。
     これまでのパターンからすると、ここで物売りの声がデッキからどんどん聞こえてくるはずなのであるが、なぜかジョグジャカルタでは誰も売りに来ない。時間的な問題があるのか、それとも外国からの観光客が多いここでは、そのような行為を締め出しているのだろうか。いずれにしても、不思議なほど静かな停車時間が過ぎていった。
     さて、ここからは2日前に乗ったばかりの区間をしばらく走ることになる。しかし、一度見た景色をすべて覚えているわけもないため、新たな発見もある。ジョグジャカルタ出発後しばらくしてから、小さなプールのような水たまりに人が群がり、竿を垂れているのが見えた。要するに「釣り堀」であるが、そんなものまでインドネシアにあるとは思わなかった。
     緊張の糸も切れたためか、30分くらい寝入ったりしてしまった。運転停車(行き違い)などを何回か行い、14時36分にバンドン線の分岐駅であるKroyaに到着した。

    @今日もあちこちで水没

  •  1分半ほどの短い停車で出発してしまい、大きな川を渡る。1時間ほど走るとスコールになり、16時08分にBanjarに到着した。12分の停車で出発するが、次第に勾配がきつくなってスピードも遅くなり、景色も山間の雰囲気になってくる。<br /> ちなみに、構内に掲げられているそれぞれの駅名の横には、数字が書かれてある。最初は意味がわからなかったのだが、そのうち数字の横に「+」が書かれてある駅もあることに気付いた。要するに海面からの高さが書かれているのであり、バンドンに近づくにつれてその数値がだんだんと大きくなっていくのがわかる。<br /> 食堂車の係員が丼に入ったものを売りに来たので覗いてみると、麺類である。レシートにあるメニューから注文しようかと思っていたが、これでもいいかと思い、1つ置いていってもらった。明らかにインスタントであるが、玉子と青菜が入れてあり、作って持ってきてもらってでRP10,000しかしないのだから、コストパフォーマンスとしては充分であろう。<br /><br />@メニューには「Mie Rebus」とある

     1分半ほどの短い停車で出発してしまい、大きな川を渡る。1時間ほど走るとスコールになり、16時08分にBanjarに到着した。12分の停車で出発するが、次第に勾配がきつくなってスピードも遅くなり、景色も山間の雰囲気になってくる。
     ちなみに、構内に掲げられているそれぞれの駅名の横には、数字が書かれてある。最初は意味がわからなかったのだが、そのうち数字の横に「+」が書かれてある駅もあることに気付いた。要するに海面からの高さが書かれているのであり、バンドンに近づくにつれてその数値がだんだんと大きくなっていくのがわかる。
     食堂車の係員が丼に入ったものを売りに来たので覗いてみると、麺類である。レシートにあるメニューから注文しようかと思っていたが、これでもいいかと思い、1つ置いていってもらった。明らかにインスタントであるが、玉子と青菜が入れてあり、作って持ってきてもらってでRP10,000しかしないのだから、コストパフォーマンスとしては充分であろう。

    @メニューには「Mie Rebus」とある

  •  17時01分にTasikmalayaに到着した。デッキからは物売りたちの大声が聞こえてくる。「アヤーム」や「ターフー(豆腐)」などは、私でも聞き取ることができる。エコノミー編成の列車が停まっているが、車内はほぼ真っ暗である。電燈も点けてもらえないのであろうか。<br /> 出発後は次第に辺りの景色も暗くなってきて、17時46分にCipeundeuyに停車した。小さな駅であるが、ここで対向列車と行き違いをする。デッキからはここでも「ターフー」の声が響き、この日最後の売り時に必死である。小さな売店などは、もう店じまいの準備をしている。<br /> すぐに出発したが、次第にレールからは車輪が軋む音が聞こえ始め、人口の多いジャワ島にしては珍しく人家が見えなくなり、いかにもな山岳区間になってきた。しかし、もうほとんど真っ暗になってしまい、せっかくの景色が見えなくなってしまっている。結局、18時以降は何も見えなくなってしまった。<br /> 暗闇の中を走り続け、19時05分にはRancaekekに到着、また走り続けて、次第に灯火が見え始めてバンドンが近づいてきた。そういえば優等列車には必ずあるアナウンスが今朝からなく、どうやら故障しているようであるが、周りにいる乗客が急に下車の準備をし始めたため、そろそろかとこちらも荷物をまとめる。<br /> バンドン到着は、まさかまさかの「定刻」19時40分であった。運が良かったのか、それとも運転手がひたすら汽笛を鳴らし続けて走ったのが本当に影響したのかは不明であるが、いずれにせよ、インドネシアの長距離列車での定刻、これは本当に奇跡的である。<br /><br /> さて、バンドンでは北口にあるホテルを押さえてある。南口に出るととんでもないことになることは調べてあったため北側に出なければならないが、列車は一番南側のホームに入線してしまった。だったら北に向かって歩けばいいだけだろう、と言われそうであるが、日本の駅には必ずある跨線橋や地下道など、いっさいないのである。つまり、他の停車中の車両の中を通っていかなければならない。しかもホームの高さがほとんどないため、車両によじ登って・降りて、の繰り返しである。結局北口に到着するまで、3本くらいの列車を登って通り抜けて行った。<br /> ホテルへは歩いて7分程度、止まってくれない車やバイクの列に無理やり割り込んで渡る横断方法も、だんだん慣れてきた(危険であることに変わりはないが)。ホテル周辺には特に何もないが、内部のレストランがお手頃価格であったため、そこでサテーとナシゴレンとビールで夕食を済ませた。<br /><br />@このサテーが美味(10本で約250円)

     17時01分にTasikmalayaに到着した。デッキからは物売りたちの大声が聞こえてくる。「アヤーム」や「ターフー(豆腐)」などは、私でも聞き取ることができる。エコノミー編成の列車が停まっているが、車内はほぼ真っ暗である。電燈も点けてもらえないのであろうか。
     出発後は次第に辺りの景色も暗くなってきて、17時46分にCipeundeuyに停車した。小さな駅であるが、ここで対向列車と行き違いをする。デッキからはここでも「ターフー」の声が響き、この日最後の売り時に必死である。小さな売店などは、もう店じまいの準備をしている。
     すぐに出発したが、次第にレールからは車輪が軋む音が聞こえ始め、人口の多いジャワ島にしては珍しく人家が見えなくなり、いかにもな山岳区間になってきた。しかし、もうほとんど真っ暗になってしまい、せっかくの景色が見えなくなってしまっている。結局、18時以降は何も見えなくなってしまった。
     暗闇の中を走り続け、19時05分にはRancaekekに到着、また走り続けて、次第に灯火が見え始めてバンドンが近づいてきた。そういえば優等列車には必ずあるアナウンスが今朝からなく、どうやら故障しているようであるが、周りにいる乗客が急に下車の準備をし始めたため、そろそろかとこちらも荷物をまとめる。
     バンドン到着は、まさかまさかの「定刻」19時40分であった。運が良かったのか、それとも運転手がひたすら汽笛を鳴らし続けて走ったのが本当に影響したのかは不明であるが、いずれにせよ、インドネシアの長距離列車での定刻、これは本当に奇跡的である。

     さて、バンドンでは北口にあるホテルを押さえてある。南口に出るととんでもないことになることは調べてあったため北側に出なければならないが、列車は一番南側のホームに入線してしまった。だったら北に向かって歩けばいいだけだろう、と言われそうであるが、日本の駅には必ずある跨線橋や地下道など、いっさいないのである。つまり、他の停車中の車両の中を通っていかなければならない。しかもホームの高さがほとんどないため、車両によじ登って・降りて、の繰り返しである。結局北口に到着するまで、3本くらいの列車を登って通り抜けて行った。
     ホテルへは歩いて7分程度、止まってくれない車やバイクの列に無理やり割り込んで渡る横断方法も、だんだん慣れてきた(危険であることに変わりはないが)。ホテル周辺には特に何もないが、内部のレストランがお手頃価格であったため、そこでサテーとナシゴレンとビールで夕食を済ませた。

    @このサテーが美味(10本で約250円)

  • ■9.24 高地バンドンから、再び首都へ:バンドン→ジャカルタ(ガンビル)<br /> 朝、ホテルの朝食を済ませてから、ぐるっと大回りする形でバンドン駅の南口へと散歩する。まだ7時台であるが交通量は激しく、小さな屋台なども道端に溢れている。<br /><br />@跨線橋からバンドン駅方面を見る(線路上に人がいるのは普通)

    ■9.24 高地バンドンから、再び首都へ:バンドン→ジャカルタ(ガンビル)
     朝、ホテルの朝食を済ませてから、ぐるっと大回りする形でバンドン駅の南口へと散歩する。まだ7時台であるが交通量は激しく、小さな屋台なども道端に溢れている。

    @跨線橋からバンドン駅方面を見る(線路上に人がいるのは普通)

  •  駅の建物は見えないが、「距離的にここだろう」というところ、ちょうど市場のあるところで左折してみる。市場の入口は小さなバス(と言っても数人しか乗れないバンタイプだが)のターミナルとなっていて、市場内ではすでに何人かの人が屯している。かなり汚く、雰囲気はあまり良いとは言いがたい。<br /> 治安と護身のために、旅行に出発してから私はずっと髭を伸ばし続けている。そしてあまり綺麗でもない服装を着ているし、今は荷物を背負わずに歩いているため、道端の人々から声を掛けられる回数がかなり減ってきた(昨日のスラバヤのホテルではチェックアウト時にインドネシア語で訊かれてしまい、「すみません、英語で」と言ったくらいである)。<br /> そういった格好であるから歩ける場所であるが、小奇麗な身なりをして写真を撮りながら、などはとてもできそうにもない感じである。決して危険な訳ではないが、あまり場慣れしていなく緊張するため、そそくさと市場を通り抜けた。<br /> 予想通りに、市場を抜けると駅南口の正面に出た。駅の造りは北口と比べてかなり小ぢんまりとしているが、切符売り場や観光案内所は完備している。駅前の小さな広場にはSLが展示されていて、辺りを野良猫が彷徨っている。珍しく1組だけ西洋人の観光客を見かけたが、あとは現地人ばかりである。<br /> <br />@小ぢんまりした南口駅舎

     駅の建物は見えないが、「距離的にここだろう」というところ、ちょうど市場のあるところで左折してみる。市場の入口は小さなバス(と言っても数人しか乗れないバンタイプだが)のターミナルとなっていて、市場内ではすでに何人かの人が屯している。かなり汚く、雰囲気はあまり良いとは言いがたい。
     治安と護身のために、旅行に出発してから私はずっと髭を伸ばし続けている。そしてあまり綺麗でもない服装を着ているし、今は荷物を背負わずに歩いているため、道端の人々から声を掛けられる回数がかなり減ってきた(昨日のスラバヤのホテルではチェックアウト時にインドネシア語で訊かれてしまい、「すみません、英語で」と言ったくらいである)。
     そういった格好であるから歩ける場所であるが、小奇麗な身なりをして写真を撮りながら、などはとてもできそうにもない感じである。決して危険な訳ではないが、あまり場慣れしていなく緊張するため、そそくさと市場を通り抜けた。
     予想通りに、市場を抜けると駅南口の正面に出た。駅の造りは北口と比べてかなり小ぢんまりとしているが、切符売り場や観光案内所は完備している。駅前の小さな広場にはSLが展示されていて、辺りを野良猫が彷徨っている。珍しく1組だけ西洋人の観光客を見かけたが、あとは現地人ばかりである。
     
    @小ぢんまりした南口駅舎

  • @SLも大切に展示されている

    @SLも大切に展示されている

  •  歩いてきた道をそのまま戻り、ホテルへと戻って荷造りをして、今度は北口へと向かう。<br /><br /> 切符も手配済みであるし歩いてすぐであることは重々承知であるが、出発の1時間も前にバンドン駅に行った。北口の建物はかなり大きく、駅名の横には「+709」と書いてある。その分だけジャカルタよりは涼しいはずであるが(気温の逓減率から言えば4℃以上)、それほど涼しさまでは感じられない。<br /> 駅の外では、客待ちをする様々な人々が道路に座っていたりして若干異様な雰囲気であるが、改札を通っただけでそれが一変する。売店の雑誌売りも、どことなく愛想が良い感じがする。改札口にいた警備員風の人に入線ホームを尋ねると、これから乗る11時30分発のArgoParahyanganは5番線から出るという。その受け答えも笑顔であり、ただの偶然かもしれないが、ジャカルタよりは全般的に柔和な感じがしなくもない。<br /> とにかく時間はたっぷりあるため、駅構内をぐるぐると散策する。広いベンチスペースの前には小奇麗な中庭が広がっていて、丁寧に整備されている。各線路の手前には「気をつけましょう」のような文言が書かれた注意書きの掲示板もあり、意外に親切である。<br /> <br />@整備された構内

     歩いてきた道をそのまま戻り、ホテルへと戻って荷造りをして、今度は北口へと向かう。

     切符も手配済みであるし歩いてすぐであることは重々承知であるが、出発の1時間も前にバンドン駅に行った。北口の建物はかなり大きく、駅名の横には「+709」と書いてある。その分だけジャカルタよりは涼しいはずであるが(気温の逓減率から言えば4℃以上)、それほど涼しさまでは感じられない。
     駅の外では、客待ちをする様々な人々が道路に座っていたりして若干異様な雰囲気であるが、改札を通っただけでそれが一変する。売店の雑誌売りも、どことなく愛想が良い感じがする。改札口にいた警備員風の人に入線ホームを尋ねると、これから乗る11時30分発のArgoParahyanganは5番線から出るという。その受け答えも笑顔であり、ただの偶然かもしれないが、ジャカルタよりは全般的に柔和な感じがしなくもない。
     とにかく時間はたっぷりあるため、駅構内をぐるぐると散策する。広いベンチスペースの前には小奇麗な中庭が広がっていて、丁寧に整備されている。各線路の手前には「気をつけましょう」のような文言が書かれた注意書きの掲示板もあり、意外に親切である。
     
    @整備された構内

  •  5番線にはすでに私が乗るべきArgoParahyangan号の車両が停まっているが、本来の停止位置より3両分ほど手前に停められ、外部の清掃などがされている。これからの車窓を考えると、直前に窓を洗い流してくれているのはありがたい。車両編成は、[機関車]+[ビジネス×3]+[食堂車(厨房)]+[エグゼクティブ×3]+[電源車]、である。<br /> しかしホームの形状をよくよく見てみると、位置によって高さが異なっている。昨晩の到着時に説明したように、ほとんどは高さのないホームであるために車両に乗るためにはデッキまで這い上がらないといけないが、後方部分だけ、日本の駅と同じような高床のホームになっている。つまり、エグゼクティブの乗客は普通に乗り降りできるが、ビジネスの場合はよじ登らねばならないということである。そんなことまで差をつけているのかと、ある意味感心してしまった。そういえば、窓が清掃されていたのもエグゼクティブの車両だけである。そもそも、ビジネスの車両は窓の上部1/3が空いたままであるから、水をじゃんじゃん掛けての清掃はできないであろうが。<br /><br />@エグゼクティブの部分だけ、ホームは高くなっている

     5番線にはすでに私が乗るべきArgoParahyangan号の車両が停まっているが、本来の停止位置より3両分ほど手前に停められ、外部の清掃などがされている。これからの車窓を考えると、直前に窓を洗い流してくれているのはありがたい。車両編成は、[機関車]+[ビジネス×3]+[食堂車(厨房)]+[エグゼクティブ×3]+[電源車]、である。
     しかしホームの形状をよくよく見てみると、位置によって高さが異なっている。昨晩の到着時に説明したように、ほとんどは高さのないホームであるために車両に乗るためにはデッキまで這い上がらないといけないが、後方部分だけ、日本の駅と同じような高床のホームになっている。つまり、エグゼクティブの乗客は普通に乗り降りできるが、ビジネスの場合はよじ登らねばならないということである。そんなことまで差をつけているのかと、ある意味感心してしまった。そういえば、窓が清掃されていたのもエグゼクティブの車両だけである。そもそも、ビジネスの車両は窓の上部1/3が空いたままであるから、水をじゃんじゃん掛けての清掃はできないであろうが。

    @エグゼクティブの部分だけ、ホームは高くなっている

  •  あれこれ構内を見て周っていると、まだ発車まで30分もあるが、11時ちょうどに車両がバックして定位置に入線した。乗車して待っていても仕様がないため、さらにあちこち彷徨ってから、発車の10分くらい前に乗り込んだ。私がいる車両の乗車率は60%くらいである。<br /><br />@正面から撮影(線路に入っても誰も文句は言わない。もちろん「自己責任」で)

     あれこれ構内を見て周っていると、まだ発車まで30分もあるが、11時ちょうどに車両がバックして定位置に入線した。乗車して待っていても仕様がないため、さらにあちこち彷徨ってから、発車の10分くらい前に乗り込んだ。私がいる車両の乗車率は60%くらいである。

    @正面から撮影(線路に入っても誰も文句は言わない。もちろん「自己責任」で)

  •  出発前のアナウンスが流れ始めたが、今日の車掌は女性である。何を言っているのかはわからないが、停車駅などの案内であろう。<br /> 気持ちの良いくらいのぴったり定刻の11時30分、バンドンを出発した(1分前に汽笛が鳴ったので「今日も早発か?」と内心ヒヤヒヤしていたが、杞憂に終わった)。出発後すぐに、また女性の声でアナウンスがある。これは個人差ではなくてスピーカーのせいであるが、一昨日は声が割れそうなくらいの音量であり、そして昨日はまったく聞こえなかったが、今日は丁度良い塩梅である。<br /> 先ほど北口に到着した際に、掲示されていた最新の時刻表をカメラに収めてある。車内では、これから停車する駅ごとにその時刻と照らし合わせようかと思っていたが、ガンビル到着時刻が14時56分になっている。それに対して、切符に印字されている到着時刻は15時02分である。この時点でもうどうでもよくなってしまい、確認することは諦めてしまった。<br /> 11時41分にCimahiに到着し、1分も停車しないうちに出発してしまう。これまでで最短の停車時間である。外は残念ながら雨模様になってきてしまった。<br /> Padalarang到着は11時56分。しばらく停車してから出発したが、次第にカーブが多くなってきた。それもかなりの急カーブであり、私は一番後ろの客車にいたのだが、機関車を含めて前7両しかないうち、5両ほどが窓から見えてしまうくらいに編成が曲がっている。車輪からもキーキーと擦れる音が聞こえ続ける。12時17分にはトンネルを通過したが、抜けるまで結構時間がかかる長いものであった。<br /> しかし山岳地帯であるにも係わらず、さすがに人口密度の高いジャワ島だけあって、山間の狭い土地にも棚田や民家がひしめき合っている。急なカーブは途切れることなく続き、時折、棚田すらないような深い山間の景色も垣間見えたりもする。昨日の晩は肝心の山岳地帯で夜更けになってしまったが、この区間でも充分に山の景色を堪能することができる。<br /><br />@山深くなってきた(次回は晴れの日に乗ってみたい)

     出発前のアナウンスが流れ始めたが、今日の車掌は女性である。何を言っているのかはわからないが、停車駅などの案内であろう。
     気持ちの良いくらいのぴったり定刻の11時30分、バンドンを出発した(1分前に汽笛が鳴ったので「今日も早発か?」と内心ヒヤヒヤしていたが、杞憂に終わった)。出発後すぐに、また女性の声でアナウンスがある。これは個人差ではなくてスピーカーのせいであるが、一昨日は声が割れそうなくらいの音量であり、そして昨日はまったく聞こえなかったが、今日は丁度良い塩梅である。
     先ほど北口に到着した際に、掲示されていた最新の時刻表をカメラに収めてある。車内では、これから停車する駅ごとにその時刻と照らし合わせようかと思っていたが、ガンビル到着時刻が14時56分になっている。それに対して、切符に印字されている到着時刻は15時02分である。この時点でもうどうでもよくなってしまい、確認することは諦めてしまった。
     11時41分にCimahiに到着し、1分も停車しないうちに出発してしまう。これまでで最短の停車時間である。外は残念ながら雨模様になってきてしまった。
     Padalarang到着は11時56分。しばらく停車してから出発したが、次第にカーブが多くなってきた。それもかなりの急カーブであり、私は一番後ろの客車にいたのだが、機関車を含めて前7両しかないうち、5両ほどが窓から見えてしまうくらいに編成が曲がっている。車輪からもキーキーと擦れる音が聞こえ続ける。12時17分にはトンネルを通過したが、抜けるまで結構時間がかかる長いものであった。
     しかし山岳地帯であるにも係わらず、さすがに人口密度の高いジャワ島だけあって、山間の狭い土地にも棚田や民家がひしめき合っている。急なカーブは途切れることなく続き、時折、棚田すらないような深い山間の景色も垣間見えたりもする。昨日の晩は肝心の山岳地帯で夜更けになってしまったが、この区間でも充分に山の景色を堪能することができる。

    @山深くなってきた(次回は晴れの日に乗ってみたい)

  •  女性の係員が車内誌のような新聞を置いていったため、とりあえず広げてみる。字は読めないが、ちょうど今月からジャカルタ近郊路線で導入された「女性専用車」の記事が載っていた。またそれ以外にも、代表的な列車の時刻表もあった。雑誌を読むこと自体は無料なのだろうが、持ち帰りがいいのかどうかは不明である。しかし、時刻表があると後々レポートを纏める際に重宝されるため、その部分だけ頂戴することにした。<br /> 山深い景色は続き、台車は唸り続けている。ジャカルタに向かって左手に景色が広がり続けるため、指定席を手配する際にはそのようにした方がいいであろう。私は今、窓側のA席に座っている。だったらそう希望すればいいのかというと、そうでもないかもしれない。これまでの乗車経験からすると、A側とD側どちらが右手か左手か、ジャワ島内では必ずしも統一されていないからである。これはもう、発券時の運に任せるしかない。<br /> 12時30分にMaswatiを出発してからは、なんとなく下ってきたような感覚になってきた。しかしまだまだカーブは続いている。45分過ぎからは左手に路盤が沿い、複線になる。53分にPleredに到着し、ほどなくして出発してからは単線になったが、路盤はほぼ直線になってきた。<br /> 左手には山間に代わって市街地が遠くに広がり始め、また複線になり、Ciganeaには13時06分に到着した。駅名の横にある数字は「+141」まで下がってきている。<br /><br />@遠くに町も見えてきた

     女性の係員が車内誌のような新聞を置いていったため、とりあえず広げてみる。字は読めないが、ちょうど今月からジャカルタ近郊路線で導入された「女性専用車」の記事が載っていた。またそれ以外にも、代表的な列車の時刻表もあった。雑誌を読むこと自体は無料なのだろうが、持ち帰りがいいのかどうかは不明である。しかし、時刻表があると後々レポートを纏める際に重宝されるため、その部分だけ頂戴することにした。
     山深い景色は続き、台車は唸り続けている。ジャカルタに向かって左手に景色が広がり続けるため、指定席を手配する際にはそのようにした方がいいであろう。私は今、窓側のA席に座っている。だったらそう希望すればいいのかというと、そうでもないかもしれない。これまでの乗車経験からすると、A側とD側どちらが右手か左手か、ジャワ島内では必ずしも統一されていないからである。これはもう、発券時の運に任せるしかない。
     12時30分にMaswatiを出発してからは、なんとなく下ってきたような感覚になってきた。しかしまだまだカーブは続いている。45分過ぎからは左手に路盤が沿い、複線になる。53分にPleredに到着し、ほどなくして出発してからは単線になったが、路盤はほぼ直線になってきた。
     左手には山間に代わって市街地が遠くに広がり始め、また複線になり、Ciganeaには13時06分に到着した。駅名の横にある数字は「+141」まで下がってきている。

    @遠くに町も見えてきた

  •  これは今気づいたことではなく、3日前に初めて乗車してから思っていたことであるが、とにかく沿線には小さい子どもが多いということである。もちろん、いわゆる「ピラミッド型」の人口であるから全員が成長できるわけではないだろうが、それにしても多い。目の前にあるもう1本の線路上にも、スズメのように小さい子どもが連なって座っている。<br /> 時折投石があり、それが車両に当たる。しかし子ども全員が投石をしているわけではなく、中には親と一緒に手を振ったり、勝てるわけもない競争をして走ったりしている子もいて、そういうのは日本で見られるものと同様である。<br /> 子どもの多さと同様に気になっていたのが、洗濯物の多さである。子どもの数に正比例するから当然であろうが、家々の隙間に密集して干されており、中には屋根に直接置いたり、さらには芝生や道端に直接置いて干しているものまである(それで綺麗になるのかどうかは不明であるが)。<br /> そんなことを考えながら沿線を眺めているうちに、13時21分にPurwakartaに到着した。駅名横の数字は「+84」まで下がってきている。エコノミーの列車とすれ違い、北線との合流駅であるCikampekには13時44分に到着した。ここから先は、この短い滞在でもう3回目の乗車になる。<br /> なんとなく覚えてきた沿線風景を眺めているうち、終着のガンビルには14時58分に到着した。バンドン駅に掲げてあった時刻表が最新だとすれば、遅れはたったの2分だけである。<br /><br /> さて、今日のホテルはコタ駅付近である。近郊路線で向かおうとして、窓口の人に「コタまで買えますか?」と訊いたら、なんと「買えないから、バスでね」と言われてしまった。ガンビルは急行列車しか停まらないから、終着駅へ向かう短距離の切符は買えないようである。<br /> バス(トランスジャカルタ)の路線図は持ってきているが、ガンビル駅付近は複雑で乗り換えなければならないため、豪勢にタクシーで向かうことにする。ホテルまでは5キロ弱ほどあったが、料金はたったの約RP21,000である。<br /> チェックインを済ませ、ホテル付近を歩いてみる。高架下の汚い商店のすぐ隣りには大きなショッピングセンターがあるが、その周りは3メートルくらいの鉄柵で覆われていて、建物の中も日本の電化製品などが売られていたりして、そして警官は機関銃(!)を持っていたりして、どうやら庶民の生活からは程遠い場所のような感じがする。取り急ぎその建物の中にスーパーを見つけ、ビールは数本だけ売っているのを確認した。<br /> まだまだ時間があるため、旧バタビア街でも行こうかと考える(行く途中にコタ駅も見ることができる)。駅までは1キロもないため歩いてすぐであるが、とにかく排気ガスと砂塵などで息苦しい。数多ある三輪タクシーのエンジンが2ストローク(オイルを燃焼させながら走るエンジン。日本でも以前は小さいスクーターであったが、排気ガス規制によってほぼ全滅した)であることと、それ以外の4ストロークエンジンの車も、あまりに古すぎて煙を吐きながら走っているのもいるし、さらには尋常でないバイクの多さなどによって、普通に息をするだけでも苦しいのである。<br /><br />@三輪タクシーとは(右にあるもの。翌朝撮影)

     これは今気づいたことではなく、3日前に初めて乗車してから思っていたことであるが、とにかく沿線には小さい子どもが多いということである。もちろん、いわゆる「ピラミッド型」の人口であるから全員が成長できるわけではないだろうが、それにしても多い。目の前にあるもう1本の線路上にも、スズメのように小さい子どもが連なって座っている。
     時折投石があり、それが車両に当たる。しかし子ども全員が投石をしているわけではなく、中には親と一緒に手を振ったり、勝てるわけもない競争をして走ったりしている子もいて、そういうのは日本で見られるものと同様である。
     子どもの多さと同様に気になっていたのが、洗濯物の多さである。子どもの数に正比例するから当然であろうが、家々の隙間に密集して干されており、中には屋根に直接置いたり、さらには芝生や道端に直接置いて干しているものまである(それで綺麗になるのかどうかは不明であるが)。
     そんなことを考えながら沿線を眺めているうちに、13時21分にPurwakartaに到着した。駅名横の数字は「+84」まで下がってきている。エコノミーの列車とすれ違い、北線との合流駅であるCikampekには13時44分に到着した。ここから先は、この短い滞在でもう3回目の乗車になる。
     なんとなく覚えてきた沿線風景を眺めているうち、終着のガンビルには14時58分に到着した。バンドン駅に掲げてあった時刻表が最新だとすれば、遅れはたったの2分だけである。

     さて、今日のホテルはコタ駅付近である。近郊路線で向かおうとして、窓口の人に「コタまで買えますか?」と訊いたら、なんと「買えないから、バスでね」と言われてしまった。ガンビルは急行列車しか停まらないから、終着駅へ向かう短距離の切符は買えないようである。
     バス(トランスジャカルタ)の路線図は持ってきているが、ガンビル駅付近は複雑で乗り換えなければならないため、豪勢にタクシーで向かうことにする。ホテルまでは5キロ弱ほどあったが、料金はたったの約RP21,000である。
     チェックインを済ませ、ホテル付近を歩いてみる。高架下の汚い商店のすぐ隣りには大きなショッピングセンターがあるが、その周りは3メートルくらいの鉄柵で覆われていて、建物の中も日本の電化製品などが売られていたりして、そして警官は機関銃(!)を持っていたりして、どうやら庶民の生活からは程遠い場所のような感じがする。取り急ぎその建物の中にスーパーを見つけ、ビールは数本だけ売っているのを確認した。
     まだまだ時間があるため、旧バタビア街でも行こうかと考える(行く途中にコタ駅も見ることができる)。駅までは1キロもないため歩いてすぐであるが、とにかく排気ガスと砂塵などで息苦しい。数多ある三輪タクシーのエンジンが2ストローク(オイルを燃焼させながら走るエンジン。日本でも以前は小さいスクーターであったが、排気ガス規制によってほぼ全滅した)であることと、それ以外の4ストロークエンジンの車も、あまりに古すぎて煙を吐きながら走っているのもいるし、さらには尋常でないバイクの多さなどによって、普通に息をするだけでも苦しいのである。

    @三輪タクシーとは(右にあるもの。翌朝撮影)

  •  せっかく持ってきたマスクはホテルの部屋に置いてきてしまったため、我慢をして歩き続ける。コタ駅付近は、道端にぎっしりと物売りや物乞いの人で埋め尽くされている。駅構内はさすがに小奇麗であり、いにしえのターミナル駅であった荘厳さを兼ね備えている。実際に改札を通って中に入るのは、明日の朝にする予定である。<br /><br />@コタ駅(北口側。南口側の方が渾沌としていた)

     せっかく持ってきたマスクはホテルの部屋に置いてきてしまったため、我慢をして歩き続ける。コタ駅付近は、道端にぎっしりと物売りや物乞いの人で埋め尽くされている。駅構内はさすがに小奇麗であり、いにしえのターミナル駅であった荘厳さを兼ね備えている。実際に改札を通って中に入るのは、明日の朝にする予定である。

    @コタ駅(北口側。南口側の方が渾沌としていた)

  •  駅から北方面へ少し歩いて、ファタヒラ広場に出た。観光地のはずであるが、辺りにいるほとんどは地元の人々であり、皆寝転んだり、シートを広げて商売をしたりしている(しかし、活気はあまりない)。写真を撮るような雰囲気でもない(くどいようであるが、危険性はまったくないと思える。私自身が慣れていないだけである)。しかし逆に言うと、人が多いということは、それだけ多くの「目」があるために、それなりにまだ安全なのである。行こうとしていた旧バタビア街はもう少し北であるが、夕刻になり見るからに人通りが少なくなってしまっているため、諦めて戻ることにした。髭+安物服の効果も、絶対ではない(口を開いたらすぐに日本人であることがバレてしまう)。<br /><br />@人は多いが、賑やかさのない広場

     駅から北方面へ少し歩いて、ファタヒラ広場に出た。観光地のはずであるが、辺りにいるほとんどは地元の人々であり、皆寝転んだり、シートを広げて商売をしたりしている(しかし、活気はあまりない)。写真を撮るような雰囲気でもない(くどいようであるが、危険性はまったくないと思える。私自身が慣れていないだけである)。しかし逆に言うと、人が多いということは、それだけ多くの「目」があるために、それなりにまだ安全なのである。行こうとしていた旧バタビア街はもう少し北であるが、夕刻になり見るからに人通りが少なくなってしまっているため、諦めて戻ることにした。髭+安物服の効果も、絶対ではない(口を開いたらすぐに日本人であることがバレてしまう)。

    @人は多いが、賑やかさのない広場

  •  息苦しい中をひたすら歩き、大量の車やバイクの合間を手をヒラヒラさせるだけで無理やり横断し(インドネシア風のこのやり方も、もうお手の物である)、ショッピングセンターへと戻った。ビールを大量に買い、食べ物は、先ほど見つけて気になっていた日系の「HOKAHOKA BENTO」で大量に揚げ物や弁当を購入し、NHKのニュースを観ながら、インドネシア最後の夜は日本風に更けていった。<br /><br />■9.25 近郊路線(日本の車両)に乗る<br /> 今日は昼過ぎのフライトでシンガポール・チャンギへ飛び、夜中に出発する夜行便で成田へ戻るだけである。その前に、ジャカルタ近郊の路線に少しだけ乗る予定である(本来なら昨日の午後にボゴールまで往復して植物園などに行きたかったのだが、バンドンからの指定券が遅い列車になってしまったため、その計画は無理になってしまった)。<br /> 昨夕と同じ方法で、コタ駅へと向かう。今日は土曜日であるため、交通量も若干少ないようである。<br /><br />@貧しい住宅街の合間を、日本製の車両が走り抜ける

     息苦しい中をひたすら歩き、大量の車やバイクの合間を手をヒラヒラさせるだけで無理やり横断し(インドネシア風のこのやり方も、もうお手の物である)、ショッピングセンターへと戻った。ビールを大量に買い、食べ物は、先ほど見つけて気になっていた日系の「HOKAHOKA BENTO」で大量に揚げ物や弁当を購入し、NHKのニュースを観ながら、インドネシア最後の夜は日本風に更けていった。

    ■9.25 近郊路線(日本の車両)に乗る
     今日は昼過ぎのフライトでシンガポール・チャンギへ飛び、夜中に出発する夜行便で成田へ戻るだけである。その前に、ジャカルタ近郊の路線に少しだけ乗る予定である(本来なら昨日の午後にボゴールまで往復して植物園などに行きたかったのだが、バンドンからの指定券が遅い列車になってしまったため、その計画は無理になってしまった)。
     昨夕と同じ方法で、コタ駅へと向かう。今日は土曜日であるため、交通量も若干少ないようである。

    @貧しい住宅街の合間を、日本製の車両が走り抜ける

  •  窓口で、ボゴール急行(エキスプレス)の切符を買う。RP11,000であり、これで終点まで行くことができるが、たかだか100円程度であることを考えれば、乗ってすぐに途中下車してしまってももったいなくはない。<br /><br />@広々とした駅構内

     窓口で、ボゴール急行(エキスプレス)の切符を買う。RP11,000であり、これで終点まで行くことができるが、たかだか100円程度であることを考えれば、乗ってすぐに途中下車してしまってももったいなくはない。

    @広々とした駅構内

  •  改札で切符に穴を入れてもらい、中に入る。ホームは12番線まであり、かなり広大である。近郊路線以外にも、いくつかの長距離列車も出発するため、エグゼクティブ車両を連ねたものも停まっている。今では長距離列車のほとんどはガンビル駅をターミナルとしているが、これは私が想像するに、2点ほど理由があると思える。まず1点目は、車両の出し入れのしやすさである。コタ駅は頭端式になっているため、機関車が牽引する客車の場合、到着した後の機関車の処理が面倒であるが、島式ホームのガンビル駅ならば機関車だけ行き来すれば簡単に付け替えられるからである。そしてもう1点は、下町であるコタよりもオフィス街であるガンビルの方が、長距離列車を利用する客層が多いのではないか、という予想である。あながち外れてもいないのではないだろうか。<br /> それはさておき、時間に余裕はあるため、出入りしている列車を眺め続ける。今日も「茅場町」行が健在である。噂の女性専用車にも、それ用のステッカーが貼られている。<br /><br />@出来たばかりの女性専用車

     改札で切符に穴を入れてもらい、中に入る。ホームは12番線まであり、かなり広大である。近郊路線以外にも、いくつかの長距離列車も出発するため、エグゼクティブ車両を連ねたものも停まっている。今では長距離列車のほとんどはガンビル駅をターミナルとしているが、これは私が想像するに、2点ほど理由があると思える。まず1点目は、車両の出し入れのしやすさである。コタ駅は頭端式になっているため、機関車が牽引する客車の場合、到着した後の機関車の処理が面倒であるが、島式ホームのガンビル駅ならば機関車だけ行き来すれば簡単に付け替えられるからである。そしてもう1点は、下町であるコタよりもオフィス街であるガンビルの方が、長距離列車を利用する客層が多いのではないか、という予想である。あながち外れてもいないのではないだろうか。
     それはさておき、時間に余裕はあるため、出入りしている列車を眺め続ける。今日も「茅場町」行が健在である。噂の女性専用車にも、それ用のステッカーが貼られている。

    @出来たばかりの女性専用車

  •  さて、そろそろガンビルに向かおうかと思ったが、どれが急行なのかがわからない(出発時間は控えてあるが、どうせ正確ではない)。ボゴール方面から来た冷房車両があったため、それに座っていたら、なんとその後に入線してきた隣りの冷房車両が先に出発してしまい、行き先には「BOGOR」と書かれてあるではないか。<br /> 土曜日で本数が少ないとはいえ、ある程度待てば次の急行に乗ることはできる。しかしそれも面倒なので、今乗っている車両(恐らく、エアコン・エコノミー)に乗ってしまうことにした。エコノミーはガンビルには停まらないが、その1つ手前のJuandaには停車する。この2つの駅間が短いことは知っているため、散歩がてらに独立記念塔まで歩くことにした。<br /> 出発まで、しばし待つ。車内には物売りが行き来している。飲料や新聞はわかるが、中にはカレンダーなんてものを売っている人までいる。じきに構内にアナウンスがあり、チャイムもベルもなく、いきなりドアが閉まって出発した。<br /> さて、インドネシアで乗る初めての「日本の車両」である。車内にある「川崎車両 昭和41年」や「マナーモードに設定の上、通話はご遠慮ください」などの掲示も、そのままである。東急や地下鉄で乗っているのとなんら変わりないが、言葉にできない充実感がある。<br /><br />@車両内の雰囲気は、変わらぬまま

     さて、そろそろガンビルに向かおうかと思ったが、どれが急行なのかがわからない(出発時間は控えてあるが、どうせ正確ではない)。ボゴール方面から来た冷房車両があったため、それに座っていたら、なんとその後に入線してきた隣りの冷房車両が先に出発してしまい、行き先には「BOGOR」と書かれてあるではないか。
     土曜日で本数が少ないとはいえ、ある程度待てば次の急行に乗ることはできる。しかしそれも面倒なので、今乗っている車両(恐らく、エアコン・エコノミー)に乗ってしまうことにした。エコノミーはガンビルには停まらないが、その1つ手前のJuandaには停車する。この2つの駅間が短いことは知っているため、散歩がてらに独立記念塔まで歩くことにした。
     出発まで、しばし待つ。車内には物売りが行き来している。飲料や新聞はわかるが、中にはカレンダーなんてものを売っている人までいる。じきに構内にアナウンスがあり、チャイムもベルもなく、いきなりドアが閉まって出発した。
     さて、インドネシアで乗る初めての「日本の車両」である。車内にある「川崎車両 昭和41年」や「マナーモードに設定の上、通話はご遠慮ください」などの掲示も、そのままである。東急や地下鉄で乗っているのとなんら変わりないが、言葉にできない充実感がある。

    @車両内の雰囲気は、変わらぬまま

  •  泊まっていたホテルのすぐ横を掠め、下町をしばらく走る。各駅に停まるが、まだきちんと停止する前にドアが開いてしまうあたりが、日本の車両でありながら日本にいるときと違うところである。<br /> Juandaで降り、独立記念塔まで歩いて、そこで少しの時間を潰す(塔のエレベータは並んでいたため、乗らなかった)。続いて歩いてガンビル駅へと向かい、ブルーバードタクシーのすぐ横にある、ダムリ社の空港リムジンバスに乗り込んだ。このバスはそれほど有名ではないが、昼間は15分毎に出発し、料金もRP20,000と安い。意外にも、西洋製の最新のバスである。しかしこんなバスでも、出発前には物売りが入れ替わり立ち代りやってくる。やはり飲料や新聞は理解できるのだが、小さな電燈となると、もう意味不明である(言葉は不明だが、「帽子のひさしに付けると、ほら暗闇でも読めるよ」のような売り文句のようであった。安易な品だが、なんと買っている人がいた)。<br /> <br />@ダムリ社のバスと、ブルーバードのタクシー達

     泊まっていたホテルのすぐ横を掠め、下町をしばらく走る。各駅に停まるが、まだきちんと停止する前にドアが開いてしまうあたりが、日本の車両でありながら日本にいるときと違うところである。
     Juandaで降り、独立記念塔まで歩いて、そこで少しの時間を潰す(塔のエレベータは並んでいたため、乗らなかった)。続いて歩いてガンビル駅へと向かい、ブルーバードタクシーのすぐ横にある、ダムリ社の空港リムジンバスに乗り込んだ。このバスはそれほど有名ではないが、昼間は15分毎に出発し、料金もRP20,000と安い。意外にも、西洋製の最新のバスである。しかしこんなバスでも、出発前には物売りが入れ替わり立ち代りやってくる。やはり飲料や新聞は理解できるのだが、小さな電燈となると、もう意味不明である(言葉は不明だが、「帽子のひさしに付けると、ほら暗闇でも読めるよ」のような売り文句のようであった。安易な品だが、なんと買っている人がいた)。
     
    @ダムリ社のバスと、ブルーバードのタクシー達

  •  空港までは、約1時間の道のりである。途中、高速に乗る辺りで、現在は休線中となっている近郊路線の路盤が見えたりした。所々で日常的な荷物が置かれ始めていて、早いところ再開しないと、そのうち不法占拠されてしまうのではないかと感じた。<br /><br /> さて、長々と続いた初のインドネシア旅行も、あとは戻るだけである。<br /> 空港で手続きをし、余ったルピアなどで適当な土産を買う。エア・アジアの機内食(フライドライス+サテー)は、意外にも美味であった。<br /><br />@さようならインドネシア

     空港までは、約1時間の道のりである。途中、高速に乗る辺りで、現在は休線中となっている近郊路線の路盤が見えたりした。所々で日常的な荷物が置かれ始めていて、早いところ再開しないと、そのうち不法占拠されてしまうのではないかと感じた。

     さて、長々と続いた初のインドネシア旅行も、あとは戻るだけである。
     空港で手続きをし、余ったルピアなどで適当な土産を買う。エア・アジアの機内食(フライドライス+サテー)は、意外にも美味であった。

    @さようならインドネシア

  •  チャンギ空港では5時間ほど余裕があったため、入国して街でもそぞろ歩こうかとすると、なぜだかイミグレーションが混んでいる。よく考えたら、この週末はF1シンガポール・グランプリ開催日であった。<br /> それなりに慣れてきて、地図もあまり見ないで歩けるようになってきたシンガポールであるが、今日はその様子が少しく違っている。道路の一部がフェンスで覆われ、目の前ではレーシングカーが爆音を立てて走っている(F1の予選前の、前座のワンメーク・レースの開催中であった)。もちろん、走っているところは見えない(歩道橋などは、見えそうな方角に板やシートが貼られている)。<br /><br />@F1開催中のシンガポール市内

     チャンギ空港では5時間ほど余裕があったため、入国して街でもそぞろ歩こうかとすると、なぜだかイミグレーションが混んでいる。よく考えたら、この週末はF1シンガポール・グランプリ開催日であった。
     それなりに慣れてきて、地図もあまり見ないで歩けるようになってきたシンガポールであるが、今日はその様子が少しく違っている。道路の一部がフェンスで覆われ、目の前ではレーシングカーが爆音を立てて走っている(F1の予選前の、前座のワンメーク・レースの開催中であった)。もちろん、走っているところは見えない(歩道橋などは、見えそうな方角に板やシートが貼られている)。

    @F1開催中のシンガポール市内

  •  いつもと違う市街地をちょっとだけ楽しんでから、空港へ戻り、ラウンジで「チキンライスのチキンのみ」をつまみにして、酔いどれる。<br /><br />@搭乗時刻まで、ゆっくりと<br /><br /> あとは、機内で寝ながら日本を待つだけである。<br /> 私はもとより彷徨しやすい人間であるため、「長旅の後は、家に帰ってこそ落ち着く」ようなことは基本的にないが、久々に「やっと戻れる」という安堵感に包まれたような気がした。<br /><br />■おまけ<br /> このレポートをまとめて、サーバにアップして「やれやれ」と思ってテレビを見ていたら、偶然にもニュースで「インドネシアで鉄道事故、40人以上が死亡」とあった。「ジャカルタからスラバヤに行く急行列車が、停車中の列車に激突」ということであったが、朝の3時であったということは、Sembrani号であろうか(遅れによっては夜行のAnggrek2号であるかもしれないが、写真にはビジネス車両が写っている)。しかもこれだけでなく、同じ日にソロでも1人死亡の事故があったという。<br /> いずれにせよ、事故の多発しているジャワ島で、何事もなく帰ってこられたことは幸いであるといえよう。<br /><br />*旅行記および私の詳細については以下で。<br />「鐡旅」http://www2u.biglobe.ne.jp/~kokuden/tetu.htm

     いつもと違う市街地をちょっとだけ楽しんでから、空港へ戻り、ラウンジで「チキンライスのチキンのみ」をつまみにして、酔いどれる。

    @搭乗時刻まで、ゆっくりと

     あとは、機内で寝ながら日本を待つだけである。
     私はもとより彷徨しやすい人間であるため、「長旅の後は、家に帰ってこそ落ち着く」ようなことは基本的にないが、久々に「やっと戻れる」という安堵感に包まれたような気がした。

    ■おまけ
     このレポートをまとめて、サーバにアップして「やれやれ」と思ってテレビを見ていたら、偶然にもニュースで「インドネシアで鉄道事故、40人以上が死亡」とあった。「ジャカルタからスラバヤに行く急行列車が、停車中の列車に激突」ということであったが、朝の3時であったということは、Sembrani号であろうか(遅れによっては夜行のAnggrek2号であるかもしれないが、写真にはビジネス車両が写っている)。しかもこれだけでなく、同じ日にソロでも1人死亡の事故があったという。
     いずれにせよ、事故の多発しているジャワ島で、何事もなく帰ってこられたことは幸いであるといえよう。

    *旅行記および私の詳細については以下で。
    「鐡旅」http://www2u.biglobe.ne.jp/~kokuden/tetu.htm

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